里奈の手記 (3)
芸能界はとかくいわれがちですが、私の小説同様、子役の頃から周りは温かい方ばかりでした。
確かに私はあまりに恵まれております。同じように努力をしても運が巡って来なければ、才能が埋もれたままという方々もいらっしゃいます。それは土が合わなければいつまでも開花しない花のように。
妬まれることも正直あります。でもそれ以上に、事務所の関係者の方、現場のスタッフの方、共演者の方、皆さんが優しく接してくださいました。
私の調子が悪い様子を察して、気を遣わせてしまうことも増えました。食事に誘って頂いたり、撮影を調整して頂くこともありました。
私にとってはこれほどありがたい事はないと思う反面、皆さんの才能を蝕んでしまう存在になっているとも感じ始めました。
いよいよ持って幻覚がひどくなってきた頃、どうも体が不自然になり始めました。
体は起こせますし、歩くことも出来ます。でも握りこぶしを作っても力が入らず、何かに触れても感触が伝わらなくなり始めました。
それは命に関わるものではないとわかります。何かそれを越えたものでした。
沢山の記憶の遺物に触れ続けたことがそうさせるのか、理論的な説明は付きませんが、現実として私の身に起き始めました。それまでのひどい幻覚の延長線で、起こりえることだとだけ納得できました。
俳優の宿命なのでしょうか。いくら華々しい瞬間があって、人々はその美しく着飾った花をこぞって欲しても、花は花です。樹木と違い早々に枯れてしまいます。そして忘れます。
私は一足先に忘れられる運命のようです。あまりに過去に囚われすぎたようです。こうして体の一部が霞のようになるのを見ていると、私の場合は文字通り消えて、昇華するようです。
ただ、黙ってそのまま受け入れるわけにはいきません。
これまでの事を誰かに伝え、引き継ぎたい。私の想いをせめてもの形でも残したい。私の見た物を改めて確認して欲しい。
そのために細かく訪れた場所を記載する時間も力もありません。だから、途中まで書いたこの小説を残します。
そして私は小湊さんにお願いして、ケヤキそっくりの小物入れを作って頂きました。
この手記を目にしているなら、小物入れに物置の鍵を入れて、武蔵丸子の戦災樹木に隠したことを既に知っているでしょう。
祖母が頼った親戚の近くにある神社です。その場所もまた、祖母が住んでいる間に空襲に遭いました。このように手の込んだことをするのには訳があります。
結局の所私は臆病なのです。
だから、私の気持ちを引き継いで、多くの人に知ってもらいたいという反面、誰にも知られたくない自分もいます。だから、ただ運命に任せて、知られないままでも良いとも思っています。
戦災体験をした物体が私とあちらの世界を繋ぐと分かってきましたから、私は戦災樹木に託すことにしました。
これから私はこの手記を書き終えた後、祖母の家の物置にしまいます。それから戦災樹木に小物入れを置きに行きます。
私はその後消えてしまうことでしょう。その先がどうなるかは全くもって解りません。
不安です、とても不安です。出来ればあなたや姉に相談したかったと、今になって後悔しております。
一方で巻き込まなくて良かったとも安心しております。でも小説を託すわけですから、結局は巻き込んでしまいます。それもまた私が謝らなければならないことです。
姉との想い出は沢山あります。物置に手記をしまうのも、彼女に見つけて欲しいからです。
姉は良き理解者であり、親友でもあります。私たちは両親を失いましたから、二人で支え合って生きてきました。
私の活躍は姉の喜びであり、姉の活躍は私の喜びです。祖母の家で三人で料理を作り、食事をして、あれ以上に楽しく幸せな時間がどこにあるのでしょうか。
こうした日常に感謝をして、いつまでも続いていくことを願って止みません。でも私には無理なようです。
姉は快活で行動力があり、私にとっては憧れの存在です。彼女のようになれたら世界が広がるだろうなと何度思ったことでしょう。
彼女なら世間に対しても自分を貫くことが出来るでしょう。それは私の出来なかったことです。
私がどこかに忽然と消えてしまうことは申し訳ないです。
連絡をしなかったことも申し訳ないです。
私の問題としてなんとか解決してみたかったのです。
私は国民的女優でしょうか。
世間が言うほど立派ではないと自分で知っているからこそ、やはりその呼ばれ方は身の丈に合いません。
名前が独り歩きしていて、あくまで職業としての自分がそうであると割り切れれば良いのですが、そこまで私は強くありません。
役者として半分以上の人生を歩んできた自分にとってはどうしても切り分けることが困難です。
私の小説は机に置いておきます。東京大空襲や戦争のことをきっかけに、きっと戦災資料センターに辿り着くことでしょう。
私はあちらでお話を伺うことが出来ました。言付けをお願いしてあります。戦災樹木についての資料を基に、どの樹木に託すかを決めることが出来ました。
それは依り代のように、私が最後に触れたものを示したいためです。町中で忽然と消えるのでは無く、戦災樹木に託したいのです。
何百年もこれからも生き続けて、見守り続けたい。
見つけてください。
忘れられることが怖いけれど、矛盾していることはわかるけれど、その樹木に鍵を託します。
運命があるなら姉とあなたが私を見つけてくれるだろうと。
この東京という巨大な記憶装置の中の片隅に私を見つけてください。
いつか私の記憶を求める人が、私の一片を見つけられるように残します。
いつかまた逢えたなら、みんなでこの町を一望しましょう。




