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木造二階建て。屋根裏部屋完備。隣には父マルセルと、妻アンナが営む診療所。裏には畑。町外れの一際目立つ大きな木の下に、ひっそりと存在する。患者が来ることはなく、日中、馬車で出張診療し、生計を立てている。
屋根裏部屋に明かりが一つ。裸電球の子供部屋で二人が話す。
「なぁヴィネス、お前とここに来て七年経つけど、やっぱり昔のことって思い出せないのか?」
「うーん……なんとなく、思い出せるような、思い出せないような……こことはぜんぜん違う、もっとふかふかのベッドで寝てたとは思うかな!」
「金持ちかよ! なのに、なんで道端で倒れてたんだろうな」
「わからないよ。僕、眠くなってきたから、電気消していい?」
「あぁ、わかった。おやすみ」
「おやすみ」
隣同士、揃ったベッドで横になり、電球を消す音で一日が終わる。以前は、長兄のトマスも一緒に寝ていたが、三年前、十五の歳で一人部屋に移り、今ではほとんど訪れることがない。
「おはよう」
最初に起きるのは、朝食を作る母のアンナ。長女のソフィアが手伝う。トマスは先に畑を確認してから食卓に着く。
「グッモーニーン!」
少し遅れてラインハルトとヴィネスが食卓に並ぶ。
「父さんはまだ寝てるの?」
「昨夜も遅くまで診療情報に目を通してたから、まだ寝息を立ててると思うわ」
「……いや、起きてるよ。おはようふあぁぁぁ」
寝癖を掻きながらマルセルも食卓に着く。
「さ、みんな揃ったことだし、食事にしましょ」
パンとチーズとオレンジジュース。朝食はほぼ毎日変わらない。パンに塗るジャムで気分転換。朝食後は各自、仕事や勉強、畑の手入れをして過ごすのがペスタロッチ家の日常。
畑の手入れはトマスを中心に、男三人で担当し、ソフィアは、父と母不在時の家事全般を担当。週一程度、アンナが子供達を集めて勉強を教えるも、マルセルと二人で診療に追われる日々を過ごす。
「手入れすることもなくなってきたし、兄さんは勉強しに家に戻ってもいいよ?」
「いやいや、お言葉に甘えたいところだけど、ハルトはサボりたいだけだろ」
「今ならソフィ姉と二人っきりだよ?」
「……あ、そういえば、ちょっと家に忘れ物してきたんだった。一旦家に戻るわ」
兄の背中を見送る二人は目線を合わせ、口角を上げた。
「さてと、今日は何しようかね」
「うーん……やっぱり、木登りだよね。今日こそはハルトに勝たせてもらうことにするよ」
高さ百メートル。最初は三メートル登るのも苦労していた二人だが、毎日競争するうちに、登れて当たり前の高さになっていた。危険すぎるため、マルセルから木登り禁止令が制定されるも、子供達は意に介さず、親の気苦労が耐えない。
「やっぱ、きっもち良いなー」
晴天の風を浴び、一汗かいた肌に一時の満足感。
「僕は悔しいけどね! なんでそんなに登るのが早いの?」
「なんとなく、手足が木に吸い付くって言うのかな? 重力を感じないんだよな~」
「なにそれ、小さいだけでしょ」
木の上には、二人しか知らない、寛げる平坦な広場があった。多少の喧嘩は日常茶飯事。怪我をしない程度に遊んで帰る。
高さ百メートルからの景色は、世界が見渡せた。活動範囲が敷地内の二人にとって、世界を感じる唯一の方法だった。
「俺さ、大きくなったら絶対、世界を見て周るんだ!! そしてさ、俺達が今、ここに居るのと同じく、えっと、困っている子を助けられる、強い男になるんだッ!!」
「どちらかというと、助けられる立場だよね? ――なーんて。ハルトになら、それが出来ると信じてるよ」
お互いの夢を語り合う。何度でも。何度でも。
「ねぇ、あれ、何かな?」
町外れで遮蔽物もなく、訪ねてくる者は居ないはずの景色に、不自然な白い影が目に留まった。距離が遠く、大きさはわからないが、家に近づいてくるのは理解出来た。
「お客さんかな!! 見にいこうよ!!って、ちょっと、置いていかないで!!」
「おっ先~」
いつもより早く、安全に、二人で協力して降りる。来客を待ち伏せするため息を合わせて。枝が、葉が、クッションとなる。二人が木から落ちたことは無い。