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シャドープライス ―― 飼料配合士、異世界の飢えを計算する  作者: もしものべりすと


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第六章 子爵領の招き

噂は牛の歩みより速く 地平線を越えた。


ハクの村の家畜が立ち直り始めたという話は 谷を伝って一週間で隣村に届き 二週間で郡庁所在地のサヴェル町に届いた。三週間目の朝 サヴェル町を治めるダルメッシュ子爵から 馬車一台と護衛二人がハクの村に到着した。


馬車の中には 子爵家の家令と名乗る痩せた男がいた。家令は稔の前で深く一礼してから「畜産局の代理として 賢者殿を町まで御送りしたい」と告げた。


賢者という言葉に 稔は反応しなかった。リーゼルが小さく息を呑んだ。家令が稔を「賢者」と呼んだということは つまり 教会の使者の耳が届く範囲で 稔の存在は既に公式の話題になっているということだった。


「行きます」


稔は短く答えた。リーゼルが袖口を撫でていた。それから 顔を上げて言った。


「私も 同行します」


家令は一瞬眉を上げたが 異議は唱えなかった。リーゼルは聖獣使いだった。彼女が同行すれば 家畜の現場へ稔を案内する者として筋が通った。


馬車に乗り込む前 リーゼルの祖父が稔の前に立った。老人は杖を地面に立て その手の甲を稔の手の甲に軽く触れさせた。


「あんたは 数字の人だ」


老人が言った。


「数字は あんたを裏切らない。だが この国の人間は あんたを裏切ることがある。覚えておけ」


稔は うなずいた。それ以上の言葉はなかった。


馬車は丘を二つ越え 半日で農地のひろがる平野に出た。麦は痩せ 牧場の馬と牛も似たような栄養失調を抱えていた。稔は馬車の窓から景色を見ながら 数字の感覚で土地の生産性を測っていた。土地そのものは悪くなかった。だが 飼料設計の知識が一斉に消えた跡が 風景の中に一面に広がっていた。


「家畜痩せ病は いつから始まったんですか」


稔は家令に訊いた。


「十二年前です」


「原因は」


「公式には 神の罰とされています」


「公式ではない側の言い方は」


家令は少し躊躇った。それから 馬車の外の景色に視線を逃しながら 答えた。


「賢者殿は 異邦の方ですから 申し上げます。十二年前 王立の畜産学院が解散しました。学院長と教師の大半が異端審問にかけられ 失われました。彼らの蔵書も 多くが」


「燃やされた」


「ええ」


稔は手帳を握り直した。


「誰の指示で」


家令は答えなかった。代わりに 馬車の屋根を一度見上げた。屋根の向こうに 神の住む空がある という仕草だった。教会の最高位の人物を口に出すのを 家令は避けた。


馬車はしばらく無言で進んだ。窓の外で 麦畑の一角が刈り取られずに残されていた。稈の途中で枯れた穂がそのまま残り 鳥に啄まれる以外は ただ風に揺れていた。家令の視線がそこに止まった。


「あの一角は 収穫を諦めた畑です」


「収穫を」


「家畜を養えなければ 麦を多く採っても粉に挽く動力がありません。麦は牛と馬と人の力で踏んで脱穀します。牛馬の数が減れば 麦は採っても無駄になる。だから あらかじめ 収穫を諦める畑が増えています」


「悪循環ですね」


「ええ」


家令は肩をすぼめた。


「私たちは何年も この悪循環を見てきました。誰も解き方を知らなかった。神に祈れと言われ続けてきましたが 神は答えませんでした」


「神が答えなかったのではなく」


稔は静かに言った。


「神に問う問いが 違っていたのかも知れません」


家令は稔の方を見た。彼の目には 微かな光のようなものがあった。


「賢者殿。私は教会の徒ではありますが 子どもの頃 父が農夫でした。父は雨乞いより 牛糞を畑に撒く方を信じていた人でした。賢者殿の話し方は 父の話し方に似ています」


「ええ」


「父は四年前に亡くなりました。最後まで 痩せた牛を一頭 守り抜きました。神罰だ という近所の声に 一度も同意しませんでした」


「立派な方ですね」


「私の中の一番上等な部分は 父から受け継ぎました。教会で出世していく中で 私はその部分を 半分閉じて生きてきました。賢者殿に出会って その閉じていた部分が 少しだけ開きました」


家令はそれだけ言って 窓の外に視線を戻した。


サヴェル町に着いたのは夕方だった。町の外壁の中に入ると 石畳の道が続き 商店の看板が並んでいた。家畜の市場が町の中央にあり 痩せた牛や羊が 雨ざらしの柵の中で頭を垂れていた。市場の隅で 一頭の馬が膝を折ったまま動かなかった。


子爵の屋敷は丘の上にあった。石造りの三階建てで 庭には水のない噴水と 葉を半分落とした林檎の木があった。屋敷の玄関で 子爵自身が稔を迎えた。


「ダルメッシュ・サヴェル子爵だ」


子爵は四十代の終わりほどに見える男だった。痩せていたが 痩せ方は健康ではなかった。頬骨が浮き 目の下に隈があった。


「賢者殿 私の領内の家畜を 救ってほしい」


子爵は前置きもなく そう言った。


稔は短い礼をしてから 答えた。


「私は賢者ではありません。配合屋です。家畜の餌のレシピを書く仕事をしていました」


「呼び方はどうあれ 結果が出れば良い。報酬は十分に払う」


子爵は廊下を歩きながら 稔とリーゼルを書斎へ案内した。


書斎の壁には 古い羊皮紙の地図がいくつも掛かっていた。家畜の頭数 飼料原料の備蓄量 領内の牧草地の面積。さらに 子爵領の財政の現状を示した一覧表。稔は一目で 領内全体の家畜の生産効率が 維持要求量の七割を切っていることが分かった。このままでは あと二冬で 領内の畜産は崩壊する。


「材料を見せてください」


稔は言った。


「いま すべてここに」


子爵は壁の一角に張り出された羊皮紙を指した。原料一覧。各原料の在庫トン数 価格 産地。


稔は手帳を開き 鉛筆で計算を始めた。LPソフトはなかった。だが二十年の経験があった。経験は時にソフトより速かった。


「主原料は 大麦と裸麦 と豆ですね。蛋白源は」


「魚はあります。海から塩漬けが届く」


「塩漬けは塩を多く含むから 配合には限度があります。動物性で他には」


「羽根の屑なら 肉禽の解体場で出る」


「羽根」


稔の鉛筆が止まった。


家禽の羽根は加水分解すれば良質の蛋白源になる。元の世界ではフェザーミールと呼ばれた。だが ここで加水分解の機械を期待するのは無理だった。代替手段を考える必要があった。


子爵が稔の沈黙を不安そうに見ていた。


稔は鉛筆を動かし始めた。


「ご領内に 蒸気を強く出せる 大きな釜はありますか」

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