第十四話 “ドジっ娘”
世界との繋がりを意識したことはあるだろうか。
きっと大抵の人は無意味だと答える。なぜなら意識するまでもなく、人は世界の一部だからだ。それを当然のものと享受しているからだ。
つまり。
シャルティにとって“風がない”、“土の匂いがしない”という状況は初めての経験だった。
「・・・ここ、気持ち悪くないですか?」
「うん。木に囲まれているのは同じなんだけど・・・」
「ああ。ふっ・・・なんだ理由なら分かったぜ」
三人は苔の明かりを頼りに、デコボコと隆起した道を歩いている。マジマは歩くのが面倒臭いとばかりに、シャルティの腕に抱かれていた。
そしてポッドがしたり顔で、鼻歌交じりに人差し指を立てる。おまけに“ちっちっち”と、左右に指をフリフリした。
「ねぇポッドさんポッドさん。今、鼻で笑いましたよね? このわたしを?」
「だよねー。断じてボクを笑ったわけではないよね?」
「・・・わたし、ちょっと、本気でどうかと思います」
「――――人の意志、つまり悪戯さ」
「「・・・はぁ?」」
ポッドがなかなか面白そうなことを言い出したので、怒りの矛を収める。シャルティ・クーレは適材適所を見極めることが出来る大人なのだ。マジマを撫でながら言葉の続きを促す。
「そう、俺なら分かる。いや違うか・・・俺だからこそ、分かる。最初は自然のままかと思ったけど、これは人工物だ」
「別に大木ならあり得ない構造じゃないんじゃない? それこそ神気楼樹様レベルなら、こんな空間があってもおかしくないでしょ。・・・どうでもいいけど、なんで言い直したの? 馬鹿なの?」
「―――たしかに! あり得ないわけじゃない。だけどさっきのホールといい、この道といい。明らかに指向性が働いてンだろ。まず都合よく苔が配置されているのもおかしい。まるで燭台として使ってくれと言わンばかりじゃねぇか? それこそ、魔女の家なら何があってもおかしくない」
アイルの挑発も意味を為さない、珍しく論理的なポッドだった。
思わず目を見張ってしまう。
「それ、さっきお姉さまも言ってました」
“魔女の家”。
その言葉が指す意味とは果たして。
「ンー。家は家さ。世界には時々あンだよ。荒野に咲く巨大彼岸花、魔性宝石の館、翠獣が守護する空中都市。・・・ま、詳しくは知らね」
「はぁ・・・」
「まじまぁ?」
腕の中で丸くなっているマジマが胡散臭い目で見つめた。シャルティもなにか含みがある言い方だと思った。
当人であるポッドは、虫歯が痛むような表情をしていた。
「話を戻すぞ。ここは木で出来ているンだから、この道が突然閉ざされたっておかしくない。でもそれは絶対にない。どこまで行っても、必ず一定した空間が用意されているはずだ。これを人の意志が介在していると呼ばずにどうするのかって話さ」
「いや。全部見た訳でもないのに、どうして分かるんですか・・・・。第一、そんな性格悪いことする意味ないですよ・・・」
十秒でガッカリした。頼もしいと思っていたのに、所詮はポッドだった。
日進月ポッドだ。どうかこれからも頑張って欲しい。
「いーや分かる。魔女は基本的に暇潰しにしか能がない極潰しなンだ。なンていったってあいつらは不老の化け物だかンな。人を弄ぶための労力なら惜しまない」
「・・・不老、ですか?」
「というかポッド、なんか・・・詳しくない?」
「ン・・・ああ、昔、な」
「・・・まじぃ?」
なんだか怪しいポッドを追求しようと思った瞬間、シャルティの耳が足音を捉えた。
―――びちゃ、びちゃ。
ネコのように身を屈ませ、意識を集中させる。
「待ってください、対象は一体。来ます・・・なにか・・・!」
「魔女か!?」
「・・・まじっ!?」
「いやわっかんないですよ!? なんですか魔女の足音って!」
「使えないなぁ」
「んなぁ!? アイル、本当、もう、酷い! ほら、方法があるんなら教えてくださいよっ!! ほらぁ!」
「ンなもん知るかバカ!」
「ちょっバ・・・バカ!? ポッドさんに・・・バカ!?」
「バーカバーカ!」
「うるさいバカ二人! どうするのさ!?」
「「逃げる!」」
「まじまじ!」
ここまで十分程歩いて、誰にも遭遇しなかった事態に変化が訪れる。誰もいないはずの通路に響く足音、それは最大級の警戒に値した。どうにも噛み合わない三人と一匹だったが、弱虫の集団であることは統一されていた。
三者三葉、同時に逃走準備に入る。
シャルティが足に力を込め、アイルが涙を浮かべ、ポッドが懐から小包を取り出し、マジマがシャルティにしがみ付く。
青い光が不気味に照らし出す。闇が揺れ、神秘のベールは剥ぎ取られ――――巨大な歯茎が浮かんだ。
「「「ひっ!?」」」
通常サイズの五倍はある歯茎だった。その大きさならば、人の頭を咥えることも出来るだろう。歯茎は腹を空かせたように、だらしなく唾液をベチャベチャと滴り落としている。
「ぁ・・・え?」
びちゃ、びちゃ。
「うそでしょ・・・手で・・・歩いてる?」
ソレをより正確に表現するならば、足音ではなく、手音と呼ぶべきだったかもしれない。歯茎の健康そうなピンクの肉には、一対二本の、人間の腕が生えていた。その腕は太くて毛むくじゃらの右腕と、華奢で白無垢な左腕だった。
「ぁぁ・・・」
びちゃびちゃびちゃびちゃびちゃびちゃびちゃびちゃびちゃびちゃびちゃびちゃびちゃびちゃびちゃびちゃびちゃびちゃびちゃびちゃびちゃびちゃびちゃびちゃびちゃびちゃびちゃびちゃびちゃびちゃびちゃびちゃびちゃ、びちゃ。
それが交差することによって器用に前後稼働して歯茎を走らせる動く度に溢れてくる唾液で出来た水溜まりを両足ならぬ両腕が叩いて汚い雫を撒き散らす目も鼻もないのにどうして真っ直ぐに進めるの嫌だ助けて嘘でしょなんで耳だけ生えてるの人体の構造上あんな場所にあっても機能を果たせる訳がないのに。
「「「ぎぃゃああああああああああああああああああ」」」
ズコッ。
「「「へ?」」」
転んだ。めっちゃ転んだ。
もう交通事故と呼んでもいい勢いで、肉をガリガリと削ぎ落して滑っていく。絶えず唾が生成される為、歯茎はスリップして、シャルティたちの横を通り抜けて行く。きっとハイドロプレーニング現象とは、こういうことを指すのだろう。
雨の日は気を付けようね。
「「「え?」」」
そして――――歯茎は見えなくなるまで滑っていった。
しばらく誰も動けなかった。恐怖が迷子のお知らせだった。
びちゃびちゃびちゃびちゃびちゃびちゃびちゃびちゃびちゃびちゃびちゃびちゃびちゃびちゃびちゃびちゃびちゃびちゃびちゃびちゃびちゃびちゃびちゃびちゃびちゃびちゃびちゃびちゃびちゃびちゃびちゃびちゃびちゃ、びちゃ。
「「「な・・・!?」」」
奥から次なる歯茎が突撃してきた当然だあの唾液の量を見れば馬鹿でも例えポッドでも分かるアレは私達を食べ物だとしか認識していない純粋なる食欲の権化であり野生動物そのものだ哀れな人間は手も足も出ずにその血肉を捧げる他ないああどうして助かったなんて勘違いしてしまったんだろうさっさと逃げれば良かったのに。
「「「ぎぃゃああああああああああああああああああ」」」
ズコ――――ッ。
「もう行きませんか?」
「そだね」
「ほら言っただろ。これが魔女なンだって」
「・・・まぁまじ」
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霧の森、禁忌四カ条。
第一に、自他に関与する徒な傷害を禁ず。
第二に、境界外への出入りを禁ず。
第三に、肉の摂取を禁ず。
第四に、性交渉を禁ず。
以上悪しからず。
ドジっ娘ってかわいいですよね