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結3 ローネシアの月滴草

 クロムウェルは、貴族の方々に挨拶をしなければいけないので、ルイシアはバルコニーで涼もうと席をはずした。空に浮かぶ銀の満月を見上げながら、女神様を信じていないのに、どうしてあんなことを願ってしまったのだろうとため息を漏らす。魔女であるルイシアが、どれだけ願っても聖なる女神には届かないことなどわかりきっているのに……。

「おひとりですか? よかったら、一緒に飲みませんか?」

 脂肪のたっぷりと乗った贅肉を揺らしながら、ルイシアに近づいてきたのは白髪交じりの中年の男性貴族であった。フロディエンド家で教育された貴族名簿の中に、目の前の男の姿はあった。確か、非友好的な人物として記されていた―――ジュリアストレイ公爵だ。ユイシーク曰く、一番「ディアナ」暗殺を依頼した疑いがある人物だとか。

「ジュリアストレイ公爵様。お久しゅうございます。月見酒ですか? とても素敵なお誘いですわ」

 ルイシアに瓜二つの「ディアナ」という令嬢に、嫉妬を抱いたこともあるけど、少しだけかわいそうに思える。ルイシアが、屋敷に訪れた時に「ディアナ」はもう土の中だった。画家に描かせた絵の中で気弱にほほ笑む姿しか見たことがなかった。

「あ、そこのキミ! カクテルを二つ頼むよ」

「かしこまりました」

 ジュリアストレイ公爵は、通りかかった給仕に飲み物を頼む。すぐに、届くだろう。さらさらと流れる銀髪は、川の流れのように煌めいている。白くきめ細やかな肌を、惜しげもなくさらした姿は、彼が殺すように命じた少女に瓜二つであった。あまりにもそっくりであった。しかし、ディアナ・バル・フロディエンドは、毒殺されているのだ。

「お待たせしました」

 ジュリアストレイ公爵は、給仕が運んできたカクテルを受け取る。ジュリアストレイ公爵は、ワインの場合は匂いを嗅ぐ仕草を自然にしてしまうので、毒が入っていることを鋭い人ならば気が付くのではないかと警戒してシャンパンを選んだ。

「まぁ、とても素敵な色ですわ。今夜のために用意されたのかしら?」

「そのようですな。ふむ、とても飲みやすい。女性にも飲みやすいように改良されておりますなぁ。まぁ、まぁ、一杯」

 ジュリアストレイ公爵から見て、王太子の寵姫となった目の前の少女が、何も疑うそぶりを見せずに、ぐいっとあおったのを見て内心ほくそえんでいた。これで、寵姫の座は娘の者になると信じて疑わなかった。

「これで、気は晴れましたか? ジュリアストレイ公爵さま、貴方は何度私を殺せば気が済むのでしょうか?」

 可愛らしく小首を傾げる少女にこの時初めて畏怖の念を覚えた。ジュリアストレイ公爵には、死者が復讐を果たすために死者の国から舞い戻ってきたかのように思えた。まるで示し合せたかのように、今夜は女神降臨祭の夜。死んだ「ディアナ」が、女神に復讐を願ってそれをかなえたとしてもおかしくはない。今夜は、起こりえないことが起きる摩訶不思議な夜なのだから……。

「なぜ、死なないんだ! そ、そのカクテルには致死性の毒が……」

 酔いが回っているわけではないのに、思ったことが口から出てしまう。ジュリアストレイ公爵の言葉を耳にした周りの者がざわめき、そのざわめきを聞いたものがまたざわめく。流行病のように、広がるざわめきはついにクロムウェルの下にまでたどり着いた。


 ルイシアが、毒を盛られたことを聞き及んだクロムウェルの動きは速かった。近くにいたレナードとゴーシュと共に人混みをかき分けるようにして騒ぎの渦中に足を運ぶ。そこで目にしたのは、艶然と微笑むパートナーの姿と化け物を見るようにシルバーパールのドレスを身にまとう少女を見て華やかな舞踏会には似合わない物騒極まりない言の葉を口にするジュリアストレイ公爵の姿があった。


「何があった」

 手短に聞くと、ルイシアは持っていたグラスをクロムウェルの前に突き出した。クロムウェルは、中身のないそのグラスをいきなり渡されても、何があったのか理解できず、隣にいたレナードにグラスをパスした。パスされたレナードは、グラスに残るかすかな液体とわずかに薫る匂いからこの中にお酒が入っていたことに気が付いた。しかし、目の前の少女は、そんなことを言いたいのではない。グラスの表面をなでるようにして付着した液体を、舌にのせて何の毒が交ぜられていたのか判別しようとしたその瞬間噂の渦中にいる少女がストップをかけた。

「ローネシアの月滴草」

 その草の名前は、有名な毒の名前。わずかに、匂いはするが味はしない。即効性の毒で、軽くあおっただけでもまっすぐ立つことは難しく、3日もしないで死に至る毒薬であった。

「ディアナ嬢、早く解毒しなくては!」

「これくらいなら、大丈夫ですわ。それに、あらかじめ毒の効果を薄められるようにしていましたし、致死性の毒に対応できるように苦い薬を飲んでおきましたの。それに、盛られた毒の種類が特定できた時点で、トーコに部屋に用意しておいた解毒剤をとりに行かせましたわ」

 クロムウェルは、ローネシアの月滴草のような危険なものが、王宮に持ち込まれ、さらに王太子の側室に盛られたことを知り、慌てふためく心を必死に宥める。他の側室ならば、少しは哀しむだけだが、目の前の少女を失うことに比べればその悲しみとは、きっと朝露の一滴と海につながる大河のような歴然とした差があるだろう。

「すみません。通していただけませんか? 主人に緊急の用がありますの」

 人混みをかき分けるようにして、やってきたのは黒髪の侍女であった。

「姫様、言われたとおりに解毒薬をお持ちしました」

「ありがとう。ちょっと、きつかったのよね。量を入れすぎなのよ。まったく、素人なら素直に用法容量を守って使いなさいよ」

 グイッと豪快に、暗緑色の苦そうな液体を飲み乾すと、レナードの方をまっすぐ見ている。その額に、うっすらと汗がにじんでいる。ちょっときつかった―――そんなのウソだ。本当は、立っているのもやっとだったのではないだろうか。今の言葉を聞くまで、彼女があまりにもまっすぐと立っているので、毒の効果が完全にないものだと勘違いしてしまっていた。そんなはずはないのに……。

「ねぇ、文官さん。あなた、腕っぷしに自信があるかしら? ないのなら、夜会の後夜祭には出ない方がいいわよ」

「レナードです。こう見えて私は、結構強いのですよ。この男―――ゴーシュもかなり腕が立ちますから、安心してください。それで、何が始まるのです? もう十分に、祭りになっている気がしますが?」

「これは、前夜祭みたいなものですわ。本命は、お兄様ですわ」

「はっ? ユイシークがなんだって?」

 ゴーシュが聞きなれた人命が出てきて、驚いて今まで聞き役に徹していた会話に、入り込んできた。クロムウェルは、愛する女性が目を離した隙に毒殺されそうになっていたことに全身鳥肌が立つと同時に、身を焦がすような激しい怒りを感じた。今この場で、ジュリアストレイ公爵の首を飛ばしてしまおうか。目の前に、彼女がいなかったら間違いなくそうしていたのだが、怖い思いをさせたくないという気持ちが怒りよりも勝り、にらみつけて拘束するにとどめた。

「とりあえず場所を変えるぞ」

「了解!」

「まぁ、その方が妥当ですね」

「異議なし」

 宝石箱のような外見と黒いよどみのような策略が巡る夜会を後にして、見通しの良い中庭に腰を下ろす。なぜだか、ルイシアの傍から離れようとしないクロムウェルを無理やり引きはがしてレナードという男性に引き渡すと、塔子と一緒に茂みの中に隠れてもらえるように頼んだ。

「後夜祭を始めるには、私が一人になる必要があるのですわ。クロム様、今度は助けていただけますか?」

 口先だけの頼み事半分に本心からの頼みが半分。前もって毒の効果が薄まるように毒消しを飲んでおいたし、毒をあおった後に解毒剤を服用した。もとから、ある程度は毒に対して耐性のある体であったが、あの量は少しやばかったのだ。いまも、まっすぐ歩けているか不安だった。

「あぁ、約束しよう」

 心のこもったその一言さえあれば、ルイシアはきっとこの夜を戦い抜ける。彼の心配げな赤い瞳に、叶うことなら「私を見つけてほしい」と願いを込めて見つめ返してみるけど、言葉にできないこの願いは届くことはないのだから。




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