03
誠にお久しぶりです。
「で、本当に知らないんですか?【状態異常】のこと」
「あぁ、悪い、本当に聞き覚えがない。」
目の前でこてんと首を傾けて、おかしい、と彼女は言った。
目の前の彼女──シルヴァークレア通称シルクは、艶やかな腰ほどまで伸ばした銀の髪を指先で弄っていた手を止め、再び口を開く。
「あり得ません、【状態異常】を知らないなんて。」
「そう言われてもなぁ...」
「それとも、今の時代は儀式の失敗率が下がっているとか、儀式が成功しやすいシステムとかが作られたとか、そういうことですか!?」
1000年程土の中で眠っていたと自称する彼女はよくわからないことを言う。
儀式とは教会とか神殿のお偉い様方が複数人集まって、魔方陣とか生け贄とかなんか色々用意して何日もかけて行うものである、らしい。
とは言え俺はその程度の噂しか知らないから、事実とは少し違うのかもしれないが。
高価そうだが決して華美ではない白を基調とした洋服を着ている様子からすると、シルクが神殿関係者である可能性も捨てきれない。
だけど我が国の宗教だと嘘は御法度。
シルクが神殿関係者だった場合、1000年も眠っていたとかバッドステータスとか、とにかくそんな嘘を吐くはずがない。
ま、俺の場合《契約魔法》のことを言ってないのは嘘じゃなくて聞かれてないからだということにして、自分を納得させる。
俺に《契約魔法》を与えた神様のことは、ちょ~っとはまぁほんの少しだけすごく恨んでるけど、それだけで改宗するほど俺は薄情ではない。
いや、俺は国教以外の宗教の存在を知らないだけだけど。
俺は自分の空のカップに紅茶を入れ、改めて飲む。
美味い。あっという間に無くなってしまう。
「シルクがどうかは知らないけど、俺は儀式なんかとは関係ない世界で生きてきたからそういう事はわからない。」
「ふぇえ!? そんなっ、そんなはずありません!! でないとどうやって魔法を覚えるんですかっ!?」
「魔法...?」
魔法とは、15歳の誕生日を迎えた少年少女が協会にて神様から授けられるものだ。
平民の場合は毎月、誕生日の子供たちをまとめて行うが、俺を含め貴族の場合は誕生日に協会を貸し切って行う。侯爵家以上になると自宅の礼拝堂にわざわざ教皇達を呼ぶらしい。
いわゆる成人の儀みたいなものだ。
昔はもっと盛大だったとか聞くけど、今は夜にパーティー開くとかその程度かな。
本当はそこで婚約者と結婚する人もいるわけだけど...、俺の場合、誕生日会さえも無かったな。
待てよ、神様から魔法を授かるのだって一種の儀式なのか...?
「なぁ、15歳になると協会で魔法を授かるけどさぁ、あれも儀式なの?」
「ふぇ? 協会?」
シルクは俺の飲み干したカップに改めて紅茶を注ぎ、ティーポットを置きながら首をかしげる。
シルクのカップを見るとなみなみと注がれている。
「ほら、シルクも何か授かっただろ? ...あ、言いたくないならいいんだ」
「授かる? 魔法を?」
こくこくと頷きながら、俺は紅茶をすする。
ティーポットの中で少し冷めているが、このぬるさもまた美味いのだ。
「何を言っているんですか? 魔法は儀式をして初めて手に入ります。15歳などの年齢制限もありませんし...」
「ってことは協会で儀式をしてもらって魔法を覚えるってことか?」
「協会なんて行かなくても自宅でできますよ、簡単な魔法を習得したいなら大概は。」
「簡単な魔法ならって選べるのか!?」
「え、まぁ...、はい。」
簡単なものだろうが望んだ魔法が手に入るなら、その儀式とやらを見てみたいものだ。
そうすれば俺だって、もっとマシな魔法を授かったかもしれないのに。
俺は紅茶を仰ぐ。もしかしたら俺は、少し苛立っているのかもしれなかった。
「そもそも協会なんて、適性検査くらいしかしてないですよぅ? あとは孤児院としての役割くらいですかね。」
「テキセーケンサ? 崇高なる協会サマは孤児院なんて低俗なことはしてねーだろ」
「えぇ!? 世の中の不平等を正し、教え導くのが精霊王に誓った教皇達の義務ではありませんか!! それを今の世は...、信じられない!!」
「セイレーオー?」
「嗚呼、偉大なる精霊王様、私がこのように眠り続けていたのも貴方様のお導きなのでしょう。私に今の世の不平等を正せと仰せなのですね...!」
両手を胸の前で握り、斜め上を見上げてそう言うシルク。
セイレー王様と言うのは一体どこの王様なんだろうか。
俺がカップに手を伸ばして中身が空であることに気づくと、それに気づいたシルクが新しく紅茶を入れてくれる。
「リスターさん、貴方のおかげで私のすべきことがわかりました! ありがとうございます!!」
「そ、そう?」
シルクは綺麗な笑顔を浮かべた。
満面の笑みで自分のカップに手を伸ばし、少し触れて手を放す。
俺は自分の紅茶を一口口に含む。
これと言ってシルクに何かできたわけではないが、これ程嬉しそうにされると、紅茶がより一層美味い。
「なぁ、シルクって何の魔法を持ってるんだ?」
「...持っている、という表現はよくわかりませんが、習得した魔法なら...」
そう言ってシルクが上げた名前は、俺にとっては馴染みの無いものだった。
「《火属性魔法》《水属性魔法》《風属性魔法》《土属性魔法》《木属性魔法》《雷属性魔法》《光属性魔法》《闇属性魔法》《聖属性魔法》の初級レベルなら全て習得していますし、得意な火、水、風属性なら全て扱えますよ。組み合わせも色々できます。」
「火属性魔法って、属性魔法の《火魔法》のことか?」
「属性魔法...? 今だとそう呼ぶんですか?」
「あぁ、俺の兄は《火魔法》を授かったし、お祖父様は《火炎魔法》を授かっていた。」
「えっ、火魔法と火炎魔法って分けるんですか?」
「《火魔法》と《火炎魔法》は違うだろ、威力も使い方も」
「...協会で授かったって言っていましたよね?」
《火魔法》とは軽い発火が主な効果であり、着火や照明としての使用例が多い。兄の場合は平民の《火魔法》より威力が大きいため、例えば戦闘で殴るときの拳や剣で斬りつけるときの刀身に炎を纏わせるだけではるかに威力が上がる。
それに対してお祖父様の《火炎魔法》は大人五人くらい簡単に骨にできるくらいの威力の火柱を任意の場所に作り出すことができた。見たことはないが、恐らく拳や刀身に炎を纏わせたとすれば兄などと比べ物にならないほどの威力になっただろう。
それほどまでに《火魔法》と《火炎魔法》は異なるのだ。
しかしシルクは何かに気づいた様子で尋ねた。
俺は静かに頷き、紅茶を飲み干した。
シルクが複雑そうな顔をして、俺のカップに紅茶を注ぎながら口を開く。
「その、協会で魔法を授かるってどうやってするんですか?」
「どうやって? えーっと...」
俺は紅茶をちびちびと飲みながら1ヶ月前の出来事を思い出す。
確か教皇と神官が三人くらい出てきて、水の入った大きな壺を囲んで何かの呪文を唱え始めた気がする。
んで、呪文が終わったらなんか凄そうなナイフを渡されて、俺が壺の真上で自分の手のひらを切って、血を壺の中に垂らしたんだ。
「ナイフで...!? テキトーに針で突いて血を混ぜたら良いだけなのにナイフ!? 痛そう...」
「針でも良かったの? あのナイフ、なんか神様の力が凄い籠ってますみたいな雰囲気だったけど」
「まぁナイフの話はどうでもいいです、少し気になる所はありますがそこは一旦置いておきます。で、壺の中の水はどうなりましたか?」
「えっと、凄い光ったかと思ったら、...水の色が変わってた」
「やっぱり、それ適性検査だと思います。」
「テキセーケンサって?」
「適性検査をすれば自分が一番習得しやすい属性がわかるんです。適性の高い属性の魔法でしたら、儀式やこれといった練習をしなくとも扱えますからね。まぁそれも初級程度ですが。」
「ということはどういうことなんだ?」
「それはですね...」
シルクはティーポットに残っている最後の一杯分の紅茶を俺に注ぐ。
シルクのカップの紅茶が、俺のカップに呼応するかのようにゆらりと揺れた。
「おそらくですけど、今の時代はかなり魔法が退化していて、自分に適性のある魔法しか使わなくなり、儀式や【状態異常】の事もいつしか記録から消えてしまったのでしょう。」
「その言い方だと人はいくつもの魔法を使えるってことになるけど」
「そうですよ」
「...悪いけど信じられねぇ」
俺にとってはシルクの言うことが正しければ願ったり叶ったりだが、希望を持つとその分絶望が深くなる。
そう俺の中の冷静な俺が警告していた。
「じゃあ、見せましょうか?」
シルクのその言葉は驚きだった。
魔法は、見せようかと言って簡単に見せられるような生易しいものではない。
一度の発動で膨大な魔力と集中力が必要になる。
呪文を唱えながら魔力の動きに集中するのは簡単なことではない。
少しでも集中が途切れれば暴発することだってあるのだ。
それこそ血の滲むような努力と本人の才能が無ければ1日に一つ発動するだけで精一杯だ。
連発するにはお祖父様の《火炎魔法》ような上級魔法保持者か、一つ一つがとても高価な魔導具の補助がない限り不可能だ。
そのはずだった。
「〖照明〗」
シルクの凛とした声に呼応するかのように空気が揺れた...気がした。
シルクが立てた人差し指に小さな光が灯る。指を動かすと光はつられて動き、大きくなったり小さくなったり、光が強くなったり弱くなったり。
どうやらそれら全てシルクが操作しているようだった。
どう見ても《光魔法》の初級魔法か、《照明魔法》である。
「次は...〖氷結〗」
シルクの指先の光が淡く霧散した...かと思うと、シルクが指差した先の空間に小さな氷が三つ生み出された。
それらは重力に従い、真下にある俺のカップの中に落ちる。
あっという間にアイスティーの出来上がりだ。
こんなもの、身内に《氷魔法》保持者がいない限り、莫大な金を使わなければ飲めない、いや、お目にさえかかれないだろう。
かく言う俺も飲んだことはない。母上も兄上も《氷魔法》の保持者だが...、いや、もうそんなことはどうでも良いか。
「すげぇ...」
「こんな風に無から有を生み出す場合、たくさん魔力を使います。ですが...」
そう言うシルクには疲れた様子は伺えない。
しかし呪文も唱えずに魔法を使うとはどういう原理なのだろうか。
「〖氷結〗」
今度は同じ言葉をシルクのカップに向ける。
するとシルクのカップの紅茶に小さな波紋が現れ、次の瞬間にはピシッという軽快な音と共に紅茶が凍りついた。
「このように、既に有るものを変質させる場合だと必要な魔力量は五分の一にも満ちません。」
「すげぇ...、本当に魔法を複数使えるのか...」
俺は驚きながらカップの紅茶──アイスティーを飲み干す。
ほどよい冷たさで、やはり美味い。
飲み方一つでこうも変わるのか。
「美味い...」
「他にも見ます?」
「良いのか!? 是非とも見せてくれ!!」
「それでは...〖火炎〗」
そう言って、今度は凍った紅茶の表面に小さな炎を生み出した。
炎によって温められた紅茶は溶け始め、あっという間に湯気を立てる。
ゆらゆら揺れる紅茶の真ん中で小さく、しかししっかりと燃える炎は、10年前に亡くなったお祖父様を思い出させた。
大丈夫、たとえどんな魔法を授かろうとも、お前なら大丈夫だ。そう言ってくれた暖かく大きな手は、セピア調の記憶の中でしかもう会えない。
そういえば、何か大切なことを教えられたはず...
何よりも大切なのは...えっと...
「リスターさん、どうされたんですか?」
「え?」
どうやら俺は泣いていたようだった。
「わっ、悪い、ちょっと...な」
拭えども拭えども止まらない涙。
そういえばお祖父様が亡くなってから、火を見るのを避けていたように思える。
そうか、認めたくなかったんだな...俺は...
「火はお嫌いですか?」
「いや、そういうわけじゃないんだ...、ただ、死んだ祖父を思い出して...」
紅茶の上で凛と佇む炎は、かつて《炎の大魔人》と呼ばれたお祖父様の姿を彷彿とさせる。
俺が物心ついた頃には現役を引退していたために、絵画やおとぎ話の中でしか見たことはなかったが、幼い頃の俺はお祖父様の姿をイメージしては楽しんでいた。
その頃はまだお祖父様は元気だった。
俺みたいな...俺みたいな奴にも優しくて...
「...私の分の紅茶も飲みます? ほとんど口を付けていないので」
「良いのか? じゃあ...」
俺はシルクから受け取った紅茶をそっと飲む。
温度は始めに淹れてもらった時と同じくらいだが、今は心の底から温められているように感じられる。
シルクは俺が紅茶を飲み終わるまで待ってくれていたようだった。
「悪い、取り乱した」
「いえ、私の両親が他界した時はもっと取り乱しましたから。」
「...そうか」
シルクのご両親は既に亡くなっていたのか。
だからシルクは一人裏庭で埋まって...埋まって......
シルクが1000年埋まってたっていうのも信じてしまっている自分がいる。
「ありがとう、シルクのおかげで前向きな気持ちになれた気がする。」
「それは良かったです。」
「こんな良い紅茶を出してくれてありがとな。めちゃくちゃ美味かった。」
「...」
「ん? どうした?」
「...本当に美味しかったんですか?」
「美味かったぜ? めっちゃ良い茶葉だったんだろ?」
「...紅茶の賞味期限って数ヶ月なんですよね」
「ショーミキゲン?」
「どう考えてもめちゃくちゃ渋いんですけど...」
「え」
シルクが申し訳なさそうに目を伏せる。
「あの...ノミとかダニとか、虫が湧いていないかは確認しましたし、ちゃんと《浄化魔法》もかけたんで健康に害は無いんですけど...」
「け、けど...?」
「私の舌にはめちゃくちゃ渋いです...」
「だからほとんど口をつけていなかったのか?」
「...そうです」
「で、その残りを俺に渡した、と...」
えへへ、とシルクは赤い舌を出した。