第二十三話 “断裂”
「―――つまり」
情報をまとめるように、アイルが右手をグーに握り締める。
「魔女に襲われたっていう鏡の都? ・・・でシフトさん達の騎士団が魔女の家に飲み込まれた、と」
最初の円形ホールにおいて足元に引っ掛かりを覚えたことを、シャルティは思い出す。光源となる苔以上に周囲が明るかったのは、反射板として鎧が転がっていたからだろうか。
「そしてボク達が飲み込まれたのが霧の森だと」
続いてアイルは左手をグーに固める。当然というべきか、二つの手の間には埋め難い距離が空いている。その距離が実際にどれ程の時間を必要とするのかは、森の外に出たことのないシャルティには分からない。一頻り悩んだ後、疑問の色を乗せてシフトに視線を投げてみる。
「普通に考えれば、俺たちがここで過ごした二時間で足りる距離ではない」
今更ながら、シフトが疑うのも当然のことに思える。これでは全く違う場所の人間同士が出会った形であり、通りで話が噛み合わない訳だと、逆にシャルティは感心してしまう。
「それを説明するのが“車椅子”だ。まあ、盲足の魔女の面目躍如というには些か悪趣味かもしれんな?」
「盲目・・・とは言いますけど・・・」
初めて聞く言葉だった。
「それは別にいる。“車椅子”について説明するなら・・・まず人間は足がないと移動に困るだろう?」
「そうですね」
「そうだろう」
「はい」
「おう」
わくわくして言葉の続きを待つ。
「・・・・・」
「・・・・・」
「……終わりだ」
「うぇ!?」
そんな当たり前を解決するためだけに作られたのが魔女の家であり、地下迷宮であり、車椅子。少なくとも一般ではそのように認識されているらしく、真実は魔女のみぞ知るという訳だ。
「・・・シフト、代われ」
大雑把な説明に頭を痛め、ロインが神経質そうに顔を歪めて、シフトを追い出す。
「―――つまり、この魔女の家は自律可動式で、文字通りに世界を股に掛ける大袈裟な車椅子。魔女の義足と形容するべき代物だ」
「う、うごく・・・んですか? それも、世界を・・・・!!」
世界。
シャルティは、たった二文字の単語に甘美な響きを感じてしまう。
「ボクらごと、こんなに大きなものが動いてるなんて・・・・。原理ってなんですか?」
「人間にはない超常の力、すなわち魔女が行使する魔法だろうね。詳細は分かり兼ねるが・・・・」
アイルの質問に、手を顎に当てたロインが答える。
しかし魔女の家を操る力の大きさたるや、規格が違い過ぎて想像することも出来ない。ともすれば、彼の神気楼樹に匹敵するのではないだろうか。
「“車椅子”は基本的には地面に潜っているが、しかし国内中で神出鬼没に確認されているね。年間行方不明者の三割はこれの所為である、という話もある。・・・証拠が出ない以上は眉唾だがね」
最後に付け加えた割には、なんとも煮え切らない言い方だ。
では証拠が出ないということは、今までに生存者はいないのだろうか―――その質問は、自ら希望の芽を摘み取ることと同義に思えて、シャルティは酷く躊躇われた。
「・・まあいいです。それよりっ! もっと世界を教えてください、鏡の都ってどんなところなんでしょうか! もしや建物がぴかぴかとか!?」
「いや。ふつー」
ふつーだった。
「・・・・・」
なら、魔女が襲う理由もないのでは。
シャルティは、そんな胡乱な目線をぶつけてやる。
「ふっ、まあ聞き給え。私の故郷でもある鏡の都を説明するには、まず“二律背反の合わせ鏡”という魔道具について―――――」
「まーた始まった・・・。おい嬢ちゃん、さっきは悪かった。お詫びと言っちゃあなんだが、これでも食ってくれ」
長くなりそうなロインの饒舌な喋りを遮って、飽き性のリブが何かを放り投げる。
「あ。どうも・・・・、ん?」
シャルティは、自然な流れで渡されたモノを理解出来なかった。
「・・・・・・・?」
ちょんと人差し指で突いてみる、硬い。乾燥しているのだろうか。
色はあか。匂いを嗅いでみる、しおっぽい。
くさではない、きのみでもない。
しらない。
――――なんだこれは。
「・・あ、あ?」
食べ物だとは―――思う。
だが、ガチガチと歯の根が合わない。歯茎の化け物を目にした時以上に、勝手に喉が震えて意味のない音を出す。急に、手に持っているモノが酷くおぞましく思えて、零れ落としてしまった。
「おっと・・・・! おいおい危ないだろう、せっかくの食料が汚れたらどうするんだ」
「・・・こ、れ・・・なんです・・・・か」
本能が危険信号を告げている。これはダメだ、見るな、食うな、触れるなと。
白々しい疑問を口にするが、本当は理解していた。
同じだ。
恐らくどんな生き物も皮を剥いだらきっと―――――。
「美味しい美味しい、野ウサギの干し肉だぞ?」
干し肉。
肉、にく、ニク。
「ニク・・・・?」
―――禁忌第一条、自他に関与する徒な傷害を禁ず。
―――禁忌第三条、肉の摂取を禁ず。
「生き物を。命を・・・・殺したのですか」
「? ああ」
さも当然のことのように、リブが陽気に頷く。罪を感じる素振りも見せない姿は、霧の森で育ったシャルティには酷く醜悪に映った。
「殺して、・・・・まで、だって、かわいそうじゃ、ないですか」
「そんなことを言い出せば・・・・そもそも歯茎蜘蛛を殺したから、私たちは今も生きていられるのではないかね?」
常識を諭すように、ロインが穏やかに微笑む。
その論法は正しい。事実、シャルティも禁忌は間違ったものだと思っている。
「でも・・・わたし、え?」
決意が、泡となって溶けて行く。なぜ気が付かなかったのだろうか―――霧の森を否定すれば、命を殺すことを許容してしまう。
そもそも森の恵みだって、突き詰めれば殺害だろう。命を奪わずに生きることは出来ない。ならシャルティは森を出たとして、どうやって生きて行けばいい?
「あ、ああ、ああ・・・・」
嗚呼、天国とは何と綺麗な場所なのだろう。
森の恵みは、神気楼樹によって許可を得た略奪だ。いわゆる責任の類はすべてが神気楼樹に帰結する。森の子たちは、命の重さなんて知らずに永遠に生きていけるのだろう。
なぜなら死がないのだから。禁忌の存在理由は、生と死を切り離すことにこそあった。子孫は生まれず、仲間は増えない。つまり縦の繋がりを絶ち、横の繋がりを絶つ。したがって個に依って人類は完成する―――完全なる宿業の否定だ。
シャルティが外の世界で生きれば免罪符はない。殺すか死ぬか、すべて自分の責任だ。
「・・・天国は、滅菌室のようなもの・・・?」
呆けたように、アイルがポツリと呟く。言い得て妙、牢獄ではあるが正しく天国。
「どうやって、いるのですか。・・・・折り合いを付けて、罪を背負って、自分を騙して、それでも人間は生きていけるのですか?」
「はっはっはっ、何を言ってるんだい? 人は食って寝て生きて、親が子を育てて発展する生き物じゃないか」
オヤ?
リョウシン?
奇妙な響きを持った二つの言葉に、アイルが体を震わせた。焦りを讃えた表情で立ち上がり、叫ぶ。
「―――人間には誰にでも、本当にオヤがいるんですかっ!?」
「え・・ああ。人間っていうのは、言っておくが神様の創造物じゃないぞ? 神様だって人間から生まれたし、人間は人間から生まれ――」
「おい、そこまでだ」
再び影のように黙っていたポッドが、右目に掛かった髪を払い除ける。
「「「なっ・・・・!!」」」
何が可笑しいのか、三人の騎士が一斉に驚きの声を上げた。
「お前たちがなんなのかは、まぁ…分かった。だからどうか踏み込まないでくれよ。お前らと俺たちは違うンだから。世界には知らない方がいいことの方が多いンだ。お前たちがやっていることは、他民族文化を侵略するソレだ」
口調は平静を装っているが、ポッドの左目には視線だけで人を焼き殺さんばかりの熱が込められている。それは決して森の子たちには向けられたことのない、鬼気を感じさせる表情だった。
「まぁ…分からないんだろうな、お前たちには! 迫害の歴史をおとぎ噺にして、美談に変えるお前たちには!! 俺は、俺たちは忘れない。この失われた右目が、百年前を永遠に視ている」
吐き捨てると同時、ポッドは走り出す。魔女の家の奥へと――――。
「ま、まって・・・・!」
「ポッドさん!?」
ただでさえ危険な場所で、単独行動する以上の自殺行為はない。
そんな冷静な自分は、心臓を殴って黙らせる。
「なんで何も教えてくれないんですか・・・・!」
背後で聞こえる、「待て」という静止の声を無視して走る。
「何があったんですか・・・!!」
足元の鎧を蹴っ飛ばして、唾液の池で水飛沫を撒き散らして、円形ホールを出る。再び視界は黒に塗り潰されて、不安な足元を気にせずにポッドを追う。
損得勘定なんてない。今見失えば、もうポッドの心に近づけない、そんな漠然とした予感に突き動かされている。
「はぁっはっ・・・!」
徐々に徐々に、ポッドとの距離が詰まっていく。足の速さではシャルティに分があるので、捕まえるのは時間の問題――――そんな慢心があった。
事実、手がポッドの肩に触れ、勢いに任せて押し倒す。
「ガっ・・・・!! オイっ放せって・・・・!」
「理由をっ、教えてくださいよっ!」
暴れるポッドと取っ組み合いをして、乱暴に唾液まみれの床を転がる。もはや匂いも汚れも気にならなかった。
「はっ速いってっ、げほっ・・・・」
そしてアイルが追い付いた刹那、ポッドが闇雲に振り回す手が壁の窪みに食い込むと――――がちり、と歯車が嵌るような音がした。
「え・・・・んな――――」
「床が・・・・!?」
木目の中央部から、周囲よりも濃い闇が覗き、足が宙に浮く。
「「「ぎゃああああああああああああああああ・・・・」」」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「・・・・っぅぅ~~~、隠し扉・・・?」
十秒ほどの墜落を経たが、幸い何かがクッションになったようで大事には至らなかったようだ。無論、打ち身で青あざは出来ているだろうが。
―――ぶくぶく。
早々に傷が後に残らないか確認したいところだが、しかし視界が慣れない。苔による青光は最低限なものでしかなく、鎧による反射は見受けられない。
「ってことは、ここにはまだ誰も来ていないんですかね? ・・・・うわぁ」
シャルティが起き上がると、粘着質な唾液が体に糸を引く。水の深さは膝の直前まで、これでは移動するのにも普段の倍以上は疲れそうだ。
「痛っ・・・・」
「・・・くっそ」
「あ。アイル、ポッドさん」
未だボンヤリと輪郭しか見えないが、二人はすぐ傍にいたようだ。同じ場所で落ちたのだから、当然と言えば当然なのだが。
「ぶくぶく・・ま、ばじばっ・・・・!?」
「あ、マジマさん」
いつの間にか付いて来ていて、なぜか溺れている黒猫を引っ張り上げる。ちょこんと、肩に乗せてやると身震いをしてシャルティに向けて水を飛ばす。
「ちょっ、ぶっ飛ばしてもいいですか、この黒猫っ!」
「・・じっ」
「マジマさん?」
黒猫の黄色い瞳が、闇の奥を一途に見つめる。瞬きすらせず、微動だにせず、息を殺して。
「・・・まさか」
ようやく闇に慣れた視線の先に――――山があった。
そびえ立つ黒いシルエットが身動きをする度に、汚泥の池が幾重にも波を打つ。その衝撃だけで、シルエットの重量も伺い知れようというもの。
一歩、二歩。
そして光差す範囲に現れたるは、人間の手足が左右対称に三本ずつ、蜘蛛のような形態の巨大な歯茎。
前回は人種のハンバーグとも呼ぶべき、多彩な腕を持っていたが、今回のソレの腕はすべてが男。そのどれもに、強靭に鍛えられた前腕二頭筋が隆起している。
「kiiiiiiiiiiyaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa――――――――――ッ!!」
諦観にも似た濁った空気を盛大に叩き割る嬌声に、シャルティは目を見開く。まるで長らくの空腹から解放されるような、喜色に満ちるというには邪悪過ぎる声。知らず、頬に一筋の汗が垂れた。
「・・・おいおい、出口、ないンだが?」
「あー・・・上から落ちてきたからね・・・」
「まじ・・・」
「しかも、あんな汚い壁を調べる人もいないですよね・・・」
落ちたるは隠し扉。迎えしは歯茎蜘蛛。対するは子供三人とネコ一匹。
しかして助けはなし。
時間無制限の生存競争、開始。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
霧の森。禁忌四カ条―――裏。
第零に、成長を禁ず。
故に人類は完成せし。
第二天国・夢幻遊園濃霧森林カヴトにて、人類は完成す。
『――――我。彼方の光にて、神に至らん。夢幻の腕を以て全人類を救済する者なり』