起1 崩れ去る日常
盗賊生活を始めて早二年。あの日も、ルイシアたちはいつもと同じようにお頭によって立てられた綿密な計画の下、盗賊家業に励んでいた。今回のターゲットは、民に重たい税を課し、自分の贅を尽くすために使っていた辺境の男爵グラハメール卿の乗車する馬車であった。耳のいいルイシアは、襲撃のポイントであるこの場所に目的の馬車が近づいてくるのに気がついた。
「すぅー、はぁー……」
緊張して体が動かなかったら、こっちが逆に搾取されてしまう。適度な緊張を維持しなければならない。場所を変え、時間を変え何度もやってきたことにもかかわらず、緊張してしまう。
「トーコも、緊張してる?」
「あ、シアちゃん。うん、心臓がバクバクしてる。みんなの足引っ張ったらどうしようって、すごく不安になるの」
塔子は、この大陸では珍しい夜色の長いおさげ髪を、くるくるともてあそびながら心底不安そうにつぶやいた。
「大丈夫、トーコが失敗したら、あたしがフォローしてあげる。だって、トーコは、あたしの大事な戦友だもん」
親友ではなく、戦友。少女たちの関係を表すにはいささか物騒だが、これほど二人に合う関係性は存在しないとルイシアはひそかに思っていた。ルイシアと塔子が、出会った場所が奴隷を管理する場所であったことも、この表現に拍車をかける。
「そろそろだね」
塔子が、目配せとともにそういったのとほぼ同時に、ミシェル御頭からの合図である角笛が轟いた。
「うん。よし、一丁、稼ぎますか!」
ルイシアは、塔子を元気付けるように背中をたたき笑うと馬車に向かって走り出した。
「し、襲撃ぃ!」
護衛の一人が、ルイシアたち山賊の姿を目視すると仲間や雇い武士にそれを伝えるために声を張り上げた。ルイシアは、走りながら一人の盗賊の眉間に狙いを定めて唐辛子を混ぜて作った粉末入りの小瓶を炸裂させた。
ルイシアは、視覚を不意打ちで潰せた傭兵たちをほかの仲間に任せて、潰せなかったもの達の眼前に姿をさらす。襲撃者が、年端もいかぬ小娘であったことと、平民には珍しい色彩の髪と瞳に一瞬だけ、むさ苦しい男たちの思考が奪われる。その一瞬の隙という名のチャンスを故意に作り出したルイシアは、男たちに無防備な背中を向けながら山道へ走った。男たちは慌てて我に返り、襲撃者であるルイシアを追うために、わなの仕掛けられた木々の群れの中に足を踏み入れる。
「おい、待て!」
「待てって言って待つ盗賊は、いるかしら?」
ルイシアは、山の斜面を慣れた様子で駆け上がると、事前に用意しておいた丸太の山の固定を解いた。「いけぇ!」っとルイシアは、軽く掛け声をあげて丸太を勢いよく蹴り飛ばした。丸太は斜面の下にいる男たちに向かって勢いよく転げ落ちる。泡を食って逃げる男達は、ルイシアの予想通り脇道へ勢いよく飛び込んだ。それこそが、真の罠だということに気が付かなかった男たちは、第二の罠である落とし穴に落ちていったり、反対側にセットされた網の罠に捕まった。しばらくは抜け出せないだろうことを確認したルイシアは、大声で罵る声を気にも止めなかった。そろそろ鳴り渡るはずの撤退の笛の音が聞こえないことを疑問に思いながら、ルイシアは下にいる仲間の元に足を進めた。
山を下りたら仲間たちが戦利品を手に取って、お頭の合図を待っているかと思っていた。それがいつもお風景。しかしこの日は、違った。ルイシアの眼前に広がるのは傭兵たちが縄に縛られている姿ではなく、仲間の盗賊たちが縄に縛られて身動きを封じられている姿だった。
「な……なんなの。何が起こっているの」
ルイシアは、深い海の青色の軍服の集団に気が付くと森の中に身をひそめ気配をできるだけ殺した。そう、ルイシア達が、気が付かなかっただけでこの馬車の護衛として騎士団が距離を置いて護衛についていたのだ。実は、とある王族が内密に他国からルーベラの雫という商品を王都へ輸送するために男爵の馬車を借りていたのだ。王都では最近裕福な貴族の馬車がゴートン山付近で襲撃される被害が相次いでいたことがひそかに噂になっていたため傭兵の護衛の背後に騎士たちを保険として同行してもらっていたのだ。
身なりのいい青年たちに、荷台の商品を盗む実行犯組の全員が捕縛されているようであった。その中に、唯一無二の親友の姿を見つけルイシアは、青ざめた。捕縛されている塔子に、目立った傷がないことを確認すると少しだけ安心する。どうやら、抵抗らしき抵抗ができないまま縄に縛り付けられることになったらしい。どうしたら仲間を助けることができるのだろうか。そもそもいったいどうしてこのような事態に陥っているのか。わからないことが多すぎる中、ルイシアが始めにしたことは青年たちの身元を推測する手がかりを見つけることだった。よく見てみるとその青年たちは皆、ハウリエット帝国の紋である三頭の黒狼の刺繍を背負っていた。ルイシアは、思わず瞬きを繰り返してしまった。目の異常でもなんでもなくうここにその紋を背負う青年たちは、確かにそこに存在していて塔子たちの命をその手に握っていた。
「他に仲間はいるのか? 面倒だがこの際ここらの盗賊をつぶしておいた方が国のためだろうしな。さぁ、吐け」
「ここにいるので全部だ」
金髪の青年は、隣にいる上司に見える銀髪の青年の顔色をうかがいながら不機嫌そうにお頭に詰問していた。お頭は、あの強い意志に裏打ちされた響きをもつ声できっぱりと答えた。お頭のことだから、まだルイシアが戻っていないことも仲間の数人が戻っていないことも把握していただろう。
「お前、嘘をついているな。まだ、本当はいるのだろう? その証拠に雇われていた他の傭兵の姿がまだ見えない」
「それはっ」
言葉に詰まるお頭の様子に、まだ仲間がいると確信を持ったのか、手短に他の騎士たちに金髪の青年は指示を出すと、ゆったりともったいつけるようにして仲間の前を歩く。塔子の前でその歩みを止めると、腰に下げていた鈍い光を放つ剣を塔子の首元に突きつけた。冷静に考えれば、厳しい試験を勝ち残った帝国騎士の集団に、たかが女盗賊の小娘がかなうはずはないことなどすぐにわかるはずだ。しかし、大切な友に剣が突きつけられた様子を見た瞬間、頭の中で考えていたものがすべて吹き飛んでしまったのだ。
「トーコに何するんだ!」
空気を切り裂くように声を荒上げ、短剣を塔子を傷つけようとした男に向かって投擲するのと同時に、屈強そうな青年たちの前に飛び出した。
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