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8 森下・銭湯 (2)


 テレビでは夕方のニュースが流れていた。今日も猛暑日で、夏の猛暑日数の記録を更新したこと、どこかで熊が住宅に出てきたこと、お盆の帰省ラッシュで新幹線の乗車率が二百パーセントを超えたことや下り高速道路の数十キロにわたる渋滞、そういう類いの話題が次から次に伝えられていた。


 つまり概ね今日も平和ということだ。画面には夜の時間帯に放送するドラマの番宣が流れる。このドラマに登場してもおかしくない、著名な女優である桜上里奈と僕は知り合った。そして行方を追っている。改めて妙な感覚だった。


「確かそのドラマ・・・」


 いつの間にか悠奈さんが後ろに立っていた。僕の隣に座りながら「主役、里奈で決まっていたんです」とつぶやいた。


 彼女が座ると、ソファはお互いを引き込むように沈み込む。髪はすっかり乾かしてあり、シャンプーの良い香りがした。僕は悠奈さんに尋ねてみた。


「身内がドラマに出て、こういった場所で不意にテレビのようなメディアで目に入ってくると、どんな気持ちになるものですか?」


「慣れますよ。初めのうちは『うゎー、手の届かないところに行っちゃう』って思いました。国民的女優と言われたりしていますけど、今のうちは一緒に出かけたりと変わらないことも多いですし」


 彼女は髪を手ぐしで撫でる。


「確かに世間への露出は増えますし、テレビでは普段よりもまじまじと、どアップで映るわけで、見ていてちょっと恥ずかしい感じもあります。それに、恋愛ものだと今でも『うゎー』ってなります。あ、それはちょっと内心、うらやましいのかもしれませんけど」


 悠奈さんはそう言ってからからと笑ってのけた。


「そのうちもっと慣れてきて、ただ役者という職業をやっていて、普通の人よりも多くの人に知られているけど、それ以外は普通の女の子であると、そういう心持ちに落ち着くんじゃないですかね。本人が破天荒だったり、目立とうとしていませんから」


 確かにそうだろうなと僕も思えた。


「まあそうですよね。それは想像出来ます。芸能人だからって、全員が特別な生活をするわけではないでしょうし。一つの職業として役者である方も多いでしょう。最近はテレビで自宅にお邪魔するような企画がありますが、芸能人でも意外と一般人と変わらなかったりしますし。今時はIT会社の役員の方が遥かにお金持ちです」


 すると悠奈さんが少し身を乗り出して聞いてきた。


「やはりライターさんだと、そういうことにも詳しいですか?」


「いや、わりと一般常識ではありませんか?」


「いや、ウェブや雑誌で知っても、直にそういった『お金持ち』の方にお会いすることはないですから、一般人は」


「悠奈さんはそう言うのに興味があるんですか?」


「うーん、興味があるというか・・・」


 そう言うと悠奈さんは立ち上がり、自動販売機で冷えたウーロン茶を買って戻ってきた。本当は温かい飲み物の方が体に良いんでしょうけれど、と言いながら再びソファに座る。


「ところで、私湯船に浸かりながら考えていたのですが、里奈は本当にどこかへ行ったのでしょうか」


 僕は話の意味が理解できなかった。


「現に所在が分からないのですから、どこかに行ってしまっているのでは?」


「それはそうなのですが、なんというか、気配が忽然と消えた、でもとても近くにいるような、そんな感じがして」


「・・・姉妹ならではの第六感ですか?」


 僕は手放しでその類いの、超自然的なものを信じることは出来なかった。だからといって全てが科学的、論理的に説明できてしまう世界もつまらないと常々思っている。


 不思議な現象を信じられないというのは、それは否定的な意味ではなく、どこかで信じてみたり、あるいは人が信じようと信じまいと、人智を超えた事が起きて欲しいと、どこかで期待もしていた。


 悠奈さんは僕のその気持ちを感じ取り、言葉を探りながらつないだ。


「・・・あまりこう言っては不謹慎な感じがしますが、嫌に見事な行方のなさです。事件に巻き込まれたのではという不安や、もし私がもっと頻繁に会いに行っていれば、何か防げたのではという思いもあります。でも今日こうして里奈が訪れたはずの所を辿っていると、私が後悔するような心配の思いは徐々に薄れて、どちらかといえば、一緒に回ったような気さえします」


「実は後ろからつけられているとか?」


 僕はなんとなく周りを見渡した。ロビーには僕等の他は誰もおらず、カウンターには来た時と変わらずおばあさんが座っていて、テレビを眺めているだけだった。


 彼女はその様子を見て「ああ、そういうのとはちょっと違うというか・・・」と言った。


「見張られるのではなく、見守られるというか」


 そう呟くように言葉をつないで、


「ごめんなさい、なんだか私、変かもしれません」


 と言った。彼女はしきりに今日の陽差しで日射病にでもなっているかもしれないと、自分をその気にさせようとしていた。


 僕はそれほど自信を持って里奈さんの気配を感じてはいなかった。でも悠奈さんの言いたいことも分かった。


 不意に入り口の自動ドアが開いた。人の姿もなく開いたため僕は息を呑んだが、なんのことはない、おばあさんの後ろに鎮座していた猫が自分で自動ドアを開けて出て行くところだった。

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