1章0話 - プロローグ
本作は2016年に同人誌として発行したものを加筆・修正したものです。ラストまで改稿・推敲が終わっています
「獲物は獲物らしく――オレ様に貫かれて喘いでなッ……!」
ふたたびカインの指先が、暴虐の意をこめて撓り。
瞬きもゆるさぬ刹那、あまねく宙に弾丸が満ちる。
その数は、数千、数億翼。もはや銃弾の驟雨というより、鈍色をした世界の創造だった。
「逃げて!」
自分はどうなってもいい。だから君だけは逃げて。生きのびて。
金の少女にむかって、ヒロは叫ぶ。
だがカインの言葉を借りるなら、ここは残酷な狩人が統べ領す〈狩猟場〉。生きるか死ぬか、逃げるか戦うかの二択しかない。少女――矜持の騎士は、誰よりもそれを理解していた。
騎士。そう、騎士だ。いくら血と戦塵にまみれ、獲物と謗られようと、シャロンは人類を守護する騎士なのだ。
「E pero leva su
(立ちあがるのよ)」
騎士は紡ぐ。
命乞いではなく、奮いたつための言葉を。
「vinci l'amba s c ia co n l' animo che vince ogne battagl ia se col suo g rave corpo non s'a cca scia
(もし魂が肉体の重みに耐えるなら、あらゆる戦いに打ち克てる!)」
賭ける。
運命の心変わりではなく、シャロンという命の可能性に。
どうか私こそが窮状を打破する、ひとすじの光輝であらんことを。
「ああァあぁああぁぁぁッ……!」
少女は駆けた。光となって駆けた。
怒りが血を灼く。もはや深紅は死の穢れにあらず。戦場に生きる者たちが纏う、華やかな装飾具へと挿げ替わった。身体の震えはいまだ健在。だが恐怖であろうはずがない。武者震いだ。
――シャロン・アシュレイがそう〈定義〉した。
「フン。その根性論でどこまでイけるか試してやるよ」
あきらかに様子の変わった獲物をまえに、だがカインの余裕はくずれない。
しなやかな腕が、一揮、風を断つ。
たちまち千弩が放たれ、シャロンに襲来した。
騎士は逃げない。逃げられない。彼女の背後には、ただの一般人でしかない少年と運命の少女がいる。戦闘能力がなく、逃げる手段や道のりも持たない彼らは、敵の手中にあらずとも人質同然。
よって鋼鉄の驟雨は惨たる悲劇をもたらす。そのはずだった。
「parole gravi, avvegna ch'io mi senta
(もとより私は、たとい命運に激しく撃たれようとも)
ben tetragono ai colpi di ventura;
(怯み、たじろぐ者ではありませぬが)
per che la voglia mia saria contenta
(それゆえ、いかなる災禍が迫るのを)
d'intender qual fortuna mi s'appressa:
(聞くは我が本懐とするところ)」
黄金の濃霧に、紅がきらめいた。
何千何百の兇弾をたたきおとす、その火花が、一面に火光の色を映じたのだ。
「che saetta previsa vien piu lenta(迫ると知った矢など、当たるに弱し)。……軽いのよ、あなたの兇器は」
破砕物はみな彼女の足元に跪く。
圧倒的で、幻想的な光景だった。カインの攻撃が野性的で原始的な放埒だというのならば、彼女のそれは人の理性と努力が築きあげた技術の粋。ヒロは彼女の後ろ背に、騎士を越えて王の姿さえ幻視する。
勝てる。これなら血で血を洗う地獄をとめられる。
そう確信した直後だった。
「だから喧々癇声うるせェッつってんだろうがよォッ!」
「――か、は……ッ」
なんの予兆もなく、シャロンの足下から氷の乱刃が現れる。存在理由すべてを殺傷につぎこんだ蒼き茨棘は、脾腹を裂き、大腿を割り、臓腑を圧し、骨の髄まで貫いた。
悲鳴らしい悲鳴を待つことなく、氷柱は展翅された少女を覆いつくし、氷塊となり。
――……少女もろとも砕け散った。
しん、と。
闃として、ただ寂として。
死の静寂がみちる。
「あっけねぇ。もうイっちまったのか」
太陽を歿した黄昏は、首元に手をあててやれやれと吐き捨てる。勝利の高揚はおろか軽蔑すら宿さぬただの事実確認、見果てぬ無関心。人殺しの咎を負ったことなど、まるで意に介した様子もない所作だった。
「……ぁ、」
ヒロのくちびるから喘鳴がこぼれる。
「……死ん……? あ、ぁ……ああッ? そ…んな……?」
「ハッ、雑魚一匹死んだことがそんなに信じられねェか? だったらてめえが抱きかかえているそれはなんだってんだ?」
騎士という厄介を始末した狩人は、喜色とも嘲弄ともつかぬ笑みをうかべながら、悠々とやってくる。蹲るヒロにあわせて膝を折り、〝それ〟を指し示した。
騎士が命を賭してまで守りたかった銀の幼子は。
――ヒロの腕のなか、枯れ木のように干からびて絶命していた。
「……え?」
「なにもしてねェのに、どうしてだって顔してやがんなァ?」
呆然とするヒロの頬をつかみ、カインは無理矢理に顔をあげさせる。研ぎ澄まされた金銀妖眼が視線を奪って離さない。
「そうだ、てめえはなにも為さず、なにもできやしない。目を閉じ、耳を塞いで、手で宙を掻いて地を踏みしめ、ここから逃げだすことすら」
……そうだ。逃げなかった。足手まといにしかなれなかった。
「ましてや誰も救えねぇ。この惨状を見て、悲鳴を聞いて、手をさしだすことも、武器を把って戦うことも」
……返す言葉もない。戦わなかった。彼女たちを逃がすための時間稼ぎにもなれなかった。
「だが、それはしょうがねェ話だ。てめえは人間じゃねぇ。耳目も手足も持たない、生き物ですらない存在。ただ存在するだけで死を撒き散らす〈生死の境界(Beit She'arim)〉」
ヒロが唯一為したのは、見殺し。
存在することで、彼女たちを死に追いやった。
「あばよ。――オレ様が死ぬのも、てめえのせいだ」
カインはヒロの手をとり、頬に導き。
髑髏となって頽れる。
「――……」
生きている者は誰ひとり存在しない。
銀の幼子も、金の少女も、残酷な青年も、みな死に絶えた。
「…………ああ、そうか」
たったひとりで佇みながら、ヒロは呟く。
「知っていたじゃないか……。僕が存在するだけで、みんなが争うんだ。僕が存在するだけで、みんな苦しみながら死んで逝くんだ。だから、だから、僕は――……」
眦から涙がこぼれおちた。
眼窩に嵌まる、虚ろな双眸に、死が映りこむ。
「願ったんだ。死なないでって……どうか犠牲は僕だけであるようにって……」
祈っていた。願っていた。希い、かくあれかしと望んできた。
蝕みのない世界を。損ないのない日々を。自分以外の誰もが楽しく、幸せでいられる在り方を。
けれどその祈りは、夢だから、現実には成りえないから望んだわけじゃない。吹けば飛ぶような軽い気持ちで願ったわけじゃない。
ここは夢のように非現実的な世界で、けれど夢とも現実とも違う場所だから。なによりただ見殺しにするしかなかった頃とは違い、人間として生きた記憶が今のヒロにはあったから。
この現実を変えてしまえばいいのだ。
世界を。世界の在り方を。その方法を知っている。
だから紡ぐ。言葉を。意志を。
「……この世界を〈世界再構築〉する」