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「お前もここに入っていろ!」
「うおっ!」
開いたドアのむこうに蹴り込まれたディックは、手を後ろに縛られていたため受け身が取れず、したたかに顎を床に打ちつけた。
「痛ぅ〜……」
顎の痛みを堪えていると、鼻先にホコリと人の汗が絡まったツンと鼻に刺す臭気が漂ってきた。薄暗い部屋を見渡すと、そこには何十人という男達が後ろ手を縛られた姿でひしめくようにして詰め込まれていた。ここは彼の艦『ハウンドドッグ』の船倉であり、どうやら降伏した彼の部下は、全員ここに押し込められているようだった。
「兄貴ぃ〜」
ディックが顎を打ちつけた姿勢のまま周囲の状況を把握していると、上から情けない声が降ってきた。見上げると口髭スキンヘッドの男が、涙目をうるませながらディックの顔を覗いていた。
「だー! 気色悪りぃ顔を寄せんじゃねぇ、ダック・ラック!」
ディックがのけ反るようにして跳ね起きる。ダック・ラックは声にまで涙をうるませて同じ言葉を繰り返す。
「兄貴ぃ〜」
「そういうみじめったらしい声を出すんじゃねぇ! てめぇのその泣きっ面に蜂と小便浴びたカエルが土下座して詫び入れてるみてぇな声を聞いてると、俺までみじめな気分になりやがる!」
「うわ、そりゃ言い過ぎですぜ! せめて小便土下座ぐらいだと思いますぜ、兄貴ぃ〜」
「やめい! 気色悪いわっ!」
罵声を飛ばすディックにダックが泣き縋るように寄りかかる。鼻息が触れるほどまでに迫り来る口髭スキンヘッドの顔面に、ディックの身体が限界までのけ反った。
「ははは、なんの漫才だ、それは」
のけ反るディックの後ろから声がした。彼をこの船倉に蹴り込んだ帝国兵の声だった。数は二人。マシンガンを構えながら、ディック達に嘲笑を浴びせる。
「うるせぇ。感動の暑苦しい再会だ」
「そいつは俺達もいいことをしたな。これから仲良く死ねるんだ。せいぜい今の内に男同士の最後の抱擁を楽しんでおくんだな」
笑い合う帝国兵にむかい、ディックは不敵な表情を崩さずに訊き返す。
「なんだい? これからその銃で慈しみ深い鉛の雨でも浴びせてくれるのかい?」
「俺達はおまえらならず者と違うぜ。そんな無粋な殺し方はしないさ」
首を振った帝国兵は、そこでニヤリと大きく口端を歪めて笑った。
「これからこの艦を、俺達の艦砲射撃訓練の標的艦にするのさ。しかも強力な爆薬の仕掛け付きだ。この爆薬をどの艦が一番早く撃ち抜くか賭けになっている。一本乗るかい?」
諧謔に酔うようなその語りを聞きながら、ディックはそこで帝国兵の背後に動く小さな影の姿を認めた。
「……そいつは粋な演出で。俺も一口乗りましょうかねぇ〜」
「ははは、そうだろう? いくら賭け――」
気を引くように話を合わせたディックに兵士たちの意識がむいた隙だった。
「――あがっ!?」
「なっ?」
背後で鈍い音がした。その音にディックの前にいた兵士が後ろを振り返った瞬間、崩れ落ちる仲間の影から鋭く振り上がった鉄パイプが、彼の顎を意識とともに一撃で打ち抜いた。
こうして二人の兵士が一瞬で床に倒れ伏した。ディックが口笛を吹く。
「ヒュー! やるじゃねぇか、嬢ちゃん」
倒れた二人の兵士を乗り越えて、鉄パイプで肩を叩きながら姿を現したのは、太い眉が印象的な金髪ポニーテールの小柄な少女――エル・メラルダだった。
彼女は縛られたディックを冷然と見下ろしながら、その額に拳銃を突きつけて訊いた。
「どういう状況よ、これ?」
「へへへ……、語るも涙、聞くも涙の不幸な運命に見舞われた、哀れな羊達の悲劇の顛末を、簡潔に言えば『やられた』ってお話だ。……俺も、嬢ちゃんもな?」
黒光りする銃口に怖気づくこともなくディックが冗談でも飛ばすようにそう言うと、エルの眉がピクリと動いた。
「……どういうジョークよ、それ」
「じゃあ聞くかい?」
エルが無言になると、ディックはヒヒヒと笑いながら、顎を上げて話し出した。
「――実はな、何を隠そう嬢ちゃんが運んでいたあの客は帝国第一皇子ハラルド殿下のご息女マリア様だったのさ。それで俺らは帝国での政争に敗れて王国へ亡命するこの皇女様を捕まえる……と同時に嬢ちゃんの艦の乗組員全員を殺すように依頼されていた。この依頼主は帝国在新大陸総領事アラン・スミス様。そして依頼を見事に完遂した俺達がどうなったかというと、このザマだ。――さて、どういうことでしょう?」
エルの顔色が少し青ざめたかのように見えた。
「皇女……? だとしてもなんでこんなまわりくどい……。これって皆殺しじゃない」
クヒヒと笑ったディックは、そんな分かりきったことを、とでも言うような口調で答えた。
「殺す都合があるんだろ? でなきゃ嬢ちゃんは帝国公認運搬業者だ。領事特権で嬢ちゃんの艦を臨検して皇女様を捕まえれば済む話。わざわざ皆殺しにする経費も労力も必要ねぇが、それが必要ってこたぁ、どうにもまだまだ裏があるってこったぜ、この話には」
エルは首を振りながら、重く息を吐いた。
「……笑えないジョークだわ」
「だが、笑っている奴がいる」
畳み掛けるように間髪入れずそう言ったディックは、帽子の鍔の影から射抜くような鋭い眼光でエルの目を見た。エルが息を呑むように顎を引く。そしてディックが訊ねた。
「どうだい。ちょいと一緒にぶちのめしにいかねぇか?」
数秒の沈黙。
そしてその終わりに、エルはディックの額に突きつけていた拳銃を下ろした。
「あんたの頭ごとぶちのめすことになるかもしれないわよ?」
「勇ましいねぇ〜。こいつは頼りになりそうだ」
エルの牽制をディックが軽くいなす。鼻を鳴らしたエルは、彼の手を縛る紐を切ろうとナイフを取り出したが、それを遮るようにディックは立ち上がり、右足を後ろに折り曲げて履いているブーツの踵から隠していたナイフを抜くと、自分で両手を縛っていた紐を切った。
「恩はいらねぇぜ? 手は借りるがな」
切った紐をパラパラと落としながらディックが言う。
「かわいくないおっさんね。じゃあ、返せないほど貸し付けてやろうじゃない」
肩に置いた鉄パイプをポンポンと叩きながらエルが言う。
二人はニコリと笑い合い、そしてお互いに言い合った。
「おう、『お・に・い・さ・ん』も活躍を期待しているぜ、お嬢ちゃん」
「ええ、あたしの活躍に大いに期待してなさい、『お・じ・さ・ん』」
二人の間にチリチリと見えない火花が飛び散る。
ダック・ラックはそんな二人の顔を交互に見て、その眉を不安げにくもらせた。