第十二話 “叛逆開始”
きっと、その夜は葬式だった。
彼らは黙祷代わりに仲間を見殺しにして、線香代わりに火葬場へ突き落した。式場は、参列者の安堵感によって弛緩した空気が広がっている。
ああ自分じゃなくてよかった、と。
禁忌を侵した馬鹿は粛清されて当然だ、と。
言葉には出さないが、森の子の認識は統一されていた。犠牲を飲み込んで、夢を諦めて、そうやって人は成長していく。それが調教であり、去勢であるとも知らずに。
本来の儀式とは、形而上の現象を視覚化するために行われる。形のないモノを、型に嵌めることで理解しようとする。人は分からないモノが恐いから、超常現象を己の常識にまで貶めるのだ。例えば、それが何かを失って何かを得ることが目的ならば。
きっと、その夜は葬式だった。
「待ってよ、ねぇシャル・・・!」
「・・ったく」
シャルティを追いかけた二人を除いて、誰も動かない。ただ無理解の海に沈み、変わってしまった日常に溺れていた。まるで泳ぎ方を忘れた魚のように。
「まったく、あなたは・・・」
『知らず。疾く務めを果たせ、ミエル』
神気楼樹の巨体は、まるで羽を広げるように霧散していく。騒がしい喧噪は失せ、いつも通り霧が煙る。日の出を間近にして森はようやく寝静まった。
◆ ◆
―――呪いの声が聞こえる。
カワイイは正義。
俗世ここに極まれりという言葉だが、シャルティはそこに真実の光を見た。
ミル・メイジの話をしよう。
少女は可憐な一輪の花だった。まるで花園の歌姫、男の憧れ、八方美人。褒め言葉は枚挙に暇がなく、さりとて気立てもよく、非の打ち所がない。
身近な同性であり、理想的な美少女。シャルティが憧れたのも当然のことだった。
かわいいモノが好きで、夢は最強のネコ耳美少女を作ること。
こういった嗜好が養われたのは、まずミルの影響によるものだ。
一緒にいると陽だまりのようにポカポカする微笑みが懐かしい。誰からも愛されるミルが好きだった。彼女の言うならば、どんなことでも間違いはないだろうと思えた。流石にミエーレには及ばないが、人生の指針であり目標だった。
「ゲホっ・・・」
物心が付いた時には、愛らしい右眼窩が欲しいな、と思った。
「・・ぅ、ぐ」
皆と同じになって、憧れのミルに近付きたいと願う。どこにも間違いなんてあるはずがない、自然の流れだ。悪くない、なにも悪くない。
「・・ひっ・・ぅ」
そして少女の輝かしい夢は血に堕ちた。
ミルを、夢を、自分を。大事なモノを壊したのは誰だったのか。
「ぁ、わたし・・・じゃ、ないですか・・・・・」
ポロポロと、正しい理解は心を溶かして液状化させた。
雫が落ちる度に、自分の中で燻るなにかが失われていく気がする。
「・・・知らなければ・・・よかった」
『三人の姫君』宜しく、可憐な一輪の花は腐った。大好きなミルを殺したのは、潔白なる憧れだ。きっと憧れがなければ、深夜に出歩くこともなく、家に帰って温かい布団で眠っていただろう。そうすれば正しいままでいられた。
間違いを知らずに、安寧の中で微睡むことが出来たはずだ。『無知こそが最大の善』――――神気楼樹の言葉が、今更になって理解出来た。
「なんにもっ・・・知らなければ・・・・・!」
血で汚れてしまった夢は色褪せて、吐き気のする不快感しか湧かない。
―――呪いの声が聞こえる。
『お前が憎い』、怨嗟は鼓膜で反響する度に倍増していく。
「ぅぅ・・・!」
シャルティが蹲る。尊敬していたミルはもういない。
だからこれは脳が作り出す幻聴で、耳を閉じれば―――呪いの声が聞こえる。
『お前が悪い』と。
「ど・・・して・・・・?」
逃げ場はない。自分を一番憎んでいるのは自分なのだから。
―――呪いの声が聞こえる。
『お前が裏切った』と。
「ごめん、なさぃ・・・」
―――呪いの声が聞こえる。呪いの声が聞こえる。呪いの声が聞こえる。
その声はミルのものではなく、冷血なまでに自分の声だった。
「ぅ、ぁあああああああ」
心臓が痛い。
ズキズキと存在を主張する心臓が痛い。死んでしまいたい心と、生きていたい臓が衝突している。この痛みが贖罪になるならば、いっその事バラバラになってしまいたいと思った。
「・・・だれか、わたしを、助けてくださいよ・・・・!」
「バカじゃないの?」
―――軽蔑の声が聞こえる。
「ぇ」
「まったく。探し回ってみれば・・・なぁんだ鉄の泉か」
ミルの声でもなく、自分の声でもなく、大好きな厳しい声。まるで鳴き方を知らぬ雛鳥を嘲るような、心底から呆れた物言いだった。
「おねぇ、さま・・・」
光を見た。
太陽の金髪に、大空の碧眼。どれも灰色の森にはない、眩しいほどの色彩だ。目を焼き、心が焦がされ、涙は蒸発する。シャルティは輝かしい光を見た。
ゴクリ、唾を飲み込む。唾液が足りず、唸り声のような掠れた言葉が出る。
「ど・・して」
「暇だったのよ」
退屈そうに欠伸をして、ミエーレが言う。
「なっ・・・」
萎えていた心に、怒りの火が灯る。こんなに自分が苦しんでいるのに、どうして無神経でいられるんだろう。意味が分からない。普通なら、優しく慰める場面ではないか。
シャルティは許せないと思った。消えかけのロウソクみたいな、小さな炎を振りかざす。
「・・・ッ! あっち、行ってください! わたし、一人でいたい気分なんですっ」
「奇遇ね、あたしは一人でいたい人を邪魔したい気分なの。まさに利害の一致じゃない?」
興が乗って来たミエーレがニヤニヤ笑う。
よっこしいしょ、と年寄り臭い動作で隣に座った。その距離は、拳一つ分だった。
「ほら、一人でしょ」
「・・・きらいです」
これは息遣いも体温も感じられる絶妙な距離感。離れもせず、近づきもしない。やはり“二人は一人”でしかなく、それでも“二人は一人”ではなかった。
ミエーレは赤子をあやすように、消えかけの火を翻弄する。それどころか風に煽られる度に、シャルティの炎は徐々に大きくなった。
(・・・あれ)
ふと、元気付けられる自分に気が付いた。違うのに。慰められたい訳ではないのに。心がスッと冷める音が聞こえた。――――ああ。わたしは断罪して欲しいのだ。
だから口を閉じた。目を閉じた。優しい外界を遮断して、膝に顔を埋めた。
「・・・」
「・・・」
「・・・」
「・・・」
五分も十分も経った。
体感では、一時間も三時間も経った。
「・・・」
「・・・」
「・・・」
「~~~!!」
「・・・」
「・・・なっ。なんっなんですか。人が落ち込んでいる時に、慰めに来たのかと思えば馬鹿にして、文句が言いたいのかと思えば無言で、もぅ・・・何がしたいんですかぁ・・・」
最初は強かった剣幕が、次第に弱まっていく。
最後の方には、もにょもにょとした泣き言に変わっていた。
「・・・」
「なんで、喋ってくれないんですかぁ・・・」
膝から顔を上げる。そして気付く、ミエーレはずっと自分を見ていた。目を反らしていたのは、シャルティだけだった。
「そう。なんで、あんたは喋ってくれないの?」
「え・・?」
一瞬、理解が飛ぶ。
「・・あたしは悪いことがあったら、まず声に出すの。改めて状況の整理になるし、俯瞰すれば悪いことが見えてくる。頭の中で結論が出ないなら、外に持ち出せばいい」
脳で処理が出来ないなら、口から吐き出して、文字に直して、耳で聞いて、触れて。五感で再ダウンロードすれば、世界は一気に広がる。
「だから喋りなさい。どうせ暇だから聞いてあげるわ」
「・・どうして」
「残念だけど。あたしの中にも答えがないから安易に慰めることは、出来ない。聞くことしか、出来ない」
その為の―――無言。
「わかんないです・・・なんで、わたしなんかの為に・・・」
「? だって・・あんたのお姉さまなんだから」
そして太陽が夜を切り裂いた。
一滴の涙に、悪感情のすべてが排出されていく気がした。霧一つない朝日の中で、ミエーレが不思議そうに小首を傾げる。ごく普通に、そうすることが当然で、世界の法則であるように。
「それに言ったでしょう。幸い――――ここには一人しかいないんだから」
だから恥じる必要はない、と言う。
「―――――ぁ」
決壊する。
もう我慢は出来なかった。ドクドクという、心臓の痛みが心地良いと思えた。
「・・・悪くないじゃ、ないですか」
「なにもっ、悪くないじゃないですかっ!」
「ミルさんだって! わたしだって!」
「知ることが間違っている? 無知こそが最大の善? 馬鹿に・・馬鹿にしないでくださいよっ!」
「――――人を馬鹿にしないでくださいよ!?」
「知って、行動して、愛して、夢を見て、間違って、成長して。そのサイクルを繰り返すのが人です。それを否定して、どうして人を救えるんですか」
「もし人が悪なら、世界はもっと悪です!」
「こんな・・・こんな世界っ・・・・」
「――――滅べばいいんですよ――――!」
これは神気楼樹に対する叛逆だ。天国を犯す冒涜だ。世界に向けた挑戦状だ。
さあ。偽悪はここに芽生えた。
「ふふっ」
「あ・・・あわわわわわわ」
歯がガタガタと震える、手足が痙攣して立っていられない。
言っちゃった、言っちゃった・・・・!?
先程の情景が想起される。今にも大量の蛇が襲って来てズタボロにされて―――――、
「・・・霧が、晴れてる?」
ミエーレの言葉で正気に帰る。落ち着いてみれば周囲に霧はなく、森は不自然なまでにシンと静まり返っている。万年霧が晴れるのは満月の夜だけ。もう夜が明けたというのに、なぜ森の防衛機構が働いていない・・・・?
「どうして・・・」
「「おーい!」」
アイルとポッドだ。二人は鬼気迫る表情で、後方を指差している。
「あ、あれ。あれっ・・・・!」
「「―――は?」」
嵐の塔が立っていた。まるで監獄のように、堅固たる威容を誇る塔だ。
霧が渦を巻き、雲を貫いている。森に霧が這っていないのも当然のことだった、恐らくすべてが一か所に集中しているのだろう。
「中央草原・・・」
感情が抜け落ちて、それが誰の声か判別出来なかった。
しばらくして、嵐はピタリと停止する。まるで、虜囚を逃がしたように。
霧は球体に変流し、一気に縮小していく。
グッグッグッ――――グッ。
見えなくなる程に力を凝縮させた霧は、爆散して解き放たれた。
「「「「なっ・・・・!?」」」」
森の全体を覆うように、霧の奔流が殺到する。
『魔女を逃がした。疾く家へ』
薄れゆく意識の中で、神気楼樹の焦燥した声を聴いた。
◆ ◆
霧の森、禁忌四カ条。
第一に、自他に関与する徒な傷害を禁ず。
第二に、境界外への出入りを禁ず。
第三に、肉の摂取を禁ず。
第四に、性交渉を禁ず。
以上悪しからず。