第十五話 “ビックリ草”
近年人気急上昇中のオシャレ感漂う大人なマリンスポーツを知っているだろうか――――そうサーフィンだ。
「kiiiyaaaaaaaaa――――――!」
溢れ出る唾液で、人間の腕が生えた巨大な歯茎が華麗に舞う競技を知っているだろうか―――――そうサーフィンだ。うん、きっと、たぶん、めいびー。
もちろんアップス&ダウンで観客を魅せることも忘れない。
「ねぇねぇ! 次はなんの技だと思いますか?」
「そろそろ大技、オフザリップが来るぜ・・・!?」
「ボクはカービングが見たいなぁ」
個体が変わる度に技が違い、いつまでも飽きることはない。
それが訪れるのは、およそ五分に一回の頻度だ。
彼らは(性別があるのかも不明だが)、一行に近付くと歯をカチカチと鳴らし食欲を滾らせて奇声を上げ―――――サーフィンの技を披露して去っていった。
「あっ。いいこと思いつきました。これを新型アトラクション施設ツルツルコース歯茎スライダーと名付けましょう」
「乗るのか!? アレに!?」
「シートベルトあれば小さなお子様でも安全だね!」
――――今ここに、お化け屋敷とメリーゴーランドを組み合わせた奇跡のアトラクションが生まれた――――。
ツルツルコース歯茎スライダー。
商業化のご相談24時間お待ちしております。ドシドシ応募してね!
とはいえ何事も完璧なものは存在しないのが世の常。
大変業腹ではあるが、あえて重箱の隅を楊枝でほじくり、まるで約束を破って鶴の丹織を覗くような無粋さは渋々認めるところであり、それでも強いて問題を挙げるなら。
精々がビジュアルと倫理と世論と需要と安全と死の危険性が伴うくらいなものだろう。むしろビジュアルが全てを台無しにしているレベルな。
「・・・・ふふふふふ」
なんとか魔女と上手いこと契約してスペシャルアドバイザーの地位を確立出来ないものだろうか。著作権でガッポガッポ、これは人生勝ち組だな!
閑話休題。
「さて分かれ道ですね」
「・・・どっち?」
咳払いをしてアイルが指を向けた先には、二手の分かれ道。
一見ではどちらも大した遜色はない。左右で大きさが違うこともなく、ましてや目印があるわけでもない。
「一応確認だけど。・・・これ以上アレに会いたい人はいないよね」
もちろん頷く者は誰もいなかった。
確かにあの技は凄いが怖いものは恐いのだ。
「ぅ~~・・・」
周囲に漂う唾液の匂いによって、シャルティは軽い眩暈がした。腐った魚のような悪臭が、鼻孔の中で延々と燻っている。願わくば歯茎の進行方向を避けて進みたいところだ。
「判別するンなら唾液の跡だな」
「・・あ、なるほどです」
思わずポッドの言葉に関心する。
少なくとも今までに出会った個体は、どれもが唾液を大量に分泌していた。それが歯茎の習性なのだとしたら道に残された情報から判断出来るはずだ。
「って・・・この木、水分吸ってません・・・?」
アイルが屈み込む。
「これ。どっちの道も湿っているし新しい染みがある。・・・シャル、匂いは?」
「ぅ~~! 無理ですよ、なんにも嗅ぎ取れないです」
鼻の奥がビリビリと痺れたようで、他の匂いは一切感じ取れなかった。もしかしたら歯茎スライダーは、五感の一部を封じることが目的なのかもしれない。
「うぅ・・・マジマさんはどうですか?」
「じっじっじっ」
黒猫は鼻をスンスンと鳴らして、痒そうに擦っている。
どうやらこの方法では無理そうだ。
―――びちゃり。
「あ、左です。下がってください」
「hyahuuuuuuuuuuuu―――――!」
歯茎が通り過ぎて行く。異形の怪物が上げたのは、プレゼントを前にした子供のような、喜色に満ちた声だった。ちなみに技はエアリアル。
「・・・・・」
不思議だが、もうグロテスクな絵面に驚きはなかった。あるのは、ただ生命を冒涜された嫌悪感だけだ。歯茎と腕の組み合わせはあまりにも悪趣味な所業で、噂以上に魔女の異常性を感じられた。
「魔女って、なにを考えているんでしょうね。・・・あれ?」
スイ――――と、右の通路からも歯茎が流されてくる。ちなみにチューブライディング。
「これ、どっちに行っても変わらないんじゃ・・・」
「・・・しばらく、観察するしかねぇか」
「休憩ですね」
◆ ◆
「・・・ふぅ」
唾液の跡がないことを確認して、一行は道の端に腰を落ち着ける。
木の洞窟は平坦な道ではなく、疲労の溜まった体は石のように硬くなっていた。しかし着の身着のままであるシャルティとアイルに食料はない。
「ほら」
ポッドは呆れたようにため息をして、花飾りが施された小包を取り出した。
「? ポッドっぽくないね」
「・・・ん。ああこれ、ミルがくれたんだよ。アイツ、いつも花園にいただろ? その・・・繋がりでさ」
「――――やっぱり、こういうところもかわいいですね」
自分の心臓にナイフを突き刺すように、ポッドが言う。対してシャルティは自然と、素直な気持ちが出た。
分けてもらった食料は四つの“グリドンの実”だ。
「「えぇ・・・・」」
「いや俺のメシだからなそれ! 嫌なら食わなくていいからな、いやまじで・・・」
「・・まじ? まじっまーじ!」
要らないなら寄越せとばかりに、マジマがしがみ付いてくる。
もちろん、この実は苦すぎて好きではない。
“きゅーう”。
だがそんな意志を無視して、勝手に胃袋が収縮して小さな音を出した。
「あぅ」
「食べよっか・・・」
「・・・はい」
走ったり、叫んだり、泣いたり、怒ったり、笑ったり。
思い返せば、昨日からずっと動き続けている。まるで落ち着きのない子供のようで、すこし恥ずかしかった。なんだか顔が赤くなっている気がして、両手で頬を“ぺちん”と隠した。
だが、うん。ウジウジ悩んでいるよりもよっぽどいい。それはとても自分らしいと思えた。
なによりも不眠不休で活動していて、空腹には嘘を吐けなかった。
「あれ・・・・」
予想通り“グリドンの実”は苦くて、涙が出そうになって、以前よりも少しだけ甘かった。
「もっと・・・苦かったような」
もしや匂いのせいで鼻が壊れたのだろうか。それとも空腹によるスパイスでも掛かったのだろうか。あるいは―――――。
「ポッドさん。お願いです、もう一個ください!」
「え!? ・・・ダメだ。ええと・・・そう、温存だ!」
「なんでですか! こちとら成長期なんですよなにケチケチしてるんですかっ」
「いやダメというかその・・・ええい、うるせぇ!」
ポッドが、小包を両手で包み込む。
「今、なにか分かりそうなんですよ! 察してくださいよ、こう、大人の階段的な、ミディアム感を!」
「おい放せって・・・この・・・ミディアムバカ!」
「ちょっと二人とも、今喧嘩なんて・・・」
パァン、と。
紐が弾け、中身が飛び出す。見覚えある黄色い花だった。
「え・・、全部・・・ビックリ草、ですか?」
「は? ・・・いや、え?」
「うッ・・」
ポッドが諦めたように額に手を当てる。
まるで全てを悟った聖職者のように穏やかな表情だった。
「は。ははは、ない。皆無。ゼロ。あっなるほどーこれが俗にいう食料切れかぁ」
「「・・・・はぁ!?」」
ぜんぜん違った。
まるで無人島に流れ着いて全てを諦めた権力者のような表情だった。
いや、え?
無理じゃん。これ絶対に無理なやつじゃん。俗に言うまでもなく遭難じゃん。ミイラ取りがミイラになるように、一瞬で救助者が遭難者に変わってるじゃん。
何が、攻略、開始―――――。
だよ。ちょっと格好つけちゃったんですけど。すっごい恥ずかしいんですけど。
「な、ホントに入ってるの、全部ビックリ草じゃないか・・・・!! 要らないよこんな大量にっ!」
「―――あなたどれだけ悪戯に命を懸けているんですか!?」
「いや、だって昨日お前らにあげたじゃん! 俺とお前らで四人分だったじゃん! もうねぇよミディアムバカ! バカの発展途上っ!!」
ということは。
現状をまとめると、ここは出口の見えない迷宮で、歯茎の化け物が彷徨う中、食料はなく、武器もなく、無力な子供が三人で楽しいお散歩中。わーい。
「ダンジョン攻略なめんな」
魂の叫びだった。
どう考えても、冷静に考えても。手持ちの道具なんて、足下に散らばっている大量のビックリ草ぐらいなもので―――――。
「あ。そうだこれ、爆破して脱出しましょうよ!」
シャルティは即座に会心のアイデアが浮かんだ。この場所がどこかも分からないが、少なくとも脱出の糸口にはなるはずだ。もう自分で自分を褒めてやりたい。
「ははははっはっ、ふぅ・・・・火、起こせない」
乾いた笑い声が徐々に収まり、ポッドが無表情でポツポツと呟く。
「いやいや! こんな時こそ、ポッドにはお得意のナイフがあるじゃないか。鉄なんだから小さな火花くらいは・・・・」
「・・・・・・ぁ」
そしてすべてを理解した。
「ふっ。死なないモノは・・・ないんだ・・・」
絶望の先に残ったのは、夏空に転がる氷のように儚い笑顔だった。つい先日のこと、鉄の泉で錬成されたナイフは食われたのだ。
「・・・まぁぁぁーーじ」
この吞気に欠伸をしている黒猫に。
「・・・な、なにしてくれちゃってるんですかぁぁぁぁぁぁあ!!?」
「まじっ?」
「吐いて! 今すぐ! 吐け! ねぇ! お願いですからぁ・・・!」
「まじじっまじじっ♪」
「遊んで、るんじゃ、ないんですけど!?」
逆さまにして上下にシェイクするが、マジマの表情は変わらない。むしろ高い高いをされているように、楽し気な声を上げている。
「―――じゃあこれ。燃えないゴミ?」
「・・・へーるぷみーーーーー!! お姉さまどこですかもう無理ですよねこれヤダ何でいっつもギリギリで噛み合わないんですかたーすーけーてーーーーっ!」
◆ ◆
Filing Number 1
・【消火菊】
通称“ビックリ草”。他の地域では未確認、主に霧の森に分布する。
その役割は消火。菊は周囲の高熱を自動で感知し、花弁を破裂させることで対象を消火する。その衝撃波は鉄をも砕くという。いわば森の防衛機構である。
リア充の巣窟ことネズミの楽園に売っ払いたいです。