3 女優との再会 (1)
その日も人はまばらで、いや正確には誰も居ない店内で、奥の席に向かった。
仕事が休みで雨の日にしかいない彼女。なかなか会えないことを覚悟していたし、あのトークイベント以降、会える事がうれしい様なうれしくない様な複雑な気持ちだった。
そんな気持ちを知ってか知らずか、なんとそこには彼女が居た。
不意に僕は考えた。声を掛けてもすっかり忘れられていて「どなたでしょうか?」と言われることが脳裏によぎり、気後れしてしまった。
声を掛けあぐねていると、彼女の方から「こんにちは」と声を掛けてくれた。
「お久しぶりですね」
僕は救われる思いで「覚えていてもらえて、安心しました」と言った。
「それは、覚えていますよ」
と答えてから、彼女はおもむろに
「この間、ここから近くの書店でトークイベントがあって呼ばれたのですが、私びっくりしましたよ!突然あなたが現れるんですから」
と僕もびっくりすることを言った。
「僕が列に並んでいる時、目が合った気がしましたが・・・」
「何言っているんですか。列が出来るよりも前から私、気づいていましたよ。知り合いが急にいると、驚くじゃないですか。平静を保つのも大変だったんですから」
「え、じゃあ、僕のことあの時も分かってくれたのですか?」
「それはそうですよ。あまり特定の方と仲良く話すのは、ああいう場では良くないので抑えていましたけど」
彼女ははっと何か気づき「それに最後に私、手を出したのに握手してくれなかったですよね」と僕を問い詰める。
「あれは、その、僕がすっかり忘れられてしまっていると動揺してしまって。本を目当てと言うよりもあなたに会うことを目当てに来ている様で恥ずかしくなって、逃げ帰ったというか。でもまあ、あなた目当てだったのは、悪いと思いながらも事実ですが」
「え、そうでしたか」
と彼女は少し冷静になり
「ごめんなさい。そんな、問い詰める話ではなくて」と繕った。
「ああいったイベントは著者目当てというだけでなく、大変ありがたいことに、半分は私目当てという時もありますし、主催者側もそれを見込んでいますから。恥ずかしくならないでください」
僕はそれを聞いて救われる思いがした。
それから・・・これは伝えた方が僕の気が楽になりそうだったので、ステージで見た彼女の姿の美しさや力強さ、感じたオーラについて率直に伝えた。
彼女は困惑した様子で
「・・・そんなにストレートに告げられることはほとんどありませんから、私困ります」
と身をよじった。
「褒めているのですよ」
「それは分かっています。だから困るのです・・・」
それからしばらく二人とも黙ってしまった。
僕はどうにかこの場を本来の僕等の目的に戻すべきだと、改めて切り出した。
「僕は本当に、以前ここでちょっと声を掛けただけですから。桜上さんが仕事でお忙しい中で、すっかり忘れられているかと思ったのですが、よかったです」
彼女も仕切り直そうとばかりに返してくる。
「忙しいっていう漢字、心を亡くすと書きます。だから私、忙しくならないように頑張っているんですよ」
「なかなか屁理屈屋ですね」
「あら失礼ですね」
と言いながらも、彼女はうれしそうだった。
「忙しいと、本当に大切な物を見落としてしまうことがあるのです。いや、ある気がするのです。だからいつでも心に余裕を持つように努めています」
彼女は髪を掻き上げた。
「まあ、そう言うことはあるでしょうね。桜上さんが多忙・・・ではなくて、時間を作るのが難しいのは想像できます。だってこれだけ有名な方ですから」
彼女が右手でオーケーマークを作りつつも、困ったように首を傾げた。
「それに、桜上さんが天才子役と言われていた頃から知っています。でも天才ではない。真面目に努力している方です。僕にはそう見えます」
「時々不真面目にもなりますけれど」
彼女は開いていた本を閉じると、立ったままの話もなんですから、お座りになったらいかがですかと促したので、たしかにと、僕は前回と同じように、彼女のテーブルから通路向かいのテーブルに座った。
「そちらに座るんですね」
「あまりご迷惑をおかけするわけにもいきませんから」
「今日は読書感想を聞かせていただかないといけませんから、是非こちらへ」
そう言って、彼女は向かいの椅子に置いているバッグを自分の隣の席に移した。空いた席に僕はお邪魔した。
「不真面目なのですか?」
「そうですよ、時々。実は今日、仕事を無理言ってキャンセルしてもらったんです」
「たまの休養も必要でしょう」
「でも、体調が悪いと言って休みましたからね・・・」
「ああ、ちょっと不良ですね」
「そうです。私は不良なんです、こう見えても意外と。みなさんの想像や期待とは違って」
「真面目な人ほど不良な人もいますよ。僕には出来ないですね。憧れます」
彼女はきょとんとした表情で「・・・あなたは、不思議な人ね」と言った。
話が途切れたところで、学生が先生に宿題を提出するのと同じく、持参した例の海外古本を机の上に取り出して置く。
彼女がそれまで読んでいた本と頭が向かい合う形になる。僕は顎を親指でつまみながらとつとつと始める。
「感想ですよね・・・桜上さんは内容を覚えてらっしゃいますか?」
「もちろんです。私結構本に関する記憶力は良いので、内容も覚えていますよ」
「さすが女優さんです。脚本や台詞を頭に入れないといけませんからね。記憶力が違います」
「そのスキルが生きているならうれしいです」
「僕は読んだ片っ端から忘れていきますから・・・。僕はそれを一つの才能と無理矢理呼んでいますが」
「才能ですか?忘れることが?」
「また新鮮な気持ちで楽しめますから」
彼女は自分の中で噛み砕けない理屈だけど、面白い理屈だと笑った。
「で、感想はいかがですか?」
「ええと、僕の感想ですか。うーん、実はこれ、かなり有名な作品なんですよね」
「有名と言えばそうですけど、絶版ですからね。人気があるともいえませんよ」
確かにそれはそうだと、僕は妙に納得した。
「なんというか、立派な作品とはいえない気がします。作品はどんな物も素晴らしい物と思いますよ。大変な努力の結晶ですから。ただこれは、そうですね、モテない男の妄想話に三百ページ付き合わされた感じです。登場する女性もなんだか男にとって都合の良いような行動ばかりで」
彼女はうなずきながら「それで?」と促す。
「それで・・・そう、それだけです。批評家が過去にどのように評価したのか僕は知りませんし、細かい部分でこの作品の良さを挙げることもできそうですが、なんなら、今こうして国民的な女優にモテない男の小説の感想を愚痴っていることの方が、よっぽど小説的な特殊な状況だと、そう著者に伝えてあげたい気持ちです」
彼女はぷっと思わず吹き出して、声を出して笑った。僕はうれしくなった。
テレビや映画の中での演技とは違う、仕掛けられた表情ではない、自分のことで感情を出してくれている。当たり前のはずのことが当たり前でなく、特別な気がした。
「先生、僕の感想文の評価はどうですか?」
「うーん、感想文なんですかね、これは。でも正直言って、実は私も同じような感想でしたね。主人公のご都合主義がそのまま実現する様で、話の中だからそれはそれで書きようによってはあり得るように語れますけど、半分ファンタジーとも捉えられるかなあと思いました。女性から見ると、人によっては非現実的ながらも、そこにこそ甘美な現実を夢見られるかもしれませんが。私はここに登場する女性とは違うタイプですね」
「好きですか、この本」
「私は好きですよ。それだって、妄想でも何でも、その人の在りようや気持ちが反映されている物ですから。その人の心というか、頭の中というか、垣間見られるのは素敵です」
僕は大変感心しながら「あなたは本当に本が好きなのですね」と言った。
「ええ、好きですよ。いつでも暇があれば開いています」
「気になったことは書き留めている」
「あれですか」
彼女は鞄からノートを取り出した。一緒に例の美しい万年筆も取り出した。
「がっかりしますよ」
そう言ってノートをこちらによこした。




