転1 あわただしい一日
最近日課となっているかなり遅めの朝食を食べていると、扉の向こうで妙な音が鳴った。
「トーコ、ドサって聞こえたんだけどきのせいかな?」
「幻聴では?」
ただでさえ赤いじゅうたんをさらに赤くしようとしているのか、扉の近くから絨毯が変色している。赤い物体の正体は、察しがついたがそれを垂れ流している現況を除去しようかと思いたったルイシアは、フォークを一度置き、立ち上がろうとする。
「お食事を終えてからのほうがよろしいと思います」
塔子は、ルイシアと同じで廊下の向こう側がどうなっているのか妙な確信があるようなので、素直に従うことにした。手早く朝食を食べ終わると、誰に見られてもおかしくないように塔子に手伝ってもらって「ディアナ」にしてもらう。
準備が済んだところで、覚悟を決めて廊下のドアを塔子に開いてもらう。ルイシアのきている色が淡く裾の長いドレスでは、あまり扉に近づきすげると赤い液体で汚れてしまうので、ほどほどの距離の場所で待機する。
ベタというか、なんというか廊下の向こう側には、死んだ鶏の首絞め死体と、たぶんブタだと思われる臓物が部屋の前に鎮座していた。防水加工のされた手袋の上から、それらに触った塔子が、「まだ温かいですね」とつぶやいたことから、どうやら悪質ないたずらをするためだけに、食べもしない鳥やブタを何者かが殺したらしい。まったくもったいないことをすることだと、憤る。
ラピスラズリの間の側室が、王大使殿下の寵愛を受けているという噂話が勝手に一人歩きした結果、こういう陰湿な悪戯がたまにあるのだ。こういうもの以外にも、王大使殿下の寵愛を受けた側室―――未来の正妃候補に今のうちに取り入っておこうと考えた貴族たちからの贈り物が増加している。この贈り物が意外と曲者で、趣味の悪いものだったり、毒入りのお菓子や茶葉、開けると毒針が出る仕組みのびっくり箱等が紛れ込んでいるのだ。危ないので、毒物に対してある程度体性と知識があるルイシア自らが荷物の選別をしている。毒が混入していない普通のお菓子は、一人では食べ切れないのでこの部屋付きの侍女に分けてあげている。
「もったいないことするわね。部屋の中まで、血がしみ込んできたのは、ブタを殺したときの血をバケツで流したのかしらね」
「新鮮なものを後宮の女性たちが食せるように、たしか王城内に家畜を飼っていたと思います。そこから調達してきたのでしょうね。側室の皆様がこのようなことをご自身で実行できるとは思えないので侍女に頼んだのかもしれませんわね」
「トーコの言うとおりだと思うわ。ほかの侍女にも手伝ってもらってここを片づけないといけないわね。それにしても、その頼まれた侍女も頑張ったわね」
「?」
「侍女といっても後宮に使えることができるということは貴族の令嬢ということでしょう?」
「そうですね。その点は、尊敬できますね。私は、人出を集めてきますので、そのあいだ姫様は室内でゆっくりと寛いでいてくださいね」
塔子は、鶏の首根っこを容赦なくつかみ、臓物などをゴミ捨てようの袋に詰め込むと、ドアの隙間から様子を覗いていた他の側室や侍女の目をものともせずに、ずんずんと歩いていく。その様子を見たルイシアは一番肝が据わっている侍女は間違いなく、自分の侍女である塔子だろうと思った瞬間だった。
魔王様ことクロムが、女神降臨祭の夜会でパートナーを務めるように要請された翌日、朝から鶏首絞め死体事件の処理に追われ―――室内の清掃は優秀な侍女たちによって終えられ―――いつもより少し遅いティータイムをトーコと楽しんでいた。ミルクを加えた紅茶をゆったり飲みながらルイシアは、昨日会った出来事について普段通りに塔子に報告していた。
「姫様っ!!!」
「なに?」
いきなり憤怒の表情になった塔子にルイシアは後ずさりながら、いったい今の報告内容のどこにその表情をさせるものがあったのか考える。塔子のめったにない怒った姿も、かわいいと内心身悶えながらも頭を必死に回転させる。
「なんで! 何で言わないんですか! 食事の感想よりも先に、そのことを先に言ってください。降臨祭まであとひと月しかないのですよ、急いでドレスを作らなくてどうするのですか!殿下も殿下です。こういうのは、もっと早く言わなくてはなりません!私は、今からオートクチュールや宝石商に至急手配してきますわ」
おしとやかな彼女が廊下をものすごいスピードで歩いていく姿をあっけにとられて見送ることしかルイシアにはできなかった。
数時間後、この短時間によく許可を下ろすことができて、ついでに呼ぶこともできたなと感心しながら、ルイシアは、いまおとなしく採寸されていた。身体のサイズが事細かに記されていくのに生まれも育ちも基本的に庶民であるルイシアは、若干の気恥ずかしさを覚えながら、おとなしくしていた。塔子は、ドレスに使う生地の見本とルイシアを何度も見比べて、最高に似合うドレスを着せるのだと妙に張り切っていた。
「姫様の瞳の色に合わせると、青い色のドレスかしら? あぁ、でも濃い色よりも淡い色も素敵ですね。銀の髪が生えるドレスも捨てがたいです! 着る人が、美人だと悩みますわ」
「えぇ、ディアナ様には、こちらのグラデーションがあるドレスも素敵ですね。ふわふわとした砂糖菓子みたいなデザインよりも、大人っぽくセクシーな方がいいですね」
「え、でもそれって露出が多いです。姫様の肌をほかの男たちに見せて回るのは、いけませんわ! それならば、清楚なデザインの方が……」
「それでしたら、レース生地などで肌を覆うデザインはそうですか? レースの隙間から見える白い肌! 素敵ですわ」
塔子は、ドレスのデザインについて、マダムやお針子さんたちと熱心に話している。塔子がどこでドレスについての知識をそんなにも蓄えてきたのは謎だった。
「あら、いけない。王太子殿下は、何色の衣装なのかしら? やっぱり合わせたほうがいいわよね」
「そうですね。すっかり失念していましたわ。姫様は、殿下から聞いておられますか?」
「えぇ。黒系の衣装にするといっていましたわ。ですから、白いドレスがいいかなと思いまして……どうでしょう?」
名付けて、魔王様とその生贄の乙女の図だ。髪の色と同じ色の服を身にまとったクロムは、きっとルイシアのイメージ通りの魔王様の隣立つのが、純白のドレスを身にまとった見る者に儚さを与えるルイシア社交バージョンであったら、さぞ愉快な絵になるだろう。そんな考えに塔子は、ルイシアの表情からろくでもないことをたくらんでいると呆れ、マダム達は全く気が付かずその話乗ったとばかりにさらにドレスにそそぐ情熱を燃やした。
「黒と白……いいですね! 純白ではつまらないので、ところどころ淡い水色の生地を入れましょうか。いえ、どれよりもパールシルバーの方がいいかもしれませんわ。胸元には、オーガンジーやパールをちりばめて……」
「夜のドレスを色の薄いものにするのなら昼のドレスは、色の濃いものの方がいいと思いますわ。純白だと、姫様の御髪が目立ちませんから、光の加減でグレーに見えますし、殿下の衣装とも釣り合うでしょう。姫様の瞳と同じ瑠璃色の宝石を身に着けるといいかもしれませんわ」
塔子が、見本の生地の中からイメージに合うものを手早く選び出すと、これでよいかと確認してくる。正直言ってこういうおしゃれにルイシアはあまり興味がないので、楽しそうな塔子に任せることにした。塔子は、センスがいいし、ルイシアの好き嫌いを把握しているから負かしておいても平気だろう。
「前スカートにオーガンジーレースを2段にして重ねて、シフォンジョーゼットの”カーテンのようなドレープにするのもいいですね」
「でも、姫様のスタイルの良さを生かしたスレンダーラインのものも捨てがたいです。いっそのことどちらも作っていただきましょうか!」
「そちらのドレスでしたらこちらの宝石はいかがでしょうか?」
宝石商まで、その会話に混ざってきてもうルイシアには入っていけなかった。ルイシアにできたことといえば、デザインが固まり腕まくりして張り切るマダム率いるお針子軍団を前におとなしくドレスの仮縫いのために体を貸すことくらいであった。
夕方、へとへとになったルイシアと妙にお肌がつやつやな塔子は、デザイン画を手にほこほこ顔のマダム達をようやく見送ることになった。
身体的疲労よりも精神的疲労が、多かったこの日は、食事が終わって、身を清めるとベッドの中にくるまり早々と眠ってしまった。
この日、いつものようにラピスラズリの間に足を運んだクロムウェルが、ベットの中ですやすやと眠っている自分の側室を見て、愕然としたことも、柔らかく広がる銀の髪、寝乱れて服の袖から見えてしまう目に毒なほど白い陶器のような肌に生唾を飲んでしまったことも夢の中で思い出したくない記憶を見ているルイシアは、知らなかった。