第十三話 “魔女の家”
「――――ィ」
どこかで誰かの声がした。
脳内で思考回路をショートさせる、焦燥と悩みと後悔に満ちた声だった。
「ねぇシャルティ!」
それは雷が落ちたような寝覚めだった。
安寧とした微睡みから、強制的に叩き起こされる感覚。当然意識が追い付かず、眠ったままの体は痺れて動かない。
「は、はいっ!?」
目の前にいたのはアイルだった。
明るい茶髪は、汗で湿って重みを増している。どうやら走った影響か、息も上がっているようだ。
「逃げるよ!」
「ど、どこにですか」
「森が騒いでるんだよ・・・! 外になにか・・・いる」
ポッドの言葉を聞き、目を閉じ耳を澄ませる。
「―――ガチャガチャ?」
遠くから、複数の金属が擦れる音がした。
そして森は沈黙する。まるで何かを恐れるように、死んだふりをするように。寝覚めの朝を迎えた森は、再び偽りの眠りに落ちた。
「まーじまーーー!?」
「え」
そして小さな夜が落ちてきた。
ベチ、と。黒い物体が地面に潰れて、ピクピクと痙攣している。
「・・・あんた何してるのよ。まさか・・」
「まじじじじーー!」
「・・ふーん」
黒猫は他の誰でもなく、真っ先にミエーレの胸に飛び込んだ。怯えたように耳をピンと立て、警戒によって瞳孔が開く。マジマは森の奥をジッと見つめていた。
「あれ。マジマさん、どこに行ってたんですか」
「じ・・・・」
「―――ぷ」
「お姉さま?」
「いえ・・・なんでもないわ。ね、マジマちゃん?」
「まじじー!」
んん、とミエーレが喉の調子を整える。
「・・・まぁこれはあたし達とは別件ね。大した問題でもない。この程度なら霧が対応するわ。そんなことよりも朝ごはんの方が―――――シャルティ!!」
ドン、と。
押された。
「え」
―――視界がコマ送りで流れて行く。
マジマが飛んだ。
―――大地を裂いて、一対の重厚な扉が出現する。
ミエーレが安堵の表情を浮かべた。
―――劇場にあるような、装飾過多な椅子がミエーレを運んでいく。
「これ・・魔女の、家」
感情が抜け落ちたミエーレの言葉を呑み込んで扉が閉じる。その上部で赤いパネルが光った。
――――“上映中”――――。
そして扉は堅い大地に沈んだ。まるで水のように、ドプリと。
「え?」
シャルティはバカみたいに呆けた顔で、同じ言葉を繰り返す。
最初からミエーレが世界にいなかったと錯覚する程に、その場には何の痕跡すら残らなかった。
「え?」
地面をノックする。
きっと誰かに、“入っています”と言って欲しかったのだろう。その一言だけがあれば安心することが出来た。試しにひっかいてみるが、爪と肉の間に冷たい土が溜まるだけだった。
力が抜け落ちる。
足の感覚がなく、立っていられない。
「お姉さま・・・?」
「・・・行くよシャル・・・・!」
アイルに左腕を引かれるが、どうしても心が動かない。知ろうとすれば人を傷つける。その痛みは味わったばかりだ。
「だって、ここ、離れたら、お姉さまが、いなくなっちゃうじゃ、ないですか」
「探すんだよ!! あの扉を!! あの先に、絶対に、いる!」
ポッドに右腕を引かれるが、どうしても体が動かない。知ってしまえば後悔する。その苦しみは味わったばかりだ。
心も、体も。ミエーレがいなければ何の意味もなかった。動力源をなくした人形のように、シャルティには生き方が分からなかった。だってわたしに火を点けたのは、いつだって――――、
『バカじゃないの?』
―――軽蔑の声が聞こえる。
「―――――!」
ドクン。燃えるように熱い血が迸る。
やっぱりシャルティは馬鹿な自分が大嫌いだったし、犯した間違いは消えない。だが、それでも――――お姉さまには嫌われたくなかった。軽蔑されない自分になりたいと、思った。誇れる自分になりたいと、思った。全身に新鮮な血が巡り、初めて理解する。
・・・ああ、とっくに火は貰っていたんだ。
「わたしが助けます」
心も体も、動く。意識は明朗快活、しかして気炎万丈。
「わたしが・・・必ず!!」
―――大地を裂いて、一対の重厚な扉が出現する。
「まじっ――――!?」
まるで張りぼての意志を嘲笑うように、扉はマジマを呑み込んでいく。
「ふふっ、させません。ケチケチしないでくださいよ、招待するなら、わたしも、一緒に・・・・!」
だが先の経験から準備は万端だ。心も体も、一切の躊躇なく動いた。扉の奥は、光を一切遮断する暗闇だった。―――恐れることもなく、迷いもなく、シャルティは未知なる世界に飛び込んだ。
「なッ・・・ボクも・・・・!!」
「ちょおい、シャルティ!? アイル!?」
ポッドが頭をガリガリと掻く。
どうしてあいつらは、こう、脊髄反射で行動するのか。まずは調査をして、それからでも遅くはないだろうに。慎重なポッドは、五秒も逡巡した。
「~~~~! くそ。行くよ。ああ行けばいいんだろ!?」
そして結局はヤケクソ気味に、ポッドも扉に飲み込まれていく。
結果、鉄の泉にいた全員が魔女の家に招待された。
◆ ◆
ザ、ザザザザ―――――。
「っ~~!」
一瞬で情報が書き替えられたような違和感があった。森の風が消え、密閉空間が放つ圧迫感を肌で感じる。ズキズキと脳が痛むのは、その影響だろうか。
「ここ・・・どこですか・・・」
最初にブラックアウトした視界が、次にノイズを経て、最後には世界を形成する。
「え・・・木?」
四方八方には木の壁がそびえ立つ。しかし継ぎ目はどこにもなく、ここが天然の産物であることが分かった。シャルティは地下に潜ったはずが、なぜか木の内部にいた。
「ま・・・・じ」
「あ・・・マジマさん」
お尻の下で、黒猫が伸びていた。どうやら同じ場所に来れたようで安心する。
だが不思議とミエーレの姿は見当たらない。
「うえっ!?」
「ぐあっ・・・!」
「え・・・なんで!? 二人とも・・・危なかったらどうするんですか!」
「痛って・・・ったく。だから危なくしない為に来てるんだろ。それに俺は成人なんだよ、分かれ」
普段は誰よりも子供っぽいくせに、こういう時にポッドは頼りになる。だがその言い方はズルい、これでは文句が言えないではないか。
「そうだよ。ミエーレさんを心配してるのはみんな同じなんだから」
「・・・はい」
もしかしたら、わたしは自分のことしか考えていなかったのかもしれない。頬をバシバシ叩いて、深呼吸してみる。
「すぅーーーー・・・あれ」
顔を上げると、そこには広いホールが広がっていた。入り口は太い幹に閉ざされ、奥に進む道しか残されていない。必然的に日光はないが、そこかしこで苔が淡い光を放っている。視界は薄暗いが、青い光がボンヤリと輝いているので、どうやら活動するのに問題はなさそうだった。
「・・・・?」
足を動かした時、何か硬い物に当たる。それが苔の光を反射しているおかげで、アイルとポッドの顔も十分に確認出来た。
「ミエーレさんは・・いないね」
「多分入口が違ったからじゃねぇかな」
「よし、なら進みましょうか!」
「・・・・まっじ?」
「マジマさん、せっかく気分が盛り上がっているので、すっごい嫌そうな声出すの止めてもらっていいですか・・・・」
招かれし客は非力な子どもが三人と、謎の生物が一体。
ここは難攻不落の迷宮、盲足の魔女が作りし家。
さあ攻略、開始――――。
◆ ◆
霧の森、禁忌四カ条。
第一に、自他に関与する徒な傷害を禁ず。
第二に、境界外への出入りを禁ず。
第三に、肉の摂取を禁ず。
第四に、性交渉を禁ず。
以上悪しからず。
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