第十一話 “逃れ得ぬ獣の宿業”
一番星もそろそろ眠ろうかという丑三つ時。
誰しもが寝静まる深夜だが、森の子は、神気楼樹の下へ一堂に会していた。そこには、夜に一体化したような沈黙だけが広がっている。
『これより簡易魔女裁判を開廷する』
議長は神気楼樹、議場は霧の森中央草原。
果たして客席は満席、血みどろの被告が二名、陪審員も弁護士もいない。
「ゴボッ・・・」
何が裁判だ、馬鹿な独裁者の間違いだろう―――――ミル・メイジが悪態を吐こうとして血を吐き出す。身動きをすれば体の節々が痛かった、痛くない場所が逆に痛かった。
ベチャベチャという音がして、手で掬ってみる。
なんだ、ただの血で出来た池だった。これだけ出血しても人は死なないものなのだろうか。
『ミル・メイジ、並びにマウ・ダブルトーン。汝らが禁忌を犯し森の秩序を犯したことに間違いない。・・・・繁殖とは、人間の設計図が欠陥品である証左。醜い愚行を延々と繰り返す歴史は神が無能である証明なり』
まるで何もかもを見通した声音だった。霧が体である以上、神気楼樹の手が届く範囲は森の全域に及ぶ。
『故に我が神になろう。人を総体ではなく、個体で完結させる為に。・・・・その理念に関しては始めに教えたはずだが?』
神気楼樹は嘆く。
『何故、禁忌を守れない。何故、我を裏切る』
「さ、寂しかったの・・・! そ、そう。人は一人では生きられないんだから、自分のパートナーを選んだって―――――」
『要らぬ。自立せよ』
「いや、でも感情は――――」
『感情? 笑わせる、そんなものは生理反応の機微に過ぎぬ。救いを求めれば誰かが救ってくれるとでも言うつもりか。何故分からぬ、“誰か”など、いない。“誰か”を求める弱さより、孤高に立つ強さを得よ。―――――残念だ』
「――――――は、ぁ・・・・!?」
『悪を知りて悪を為す、善を知りて善を為す。然らば悪を知れば一寸先は闇、是即ち人は人に非ず。法こそが人を縛り、真の意味で人を形作る。
ならばこそ堕落したモノを獣と呼ぼう。我欲を満たすことしか能の無い卑しい獣と――――』
「―――――」
ミルがいくら言葉を重ねようと、神気楼樹には頑として伝わらない。当然だ、文字通りに視点が違うのだから。
『無知こそが最大の善、卑しい獣は疾く去れ。既に罰は与えた、是にて追放処分とする』
議論の余地すらない断定だった。最高決定権を持つのが議長だけで、まるで傲慢な一人裁判。これでは、子供のごっこ遊びの方がマシだろう。
「ッ・・ふざっ・・・けないでよ!」
ミルは、こんな馬鹿げた判決を認められなかった。
心臓の奥で、反骨心が沸々と燃え上がる。
「だって外に出たら死んじゃう。これはあなたが助けてくれた命で、私はあなたの子供。そんな酷いことしないよ、ね?」
『何処で野垂れ死のうが我関せず、獣ならば荒野で死すが本望よ。禁忌を破る程の悪意、ならば地獄で好きなだけ悪を為せ』
愕然として、思考回路が一瞬で真っ白に染まる。たった一度の間違いで、子を捨てる親がどこにいるだろうか。
「このっ・・・ちょっとマウ!? あなたも何か言って・・・」
「―――外、魔女、騎士、右目、地下、血涙飲、甘骨宍湯、針の都」
からからと元気に笑っていたお調子者マウは、正気を失ったように無表情で、ブツブツと訳の分からない単語を生産する機械になった。
「・・・ぁ。・・ねぇ助けてよ、皆」
壊れたマウから目を反らし、ミルはボウフラのように血溜まりを這う。
「ね、お願い・・私追い出されちゃうよ・・・こんな右目で、外なんか・・・どうやって・・・?」
かつては花の美さを誇った歌好きミルが、乞食のようにみっともなく涙を流した。もはや満足に動く力もなく、森の子たちの同情を集めようと、惨めに物乞いを始める。
「ああ、カール。私の親友、また一緒に花畑で演奏したいよね?」
泣き虫カールは無言。
「・・聞いてエキゾ、酷いのよカールったら。ふふふっ、エキゾは博識なんだから、神気楼樹様に説明して差し上げてよ、私は悪くないって、ね・・・・・・ねぇ!!!」
博識エキゾは無言。
「ミエーレ、私達ってライバルじゃない? アイル、あなたとは仲が良くなかったけどこれから仲良くしよう? シャルティ、私の右眼窩をかわいいって言ってくれたでしょう、私の味方よね?」
怒りんぼミエーレは無言。
毒舌アイルは無言。
理不尽シャルティは無言。
「ポッド! リック! オシット! 私ってかわいいでしょ、いなくなったら嫌よね?私は悪くないよね? お願いオシット・・・いつもの言葉を・・・」
イタズラっ子ポッドは無言。
のんびり屋リックは無言。
脳無しオシットは―――。
「・・オシットはそう思わない」
「――――――ぁ。ぁぁぁぁ・・・・・」
プツンと、最後に残った獣性が切れた。
「・・・誰。誰が私とマウを告発したのよ・・・・ねぇ!? 答えなさいよ裏切り者ッッ!!!!」
そして何も無くなったミルは狂気に身を委ねた。人でも殺しそうな目で、森の子を睨みつける。紐を引っ張ることで動く玩具のように、動力源をなくして、それでも身を削って闇雲に暴走を始めた。
――――チリン。
殺伐とした意識に染み渡り、粉々になったミルの自意識を慰める鈴の音がした。
あまりにも清らか過ぎる自白の音がした。
「シャルティ・・・・?」
「・・・ぁ」
恐怖に震えたシャルティが、何かを隠すように両手を胸に当てる。
それは、ミルが花畑で聞いた音だった。
「・・お前か、ぁぁ、お前かぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――!!」
蜘蛛の動きで、弾丸の速度で飛び掛かるミルを、白い蛇を撃ち落とす。
ガクンと視界が一瞬ブレて、地面に叩きつけられる。
「が、ぁぁ、ぁぁぁぁ・・・・」
痛い。体の感覚はとっくに麻痺している、だから痛いのは心だった。どうして誰も味方してくれないのか、何を間違えたのか、ミルには理解出来なかった。
『汝が悪だからだ』
神気楼樹が無慈悲に囁く。
「あ・・・く? 人を愛することが、悪・・・?」
◆ ◆
かつてのミル・メイジは現実主義者だった。
基本的には自分以外を信用していないし、勝手に他人を期待することもない。
霧の森に来たのは、外の世界よりも長生きしたいから。天国の門に入れば、その先がどこに繋がっているのかも分からない。自分たちを迫害した『神』とやらは信じられなかった。
同様の理由で、ミルは愛だの恋だの形のないものは嫌いだった。だから九年前、馬鹿な奴らを告発してやった。
しかしミルは恋をした。燃えるような愛を知った。
切っ掛けは些細なもので、マウに鼻歌を褒められたことだった。たしか歌い始めたのも、ちょうどその頃だったと思う。心が軽くて、世界が輝いて見えて、何でもない会話が幸せだった。
それは許されない禁忌だった。理性で感情を殺し、何年間も募らせる思いをドブに捨てた。マウと会う度に、もう止めようと己を戒めた。
「――――でもダメだった! 会えば会う程に、どんどんどんどん炎が燃え盛っていくのよ!! その結果が・・・これ!? 私の感情が悪だって言うの!?」
『然り』
霧のように何の感情も籠らない一言だった。
ミルが、ガリガリと爪を砕いて頭を掻き毟る。
まるで暖簾を突いているようだった。あるいは霧を相手に殴り合うような手応えのなさだった。
だからミルは、糾弾の対象を変えることにした。
「ねぇシャルティ、その子は特別なの? なら私は特別じゃないの? じゃあ特別ってなに? 私は友達じゃないの? 禁忌の子は守るのに、どうして私は守ってくれないの? 同じじゃない、アイルだって。それが逃れ得ぬ獣の宿業じゃないッッッッ――――――!!!」
「・・ひッ。ぃ、ぁ、ぁぁ。ぁぁぁぁぁ・・・・・・」
ミルの剣幕に押され、シャルティが頭を押さえて座り込む。
『――――我が国に愛は要らず。すでに完成された世界に不純を許容する余裕も非ず。一つの間違いが全体を殺す、是世界の理なり。ゆえに間引きする、天上の国を穢すな汚泥物』
「は…?」
神気楼樹は、ミルの発言を断頭台のように処刑した。世界は狂気に逃げる道も許してくれなかった。
「ぁ、どうして、どうしてどうして・・・・・。なぜ…天国は愛を殺すの……。天国って……理想郷じゃないの? これじゃまるで・・・・」
天国以上の地獄ではないか。
『諄い』
神気楼樹の号令で蛇が足に巻き付いた。
大地でゴリゴリと鑢に掛けられ、肉が削られてミンチに下ろされる。血が雨のように降り注いで若葉の養分となる。
ミルが泣き叫ぶ。みっともなく、同情を買うように。手足を出鱈目に振り回し、鮮血で白蛇を汚し、呪いの涙を振りまく。
「・・・いたい、痛いの嫌、噛まないで・・・。ぁ、あ、ああ…お、前のせいよ、この痛みも屈辱も全部ッ! 許せない許せない、許さないッッ・・・・! 殺す殺す、殺して殺し尽くして心臓をグチャグチャに犯してあげるわシャルティィィぃぃぃぃッぃいぃッッ!!!」
ミルが怨嗟を熟成させた断末魔を残して、森の外へズルズルと引きずられていく。死体のように血の跡を森に刻み込んでいく、決して忘れるなと。
「―――ぁ。ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
気が付いた時、シャルティは無我夢中で逃げていた。走って走って、ペース配分なんて考えなかった。
それは愛だったのか、哀だったのか、はたまた憎悪だったのか。
よく分からない漠然とした恐いものから、泣きながら逃げ出した。
◆ ◆
霧の森、禁忌四カ条。
第一に、自他に関与する徒な傷害を禁ず。
第二に、境界外への出入りを禁ず。
第三に、肉の摂取を禁ず。
第四に、性交渉を禁ず。
以上悪しからず。
ありがとうございましたぁ!
苦しめ苦しめ・・・!!