第二十一話 “会遇”
―――ガチャ、ガチャ。
金属が擦れる音は三つ。シャルティの二倍はある鎧が円形ホールをしらみ潰しに歩き、周囲に転がる鎧の様子を伺っている。だが手応えはないようで、歩いては止まり、歩いては止まり。血の池に絡み取られているのか、歩幅は背丈に反して短く、ナメクジのように力のない速度。
「・・・オトナ、ですか?」
「あんなに大きな人は見たこともないけど・・・ポッド?」
通路の出口付近、闇に紛れて様子を伺う。
今までに見てきた鎧は中身が空で、ただ鉄の塊だと認識していたし、今もその印象は変わらない。森の子には鉄を纏って活動する筋肉なんてない――――そういった常識が強く、シャルティには動く鎧を人間だとは思えなかった。
「・・・・」
ポッドは無言で歯軋りして、ボサボサの髪を左右に分ける。七三の割合で、右目を覆うような形だ。
「・・・行かない方がいい。信じられないが、アレを殺したのが奴らなら危険度は同じだ。いや・・・ヤバい奴がさらにヤバい奴に変わっただけ。話が通じる保証だってないだろ?」
「まあ、そうですね」
嫌なものを見たと言わんばかりの、感情を意図的に消した端的な一言。
あの歯茎蜘蛛を殺したと思われる鎧たちは十分驚異的だ。ポッドの言葉に悪感情が隠されているにしろ、安全マージンを取ろうという意見は優しさで出来ていた。
だがそれはシャルティの知らないことで―――、
「奴らの目的が分からない以上、わざわざ接触する必要はないよな。方針としては、しばらく様子を伺って後を付ける。分かったか?」
「わかりましたー」
もうバッチリ、ガッチリ、サッパリ。
「よし、とりあえず一定の距離を置きつつ会話を盗み聞きする。そうすれば情報が得られるし、先行する奴らが俺たちの盾になって安全が確保されるだろうから一石二鳥で・・・・」
「ポッドポッド」
「あんだよ」
言葉を遮られポッドが不満な顔を向けると、シナモン色の柔らかな茶髪をした少年が、困り顔で人差し指を向ける。シャルティが座っていた場所には誰もいなかった。
「・・・あ?」
無言のアイルは苦笑いで、その指をくるりと反転させる。頬を引き攣らせたポッドが目で追うと、円形ホールの中央部まで行って―――――。
「こーんにちわー!」
なんでも対人関係における第一印象は最初の三秒で決まるという。
「「「・・・・」」」
お手本と言ってもいい陽気な返答が生み出したのは、時間が凍ったような無言の静止。
「―――囲め」
動揺の気配は一瞬。
たった一言の号令で鎧たちは迅速に円陣を組み、剣を構えて白髪の少女を牽制。歴戦の猛者を思わせる統率の取れた連携だ。三方向から同時に銀の剣を突き付け、動きの一切を封じる。身震いの一つでもすれば鋭利な凶器が細い首を簡単に切断するだろう。
「動くな」
先程号令を出したリーダーと思われる男が、腹の奥から底冷えするような声で威圧する。兜で表情は伺い知れず、声も反響して曇り、人間らしさの尽くが意図的に潰されている。その淡々とした様子から、人間というよりも無機物の印象が強く見受けられる。
それだけで、慌てて追いかけてきたアイルもポッドも無力化された。
「どうも初めまして! シャルティ・クーレと申します!」
「・・・俺。もうコイツ嫌だ・・・」
刃に囲まれつつ元気一杯に挨拶すると、なぜかポッドが泣きそうな声を出した。
男らしくしっかりして欲しい。
「抵抗はせず、ただこちらの質問にだけ答えてもらおう」
「いいですよ」
「・・・・・」
気軽に返答すると、果たして視界が優れない影響だろうか、表情の見えない兜に困惑の影が差したように思えた。
「お前は魔女か、使い魔か?」
「いいえ。わたしはシャルティ、霧の森で育ったシャルティです」
「・・・あの天国の住人、だと?」
「はい!」
流れる会話の間断で、鋼の声に初めて人間の色が現れる。『あの』とは一体どんな意味を持つのだろうか。
「・・・理解した」
「本当ですかっ!」
最初からシャルティは、話せば分かり合えると信じていた。
「―――貴様。嘘を吐いたな」
「・・・・ぁ、はい?」
目には目を、歯には歯を。行動には見返りを、親愛には裏切りを。
相手を知らずに理解することは出来ない。ならば積極的に動いて世界を知っていく努力が必要だろう。例え結果が望んだものではなくとも、是非に依らずとも。
「天国とは理想郷。選ばれた者のみが住まう聖地。生者に許された最後の居場所。・・・その人間が、なぜ“鏡の都”にいるというのだ?」
「か、鏡・・・?」
問答は凍てつく殺気と共に投げかけられた。兜に空いた穴から覗く視線は鋭く、ナイフのような恐怖感をもたらしてシャルティの足を地面に縫い付けた。もはや一歩たりとも動くことは出来ない。
決定的なところですれ違っている感覚があった。事実を言っただけで、どこを間違えたのかも分からない。男が放つ言葉のどれも身に覚えがなかった。
「・・・黙っていれば。こんな場所にただの子供がいるはずがねぇ、こいつは魔女、それでいい!!」
「悪いが、疑わしくば殺せ。これ以上の損害は出せない、殺すしか・・・ない」
援護する、獣のような男の声が二つ。鎧たちの心象は行動となり、ジリジリと円陣の幅が詰められていき、刃が喉の薄皮を貫いた。
「・・・っ」
「シャル・・・・!?」
「動くなと言ったのは、全員に対してだ」
鋼の声がアイルとポッドの焦りに動かされる体を静止させる。まるで契約を破った罰だとでもいうように、刃はまた一ミリと距離を縮めた。遥か遠くにある心の距離とは裏腹に、研ぎ澄まされた鋼が血管を馴れ馴れしく撫でやる。
「ちょ、まって。まってくださいって・・・・!? 話を聞いてください、鏡・・・? 何を言っているんですか? だってここが、霧の森で・・・」
恐怖よりも困惑が。余りの状況の変化に脳が追いつけない。先程までは、まだ話し合いの段階にあったというのに、突然に敵意を剥き出しにされる要因がどこにあったというのか。
「私たちは二時間前まで・・・鏡の都を守っていたんだぞ!?」
「森と都、どれだけ距離が離れていると思っている、それが事実だとして、まさか都が魔女に墜とされたとでも・・・・!」
ガチャガチャと、騒々しく鎧が擦れ合い金属音を奏でる。
「この車椅子が移動式なのは周知の事実。だがそれでは道理が通らない。この短時間で都市と天国を襲撃するメリットなどない。よって」
―――信じない、と兜の奥から覗くギラついた視線が言外に告げていた。
「あ、あ・・・・」
臭い物に蓋をするように、知らないモノを知らないままにする彼らの姿は――――誰かに被って見えた。
「ああ。・・・そういうことですか」
そして血が沸騰した。
「―――なにが・・・恐いんですかっ!」
このような状況だ、仕方ない対応なのかもしれない。今まで見てきた鎧の数だけ仲間が死んだのだろう。そうして犠牲を払って歯茎蜘蛛を殺して見せ、その死闘の跡は円形ホールにありありと刻まれていた。
警戒して当然、恐れるのが正解。だが言葉を交わしてシャルティは理解した―――鎧も血が通った人間なのだと、忌憚なく同じ人間なのだと。
「言葉が通じるなら是と交渉しましょう。言葉が通じずとも是と目を合わせましょう。理解に至らずとも知っていきましょうよ―――!」
剣の切っ先を、自ら喉元に喰らいつかせる。冷たい感触と熱い感触がない交ぜになって、電気が流れたように痺れた感覚が体を伝っていく。
「恐がらないでください。怯えないでください。わたしは偽悪の味方です」
刃が刺さろうとも、血が噴水しようとも。
「血を流したいのなら―――どうぞ。首を刎ねたいのなら―――どうぞ。わたしは、あなた達を傷つけたりしません」
「・・・・こいつ・・・」
「――――鎧さん。あなた方の名前を教えてください」
シャルティの瞳が炎のように暴力的な問いを投げ、一触即発の円形ホールに困惑の色が濃厚に広がる。
「・・・・無理だ信じられん」
迷うような間が空いて、三人の中でも一際大きな兜の奥から、錆びた男の声が響いた。肉声と金属の反響で音が変質しているが、感情の揺れを隠しきれてはいないと、シャルティは感じた。
「べつに信じなくてもいいんです」
「・・・・・」
「わたしを知ってください、あなたを教えてください。一緒にお話しをしましょう」
繰り返す。
誓いは炎となり揺ぎ無く、赤眼で爛々と輝く。
「誰が教えるものか・・・!」
「俺たちは神に血肉を捧げた騎士、面妖な術に屈するとでも思わないでいただこうか・・・」
疑いは鼠算式に増幅し、握り締めた刃の力になって如実に表れる。心を砕いても言葉は届かないのだろうか。コミュニケーションが一方通行ではないのなら、この行動に意味はないのだろうか。
「それでも」
愚直に繰り返す。
二つの刃は血管を浸食して呼び水のように流血が始まる。
「わたしはシャルティ・クーレ。どうか、あなた方の名前を教えてください」
「「――――――――」」
一拍を置いて、兜の奥で息を飲む音が聞こえる。あるいはため息だったかもしれない。
「・・・負けた、な」
賢い大人が意固地な子供を窘めるような口調だった。力を無くしたように三者が一斉に騎士剣を落とし、最も大きな男が重たげに兜を外す。最初に会話した男だ。
「―――おとぎ話に名高き神が座す都エラー、神国騎士団所属のシフト・ニアブリッジだ」
男の黒髪は血に染まっていて、大きな肉体は猪のように鍛えられている。しかしそれらの特徴とは相反するように、穏やかに垂れた目元が特徴的な男だった。
「にゃ」
「・・・・にゃ?」
意識は生暖かく朦朧としていて、力が抜け足から崩れ落ちる。すると同時に、背後から二人の少年の手が伸び、シャルティの体を支えた。
「は~・・・疲れましたーー!!」
慌てたような二人の顔を見つめると、シャルティはすっかり安心してしまう。ぐあー、と緊張で凝り固まった両手を大きく万歳して、両足を明後日の方向に放り投げる。
「「おもっ!?」」
「あははははは!」
預けた体重の重さは信頼と等価値だった。
「お前ほんっとバカだな!!」
「ふふっ。でも、やりましたよ・・・アイル・・・」
ポッドの優しい怒鳴り声を聞き流して、シャルティが力なく、にへらと笑う。
「・・・手伝えって言ったじゃないか」
「―――はい」
「次一人でやったら絶交だからね、分かった?」
「善処はします……でも人を傷つけたいわけではなく、わたしは人を助けたいので、アイルを巻き込むのは――」
「分かった?」
「……理解はしました」
やはりバッチリ、ガッチリ、サッパリの三段活用だが。
「まぁ……それでいいか。シャルだし」
自己犠牲では人を救えない。それではただの自己満足だ。
そんなことは身をもって知ったはずなのに、シャルティは理解していても実践してしまう。
アイルが指摘していたのは、シャルティがまた同じ失敗を繰り返していることだった。人間とは度し難いもので、その根本はなかなか変わらない。
だがそれでも―――偽悪の味方への一歩を踏み出した。
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霧の森、禁忌四カ条。
第一に、自他に関与する徒な傷害を禁ず。
第二に、境界外への出入りを禁ず。
第三に、肉の摂取を禁ず。
第四に、性交渉を禁ず。
以上悪しからず。
そして少年は右目を隠した。