里奈の手記 (2)
一つは変わらず最初に書き始めた恋愛小説を続けること、そしてもうひとつは祖母の体験を物語にすることです。
私は物語の骨格を考えました。朝田夏美と本居彰という人物を登場させ、私たちと同世代の登場人物が、等身大で戦争体験を理解して語っていく形にしたいと考えました。
具体的に人物を想像するために、私自身を夏美に、あなたを彰になぞらえました。
ただ、実際の私は夏美のように積極的に活動出来ませんから、姉の悠奈の性格を合わせた人物を想像しました。
正直に言いまして、段々と話が大きくなってしまったため、どのように物語を終着させれば良いかはわからないままでした。
ただひたすら「祖母の記憶を記録に変えたい」という気持ちだけは大きくなりました。
仕事に暇があれば資料を当たるようにしました。
そのために何度も下町には訪れました。幸い私のような者が現れると予想もしていないためか、声をかけられること無く調べて回ることが出来ました。
松屋浅草の屋上では、私の広告が張り出されていました。不思議なものです。あの一面の焼け野原となったこの景色の中で、今は町に笑顔を振りまく、そんな役を演じているのですから。
スカイツリーには沢山の人が居り、世界中の人々が分け隔てなく賑わっているその様子は、私にとっては平和の象徴です。
当時は敵であった国の人々も、今はこうして日本に訪れる。当時でも、本当はそこに住む人達同士は何も恨んでおらず、唯々国が争っていただけです。
戦争の後押しは国民だと言ったところで、国民を操作したのは国やメディアです。当時の空気感は当時でしか解りません。
だからこそ祖母からできるだけ聞き取ろうとしましたが、祖母も八つの頃の出来事ですから、当時の空気の変異まではわかりません。残された私たちは想像するしかありません。
でも想像するにもあまりに平和で、結局の所机上の空論を越えることはありません。
今は直接人と人とが国境を越えて関わり合う時代です。
友人に対して銃を向けることはありません。ですからできるだけ知り合うことが助けになります。
それでも国は別の動きをしますから、いつかは気づけば戦争が再び起こらないとも限りません。
国と人とが隔たれることなく、一つにならなければ、いつまでも間違った事が起こるでしょう。
私に出来ることは限られますが、こういったことをスカイツリーの展望台から、町を眺めながら考えていると、むしろなんとか書き切ろうという意欲になっていきました。
毎日起きている間は常に祖母の体験のことを考えるようになり、そのうちに問題も起きてしまいました。
はじめは気のせいかと思いました。でもそれは気のせいではありませんでした。
当時の事を今に伝えるものが町には散在しています。その近くに行くと、見えないはずの物が幻として見えるようになりました。
当初は音が聞こえました。
横網町公園では人々の叫び声が聞こえる気がしました。
言問橋を歩いていると、欄干から人が落ちる姿が見えました。
急いで駆け寄り橋の下をのぞき込んでも、そこには何もありませんでした。
東京は、歩けばどこもかしこも沢山の命が潰えた場所ばかりです。
亡くなった命、生き残った命。そして出会った命。そのまま何事もなければ、きっと皆の人生は違ったものだったことでしょう。
戦争により人生は変わり果て、そして私たちが生まれた。それは悲劇を元にした命です。
私はこの命が呪われているように思えてなりません。誰かの死により生まれたものです。
町の開発と共に次第に町の遺構や史跡が消え失せても、私たち自体があの恐ろしい記憶なのです。
自分の存在自体がそれであると知ってしまってからは、私の幻覚は一段と酷くなりました。
私の命はそこにあるようでもあり、幻覚としては存在しないようでもある、そんな曖昧な存在になっていきました。
隅田川にはいくつもの橋があります。
蔵前橋では黒く沈んだ色になっている石の部分で、押しつぶされて焼ける人達の姿を見ました。
石の黒ずみは、人の脂がにじみ出た物だとわかり、私は嗚咽しました。
こうした現象は次第に、東京という町を歩いているとどこでも遭遇するようになりました。
仕事に支障が出ないようにするのですが、仕舞いには撮影現場でもそういった幻覚が見えるようになってきました。
空を見上げると戦闘機の群れが目に映ります。目を下ろすと、煙や火の手が舞い上がり、人々が逃げ惑っています。
私はこれが幻覚だと知っていますから、ただじっと耐えます。
そんなとき、あなたと見上げた、神保町からの入道雲を思い出します。
戦闘機のいない平和な空、本当にあの雲の稜線まで飛んで行ってみたい。
全てのわだかまりから解放されて、自由な場所からこの町を見てみたい。
この町の過去から未来まで見届けてみたい。
そんな風に想像するようになりました。




