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承4 侍女と主のお茶会

 太陽の光がカーテンから、こぼれ出る。ふわりとしたネグリジェを身にまとい、幸せそうな寝息を立てて眠っていたルイシアは、甘い蜂蜜の香りで目を覚ました。ぼんやりとした頭で、ルイシアは自分が今どこにいるのか把握しようとする。指先をそろりと動かすと、なめらかで繊細な布地の感触を感じた。


「う~んっ……」


 夜遅くまで、魔王様に付き合ってショーギをしているせいでルイシアは寝不足であった。早寝早起きが日課だったのに、魔王様がラピスラズリの間に足を毎日運ぶようになったせいで、最近は同じように寝不足なはずの魔王様を送り出してから太陽が高く上るまでベットで横になることが多かった。


「おはようございます、姫様。今日もいいお天気ですね」


 ベッドから身を起こしたルイシアに、ほかほかのパンケーキといい匂いのする紅茶をカップに注いでいた塔子が、挨拶をした。おはようというにはかなり遅い時間であるので、そういわれると気持ちは複雑である。


「おはよう、塔子。今日の紅茶は、イレーン産のヴィード茶ね。紅茶もパンケーキもいい香りで、気持ちのいい目覚めだったわ」


 ルイシアは、塔子の淹れた紅茶をゆっくりと口にするとふんわりと笑うと、黒髪の侍女塔子にも席に着くように促す。ルイシアにとってはかなり遅い朝食であり、塔子にとっての少し早目の昼食をそれぞれゆっくりと食べる。さすがに、ラピスラズリの間という宝玉の名を冠した部屋を与えられただけあって、食事の質も味も素晴らしかった。農家の人が一生懸命作ったものだから、出されたものはおいしくいただく。お腹がいっぱいになったルイシアは、塔子に食後に別のお茶を入れてももらえるか頼む。

 ルイシアは、大事な戦友であり友であり仲間である彼女を侍女のように扱うことを申し訳なく思っていた。しかし、はにかんだ笑みを浮かべて、嬉々として茶葉を選ぶ塔子の姿を眺めると、その気持ちがほんの少しだけ軽くなる。



「ねぇ、トーコ。どうして魔王様は毎夜毎夜わたしのところに足を運ぶのかしら? 初夜は、何とかやり過ごせたと思ったのよ。だから、周りが騒いでいる寵愛は実際にはないわ。だって私、魔王様に体を許していないんですもの……私と魔王様が毎夜やっているのは、ショーギよ。根も葉もないうわさのせいで、どうしてこんなに贈り物が増えたのかしら?」


「まお……殿下は、姫様のことを気に入ったのでは?あ、そういえば! 贈り物の方は、陰湿なものも混ざっている可能性が高いので気を付けるように、年配の侍女が申しておりましたよ」

「あ~、うん。気を付けるわ。後でリストアップしないとね。魔王様が、私のこと気にいるとかまさか! ……ないわよね? だって、嫌われるようにふるまったわよ! 不敬罪にならない程度に! それなのにどうして?」


 ルイシアは、男にとって都合の悪い女は嫌われやすいと昔小耳にはさんだことがあり、それを実行したつもりであった。フロディエンド家との約束は、身代わりとして後宮に上がることであって、寵愛を受けることではなかったのだ。具体的にどのような女が都合が悪いか、わからなかったルイシアは、盗賊の仲間の男たちが焚火の前で「自分より学のある女はちょっとな……」「そうそう、男のプライドってやつがさ」と愚痴を言っていたのを聞いたことがあったので、それを実行してみようと思ったのだ。殿下の優秀さは、ルイシアもフロディエンド公爵に聞かされた。かの王太子殿下が指揮した舞台は皆生きて、家族の下に返ってくるとかで民からの信頼も厚かった。


「やはり、きちんと王太子殿下の趣味を調べておいた方がよかったみたいですね。私、調べてみますね! 頑張りますから、成果に期待していてください!」

「えぇ。お頭がまずは情報戦だって言っていたのを身に染みて思い知ったという感じかしら。トーコ、ごめんね。あなたに、無理言ってショーギで勝てるようにしごいてもらったのに……無駄になっちゃったみたい」

「お気になさらないでください。私は、姫様と有意義な休憩時間を過ごせましたもの。頭脳ゲームがだめでしたら、他の手を考えましょう?」


 すごく気が回り、頑張り屋さんである塔子が、無茶をしないか若干心配だが、盗賊稼業で磨かれた引き際は彼女の身にも沁みついているだろうと判断することにした。

 ルイシアは、塔子の淹れたブレンドティーをゆっくりと口にする。果物が入っているのか、甘い香りが鼻腔をくすぐる。


「トーコ、殿下のコンプレックスって、やっぱり……顔だったみたいよ。私が怖がらないから驚いたって言われたけど、トーコだって怖がってないわよね」

「はい。私たちはあいにく、みんなの顔で見慣れていますしね。人相の悪い男なんてそれほど珍しくありませんよね?」


 みんなとは、もちろん盗賊仲間のことである。たわいもない話をしながらふっとあれからのことを振り返る。フロディエンド家に身を置いた初めの一年はまさに生き地獄であった。言葉づかいは、亡き両親のおかげで何とかなったが、公爵家の令嬢としてふさわしいマナーや礼儀作法、それからダンスのレッスンや詩、刺繍や音楽などの基本的な嗜みを身に着けさせられた。

 それにとどまらず、国内や後宮での勢力図の把握、どの家がフロディエンド家にとってどういう関係なのかをしっかりと理解しそれに見合ったふるまいをするように教えられた。ある程度教養が付いたところで、年齢的にもちょうどよく社交界デビューとなった。初めての社交パーティの会場で、ルイシアは緊張を紛らわすために笑顔の裏でオルフェ伯爵夫人とつけている宝石は、売ったらいくらになるかとか、部屋に飾られている絵は、本物にものすごく似ているけれど実は偽物であるとか考えていた。

 ディアナになるための教育は、時間がないためそれはもう朝から晩までみっしりとした過密なスケジュールであった。それを、一度も倒れずにいられたのは盗賊時代培った基礎体力の賜物だろう。


「そうだ、トーコ。フロディエンドの屋敷からアレ持って来てある?」

「ありますよ。ふふふ、姫様は、本当にわたくしの故郷の文化がお好きなのですね。」

「えぇ。これくらいの副産物を手に入れたって別にいいでしょう? もともとディアナは、病気がちで外にあまり出ない子だったのですもの。他国のボードゲームや楽器のような文化に興味があっても不自然ではないわ。外に出られないからこそ、外にあこがれていたと周りは、勝手に解釈してくれるわ」


 ルイシアの選択によって仲間たちは、あのあと一度捕まったがルイシアが後宮に上がったのと同時に釈放された。そのことは、塔子が見届けている。フロディエンドの屋敷では、ルイシアと塔子が逃げ出したり仲間を逃がさないように絶えず腕の立つ護衛という名前の監視役が付いて回った。後宮に一度入れてしまえば、逃げることは難しい。後宮は、外からの侵入者を防ぐ機能と同時に内側にいる姫君の逃亡を阻止する機能もしっかりと整っているのだ。

 仲間たちは、今頃、きっとゴートン山の根城から姿を消して、別の場所で盗賊稼業に励んでいるのだろう。同じ釜の飯を食べた仲間が、今もこの蒼く無限に広がる空の下、生きているのだ。自己満足だということはわかっていた。時々、仲間のみんながルイシアたちを盗みに来てくれるんじゃないかと淡い期待を抱いてしまう。現実的に考えて不可能なことは明白だ。荷馬車を襲うのと、警備の厳しい王宮のそれも後宮に、忍び入ることなどその道のプロや暗殺者くらいしかできないだろう。


「トーコ、貴女にはいつも……ごめん。あたしが貴女と一緒に居たいという我ままで、巻きこんじゃったわ。ここまで、ついてきてくれてありがとう。これからも、傍で共に戦ってくれる?」


 分厚い扉の向こう側に護衛役の騎士の気配がある。そっと塔子を抱き寄せるようにして耳元で、ここ数年使うことが許されなかった懐かしいゴードン訛の帝国語で感謝と謝罪の言葉を口にする。塔子は、ルイシアの不安な気持ちを感じていた。先行きの見えない身代わりとしての人生。頼れる人も、心を許せる人も塔子以外にいないルイシア。

 塔子は、ずっと前から決めていたのだ。あの鉄さびのひどい手錠と足枷に体の自由を奪われ、心無い言葉によって心を閉ざそうとしていた心に、光をもたらしたルイシアに一生付いていくと決めていたのだ。無機質な番号の羅列から塔子という人間に戻れた日、塔子の心はとっくに、この陽だまりのように暖かな体温の持ち主に盗まれているというのに、盗んだ張本人はそのことを知らないのだ。


「私はずっと、貴女の傍におります。私の姫様。あなたがここに居て不幸になるのなら今度は私が、貴女を僭越ながら盗ませていただきます。でも、貴女は私におとなしく盗まれてくれないのでしょう? わざわざ面倒な取引をしてまでここにいるには理由があるはずです。そろそろ、その理由を私にも聞かせてほしいのです」


 扉の向こうには聞こえない声量にもかかわらず、塔子の言葉がルイシアにはとても大きく感じた。


「シア、私たちは戦友なのでしょう」


 耳元で同じように塔子は、ルイシアに囁いた。ルイシアは久しぶりに、自分の本当の名前の愛称で呼ばれたことが、思ったよりもうれしかったのか、にへらと笑う。王族をたばかったことが知られえれば、死は免れないだろう。塔子は二人きりの時でも、ルイシアの名前はなるべく呼ばないように気を付けていた。ルイシアのことを塔子が姫様と呼ぶのは、ディアナという死者の名で彼女を呼びたくなかったからだ。


「えぇ、トーコ。お茶さめちゃったからまた入れてもらえるかしら?」


 ルイシアはまた公爵家の令嬢にしてラピスラズリの間の主としての猫の皮をかぶり、塔子にそう頼んだ。

 暖炉の炎は、ちらちらと踊る。窓の向こうで、雪が舞い落ちる。春はいまだ遠い。






 その晩もまた、この国の次期国王となる男が、一人の側室のもとに足を運んだ。




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