黒王の妃<キサキ>
シャリエは王家の娘だった。
ここではない・・・陽が満ちて豊かで輝く国、リュミエールの姫。
年老いた優しい父と、大好きな兄
白と緑のコントラストが美しい街並みは飽きることがなく、
平和で安心して暮らせるリュミエールの国民の笑顔がシャリエは大好きだった。
そして民もまた、分け隔てなく接するシャリエを愛していた。
シャリエの穏やかで優しい人柄
何より、その笑顔は美しく愛されていた。
緑豊かな地を敬愛し、澄んだ空を愛し、鳥の声を愛でる
リュミエール・・・それは穢されることのない国
しかし、シャリエが18の誕生日を迎える日
ソレはやってきた。
雨は恵の雫だ。
雨が降らなければ作物は育たない。
潤いを保つために必要不可欠なものだ。
その喜ばしいはずの雨が
その日に限って何か濁りきった不快なものにシャリエは思えた。
今日は自分の誕生日なのに不安を隠せなかったのだ。
-雨と共にやってきた雷雨
-その音に紛れた轟く蹄の音
-どこか張り詰めているような空気
それに気づいたときには
厳つい甲冑を纏った兵士たちが城内に押し寄せ
ほんの一瞬・・・
それはほんの一瞬で、全てが終わった。
濁りきった目をした兵士たちに
王である父、そして兄は成すすべなく捕らわれ
城下の民はまるで獣のごとく服を剥かれ跪かされ、食料装飾全てを奪われ檻に閉じ込められた。
無事だったのはシャリエ、ただ一人。
「お父様!兄様!!」
捕らわれている父と兄は
目が届く距離にいるというのにその距離は酷く遠く感じた。
シャリエは縛られることもなく自由な身ではあったが
その周囲はぐるりと弧を描くように剣を持った兵士が囲んでいたからだ。
一歩動けばその刃に貫かれそうで動くことができなかった。
そして鉄錆びの嫌な臭いがして、シャリエは顔を顰めた。
「お前が、姫か?」
兵士を押し分けて現れた男の姿にシャリエは言葉を失った。
いや、かすかに吐息のような声がかすれて出ただけ。
まるで心臓が抉られるような気がして、息が止まった。
カツン、と踵を鳴らしてシャリエの目先に現れた男。
纏う衣は重く光沢のない黒
黒い鞘に収められた剣もまた黒
そして髪も深淵のような漆黒
しかし、その瞳はまるで血のような<赤>
「・・・黒王<コクオウ>」
シャリエの小さな口から出た名に
黒王と呼ばれた男は満足そうにその赤い瞳を細めて笑う。
その笑みに背筋がぞくりと粟立った。
・・・怖い
笑っているけど、笑っていない。
それにあの赤い瞳は深く濃く、まるで澱んだ血のような色で
端正な顔は生気なくその中で赤い瞳が灼々としていた。
シャリエははじめてみたソレにビクリと肩を震わせた。
その恐怖心が黒王にわかったのだろう
体を傾けシャリエの形良い耳元に唇を寄せて小さく笑うように、囁いた。
「我と来い」
「・・・嫌、私を殺して」
考える間もなくするりと口から出た言葉に迷いはなかった。
黒王の下へ行くくらいなら死んだほうがましだ。
命を粗末にするなという言葉もあるが
この男の前にはそんな言葉ほど無意味なものはないことをシャリエは知っていた。
男は黒王<コクオウ>
獰猛な黒王軍を率いては国を襲う。
しかしそれに意味はない気ままなのだ。
・・・殺せれば誰でも何でもいい
そして殺すことに躊躇はなく
残忍で残酷に命果てる姿を愛でる
そんな男だという噂はこの小さなリュミエールでも聞いていた。
そんな男に己が身を穢されるくらいなら死んだほうが良い。
しかし、そんなシャリエに黒王は嘲う。
「お前を殺しはしない」
「・・・え」
その時の黒王の微笑
男の言葉はシャリエを簡単に闇に堕とした。
「その代わり、王とお前の兄そして民を殺す」
体が強張った。
それを尻目に黒王は歌うように言葉を続けた。
「そうだな、お前の父兄共は生きたまま肌を剥ぎ、
手足の指から順に鼻耳唇を時間をかけて削ぎ落とそう。
目を抉るのは最後だ・・・互いに苦しむ姿を見せ付けあうのは楽しいからな。
痛みと苦しみで悶え死んだ後は首を切り落とし体は犬に食わせてやる。
首は酒に漬けお前にくれてやってもいい。良いワインになるだろう。
お前が愛する民はその家全て燃やし身に纏うものは全て奪い取り
男は全て殺し子供は家畜に食わせ女は奴隷にし我が国に連れて行こう。
まあ連れて帰ったところで兵に陵虐され自ら命を落とす羽目になるだろうけど・・・
だけどお前だけは生かしてやるよ・・・シャリエ」
「な、なんて・・・」
なんて残酷なことを!そう叫びたかった・・・だけど出来なかった。
この男に残酷なんて言葉は無意味だからだ。
シャリエが愛するものを全て奪い殺しその中で生きろと言う男が理解できない。
ただひとつ真実なのは、男は--黒王は本気だ。
「けれどお前が俺の下に来るのならば
父や兄、民、お前の愛するものは傷つけさせないと約束しよう」
顔から血の気が失せ
力が抜けていく身体が揺れ
恐怖に神経が身体が震えた。
本気なのだ男は。
シャリエが断ればすぐに実行に移すだろう。
その証拠として目が届く距離に父と兄がいる。
身体を拘束され、その背後に剣を構えた兵士が黒王の指示を待っているのだ。
「あ・・・あぁ」
父と兄を見た。
口は塞がれ目には布が巻かれていて表情は読めないが
年老いた父は辛そうに項垂れ
黒王の言葉が聞こえていただろう兄は潜った声で唸っていた。
その唸りが黒王に対する罵倒ではないことにシャリエは気づいていた
兄はずっと自分の名を呼び続けていた。
それを最後にシャリエの視界が黒になる。
黒王に包まれたのだ、その黒い衣に。
硬い指がシャリエの柔らかに波打つ髪を撫で上げた。
衣から漂う血生臭さと指の嫌悪から吐き気がこみ上げるのを堪えた。
だがシャリエの空色の瞳から零れる涙だけは堪えきれず落ちていく。
黒王の指がその涙を追い頬を伝う。
その感触が嫌で嫌で堪らなかったがシャリエは振り払えなかった。
それを答えとして受け取った黒王は笑った。
「シャリエ・アン・リュミエール・・・お前は今から俺の妃、僕だ」
言い切ると共にシャリエの唇に黒王は口付けた。
否、噛み付いた。
シャリエの唇から血が零れ細い弧を描くのを黒王の舌が舐めあげる
その感触に背筋が凍る。涙がこぼれる。
これはまるで<契約>だ。
愛するものを守る生贄になるための・・・
「本来なら生かすなんて温い事したくないんだが
今日はシャリエの誕生日だからな・・・特別だ」
「・・・」
「愛してる、我が妃」
その言葉に温かみなど一切なかった。
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降りしきる雨。
冷たい窓ガラスに縋りつけば
涙が一滴頬を伝って、闇に堕ちた。
窓に映るシャリエは声を押し殺して、泣いていた。
まるで自分の心のように、雨は降り続けていた。




