悠奈の話・広島 (2)
私たちは歩いて相生橋という橋を渡り、寺町方面へ進んだ。広島の町並は整然としており美しい。碁盤目状に十分に広い道で設計されている。全てが失われた後に一から都市をデザインした珍しい町だ。それは私も大学の授業で聞いたことがあり知っていた。
改めてこうして歩いてみると、歩道も車道も十分広く、とはいえ歩き疲れるほどの距離でもなく、見事に設計されていると体感できた。
寺町と呼ばれる地域に来ると、なるほど文字通り区画のほとんど全てがお寺だった。高い塀の向こうに覗く色とりどりの色紙、これが灯籠だった。
頬を撫でる夕風で紙があおられ、サラサラと音が聞こえてきた。私はしばらく立ち止まって見とれた。何処か異国の祭りに紛れ込んだ、そんな地元の風物だった。
「どこでもいいですよ。入ってみましょう」
そういって彼は一番近い入り口の寺に入っていく。全く知らないお寺に勝手に入って良いものなのかと、私は内心ドキドキした。
「どの墓でもいいです。見て下さい」
私はいくつかお墓を見比べてから、新し過ぎず古過ぎない、そういったお墓を見つけて側面を見てみた。
まるで手品で預言されたように、そこには『昭和二十年八月六日』という文字が並んでいた。
「刻まれている享年を見ると、その家の方は両親も子供も亡くなっています。子供は二歳と一歳」
私の体は痺れた。
というのもそのお墓の隣も、その隣も同じ調子なのだ。この隠された事実に直面したから、体が痺れて呆然とした。
私たちを囲むいくつもの墓が同じ調子なのだ。お盆の時期にこうして煌びやかな灯籠がその命の尊さを受け継いでいることを示し、また繋いでいく。私の知らなかった世界だった。
通りを挟んで向かい側にあるお寺にも入った。そこでもお墓には呪いのように『昭和二十年八月六日』と刻まれていた。
時々原爆死であると記されていたが、大抵は死因が彫られておらず、それ故に余計に恐ろしさを感じた。この町には皆が認識している暗黙の何かがある、そういう予感をさせる不吉さだった。
彼が教えてくれた。
「改めてこうして見て回ると、全ての墓に刻まれている、というわけではないですね。子供の頃には全てがそうだった気がしていたのですが、半分にも満たないかもしれません」
そうして彼は何かに気づいたのか、足を止めて周りを見回した。
「ただ、気づかないといけないことがあります。墓が残っているということは、一家が全滅していないからです。後を引き継ぐ誰かが残っていた。誰も残らなかった家の墓はそもそも存在しません。だから、本当はこれらの墓の間にもっともっと、見えない墓があるのです。
里奈さんが書いていた『土地の記憶や人々の記憶は気づかない形で残っていることがある。どんな恐ろしい記憶も、さりげない日常の中に密かに入り込み』という言葉。僕にとってはこれです。分かって頂けましたか?」
私の口からはそのままの気持ちが溢れてきた。
「想像以上に、その言葉が具現化しているというか、私もちょっと恐ろしさを感じます。町が静かに語りかけてきて、私と一対一で対話するようで、とても怖いです。
それにきっとここ以外にも、日本全国でこういう記憶が入り込んでいるんでしょうね。それは戦争だけではなく、地震などの天災を含めて。日本は自然災害が多いですから」
私たちはそうしていくつかのお寺を見て回った。そのどれもが運命に抗えなかった記録ばかりだった。
三才や四才で亡くなった子は、何もわからずなくなったのだろう。十八歳で亡くなった娘は、成人することが叶わなかった。
そしてわたしたちと同じ二十代でなくなった人々は、どのような思いだったのだろうか。同じ世代にもかかわらず、むしろ思いが見えてこない。自分自身のいたらなさに、悔しさと共に目が滲んだ。
途中で彼の家の墓にも寄った。そこにも原爆で亡くなった家族が記載されていた。
「これは父方の曾祖父母です。本所の慰霊碑の方々と同じ時代を生きていたんですよね。これだけ遠く離れていても、皆戦争に巻き込まれた普通の人達です」
そう言いながら寺の奥へと歩いて行き、緑青色の古い井戸のポンプを見せてくれた。
ひび割れた木の柄を上下し、水をくみ出した。受け手のないまま地下から押し出された水は地面で飛び散った。
地の底から古い記憶を呼び起こしそうで、この水が原爆を受けてさまよう人達が最後に呑んだ水に思えて、私も少し怖くなった。やがて日が暮れてきた。
遅い時間になってきたため、今更ながら現実に戻り、これから東京に帰るのかどうするかという話になった。新幹線にもう一度乗っても深夜になるため、東京まで着けない。
お盆ということもあり、ホテルは全く空いていなかった。
「ちょっと親戚に電話してみます」
と彼は言い、電話越しに事情を説明している声が聞こえてきた。久しぶりの電話なのか、しばらく話し込んだ後電話を切り、急だけど泊めてもらえるとのことだった。
ただ、その親戚の方の家は市街地から離れているため、今から頑張って移動しないと遅くなると説明してくれた。
それでしばらく歩いて駅まで行き、そこからさらに別の電車へと乗り継いでいく。郊外に出ると直ぐに山に囲まれる。より山が深くなる辺りで電車を降りて、そこからさらにバスで移動するらしい。
すっかり田舎の景色で、夕焼けに染まる山々は美しかった。ただ、一時間に一本程度のバスであるため、ひたすら何をするでもなく待っていた。
「こうやって何もせずに、自然の中でただバスを待つのも、たまには良いですね」と私は言った。
「よくこうして親の帰りをバス停で待ちましたよ。そういう経験無いですか?」
「懐かしい!私も里奈と一緒にそういうのやりました。住んでいたところが駅からちょっと離れていたので、バスをよく利用していましたから。次のバスかな、どうかなって。オレンジ色の明かりが漏れる車体から、一人、また一人と降りてきて。親が降りてきたらすごくうれしくて」
この何もしない時間は、私たちにとってのモラトリアムとなった。
この両日で見たこと、感じたことを自分の中で整理した。里奈の居場所に関する情報は結局のところ何もなかった。
でも彼女の伝えたかったことはそれとなく見えてきた。日常の陰で蠢いている過去からのメッセージ。戦争の体験談を詳しく知っても、自分の住んでいる都市の事情しか知らないという現実。
知れば知るほど、何もすることが出来ないと気づいてしまい、無力感を抱えてしまうという矛盾。
私は一人の表現者として、何かに変えて表現出来ないかと思ったが、無理そうだった。
俳優は政治的な発言でキャリアを失うかもしれない。里奈はそれでも小説という形にしようとした。恐れずに立ち向かおうとした。でも私には無理だ。彼も無理だった。祖母も無理だった。
では誰が未来を繋いでいくのか。それは解っている。本当は解っている。
でもなんとなく今の生活がそれなりに成り立つから、なるべく解らないふりをしていた。でももう無理だ。
私たち若い世代が逃げない覚悟を持つことしかありえない。里奈の想いを繋がなければならない。
鮮やかに染まる真っ赤な空は、やがて透き通るような漆黒の闇に染まり、それを合図に隅々まで星が満ちた。
皎々とした明かりが遠くからゆっくり近づいて、私たちはバスに乗って山道の峠に揺られ、見知らぬ集落へ運ばれて行く。
着いてみると街灯もわずか、月明かりばかりが頼りの道を歩いた。
歩道だけは立派に造られているから危険はないが、私の記憶を辿ってもおそらくこれほど暗い中を歩くのは、初めての経験だった。
やがて一軒の広い平屋建てが見えてきた。どうやらここが彼の親戚の家らしかった。




