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7 波除白山神社・新大橋


 高速道路の高架をくぐり、橋を渡ったところで僕等は右折した。


 そのまま直進すれば夏美と彰が訪れた、もしくは里奈さんが訪れたはずの波除白山神社があるはずだった。


 里奈さんと悠奈さんの祖母が子供時分に遊んだ場所。唯一ここだけが今のところ、明確に里奈さんと悠奈さん、そして彼女達の祖母と過去を正確に繋ぐ場所だ。


 強烈な西日を受け、視界を白くして体力を奪われながら道を進んでいくと、ようやく左手に大木が見えた。陽差しで霞むが、あの大きさであればおそらく神社のご神木か何かだろう。近づいてみるとやはりそこが波除白山神社であった。


 境内に進んでも人はおらず至って静かだった。鳥居をくぐり、賽銭を入れ、手を合わせると風に乗って社の木の匂いがした。


 悠奈さんは「祖母の言う蔵はどこでしょうか」と社務所、手水鉢と順に目に留めた後、境内を見渡す。


「里奈の小説で書かれていましたが、実は私も直接祖母に聞いたことがあります。子供の頃その近くでよく遊んでいたと。隣にイチョウの木があって、銀杏を拾って夕飯の足しにしたり、落ち葉で船を作って遊んだとか。だから、本当に残っていたらすごいことですね」


 二人で境内を散策する。遠くに古いコンクリート造りの姿が見えたのでそちらに行ってみると、なるほど、ずいぶんと古い意匠の蔵が見えてきた。悠奈さんが一足先に寄っていく。


「この丸っこいデザインが昔という感じで・・・」


 と言いながら建物を回り込み、当時の面影が残っていないか調べる。


「うーん、古いのは古いですが、当時の物であるかどうかまでは判断がつかないです」


 社務所を覗いても誰もおらず「信じるしかないですね」と彼女は認めた。


 僕はそうしている悠奈さんとは別に、周りに何か無いか確認していた。


「隣に樹がありますが、これがそのイチョウの樹ではないでしょうか?」


 目線の高さでは太い幹ばかり目に入り気づかなかったが、見上げてみると確かに緑色のイチョウの葉がなっていた。


「ああ、ほんとうですね。これは祖母の言っていたイチョウの木ですよきっと!夏美も里奈もここに来たんですよ!」


 そして悠奈さんは、物語の中で夏美がしていた様に、蔵の前に立つと突として瞑想めいた仕草を始めた。僕も隣に並んでまねをしてみる。


 左右の視界を両手で遮り蔵だけを視界に入れた。


 聞こえてくる車の音は聞かないように、聞こえてくる鳥の声や木の葉の擦れるさらさらという音は当時の物として受け入れ、静かに集中する。


 西日が落とす樹や蔵の柱の影は、蔵の壁に美しいラインを描く。


 落とされる影と光のきわに目を凝らすと、他よりも深く鮮やかな色彩がある。


 蔵の表面の細かい凹凸の一つ一つに陰影が落とされる。


 当時と変わらない物だけを体に通して、あの頃と繋がろうとする。


 その時、小さな女の子の声が聞こえた。いや、聞こえた気がした。


 すると不意に僕等の服を引く感触がする。


 悠奈さんが「・・・今!」と驚いて思わず声を上げるが、姿勢は崩さない。


 かすかな笑い声と、もう一人の誰かの声が混ざって聞こえてくる。それは里奈さんの声に思えた。


 二人でそのまましばらくフェードアウトしていく感覚の余韻を追いかけて佇んでいた。


 足下のアスファルトは土の地面の感触で、少し砂埃が舞い上がるのを感じた。


 この霊的な体験は神社だからといえば簡単だ。でも素直にそのような超自然的な現象を信じる訳にはいかない。


 当時から存在する物体を通してあの頃と繋がったのかと疑うも、決め手は何もない。ただあの感覚は幻だったのかどうかと考えていると、悠奈さんが僕に聞く。


「今、裾を引っ張られました?それに里奈の声も・・・」


 僕等は一日中歩き、疲れ、それで幻を感じたのかもしれない。でもそれでもよかった。


 理由はともあれ、何か得られた手応えがあった。里奈さんの所在は分からないままに違いは無くとも、少し近づいた手応えはあった。


 僕等は里奈さんの残した小説に従って、この日最後となる新大橋へ向かった。


 波除白山神社からは歩いてすぐのところだ。着いてみると話の中の通りで、森下方面から望むと少し左側に巻き上がる形で架かっていた。


「僕は前に愛知県の犬山にある明治村を訪れたことがありまして、そこで新大橋を渡りました。移築したと書かれていたのですが、まさかここだったとは。今はずいぶんと趣が違いますね」


 移築された旧橋は水色に塗られた鉄骨の橋で、鉄は橋を囲うように屋根まで延びていた。凝ったデザインで、橋の正面の門に当たるところの中央には、新大橋と刻まれたプレートがあった。


 当代の橋は当時を関連付ける物が何もなく、まったく新しい橋だった。新しくて、格好いいが、もう過去と繋がらないデザインの橋だった。


 小説通り橋の中央まで行くと、黄色く延びた柱にはレリーフが貼られており、よく見れば過去の記録が伝えられていた。


「ああこれです、このレリーフに書かれている鉄骨で組んだ橋、これが明治村にありました。あちらだと橋の幅は人が沢山通るには、随分狭かったです」


 悠奈さんは丹念にレリーフを確認していた。そして周りを見渡した。僕も周りを見渡すと、隅田川を渡る高速道路に車の波があった。


 先程の神社辺りはひとけが無かったが、ここは急に活気付き、二人をようやく現代に引き戻した感じがした。もう少し南に行けば海の河口だからか、橋の上は今日一番風が強かった。


 森下方面に引き返す前に、一度橋を日本橋方面に渡りきり、橋の下に潜り込んだ。


「戦火から逃げた人が、こうして橋の下にも沢山避難していたそうです。この新大橋はよかったですが、他の橋では橋の上が詰まって、火の粉で火が付いた人が欄干に沢山集まっていたという証言もあります」


「ここにも人が集まっていたのでしょうか。そして燃えゆく我が町を見守っていた。祖母はこの橋を渡って、生き延びた。もし他の経路を選んでいたら、祖母も母も、私も里奈も存在しなかったかもしれない」


 夕陽は町を徐々にオレンジ色に染めていく。川を見つめる悠奈さんは、上げていた髪を下ろしてひと掻きした。その横顔は、風になびく髪の毛や照り返しの柔らかい光も相まって、夏の美しい景色となっていた。


 あの里奈さんの姉だけあって、絵になる瞬間だった。思わず心がフレーミングした。


 ああそうか、夏美だ。


 僕は里奈さんが残した謎かけをひとつ解いた気になった。


「悠奈さんって、もしかして誕生日が夏だったりします?」


「え、どうしたんですか急に」


 彼女はそのまま川と町並みを見つめながら答える。


「誕生日ですか?八月ですよ。今月だったんです。いつもなら里奈がお祝いしてくれるのですが、今年は残念ながら」


 改めて新大橋から森下方面に戻る時、遠くビルの間にスカイツリーが見えた。ずいぶんと遠くに来たもので、周りのビルよりも小さく見えた。

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