異世界3
屋根の残った建物は少なかったが、偶然にも一番広めの建物もその中に含まれたようだ。
青年と男性の後に続いて、戸をくぐる。
「っ」
「?!」
「・・・」
明らかなよそ者の姿に、視線が一斉に注がれた。
怯えたり、警戒したりする者もいれば、悲鳴をあげる者もいる。
ただの床に、20人ほどの人々が身を寄せ合っている。
「みんな、この村を救ってくださった方だよ」
ほとんどの人が、驚愕に目を見開いた。
無理もない。あの数に対して、一本の剣を腰に下げただけの若い優男が、どう太刀打ちするというのか。
「この方は魔導士でいらっしゃる上に、稀有な癒しの力もお持ちで、怪我を診てくださっている。皆、お言葉に甘えよう」
初老の男性がそう言えば、彼らは、さらに驚愕に目を見開いた。
村民同士で治癒魔法をかけあわないところを見ると、彼らは、少なくとも治癒魔法は使えないのであろう。
「失礼する」
ルシアは身近にいた、体を横たえて荒い呼吸を繰り返す青年に近づいた。
そっと身を屈め、手をかざす。
『治癒』
たった一言呟けば、淡い光が青年を包み込み、
あっという間に、青年の傷はふさがり、荒い呼吸は穏やかなものへと変わった。
「信じられない・・・」
呆然とした声が零れる。
青年の隣にいた、年配の女性が涙を浮かべて、ペタペタと青年の体を確認している。
そして、体の傷が完全にふさがっており、何より、彼の表情から苦悶が消えたのを確認すると。
「ありがとうございます・・・っ!!」
縋るように、祈るように、涙を浮かべてルシアを見上げた。
「いいえ。当然のことをしただけです」
短く答えると、ルシアは立ち上がり、ざっと周囲を見渡した。
重症なのは、彼ぐらいだ。
この人数なら、あとは一気にしてしまえば良い。
『治癒』
部屋全体を覆うように魔力を展開させれば、巨大な光が彼らを包み。
再び、彼らの身に奇跡を起こす。
「すごい・・・」
「こんな・・・」
「一度で・・・」
あちこちから羨望の眼差しを向けられながらも、ルシアは、話の早そうな、青年と男性に視線を戻す。
「とりあえずは、これでいいだろう。皆さん、今は、とにかく、眠ってください」
家の中の人々にそう告げると、
「ただし、あなた方お二人に関しては。もし、まだ、話ができるようなら、何があったのか、教えてほしい」
二人はすぐに頷いた。
「勿論です。あなた様にはお礼をいくら言っても言い足りない。何でもご説明します。それに、もし、可能なら、あなた様が私たちを救ってくださった理由もお聞きしたい」
ルシアは頷いた。
その反応に、青年と男性はほっとした様子で、
「ここでは皆を起こしてしまいます。隣の家にご案内させて頂いても?」
「はい」
ルシアの返事を聞くと、二人は家を出ようとする。
ルシアもそれに続こうとすると、
「ありがとうございました」
「ありがとうございます」
小さな泣きそうな声があちこちから零れた。
ルシアは振り返り、
「今夜は絶対にこれ以上怖いことは起こらないとお約束します。どうか、体を休めてください」
凛と立つ姿は、これだけの負の中においても、決して折れない強さを放つ。
そんなルシアの紡ぐ言葉は、人々に悪夢の終わりを確信させた。
その瞬間、人々の目から涙が零れ落ちた。
失ったものはあまりにも大きく、悪夢の終わりなどない。
けれど、それでも。新たな災厄からの確かな守護を聞いた皆は、張り詰めきった糸を少し緩ませることができた。
二人は、ルシアを一番広い建物の隣、普通の民家に案内した。
中の物はほとんど壊されていたが、かろうじて、椅子3つは確保できた。
各々、それに腰を落ち着ける。
しかし。
ルシアが腰掛けた瞬間、二人はすっと立ち上がった。
ルシアがそれを見上げると、
「改めまして。この度はこの村をお救い頂き誠に誠にありがとうございました」
初老の男性と青年が深く深く頭を下げた。
「・・・」
ルシアは震える二人の肩を見つめた。
自身も立ち上がる。
二人の肩に、手を添えた。
「どうか、顔を上げてください。私は、私の心のままに行動しただけです」
二人はルシアに導かれ、顔を上げた。
その瞳は、ともに、先ほど集まっていた人々のように、潤んでいた。
「座りましょう。色々とお聞きしたいことがある」
「はい」
二人が座るのを待ってから、ルシアも椅子に腰かけた。
「まずは、自己紹介をさせてください。私は、エイダンと申します。村長である兄を支える、助役のようなことをしています。そして、こちらが、兄の息子マシューです」
マシューが頭を下げる。
「私はルシア=ツァルフェーと申します。この森には事情があって、迷い込んだのですが、その途中でこちらの喧騒を聞きつけ、加勢するに至りました」
「迷い込まれた??そうですか・・・あなたほどのご仁です。何か相当の理由がおありなのでしょう」
しみじみと言われると、“いえ、姉に連れてこられただけなんです”と正直には言いにくい。幼子か。
「・・・」
微妙な表情のまま黙るルシアに、二人は、ああやはり、とか、神が遣わしてくださったのかと感動している。
(神ではない。どちらかというと悪い方のやつだな)
心の中でツッコミを入れつつも、ルシアは先に知りたいことを問うことにした。
「先ほどあなた方を襲っていた生き物は、何者ですか?」
「え?見たことないのですか?」
こくりと頷く。
すると、エイダンがなるほどと、何度か頷く。
「あなたほどの方ですと、魔力に圧されて、ああいう下級魔物は寄ってこないんですね」
「・・・」
単純に生息していなかったからなのだが、まあ、そのまま流しておく。
「ゴブリンですよ。さすがに名前はご存知でしょうか。一応、魔王の配下ですが、あいつらは、こうやって森深くに隠れた我々のような種族を見つけ出しては、遊びのような感覚で、惨殺を繰り返しているのです」
「我々だけでなく、エルフや人間も被害にあっているそうです」
(エルフや人間?だったら、この人たちは、そのどちらでもないというのか?)
一体、どれほどの種族がいるんだ?
「ところで、ルシア様はどうして我々を助けてくださったのですか?あなたほどの上級魔族からすれば、我々など駆逐の対象になれど、助ける義理など」
「・・・」
今の流れで考えると、魔王がいて、上級魔族がいて、下級魔族がいて。これらが魔族という種族でひとまとめのようだ。
(おい。明らかに人間な私がゴブリンと同種?本気か)
「私は魔族ではありません。人間です」
(私の知っている人間というカテゴリーが同じならな)
呼び方だけ一緒で、会ったら全く違う容姿だったらどうしようと思いつつ、ルシアはとりあえず、ゴブリンと一緒は嫌だったので、そう主張してみる。
「え?」
「あの、本気で?」
戸惑う二人に、こくりと頷く。
「それとも、人間の容姿に、私は相応しくないですか?」
「い、いえ!」
「でも、黒髪に、その美しさは」
エイダンは即座に否定してくれるが、マシューは思わずといった様子で気になるワードを口にした。
(黒髪と優れた容姿は上級魔族の特徴なのか?)
「まあ、私のことは置いておくとして。それよりも、あなたがたは具体的にはどういう集落なんですか?」
「ふふ。そうですね。煤と土で汚れ切って分かりにくいですよね。汚れを落とせば、僕らは皆、金髪碧眼の容姿が示すように天使族ですよ。もちろん、本大陸にいるという上級天使族と違って。生活に役立てるくらいの魔力しかありませんが」
(この大陸の支配者は魔族で、その長が魔王。彼らが本大陸と呼ぶ場所は、天使族が支配していて、上級と下級がいる、と)
「魔王はどこに?政策はどうなっているんです?」
「?」
ルシアの問いに、二人はきょとんと眼を丸くした。
「魔王の政策?面白いことをおっしゃる。そんなもの、あるわけない。あの男は、弱いものを屠ることを楽しむ、ただの快楽主義だ。国を治めているわけじゃない」
マシューが吐き捨てるように言う。
握りしめた拳が震えている。
エイダンも頷き、
「ルシア様。あなたはお若い。先代王をご存知ないだろうが、あれもひどかったが、今代はそれにさらに拍車をかけています。強者が弱者を征服する。弱きものは蹂躙されるために生まれる。そういう、いかにも魔族らしい考えだ」
なるほど。魔族には法律はないのか。
あるのは、動物的考えだけ。
「統治者としてはありえんな」
ルシアの尊敬する多くの王と名のつく者たちは、国を守るため、そこに住まう人々のために、多くのルールを作り、国を豊かにするために尽力していた。
“王”を名乗るのならば。
「ルールーには、“王”を名乗る条件がある」
ルシアの中の絶対。ルール―(ルシアのルール)
それに反することが起きると、ルシアの中で、ある静かな静かな火がともる。
「ルール―ですか?」
キョトンとするマシューに、ルシアは緩く首を横に振った。
「なんでもない。それよりも、あなた方のことをもう少し聞かせてほしい」
「天使族である我々は魔族から狙われる。だから、こうして、魔王のいる地からなるべく離れた、この深い森の中でひっそり生きてきました」
「それなのに、ゴブリン共は我々を見つけたようで・・・村は一瞬にして襲撃され、我々はなす術なく」
カタカタと震えだすマシューの肩を、エイダンがぐっと支える。
「マシュー」
「・・・すみません」
思い出させるにはあまりにも酷だ。
ルシアは、話を変えることにした。
「この森には、あなた方以外にも人間やエルフ族が?」
「この森は、どのくらい広がっているのかわからないほどに広いのです。ですから、いないとは言い切れませんが。少なくとも、生活圏を共にする集落はありません」
「では、人間やエルフはどこに?」
「一番近い場所ですと、この森を東に行った先に街があります。人間とエルフの町です」
「魔王はその街をなぜ見逃しているのですか?」
「魔王や上級魔族は、人間やエルフが作る高い技術の装飾品や衣類、料理などの文化を気に入っていますから」
「逆らえば、すぐに潰される。そうとはわかっていても、魔力を持たない弱い者たちは、身を寄せ合って協力して生きていくしかない・・・」
(まるで、飼い殺しだな)
「町には、我々に同情してくれる者たちもいて、彼らが時折、物資を運んできてくれるんです」
「なるほど」
「ここは天使族の住む大陸に最も近い場所ですから。声を大にして言う人はいませんが、もしかしたら、彼らの中にも、天使族を血縁に持つ者もいるのかもしれません」
「天使族の大陸?」
「この大陸から出られれば、こんな迫害を受けなくて済む。そう思って我々の祖先はこの地を目指したのでしょうが。結局は、魔王の魔力に阻まれて、海を渡ることなんてできない」
「申し訳ないが、おおよそでかまわないので、地図を描いてもらえないだろうか?」
「もちろんです」
エイダンの返事に、ルシアは背負っていた鞄からペンとノートを取り出した。
それを見て、二人は目を見張る。
「こんな高価な文具で?」
「・・・気にせず、書いてほしい」
普通のペンとノートだが、彼らにとっては貴重らしい。
これもまた、情報の一つとして頭に入れておく。
戸惑っていたエイダンだが、1ページ目をめくると、地図を描きはじめる。
森が描かれ、その中に×マークがつけられる。
その東側には町が記入される。
「ソプレーズ」
ルシアが読めば、二人はこくりと頷いた。
「はい。この町の名前です」
(文字も方角記号も我々と同じものが使われているのか。助かるな)
「人口はどのくらいですか?入るには手形などが必要なのだろうか?」
「人口は2000人程度でしょうか。手形とは何かわかりませんが、入るのに特に必要なものはありません。ただ、街は城壁で覆われていて、門番がいる入り口を通らなければ中に入れません」
「魔族も住んでいるのか?」
「この辺りは本来天使の臭いが近いと、魔族には好まれない地です。ですから、この街には人間とエルフしかいないはずです」
人間とエルフだけの土地。それも、中央から遠いとなると。
「レジスタンスを作りやすそうな環境だな」
ルシアの意見にマシューは苦笑しながら首を横に振った。
「作ったところで、目をつけられれば町はおしまいですよ」
「・・・」
しかし、エイダンは微妙な表情を浮かべている。
「エイダン殿」
「・・・」
エイダンはルシアを見つめた。
こみ上げてくるものを押しとどめながら、けれど、願う気持ちを捨てられない。
そんな切羽詰まったような眼差しだ。
「ルシア様。街にはジークという男が率いる商会があります」
「・・・」
「もし、もしも、あなた様が望んでくださるなら・・・」
エイダンが何を期待しているのか、察せられないルシアではない。
(この世界に関わるか。関わらないか)
魔王や魔族の力を、ルシアは知らない。
単純に突っ込んでいって良い問題ではない。
自分の力を過信するつもりもない。
けれど。
心の中のルール―を開く。
ルール―の第一は、絶対的倫理。
「敵を知り己を知らば百戦危うからず、か」
「?」
「エイダン殿。私の進む道が、あなたの願う道になるのかはわからない。だが、情報が欲しい」
ルシアの言葉に、エイダンは泣きそうにクシャリと顔をゆがめた。
「“賢者”とおっしゃってください」
ルシアは強く頷いた。