第六話 “魔法の言葉”
日は昇り、時刻は昼を迎えようとしていた。
鉄の泉には四人と一匹が集っているが、言葉らしいものはなく、生温かい空気だけが漂っていた。あるのは慟哭とグズリ声と鳴き声だけだ。
いやうるせぇなこれ。
「まったく。アイルとポッドさんは、一体なにがあって泣いているのですか。せっかくわたしがお姉さまとシリアスしているのに台無しじゃないですか。少しは空気を読んでください」
「「えっ・・・」」
シャルティはお冠だった。
「ね・・ねぇシャルティ。傲岸不遜、唯我独尊、支離滅裂、自分勝手って知ってるかしら?」
「ええ、わたしの為にある言葉ですよね?」
「違うわ」
ピシャリと言い放って、シャルティの耳をグイグイ引っ張る。
「そういえばお姉さま、どうしてここが分かったのですか?」
涙目で言う。いたい。
――――わざとらしく馬鹿を演じるピエロは、どこかでスッと心が冷める音を聞いた。
「ああ。それは家にあの子がいたの。理由は分からないけど私が入ったら逃げて、それで追いかけたらここだったの」
ミエーレが指す先には、煽られてさらに泣き喚くポッド―――――ではなく。
その膝元で楽し気に鳴く、マジマがいた。
「まじっまじまっ。まじまーじっ♪」
「ううっぅぅ・・・・・」
何が嬉しいのか、黒ネコはご機嫌に尻尾を振っている。
まさかあのナイフが美味しかったのだろうか。喉を詰まらせなければ良いが。
「ほらポッドさん。いつまで泣いてるんですか? 天下のお姉さまがお出ましになったのですよ、男の子なんだからしゃんとして下さい」
「シャルティは、一体私の事をなんだと思っているのかしら・・・」
お姉さまはお姉さまだ。
そんな綺麗なお姉さまには、自分の淀んだ内心に気付かれたくなかった。自然とポッドの元へ足が動いたのは・・・・そういうことなのだろう。
「・・・ぇ!?ミエーレ!?」
ポッドが一も二もなく飛び起きる。慌てて目元を拭ったせいか、熟れた『イチの実』のように顔が赤く染まっていた。
ちなみに乱暴に転げ落ちたマジマが「しゃー」と唸っている。親友を犠牲にした友情はあっけなく崩れ去った。モノが繫げた友情は脆く儚い、南無。
「おはよう、ポッド君。ごめんね、うちのシャルティが・・・」
ミエーレの端正な顔には心配の色が濃く浮かんでいる。対してシャルティは頬を膨らめながら、彼女の横顔を観察していた。
・・・・わたしは悪くないのに。
「いや全然大丈夫さっ! それに俺は泣いてないぞ、男だからな!」
「そうです! ポッドさんは大丈夫なのですよ! だってポッドさんですから!」
「・・・シャルティ?」
便乗して無罪を主張するシャルティ。
その耳をグイグイ引っ張るミエーレ。
「なにを言っているのですかポッドさんいたい!ちゃんと自分を大切にして下さいいたい!だって涙のせいで、さっきよりも顔が赤いですよいたいです!これはもうイタズラっ子ではなく、泣き虫ポッドに改名した方が良いのではポッドさんいたいですってお姉さま!・・・それ本当に涙のせいですか?」
「か、風邪だよ風邪」
「はぁ・・・」
おかしい。いつものポッドならば、二倍は言い返してくるはずなのに。
赤くなった耳を押さえ、ジーと半目で睨め付ける。
「それにしてもミエーレ、今日も綺麗な碧眼だな」
そんな視線など、ポッドはどこ吹く風の様子。そして照れたように鼻を擦って、訳が分からないことを口走った。本当に熱で脳が茹っているんじゃないだろうか。
「なに言ってんだコイツ」
あ。声に出ちゃいました。
「えぇ・・・ちょっとポッド君も?」
ミエーレはちょっと困ってから、年頃の少女の笑顔で「ありがとう」と言った。
さっき自分が褒めた時とは全然違うんですけど。
「ああ、いつ見ても珠玉の宝石みたいだ。しかも・・・それが二つも」
やはりポッドは不思議なことを言う。
ミエーレの目が綺麗なことは同意だが―――――、
「でも二つも要らないですよね?」
にへら、愛らしいネコが笑うようにシャルティが嗤う。
「「―――――――――」」
凍った。
穏やかな昼の陽気に満ちていた空気は氷点下にまで達する。ミエーレとポッドは、目の前で可愛らしく笑う、無力な九歳の少女に震えた。全身の感覚が薄まる中、どこかで心臓がドクンと悲鳴を上げて、これは「違う」と告げる。
「?」
シャルティが、無邪気な表情で小首を傾げる。
「・・・いつか大人になれば分かるさ」
ポッドが口にしたのは魔法の言葉だった。親が子に語るように、汚れた世界を美しくラッピングして、絶対にあり得ない夢を見せる。魔法は奇跡のように少女を騙し、己の信念をも騙した。
「じゃあ明日になれば分かりますね!」
一人は、少年の価値観がズレていると思った。
二人は、少女を壊れたゼンマイ仕掛けの愛玩人形だと思った。
「だけど、俺は・・・」
「ええ。分かってる」
二人が目を合わせる。長年の付き合いを経れば言葉など不要で、それだけで気持ちは通じ合った。
「・・・あれ」
気が付くと、その場には二人だけの独特な空気が漂っていた。それは甘ったるくて、口に粘つく、蜂蜜の味。大人だけが旨味を感じるモノだった。
「むっ」
シャルティはパチクリと丸い紅眼を開閉する。手を小さな胸に当てると、よく分からない苦いモノがムクムクと湧き上がっていた。それがどんどん上って来て、消化器官を抜けて喉元に差し掛かる。どうにも筆舌にし難かったが、強いて言葉に当て嵌めるなら―――――。
「ミエーレお姉さまは、わたしのモノですからっ!!」
そう叫んで抱き着いた。
シャルティは自分の所有物を取られまいと、駄々を捏ねる幼子の愚行を犯した。理由は情けなく、でも行動は力強く――――獣の宿業を邪魔した。
恐かったのだと思う。怖ろしかったのだと思う。
もうじき何かが失われることを、漠然とした嫌な予感があったのだ。イヤイヤと目を閉じる少女は、自身に向けられる痛々しい視線に気が付かなかった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
『霧の森』は常に濃霧が覆っているので日の光は滅多に差し込まない。強い夕日でも緩和され、オレンジの霧が浮かぶだけだ。空を見上げても眩しさは感じず、時間を告げる太陽からも隔絶されている。
「はぁ。今日も楽しかったですねー」
「それはシャルだけでしょ、次やったら絶交だから。分かる? ボクの苦しみが! 男にネコ耳はダメだって言ってるじゃないか、誰得なんだよ・・・」
「ふふん。まだまだネコ耳道が分かってないですねー。それではまだまだ三級以下です。カワイイ系なら需要があるんですよ、あとクール系もアリですね!」
一行は『鉄の泉』を出て、『ビックリ草』の群生地の脇を抜けた。集落まではあと少し。夕日に寂しく染まる霧は、一日の終わりを告げている。
シャルティは背後にいるポッドとミエーレの会話に耳を立てながら帰路に就く。正直気に食わないが、しかしアイルの世話をする必要もあった。仕方ないから、少しの間だけお姉さまを譲ってあげようと思う。
「ねぇボクは一度たりとも、シャルに世話をされた記憶がないんだけど」
「はははは・・・、?」
ピクッ―――――ガサガサと草を踏む音。少し急いでいるのか、ソレの息遣いは荒い。
「どしたの」
「誰か来ます」
幻想的な夕日色の霧を掻き分ける影、その人物の輪郭が徐々に明らかになっていく。霧と同じく夕日に焼けた橙の髪、夜に浸食される空のように青と黒が溶け合った瞳。
お調子者マウだ。
「あれ・・・マウさん。もう夕方ですよ?」
「えっ。あ、ああ。え~と・・・ちょっと忘れモノを思いだしたんだ!じゃ・・・じゃあな」
左目を左右に彷徨わせ、急に思い出したように言う。顔を合わせるや否や、マウは慌てた様子で足早に立ち去ってしまった。まるで誰かの視線を、暗澹たる右眼窩を恐れるように。その後ろ姿は闇に染まり始めた霧に食われて、すぐに見えなくなった。
そういえば――――。
「今朝会ったのも丁度ここ、『ビックリ草』がある群生地の傍でしたっけ」
「ああ。そういうことね」
目を閉じたアイルが訳知り顔で言う。
「えー。なんですか、教えてくださいよぅ!」
「どうせまたミルに会いに行くんだよ」
それはからかうような声色だった。よく分からないので、適当に答える。
「二人は仲良しなんですねー」
その時なぜか、歌好きミルの顔が目に浮かんだ。彼女の言葉―――――「ホントウニソレデイイノ?」とは、どういう意味だったのか。それは果たして誰に向けたモノだったのか。
「・・・・・・・」
ポッドは無言で東の森を睨んでいた。その形相は鬼にも似た気迫で、どんな間違いをも許さない厳格さが現れていた。
「ポッドさん?」
声をかけた。元に戻って欲しくて、いつもの馬鹿な顔を見たかった。
「それだけで済めばいいんだけど、な」
言葉に空いた、僅かな間にポッドの胸中を邪推するのは無意味なことだろうか。左の瞳は鋭さを増すばかりで、右の眼窩は醜く変形して音を立てた。
グチャリ。
初めて、シャルティはソレに悪感情を抱いた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
霧の森、禁忌四カ条。
第一に、自他に関与する徒な傷害を禁ず。
第二に、境界外への出入りを禁ず。
第三に、肉の摂取を禁ず。
第四に、性交渉を禁ず。
以上悪しからず。
思いついた表現が全部試せて、三人称が滅茶苦茶楽しい!