夏美と彰の話1 (2)
彼は私と同じ大学生だそうだ。この日は祖父の月命日で墓参りに来たついでに、スカイツリーの展望台に昇ってみたと町をみおろす。
「先程は『プライベートなので』と言ってしまいましたけれど、私はまだ駆け出しでそんな、何か特別な芸能人ってわけではないですから」
と夏美は、自分の恥ずかしさを改めて感じて、思わず白状した。
「いやいや、そう言われても結構有名じゃないですか。こうして有名な方と話すのは初めてなので、やっぱり緊張します」
せっかくなので二人で回ってみますか、ということになった。
夏美は下町に来る機会がほとんどなかった。撮影で各地を訪れるものの、下町のこの辺りで撮影したことはなかった。
地理に詳しくないため、本居さんに案内してもらえると効率的に回れそうで助かった。
展望室を歩いていると、写真スポットがあり、顔出しのパネルや「スカイツリーに来ました!」とマスコットのイラストと共に写真を撮れるスペースが用意されていた。
女友達と来ていれば一緒に写真を撮ったかなと夏美は思ったが、今日はそのまま通り過ぎた。(第一に、身バレするとさすがに事務所に怒られる・・・)
早々にエレベーターが空いているときを狙って展望室から降りた。
スカイツリーのふもとの小さな川に出ると、それほど観光客もおらず安心できた。「どこから回る予定でしたか?」と本居さんが聞く。
下町をいくつか回りたかった。けれど、どのルートで行けば良いか分からないので、とりあえず祖母から聞き出した場所を、祖母の成長の時系列で回ってみると告げた。そうなるとまずは本所だ。
昔の本所は今でいう墨田区だが、祖母は今の住所での本所あたりで生まれ、三つの頃に森下へ引っ越したと言っていた。あまりに小さな頃だったため、本所のどこに住んでいたか具体的な住所はわからないけれど、まずは近くまで行ってみたかった。
本所のどこを辿るか、決め手はなかった。ただ私は下町の雰囲気が分かればよかった。祖母の過ごした場所の空気感を知りたかった。
「本所ですか。そうなるとちょっと離れていますよ。バスで移動するのが良いでしょうけど、どうします?歩ける距離なので、町を見たければ歩くのも良いですし。ただこの暑さですからねぇ」
と本居さんが提案してくれた。
それで私たちは徒歩で町並みを見ながら、本所まで行くことにした。
*** 落丁か書きかけ?途中の描写はなく、既に本所に着いているところから話は続く ***
あたりはすっかり景色が変わっているのか、新しいマンションが建ち並び、当時の面影はどこにも残っていない。
(私は元々の景色を知らないから、そのようにしか語れない)
いくつか当時を忍ばせるものもあった。本居さんが少しこのあたりに詳しいと、私を慰霊碑まで案内してくれた。
それは電信社の敷地で、当時の空襲の被害者を弔うために慰霊碑を立てたそうだ。大きなバス通りに面して、そこはひっそりと佇んでいた。
私たちは手を合わせた。日にどのぐらいの人がそうしているか、こうして思いを馳せることが、過去や未来に対しての弔いになる。そう、未来に対しても。
本来あったはずの命、そして本来あったはずの未来。それが失われたことによって別の出会いが生まれて、別の命も生まれた。そういった全てのものに対しての弔い。
本居さんが言う。
「この辺りは被害が大きかったものですから、こういった慰霊碑が細かく色々なところに散在しています。でも近くに住んでいても、全てを把握している人はいないんじゃないでしょうか」
それから私たちは蔵前橋通りを西に向かった。
*** 再び落丁?蔵前橋通りであればその後両国に出るはずだが、両国を飛び越えて、話はいきなり森下へ移る ***
神社に着く頃にはすっかり夕方になっていた。正面の石柱には波除白山神社と書かれていた。
「足は疲れていませんか?大丈夫ですか?」と本居さんが気にかけてくれる。
私は大丈夫ですよ、と答える。
それより本居さんこそ無理されていませんか、ここまで付き合っていただいて助かります、と感謝を伝えた。
本居さんは手をヒラヒラさせながら答えた。
祖母は八歳になるまで森下に住んでいた。そこで空襲に遭い、四歳の妹と、一つになったばかりの弟を連れて逃げた。
ここからほど近い橋を抜け、日本橋方面へ。空襲から一夜明けてから、森下方面に戻ってみたものの両親を見つけることは出来ず、仕方なく記憶を頼りに親戚を訪ねて大森蒲田方面に向かったらしい。
小さな体で一日かけて、道を尋ねながらなんとか向かったそうだ。
森下のどのあたりに住んでいたかは、やはりあまり覚えていない様で、ただ唯一しっかりと記憶しているのがこの神社だった。
幼い頃にこの神社の蔵の前で遊んでいたそうだ。だから、ここに来れば祖母の幼い頃に間違いなく近づくことが出来る。
お参りをしてから周りを見渡すと、とても古そうな蔵があることに気づいた。
近づいてみると、歴史的な古いお屋敷で見かける作りの蔵があった。本居さんが蔵の周りをのぞき込む。
「この神社はほとんど来たことがないです。確かにこの蔵、これは古い建物があるなと思っていましたが、まさか戦争当時のものがそのまま残っていたなんて、考えてもみませんでした」
静かな時間が過ぎていく。
私はなんとなくその前に立ち、対面し、祖母の生きた時代を想像しようとする。
神社だからか、何か超自然的な力で、私に祖母の記憶を託してくれはしないか、そんな期待混じりだった。
戦火に襲われたあの未明、祖母が言うには姉弟をつれて近くの橋に逃げたそうだ。
ここから一番近い橋に新大橋というのがあるので、おそらくそこから逃げたのだろう。
本居さんに確認してみると、
「新大橋ですか?確かにあそこは明治時代から頑丈な橋が架かっていたそうです。今は新しく作り直されたものが架かっています。新大橋がどうだったかは、ちょっと詳しくは知らないですけれど、他の橋では家財道具を持った人達で動くことも出来なかったそうです。火の粉で燃え上がり、燃える人が欄干にもたれかかっていたと聞きます」と教えてくれた。
私はその夜の情景から、この隅田川に架かる何本かの橋のどこを選んだか、いや、選ぶことさえままならなかったはずだが、それにより運命がすっかり変わってしまったのかと、気持ちが落ち込んだ。
ここの橋なら生きた命も、隣の橋では失われたとしたら。
その違いは何?
運によってあっけなく命の行方が変わる。
ただ、その原因が戦争であるのだから、本来避けることが出来たはずだ。
運に頼らなくても生きられたはずだ。
新大橋に着いて私たちは中央付近まで緩やかな勾配を登っていった。
そこから見渡すと新大橋は割と川幅が広いことに気づく。
隅田川は上流に行くにつれ、急に川幅が狭まる。それにつれて橋の長さもずいぶんと短くなる。
「上流の橋はもっと短いのに、たったあれだけの距離を渡れずに亡くなった方が沢山いるのですね」
「そうらしいです。今となっては想像しがたいですが」
私は悔しくなった。
祖母はこの、私が今立っている橋を必死に渡った。
小さな体で姉弟の手を引き、それはそれは必死に渡った。
私は両腕を広げて、たったこれだけの距離ですよ、と叫んだ。
「たったこれだけですよ、たったこれだけの川幅なのに、渡れずに行き詰まって亡くなった方がいるなんて、なんなんでしょう。そんな不条理な事ってあります?」
本居さんは新大橋の下を行き来するごみ運搬船を見つめながらため息交じりに教えてくれた。
「川にも、おびただしい数の遺体が浮かんでいたそうです」
夏美にはその残虐な光景が目に映り込んだ気がした。
目を強く瞑り、頭を激しく振って光景を振り落とそうとした。次に目を開けたときは、いつも通りの日常があった。
*** (このあと二人は連絡先を交換して帰路につく)と、書かれている ***




