シーサイドへようこそ3
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御風のその姿を見たのは、1時間ほどしてからだった。
仕事を全て終えて物置小屋の布団で丸くなっていたが、なんとなくドリンクを取りに部屋の外へ出ると、右隣の客間からわずかに光が漏れているのに気付いた。おそるおそる近づいてみれば、中から聞き覚えのある笑い声がした。ふふ、と、含んだように笑う声。間違いなく御風のそれだった。
なんとなく胸騒ぎがした。そういえば「2時間」の客は御風が直々に相手をすることになっていたんだっけ。どういう客なのか、また御風が何をするかななど、僕は何も聞いてなくて、悪いと思いながらも僕は音を立てないようにドアの隙間を押し広げ、そこから客間の中を覗いた。
やっぱり中にいるのは男と女。しかも女は裸のままベッドに仰向けに横たわり、足を大きく広げていた。ベッドサイドランプの淡い光の中でも、御風の胸が服の上から見るよりも豊満で形がいいのがよく見えた。男のほうは背中を向けているせいで顔は見えないけれど、腹回りがだいぶぽっちゃりしているのは伺えた。
想像どおりといえば想像どおりだった。裸になる目的もなく、客間のシーツを整えて御風が相手をすることなんかないんだもの。だからだろうか。妹の売春場面を目にしても、僕の心が乱れることはなかった。ただ、あの男をどうやって合法的に殺してやろうか考えるくらいで。
「……ふふ。そっちはだめ」
御風は微笑みまじりに言った。肩をそらし、瞼を半開きにしてとろんとした瞳で男を見つめている。ときおり、無縁りょにベッドに伸ばした足を組み替えたり撫でたりしながら、男の興奮度合が頂点になるのを誘っているのだ。
「えー。やっぱりだめなの?」
「ふふ。でもこっちの穴好きでしょ?ちゃんと柔らかくしたから、ね、御風のここ……」
御風は人差し指と親指で「こっちの」穴はゆっくりと押し広げる。男はそこで箍か外れたように御風に覆いかぶさった。
僕はそこで扉を閉めて部屋に舞い戻った。さすがにこれ以上あの現場を見続けていたら気がおかしくなりそうだった。
けれども、不思議と怒りは感じなかった。幸運にも僕は妹のエッチな場面を目撃したわけで、御風の裸体を見ながら僕はアホみたいに勃起していた。
部屋に戻った僕はたぶん3発は抜いた。淡白な僕にしては結構頑張ったほうだ。もちろん、妹のいやらしい姿で抜いてしまった罪悪感は半端なくて、終わると僕は何もかも忘れるようにさっさと布団にくるまって目を閉じた。
けれども、本当の地獄は夜更け過ぎにやってきた。
彼女はノックもせずに僕の部屋に入り、裸にガウン、という格好のまま、布団の上に乗り、横たわる僕を見下ろしていた。すでに僕はノンレム睡眠に入りかけていたけれど、御風の気配を感じ慌てて目を開けた。
「だめ。騒がないで、おにいちゃん」
起き上がろうとする僕を御風は手のひらで静止した。
「ねえ、さっき私がお客さんとえっちしてたところ見てたでしょ?」
「ちがっ、いったい何言って……!」
「だめ。喋らないで。はい、か、いいえ、頷くか首を振るかで答えて」
じっとしとした御風の目に見つめられ、僕は押し黙ってしまう。そんな僕の様子を見て御風は満足げに微笑んだ。
「じゃあ、もう一度聞くね。おにいちゃんは私と××さんがえっちしてるとこ覗いてたでしょ?」
たぶん、もう全部知っているんだろう。僕は素直に頷いた。御風はくすりと含み笑いをした。その表情は怒っていたり、あきれているというよりも、クイズに正解した子供のような納得めいた笑いだった。
「私ね、わりと前からこんな風にして生きてるの。この店は表向きはレストランなんだけど、実態は私を買うための施設なわけ。売り上げだって半分以上はこっちのほうなの。今日のお客さんはずっと前からの常連さんで店を出すときもいっぱいお金を投資してくれたパトロンさん。もちろん彼以外にも常連さんは沢山いる。でも、私は前のほうは許してなくて、いけない穴だけを使うコールガールなんだよね」
いけない穴ってなんだろう。僕は状況をうまく飲み込めずまたアホなことを考えてしまう。御風はお構いなく話を続けた。
「ね、おにいちゃん。私で何発抜いた?」
「え?」
「抜いたんでしょ?わかるよ。ゴミ箱からすっごい匂いがするから」
御風はちらりとゴミ箱をみた。そうしてゆっくりと立ち上がり、今度は僕の顔をぐりぐりと踏みつけた。
「ちょうだい」パーにして開いた手を眼前に突き出される。もちろんそれはダンスの誘いなんかではない。
「みかぜ?」
「ヌキ代、ちょうだい?お金もらわなきゃ困るの」
御風の勢いにおされ、僕は枕元に放り投げていたバックパックからしわくちゃになった一万円札を取り出した。これは僕が院にいたときのお勤めで稼いだお金だ。
「ふふ。ありがとう」
シワシワの諭吉を人差し指と中指ではさんで受け取りながら、御風はまたにっこりと笑った。まるで久しぶりに会った恋人に微笑むようなやさしい、かつ色っぽい笑みだった。
「これが私の今の仕事なの。お客さんとえっちして体を売ってお金をお金をもらうようなこと。褒められたことじゃないのはわかっているけれど、ひとりぼっちになった私にできることはこのくらいだから。ね?わかるでしょ、おにいちゃん」
いたいどう返せばいいのか。唇を噛みながら僕は考える。闇のなかで御風の顔は朧月みたいにぼんやりと白く光っている。昔の御風もじゅうぶん可愛かったけれど成長し帳に紛れて色気を放つ御風はぞっとするほど美しかった。御風は僕の胸板に耳をぴったりとくっつけ、
「おにいちゃん、生きてるんだね」
と、言った。地毛みたいにつやつやした金髪が首筋にからみつく。僕は髪にふれてあげたい衝動にかられるけれど、その前に御風が顔をあげた。もう笑ってはいなかった。
「じゃあ。残りの射精代は天引きにしておくね。明日からよろしく、兄貴」
だめ押しの一言を投げると、御風はそのまま部屋を出ていってしまった。残されたぼくは布団をめくって佇んだまま、しばらくのあいだ、現実を受け止められずにいた。
こうして、前科持ち学歴なし、職歴なし、シスコンど変態である僕こと伊藤ハルは、レストラン兼風俗施設というめちゃくちゃな妹の店で働き始めたのだった。