1章9話 - 殷き蹉跌
1章はこれにて終了。タイトルは「あかき さてつ」と読みます
狂祭の地だった。
蝋燭のみを、この場の些々たる灯りにしていると言われなければ気付けないほど、大小濃淡の黒白は群れなすものの輪郭をうかびあがらせる。そう、そこは光り輝くもので埋め尽くされていた。鉱種をとわず、製錬の有無をとわず、かつて山岳川海に身を置いていたであろう鉱物が、繊巧の品々にかたちを変えて満ちている。
剣鎗斧銃があった。杖が、石弩が、鉄扇が、薙刀が、戦鎚があった。戦争するための……より効率的に他者を傷付けるための、ありとあらゆる手段がそろっているさまは、まさしく〈戦死者の館〉と称するに補ってあまりある。
そして無数の殺戮道具をあまさず孕む頻闇と、その頻闇ごと内包する黄金の大広間は、その場の全員に軽々とは無視できない圧迫感をあたえているはずだった。
誤算があるとするなら、彼がそのような愛らしい神経をもつ常人の枠組みから逸脱していることだろう。間断のない黯闇も、そのなかにあってなお血汐と骨肉のかぎりを捧げよと燦々輝く武具たちも、殺戮と鋳造を統べる〈弟殺し〉にとっては朔日の月に等しい。
「――あいつがいた」
戦に身を投じる者が大なり小なり持ちあわせるはずの狂奔なく、ただひたすらの傲慢を声音に滲ませて。冷徹に、透徹に、静謐のなかに佇む〝遺筐〟にむけ、カインが呟く。
「こんなしみったれた情報じゃ確定できねェが、確定したものとみなして動く」
椅子と化していたグレンデルがすまなさそうにうめいた。哀愁をやどした咆哮は、聾唖者のそれだ。彼は人型をとってはいるものの、本質はあくまで魔獣。父祖たるカインと異なり、人語の発声を不得手としている。
そんな彼が、たとえ借り物の策謀とはいえ、立派に〈恩恵享受〉をなしたのだ。カインは醜貌の臣従にいくばくかの褒言をあたえたのち、金銀非対称の双眸でさきほどの描像をとらえなおす。
死者の安息地たる殯柩は、彼らのやりとりのさなかも、ただ黙すばかりだった。筐内が虚を孕むならば棺、実で満ちるならば柩と言うが、現状どちらに該当するのか、当事者以外には判別がつかないだろう。もしかしたら、すでに何処ぞに去ったかもしれない。それでもカインの話は、聴者側の存否をとらえることなく続いていく。
「シャロンだったか、そいつは無視していい。てめえ、前に子供がいるって言ってたからなァ。殺しちゃまずいかといちいち気遣うのも面倒くせェんで、勝手に確かめさせてもらったけどよ……とんだ杞憂だったわけだ。まァ、あのふたりの素性について傍証とれたんだからな、てめえの作戦はそれなりに意味があったんだけどよ」
そこで言葉は静かに途切れる。雑談のかわりに身をのりだした沈黙は、鬼哭啾々たる気迫に満ちていた。咎めるように、釘をさすように。遙かな過去に刻まれた憎悔の蹉跌、いまだ癒えぬ裂傷を深々と傷付けるかのように。
「――ローズ」
彼の心性にまるで似合わぬ自虐と自傷で、彼の心性そのままの殺意をのせて。
「ようやく見つけた。オレ様の獲物に手ェだすんじゃねえぞ」
決意は宣誓となり、牽制となって黄金城に響く。
応えはない。相手の姿が見えないのだから、首肯されたのかどうかも判然としない。だがその言葉を最後にしてカインは踵をかえす。グレンデルも随伴の徒となった。そもそも約諾を得る気などなかったとしか思えない挙動は、やはり聴者を揺り動かすには至らなかったけれど。
跫音が遠ざかる。
黙がひろがっていく。
武器庫が無人と化してようやく、龕棺の蓋がひっそりと内側から押しあげられた。巨岩を穿ち造りあげたとは到底信じられぬ、まったく重量を感じさせない、なめらかでやすい挙措。なのにそれは、どうみても人という種でうまれついた女子供の躯体線をえがいている。物理的に考えて支えられるはずのない素材と構図だ。
けれど物理如何について言及するなら、腕の可動部をおさめる遺筐の内側にこそ向けるべきだろう。
そこはただ、ただ、戯画のごとく夥しい〝朱殷色〟であふれかえっていた。
おそらく陽のあたる場所ならば、柩の枠縁限界にまで満々と揺蕩うこの色あいは、薔薇のごとき真紅なのだろう。しかし今、漆黒と金物に埋め尽くされたこの場所においては殷――錆びた血汐の海でしかなかった。
まだ続く