15 武蔵丸子神社・麻布 (2)
お婆様の家の最寄りの駅はいくつかあるそうで、乗り換えの少ない経路ということで麻布十番駅に着いた。
駅を出ると辺りは暗くなっていた。飲食店も多く賑わいをみせていた。高速道路の下をくぐり、麻布方面へ向かう。途中で小さな公園があった。表示には『狸穴公園』と書かれていた。
「これは、たぬきあなですか?」
「それで『まみあな』って読むんです。珍しいですよね」
悠奈さんは懐かしそうに公園を眺めた。
「里奈と祖母の家に遊びに行くと、決まってこの公園にも遊びに来ていました。向こうには狸穴坂という坂があって、昔は狸がこの辺りに出たそうです。昨日の広島の叔母さん、叔父さんの家の辺りと変わらない景色だったのかも」
麻布十番の方には暗闇坂なんて坂もありますし、と教えてくれた。
公園を通り過ぎていくと、周りをビルに囲まれた中に、窮屈そうな平屋の一軒があった。周りは木が生い茂っており、さながらここだけは狸が出てもおかしくなさそうだった。
悠奈さんが入って母屋の様子を調べていたが「やはりデイサービスに行っています」と、裏手に向かった。
母屋の裏には小さな庭と、一畳ほどの古い物置があった。彼女は鍵を取り出したものの、辺りはすっかり暗く、鍵穴が見つからなかったため、一度母屋に戻り玄関から懐中電灯を持って戻ってきた。
鍵を差し込むと確かに合致し、回すとガチャンと大きな音がした。横に引いて扉を開ける。灯油の缶など古い物が置いてあり、物置の容量の半分ぐらいが物で占められていた。
ライトで照らして見回すと、一つだけ新しい油紙の封筒が置いてあった。かなり分厚いそれを手に取り、中を開いて取りだしてみた。
そこには里奈さんの文字で書かれた沢山の原稿用紙が出てきた。それと一緒に書き込みのあるバラバラの紙も出てきた。
紙をみるとそれは里奈さんの手記だった。僕が里奈さんと別れたあの後のことが克明に書き出され、彼女の想いや考えが全て書き留められていた。
原稿用紙の方は物語のようだった。ここでこのまま読むわけにはいかないため、悠奈さんの案内で母屋へ向かった。
木で出来た古い玄関戸を開けて中に入る。電気を点けると、一面が昭和の時代のままだった。僕は知らないはずのこの場所に、なぜか安らぎを覚えた。
梅屋敷の甘味処とここは、過去の同じ時代のまま間違って現代にタイムスリップしたかのように感じた。
確かに僕の祖母の家も似たような物だったが、久しぶりにこうして昭和に在った物に取り囲まれると、物達がおかえりと声をかけてくれる思いがした。
古い匂い、これは土や砂埃の匂いなのだろうか。古木の柱や壁から漂う独特な匂いかも知れない。
台所にはダイニングテーブルと椅子があり、そこに座って僕等は里奈さんの手記を前にした。悠奈さんが僕に手渡して「どうぞ、先に読んでください」と言う。
僕は「悠奈さんこそ先にどうぞ」と言ったが、これはきっとあなたに宛てた里奈の手紙ですと、受け取らなかった。そこで、一枚読むごとに悠奈さんに手渡しして、二人で読み進めた。
手記を読むと、僕が考えてもいなかった事実が次々と明らかになった。僕が里奈さんに一方的に近づいたと思っていたがそうではなかった。
まさかあの大女優が僕に興味を持つとは露とも知らず、そして彼女はそのこと自体、心苦しく気に懸けていた。
子役の頃からの活躍や、世間からの評判の高さ故に彼女はあらゆる事が順風満帆で、全てが望み通りになる完璧な人だと想像していた。でも本当はどこまでも切なくてか弱い存在だった。
そして原稿用紙の方は、里奈さんが初めて書いた小説だった。あのノートの小説が初めではなく、その前に書いた物があったのだ。
それは恋愛小説だった。彼女の几帳面な性格を反映してか、話のアウトラインは既に出来ており、書き出されていた。
読書好きの若者同士が、喫茶店で偶然出会い、惹かれていく物語。ヒロインは舞台女優を目指し、相手はジャーナリストを目指し、お互いに苦悩や喜びを分かち合いながら成長していく。
でも上手くまとめ上げられず、長文を書くと感覚が鈍るのか、段々と同じ調子の文章表現が増えた。
僕は涙が溢れて仕方なかった。未完成で、迷いだらけの物語だった。里奈さんに会いたくて、会いたくて堪らなくなった。僕と里奈さんに似た登場人物が出てきて、どうしようも無くやりきれなかった。
「里奈さんはこの話を完成させたら、自分で演じるつもりなのですかね?」
グズグズと鼻をすすりながら悠奈さんに尋ねた。彼女も同じ調子で鼻をすすりながら、
「・・・里奈に演じて欲しいです。主人公は、あなたというわけにはいかないでしょうけれど。俳優ではないから。でもそれなら、演じるのは里奈ではない他の誰かがいいかもしれないです」
僕等はそうして手記と小説を何度も見返していた。
外で車を玄関先につける音が聞こえて、悠奈さんは原稿用紙を机に置いた。
「祖母が帰ってきたようです」
悠奈さんは急いでティッシュを持ってきて僕にすすめた。そして自らも涙を拭き、鼻をかんだ。そうこうしているうちに玄関が開く音がして、足音が近づいてきた。
「あら、悠奈ちゃん来てたの」
そう言うのはこれまで何度も話に登場していたあのお婆様だった。想像よりももっと快活な感じで、洒脱で、下町の気難しさと気安さが両立している雰囲気だった。
僕の方を見据えると「悠奈ちゃんのボーイフレンド?」と聞かれた。
僕と悠奈さんは少し可笑しくなって笑った。
「おばあちゃん、みんなそれ言うのよ。私と彼が一緒にいるところを見るとみんな『彼氏?彼女?付き合ってる?』って聞くのよ」
「そりゃそうでしょ。男の気配のさっぱり無い悠奈ちゃんなんだから。連れてきたら意味があると思うでしょうに」
とお婆様も豪快に笑った。
「まあいいわ。それより夕飯まだでしょ?一緒に食べて行ったらいいわ」
と食事に誘われたので、その夜はお世話になることになった。




