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「ご機嫌はいかがですかい、お嬢さん?」


 甲板に吹く風に鍔広帽を手で押さえつつ、ディック・ビーンは近づきつつある帝国の軍用ホバーシップを見やりながら、隣に立つ長い黒髪の女性にそう訊ねた。しかし彼女は、その長い髪を風に遊ばれるままに流しながら、無表情にディックを一瞥しただけだった。


「ハハハ、斜めだねぇ。愛想は女の最高の化粧だって話、聞いたことあるかい、お嬢さん?」


 ディックは呆れるように肩をすくめて一笑すると、背中を屈めて彼女の顔を覗くように見た。その顔にはもう煤の汚れはない。その肌はまるで磨かれた白磁のような滑らかな光沢で陽射しの下に輝いていた。髪もきれいに洗われ、これは黒い綾絹のような色つやで陽光を白くきらめかせている。まさに人形のよう、という形容がふさわしい容貌であったが、その顔は本当に肌が陶器でできた人形のように、硬質な表情を崩さなかった。

 彼女はディックの揶揄に、その表情のまま冷たく返す。


「無頼に施す化粧などないだけです」


「無頼!? かーっ、さすが育ちのよいお方はお言葉まで遣いが違うねぇ」


 素っ頓狂な声を上げたディックがニヤついた顔で首を振ると、彼女は眉根を動かし、その人形のような表情に少しばかりの慍色(うんしょく)を見せた。


「それは侮辱ですか?」


「ケンケンするねぇ。跳ね返りは嫌いじゃないが、それで美人に瑕が付くのはいただけないね。せっかく顔も服もきれいにしてやったんだ。化粧のひとつぐらい渋らなくてもバチは当たらんだろう、なあ――皇女マリア様?」


 ディックがその名前を呼んだとき、初めて彼女の首がディックの方をむいた。その目に浮かんだ表情は、驚きよりも不審の色が強いように見えた。ディックが不敵に笑う。


「ここで声を漏らさないところ、さすが皇女様は根性が据わっていらっしゃる」


 目を細め、彼女――皇女マリアと呼ばれた女性は、ディックの顔を鋭く見据えた。


「最初からご存知でしたの?」


「いいや、途中からだ。こちとら卑しい無法者(ヴァルチャー)稼業。おたくの国のお役人さんは秘密主義でケチンボだからねぇ。仕事の価値を知られると、俺たち禿鷹(ヴァルチャー)に報酬をむしられると思ってやがるのさ」


 笑いながら話すディックは、ここでタバコとオイルライターを取り出すと、一息つくようにタバコに火を点け、紫煙を風になびかせた。


「帝国のお家騒動がつい先月のお話だ。弟殿下アドルフが兄殿下ハラルドとの後継者争いに勝利して皇太子の座に就いた。兄殿下の一族はバラバラに王国へ亡命。当然その中にはある種の中立地帯であるこの新大陸を経由する奴だっているだろう。そこに帝国の在新大陸総領事様から自国の公認運搬業者(キャリアー)のホバーシップに乗った客を連れてこいとのご依頼がやってくる、と。ここでピンとこない方がどうかしているだろう?」


 帽子越しに頭を指で叩くしぐさをしたディックは「ついでに」と、彼女のなびく髪の間に見える、耳飾りを指差した。


「この話を踏まえた上でそいつをよく見れば、耳環の装飾に帝国の紋章である双蛇の彫金がついている。こんなご立派なもんを付けられるのは皇族だけだ。そして兄殿下のご一族で、お嬢さんの年格好に当てはまる人物といえば……」


 わざとそこで一息を入れ、答えを引き出すように沈黙を作る。彼女は諦念のこもった息を漏らし、この推論を引き継ぐようにして答えた。


「皇子ハラルドの息女、皇女マリア。つまり私だけ、ということになりますか」


「カマかけが当たると気持ちがいいねぇ。まあ、他にもこの依頼で気になる点はあるんだが、この話はここいらで終わりにしやしょう」


 そう笑いながらディックは紫煙を吐くと、タバコを下に落とし足で踏みつけた。


「しかし高貴のご身分も大変なもんだねぇ。血族同士で殺し殺され、運命の潰し合いがご日常。殺られる前に殺った奴が偉いという正義に縋るしかないご身分に、否応なしに生まれるのが高貴の血の宿命だと言うんだから、これにはさすがに無頼の俺でも同情するねぇ」


 足がどくと、踏まれたタバコは灰と(きざみ)と巻紙が醜く混じり合った姿で潰れていた。マリアはそれを見ながら訊いた。


「笑われますか?」


「ああ、笑うね。やっていることは無頼と同じだ。ご優雅に午後の紅茶(アフターヌーンティー)の香りを楽しみながら人を殺すか、土と埃にまみれて硝煙の香りをまき散らしながら人を殺すかの違いだけだ」


 そう答えたディックの顔は、しかし少しも笑っては見えなかった。マリアはその横顔をしばらく見つめ、やがて自らを卑下するように目を伏せた。


「……お上手ですね。でも本当のこと。権力の争いに通じる法などありませんものね」


「だから解せねぇのさ。あんなじゃじゃ馬娘なんざ命を張って助けて何になる? そういうことは物語の中の善男善女だけがやるもんだと思っていたぜ」


 ディックの目が動く。その目にマリアの目が合った。そして交わされた数瞬の間に彼女の瞳が揺れるのを、ディックは確かに見たのだった。

 マリアはすぐに目を逸らし、後方を見やった。


「……あなたがあのホバーシップの艦橋を撃ったとき、あそこにいた私を身体を張って守ってくれたのが彼女です」


 そこには鹵獲(ろかく)され『ハウンドドッグ』に曳航(えいこう)される、エル・メラルダのホバーシップ『カリグラ』があった。その艦橋はディックのランチャーに吹き飛ばされて、一部の床をわずかに残すだけの無残な姿をさらしている。このランチャーを撃つ瞬間に照準越しに見たものをディックはここで思い出した。


「――ああ、そういえばあのとき目が合った女がいたが、あんただったか。……こいつはすまねぇな、うっかり殺すところだった。しかしそのお礼返したぁ、律儀な話……」


 ディックが一人合点して頭を掻きながら喋るのを、遮るようにしてマリアは静かに首を振った。


「……人が死ぬのは悲しいことです。あの場で悲しむ人の数は、私よりも彼女の方が多かった」


 それは絞るような声だった。虚空にぽっかりと放り出されたような言葉は、荒野の風に吹かれていずこともなく消えた。ディックは彼女から視線をずらすと、遠くを見やりながら敢えて皮肉を返した。


「そいつは道理だな。それに今のあんたには死んで喜ぶ奴までついてくる。因果な家に生まれたもんだ」


「ふふ……。はっきりという人ですね」


 そこでマリアが微笑んだ。ディックが初めて見たマリアの微笑みは、ひどく儚く、しかし人形のように冷たくはない、一人の人間の確かな微笑みと感じるものだった。


「……おためごかして金になるならいくらでもごかすがねぇ。金にならないお世辞なんざ人に施していられるほど、俺の羽振りは良くないもんでねぇ」


 そう肩をすくめて冗談を言いながら二歩三歩、マリアの前に動いたディックは、接近する帝国ホバーシップの甲板上に、ある人物の姿を認めて目を細めた。そしてマリアの方に振りむく。


「さてさて、お迎えのお出ましだ。まあ、せいぜい化粧は渋らないのが身のためだ。金になるお世辞は散々についてやるのが長生きの秘訣ですぜ、皇女様?」


 ホバーシップ同士がゆっくりと接舷する。そして両艦の間に渡り梯子が架けられた。

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