中学生が養護園に火をつけた話
俺の名前は梅森真司、中学三年生だ
俺は幼い頃日常的に親父から暴力を受けていた。
当時は自分が悪いことをしたからやられても仕方がないと思っていたが、今になって考えると
親父の脳内はどうかしていた。働きもせず毎日毎日家に居座り酒を飲んでいた。
何か少しでも気に食わないことがあるとすぐに殴られ蹴られ時には。
首輪をつけられベランダに放置されたこともあった
そんな俺は小学生に上がると同時に養護園に入れられた
養護園とは家庭的な事情で入れないといけない子達が
集まり共同生活を送る場所である(住む期間は人それぞれ)
そんなところに俺は母親の意思で入れられた。
母親も母親で暴力は少なかったが父親の味方をして何かあると全て「真司のせい」で片付けられた。
4歳まではご飯をくれたがそこまで 養護園に入る最後の最後までご飯はなく
幼い俺に料理など出来るわけもなく冷蔵庫にある物を親にばれないように食べていた
ただばれた時は包丁で脅されるなど脅威でしかなかった。
そして養護園に入園 これで少しは楽に暮らせるのかと思ったのも束の間
園の先生からは差別され、本来あるはずの食事もなく、食事は学校での給食だけ
学校の先生に言っても「わがまま」だとか「嘘をつくな」言われ全く相手にされなかった
みんなで協力してやると言われていた
「洗濯」「掃除」等の仕事は全て俺に押し付けられた そのせいで睡眠もあまり取れなかった
最初の頃は住まわしてもらうため仕方ないと思っていたのだが...
そんな生活が中学3年生まで続いた。学校では浮き、友人も片手で足りる程度の人数ただ食事をまともに取れないなんて 恥ずかしく、心配をかけたくなくて友人にはとても相談できなかった。
その空腹で授業もほとんど集中できず学力も学年最下位
もうこれ以上は我慢できない 何かこの環境を変える策はないかと俺は考え続けた。
答えは出なかった。
但し、別の考えが出た。もうこれしかないと、思えるぐらいのアイデアだった。
それが「火」である。 大人相手に相談しても無駄 何をしても無駄ならば仕方ない
ならばもう全て燃やしてしまえばいい
何故そうなったのか後で考えたらよくわからないが
その時の自分はそれ以外 何も考えれなくなっていた。
しかしよく考えると火を起こすための道具がなかった ライター、マッチなどはもちろんない
キッチンを考えたが自分は近づくことすら許されなかった
いや一つだけあった 扇風機のコードだ あれをはさみで切れば火が付くんじゃないか?
「実行は明日の夜だ」俺は一人で呟いていた
妙にワクワクしていたこの地獄から抜けれるんじゃないかと...
わくわくしたまま1日が過ぎ深夜3時となった
俺は扇風機のコードを切った 思ったより火はあまり出なかったがまあいい
近くにあった燃えそうなものを薪代わりに燃やした 少しして自分の部屋全体に火が広がった
自分はすぐに逃げた もちろん誰にも知らせないで
すると園の先生が
「火事よみんな逃げてー!!」と叫び始めた あまりの慌てように笑いが止まらなかった
先生は3人 子供16人いるのだが けが人は先生2人だったそれも軽症
唯一けがをしなかった先生に「なんでお前が無事なんだ さっさと死ね」と言われたときは
きれたがまぁいいこれでこんなところ抜けられる
数時間後消防士達が火を消し止めた そして出火原因を調べたところ
放火の可能性が高いと言われた そしてすぐにその出火元に住んでいた。俺が怪しまれた
包み隠さず話した。火をつけたことはもちろん 今まで受けてきたしうち
警察には「だからと言って火をつけてもいい理由にはならん」だのなんだの言われたが知ったことではない
まあそんなこんなで少年院に入れられた 今までの生活よりは凄く楽である
食事は出るし まあ大変なことはあるが 仲間がたくさんいた
中には俺と同じように親からの虐待を受けた奴もいた。
正直 自分が社会復活できるとも思わない ただ今の生活は凄い幸せだ
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