承1 王太子殿下は、出会う
クロムウェルは、フロディエンド家の令嬢が側室に上がったから、後宮に顔を出すように周りにうるさく言われて、しぶしぶラピスラズリの間に足を運んでいた。もうすでに、彼の後宮の中には、侵略した他国の姫や自国の身分の高い令嬢が押し寄せていた。今の後宮にいるどの女は、どれもみな政略結婚だった。
人質としてアースランド帝国に嫁いだ他国の姫は、クロムウェルの逆鱗に触れないように必死で、たがい愛など芽生えるはずもなかった。自国の令嬢は、次期国王になるクロムウェルの子を宿すということのみを使命として実家から送られてきたものたちばかりで、媚を売るばかりだったし、彼と対面すると人相のせいか顔を引きつらせるものばかりだった。
彼自身のうわさはよくないものの、彼の持つ権力という光に群がる餓のように貴族たちは押し寄せてきた。正直クロムウェルは、こうやって後宮に足を運ぶのにもうんざりしていた。
クロムウェルの側近であるバロックが、扉の向こう側にいる瑠璃の間の側室に自分の到着を知らせる。
「殿下がお渡りになりました」
室内から、若い女の声がかすかに聞こえたあと、内側から扉が開いた。扉の向こう側に立っていたのは、事前資料に合った通りの容貌をした若い女とクロムウェルと似た色の髪の侍女であった。
「そなたは……?」
「はい。ディアナ様付きの侍女、塔子と申します」
「今宵、陛下はこちらで一夜を過ごされる。そなたは我らと下がりなさい」
「仰せのままに」
深く一礼し退出した侍女塔子と入れ替わるように、重たい脚を動かしながら、たどり着いたラピスラズリの間に足を踏み入れた
ディアナという女は、少しうつむき加減にしかし姿勢よく早すぎずしかし遅すぎない速さでクロムウェルの下にやってきた。ドレスの裾を摘まみ上げるとうつむいたまま腰を低く落として跪づく、お手本通りと言ってもいいほど、完璧な礼だった。
さて、彼女はいったいこの後どう出るのだろうか。
つい最近このラピスラズリの間に入ってきた女は、確かフロディエンド公爵家の令嬢だった。腰にまでかかる長い銀の髪は、あの飄々落としているが腹黒い公爵に似たのだろうか。たしか、見目麗しい異国の令嬢と確か婚約して儲けた娘だったか。侯爵の夕焼け色の瞳と違う、瑠璃色の瞳は、その異国の美姫に似たのだろうか。公爵の容姿だけでなく性格まで似ていると厄介だろうな。
後宮に入ってくる女は、大抵クロムウェル自信を見ずに、王太子という肩書だけを見て、こびてくる。たまに、既成事実を作ってしまえとばかりに飲み物に何か怪しげな薬を入れてくる奴もいた。あとは、気のないふりをして誘ってくる奴とか、王弟の息がかかったやつで、いきなり毒のぬられた刃物で襲ってくるものもいた。フロディエンド家の令嬢であるディアナという女は、いったいどういうパターンで来るのだろうか。
「ディアナ・バル・フロディエンドだな?」
「はい。王太子殿下、お初にお目にかかります。フロディエンド家の長女ディアナと申します」
まだ顔を上げていい許可を卸していないから、うつむいたまま返事を返してきた。
「顔を上げろ。それから、ここは玉座の間ではないから、そこまで堅苦しい礼をせずとも良い」
許可を卸してやると、ただまっすぐと目の前にいる自分の夫となる男を見つめてきた。
ラピスラズリの間を与えられたディアナという少女は、クロムウェルの鷹のように鋭い眼光を直に浴びても、物怖じ一つしなかった。
その反応には正直、驚いた。自分に媚を売ってくる他の側室たちは初めて顔を合わせた時、秀麗な顔を歪め、身を固くしていた。女以外であっても同じような反応をされることが多い。機嫌が悪いと、自分の顔に凄味が増すことは知ってはいる。昔、戦場で刻まれた頬の十字の刀傷がどうやら、見る者を委縮させる効果を倍増させているらしい。
夜の闇を思わせる漆黒の髪に、血のように赤い瞳を持つこの国王太子が魔王と呼ばれているのは、他国でも有名らしい。
だから、目の前の少女が、クロムウェルの容姿を怖がる様子を見せないことに、驚いてしまった。怖がるというよりむしろ、ルイシアは、殿下の髪の色が、唯一無二の親友である塔子の髪と同じ色であったし、刀傷を顔に作る男は、盗賊仲間に五万といたので親しみを持っていた。しかし、そんなルイシアの波乱盤所な人生をクロムウェルが知るはずもなく、思わず、心の内でとどめておくはずの言葉がするりと口から出てしまった。
「オマエ、俺を恐れていないのか?」
「畏れては、おりますわ。当たり前ですわよね? 一応、わたくしの夫という立場ではあるもの殿下は、次期国王でありますもの。畏敬するのは、当たり前ですわ」
なぜそんなことを言うのか心底不思議とでもいうように、言葉が詰まることなくすらすらと側室は、返答してきた。
「怖くはないのか?」
この部屋に着けられた宝石と同じ色の瞳のどこにも脅えがなく、むしろ暖かな何かを感じた。このときルイシアは、しつこい物言いに若干イラッと来ていたが、ここ数年で身に着けたお嬢様スマイルで顔に出さないように必死であった。
「はい」
一言端的に告げると、そのいかめしい顔をクロムウェルは崩した。クロムウェルは、どうやら自分の思っていた以上に、自分の容姿の反応に辟易していたらしいことに気が付かされた。
「そうか。それは、安心した。これまで側室に入ったものは、皆、私の容姿を恐れたからな」
その言葉にルイシアが、「あなたのことを回りが恐れるのは、血濡れの魔王殿下という御大層なあだ名と貴方のすさまじい戦果のせいです」と内心突っ込みを入れていたりした。他の兄弟や姉妹は、皆母親になのか、見目麗しく、体を動かす戦ごとよりも詩を読んだり、楽器を演奏したりするのを好んでいた。
もしかしたら、自分はこの少女―――ディアナのことを気に入ったのかもしれない。