2章1話 - 空隙
2章 Rule the world 突入しました
傷付くのは怖い。
誰かが傷付くのを見るのは、もっと恐ろしい。
自分のせいで誰かが傷付くのは、もっとつらくて、ずっと苦しい。
その対象は動物植物の分類なく、その瑕疵は身体精神の区別なく。
呼吸すること、飲食すること、雑草を踏んだりノートを書き綴ったり、相手に怒りや不満といった負の感情をぶつけること――生きるうえで避けようのない挙動ひとつひとつが拷問だった。できるかぎり息をひそめて、身動ぎせず、時間がすぎていくのを待っていた。
完全無抵抗主義で、非暴力主義な平和主義者。そういう形容を遙かに逸脱しているだろう。自分以外の存在をまったく傷付けたくない、そのためなら呼吸や飲食すら放棄してもいいなんて、自己犠牲という衣を纏っただけの自殺志願者だ。……実際、呼吸をしたり食事するくらいなら死んでも構わないと考えている。
けれど生きるのが苦痛だからといって、命を絶つことはできなかった。キリスト教系の施設で育ったという土壌がそうさせるのか、あるいは死ぬならせめて誰かの役にたって死にたいのか。夜を迎えるたびに訪れる死屍累々の悪夢、その元凶が、ほかならぬヒロ自身にあると確信しているからか。機に恵まれるたび、贖罪という概念が脳裏をよぎる。
サバイバーズ・ギルト。
この特異な精神状態は、そんな名前で呼ばれているらしい。十五年前におきた、何万もの死傷者をだした凄惨な事故の生き残りがヒロとナオであり、無意識のうちに生き残ってしまった罪悪感に囚われているのだろう、と。
「あなたにとって、生きていくことは地獄なのかしら?」
まだ小学生だったころ、臨床心理士に尋ねられたことがある。
「お父さんやお母さんの名前や顔を憶えていない、親戚なんて言うまでもない。誰もあなたのことを知らないから、いつまでも心細さがきえない。あなたの寂しさが、この世界は自分のいるべき場所じゃないと感じさせている。そう考えたことはない?」
「いいえ」
「……。でも、生きていくことは苦しいのよね? 本当はご飯も食べたくないし、水も飲みたくないし、絵をかいたり、みんなと一緒にお外で遊んだりすることも怖いのよね?」
「はい」
「それじゃあ、その恐怖の源泉は一体なんだと自分では思っているの?」
答えたところで理解されないことを知っていた。
この世界が地獄なのではない、ヒロ自身が地獄なのだ。
おのれが地獄となって君臨しているこの世界に、地獄をみているのだと。
まだ続く