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9 六本木 (1)


 銭湯を出ると、少し離れた大江戸線の森下駅に向かう。日はすっかり沈み、街灯が闇に浮かび上がり始めていた。


 生暖かい風でも、火照った体を気持ちよく撫でていくが、しばらくするとやはり汗ばみ始めた。


 この時間は帰宅のラッシュも過ぎており、乗車すると空席が見つかった。この路線の電車は他より一回り小さいこともあり、隣り合って座るとなかなか狭い。


 腰を下ろすと途端に疲れからかまぶたが落ちてしまい、自然とお互いが支え合うような形で寝込んでしまった。気づけばもう六本木の駅だった。


 六本木駅はとても深い。深海魚がいつまでも地上を目指して昇るように、エスカレーターを延々と乗り継ぐ。外は店の明かりで眩しく、煌びやかだった。


 高速道路の下を辿って巨大なビルに辿り着くと、誰も気づかなさそうな細い通路へ向かう。通路の先にあるエレベータで昇るとホテルのロビーになっていた。


 全面の大理石と美しい生け花で飾られたロビーは、ジェームズ・ボンドとボンドガールなら様になるだろうと、鏡に映る僕等を見ながらレストランへ向かった。


 悠奈さんはまだしも、僕が不釣り合いだ。今日一日そうして一緒に過ごしていて、まったく気づきもしなかった事が今更ながらうら恥ずかしい。


 鉄板焼きレストランの入り口は和風な造りだが、いかにも海外の旅行客に受けそうなモダンジャパニーズなデザインだった。そこを通り抜けるとまるで江戸の吉原のような、もちろん僕は実見したこともないのだが、絢爛豪華とはこれを形容しているのかというぐらいの豪華さだった。


 小説に書かれていた通り、とても広い鉄板が厨房を囲み、見るからに新鮮な野菜が粋な木箱の中に並んでいた。入って右手には、これも小説通りのウェイティングバーがあり、洋酒が美しくライティングされていた。


 そう、全てが小説通りだった。そして僕はそれを知っていた。


「悠奈さん、実は僕はこのお店に以前来たことがあります」


「え、そうなのですか?いつ?」


「僕が仕事に行き詰まったとき、学校の恩師がここに連れて来てくれて。もう四、五年前だと思います」


「それでなんだか手早く予約されていたのですか」


「小説での店内の描写内容から、もしかしたらと。それに電話をかける時に僕の電話帳に同じ番号が既にあったので、これはまちがいないかと」


「すごい偶然じゃないですか」


 この東京に星の数ほどある店で、たまたま偶然同じということがあるだろうか。


「これは、本当に偶然なのでしょうか」


「・・・確かにそう言われると、どうなのでしょう。有名店ならそういう一致もあるのではないでしょうか?」


 そうして僕等が不思議の原因を探っていると、お店の方にご予約ですかと聞かれたため、僕はそうですと伝えた。席に案内されると、悠奈さんはスタッフに席を引かれるのを待ち、優雅に座った。


「悠奈さんは、こういう所に慣れているじゃないですか」


「全然そんなことはないです。でもこのぐらいのマナーは知っていますよ」


 と彼女は鼻を高くした。


 確かに彼女は妙に手慣れていて、ウェイターから渡されたメニューを一目すると、直ぐに閉じた。小説に登場する夏美とは随分と違う。


「小説と同じメニューですね。どちらにします?」


 僕はその悠奈さんの様子を眺めていたため、慌ててメニューを開いた。二つのコースが書かれていた。夏美、または里奈さんが選んだとするとどちらだろうか。


「この、高い方いきますか。プロデューサが主演をもてなすならこちらでしょう。僕が出します」


 と宣言したが、格好悪くも、


「いえ、この件は私が付き合って頂いているのですから、私が支払います」


 と一蹴された。あまりぐずぐず支払いのことを揉めてもこの場にそぐわないため、僕は敢え無く従うことにした。


 悠奈さんはウェイターを一瞥すると、テキパキと注文した。どうやっても手慣れているようにしかみえなかった。


「なぜそんなに慣れてらっしゃるのですか?」


「マナーですから」


 と彼女は簡単に済まそうとしていたが、諦めたのか「まあ、幼い頃から両親にこういう所に連れてこられていたので」と白状した。


「そういえば悠奈さんと里奈さんのご家庭については伺ったことがないですが、お聞きしても?」


「そうですね」


 と少し考えてから


「色々と家族のことを知っておいていただくのも、里奈の行方を検討するのに役に立つかもしれませんし」


 と話してくれた。


 悠奈さんによると今はご両親が他界されているが、生前はよくこうした高級なお店に連れて行かれたそうだ。


 ご両親が何を生業とされていたかや、死因については語ってくれなかったが、それなりの資産家だったようだ。それを聞いて僕の中では二人の風貌も相まって、完全なお嬢様のように映った。


 ただあまり親戚付き合いもなく、ご両親の死後は二人で生活を送っていたそうだ。唯一交流のあった親戚は、何度も話に出てくるお婆様であった。


 里奈さんが芸能界に入るきっかけとなったのは、ご両親の知人に芸能プロダクションの方がおり、その方が里奈さんの才能に気づいたそうだ。


 悠奈さんは「幼稚園の頃から里奈は演技が上手でしたよ。発表会でも他の子とは違う、役者が舞台に立っている演技でした」と振り返る。


 それから里奈さんは小学生の頃から子役としてテレビドラマやコマーシャルに登場した。それは僕も観た事があった。天才子役と騒がれていた。その後頭角を現して、彼女の知性と朗らかな性格も相まって、今や国民的な女優となった。


「世間が見る彼女の知性や性格は、ともすれば芸能人としてのイメージ付けである、と邪推することも出来ます」


 と僕が答えにくそうな質問をした。


「私は彼女の裏表のなさを知っていますが、世間的にはそう勘ぐる方がいても不思議はないでしょうね」


 と悠奈さんが答える。


「結局は裏表のある人は続かないと里奈が教えてくれました。それに現場の雰囲気が悪ければ、起用してもらえませんから。現場からの信頼と、観てくれる方の期待と、その両面が無ければ数年、早ければ数ヶ月で消えてしまうそうです。あ、これはその芸能プロの方の口癖ですけど。それと残念ながら運も大いに影響するとかで、里奈は恵まれていたんでしょうね」


「残念ながら?」


「残念ながら。そうでしょう?誰だってなりたい自分を実現するために努力するのに、何処かの時点で運が左右するなんて、納得できないというか。里奈は運を手に入れた。でもその陰で運を手にできなかった才能が沢山あると思えば、私はつい残念と表現してしまいます」


 悠奈さんには何か身に覚えがあるのか、その点に固執する感じがあった。僕は小説の話題に移った。


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