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5 曳舟・スカイツリー (3)


 この混み様では展望台に入るまで時間がかかるか、もしくは事前予約のみで今日中に登れないかもと覚悟したが、たまたまタイミング良く空いており、すぐに展望室に登れた。


「実は私、スカイツリーの展望台は初めてなんです」


 悠奈さんは昇っていくエレベーターで、そう耳打ちした。上昇と共にライトが階に応じた色に変わる演出がされていて、わぁと小さく声を漏らしながら、うれしそうにエレベーターの仕掛けに見入っていた。


 展望台に着くと、まずは南側が一望できる窓際に向かった。


「おそらくここで夏美と彰が出会っているのではないかと」


 僕は前にも来たことがあるので、それほど驚きはないが、悠奈さんは、


「さすがに高いですね」


 と、なるべく窓際に近づこうとする。


「でも高すぎて現実感がないというか、怖さはないですね。町も空からだとこんなに非現実に見えるんですね」


「きれいに碁盤目状に並んでいるでしょう」


「東京タワーから見る景色の方が、建物が大きく感じた気がします」


 ここで夏美が感じたことについて、思い巡らしながら町を見下ろす。そうしていると悠奈さんが聞く。


「これって私たちで夏美と彰を演じた方がいいですか?」


「え、その方が気持ちが分かりますかね・・・でもそれはちょっと恥ずかしいですね。あと、里奈さんに関するヒントはないでしょうか」


 と僕は展望室全体を見回す。


「・・・特には感じませんね。残念ながら」


「そうですね」


 悠奈さんは一歩引いて町を全体眺めながら「このどこかに里奈がいるのでしょうか」と言った。


 不意に強い香水の匂いがしたのでそちらを見ると「動く人が小さくて蟻みたい」と話し声が聞こえた。


 悠奈さんがあきれたように「ああいう感想って、ここでは案外ポピュラーなんですかね。里奈の小説と同じ・・・」と小声で告げた。


「ここまで歩いてきた僕らも蟻に見えたことでしょう。人間って、自分の手の届く範囲から離れるほど、現実味を感じなくなりますよ。ここから見える一つ一つの建物や、人は黒い点にしか見えませんけれど、全てに生活や人生があります。


でもただの箱や点にしか見えません。それらに愛おしさを感じられるだけ人がまともであれば、戦争なんて起きません。でも、みんなに愛おしさを感じろと言うのは無理ですよ」


「無理ですか」


「無理です。むしろ無理だからこそ、それぞれの思い方に人間の多様性があるわけですし」


「それはそうですけど・・・」


 悠奈さんはアップにした後ろ髪の形を整えるために腕を上げた。


「里奈はそれを信じていたと思います。彼女が演じるとき、常に根底には人に対する愛が感じられますから」


「では、もし里奈さんが小説と同じ台詞をここで聞いて、それを、人間愛を信じられなくなったとしたら?」


「それが失踪の理由?」


「いや、まだ分からないです。でも、これから色々な場所を辿っていく時に、この観点はあり得るものとして見ていくと、ヒントになるかもしれません。そんな気がします」


 僕等はエレベーターに並び、くだってから小説と同じく川に出た。


 広場となっており、陽差しで強く照らされて白飛びしていた。見上げるとスカイツリーの完全な足下で、ストンと貫く柱は地面からそのまま垂直に生えており、これまた現実感のない景色だった。


 悠奈さんが眩しそうに額に手を添えて見上げながら「次は本所ですね」と言う。里奈さんの小説では、ここから夏美と彰が本所方面に歩いて向かう。


「私の記憶では確か、主人公の二人は本所へ行くと書いてありながら、どこをどう通ったか細かくは書かれていませんでしたよね」


 僕は橋の欄干にもたれかかる。


「そうなのです。歩きながら本所に着いていますが、具体的な道順は書かれてないです。着いた後に電信社の慰霊碑を訪ねたと書いてあります。これはどうも、今も確かにある慰霊碑の事のようです。とりあえずそこまで行きましょう」


「問題はどうやって行くか・・・。一応私も本所の場所は調べました。押上と両国の間ですけど、両国寄りですよね」


 悠奈さんは川の延びる方向に視線を延ばす。


「この川沿いに行くか、それともここから南西方向に歩いて行くか、ですね」


「川沿いなら、そのことが書いてあるのではないでしょうか。書かれていなかったので・・・」と僕は辺りを見回す。


「とりあえず南側に大きな通りが見えるので、そこにでてみますか?」


 そうして僕等は小説の様に、なんとなく歩き出した。


「里奈の小説の日みたいに今日は暑いですから、確かにバスに乗るという選択肢もわかります。これは容赦なく暑いです。でもできれば、ここから本所方面まで歩いてみて、何か気づきがないか確認したいです。暑い中ですけど大丈夫ですか?」


「僕なら大丈夫です」


 歩き出すと街頭の時計が目に入った。


「あと、もうお昼の時間ですね。と言っても・・・」


 と、スカイツリータウンはもちろん、川沿いにあるお店も、どこも行列が出来ていてすぐには入れそうになかった。


「私、おなか減っていませんから。後から休憩するということで、まずは歩きませんか?」


 悠奈さんの、少しでも多く、早く里奈さんが残した小説の意味を理解したいという決意が伝わってきた。


 わずかばかり歩いたところで、悠奈さんが観光案内の掲示板を見つけて寄っていく。外国人向けに丁寧に英語の説明も付いている。


 その隣には小さく、関東大震災と東京大空襲の慰霊碑があった。そちらには何の案内板もなかった。まるでそれは見えていないように街に溶け込んでいた。でも今はむしろそちらばかり目に入る。


「僕は思ったのですが、あえてこのスカイツリーあたりを小説の頭に選んだのは、観光客じゃないでしょうか?」


「観光客ですか?」


「その昔は敵国であったり、日本が占領した植民地であったり。そういった、仲良くなれなかった、お互いに恨んでいた国の人達が、こうして観光に来てくれているわけで。


時間が全てを解決するといえば単純ですけど、これもまた平和というものがなせるもの。それに気づかせたいとか?」


 里奈さんがもし小説に登場する人物のように、実際に各所を回ったとすれば、漠然とした平和や戦争を、もっと現実として感じるために行動を取ったのではないかと思った。


 戦争のことを忘れないために、戦争体験を語ってくれた祖母。でも、孫世代はそれを忘れないだけでいいのか。それで十分なのか。


 小説にする、訪ねてみる、その行動はどれも里奈さんが「忘れてはいけない」と分かっていても、ただ忘れないだけで、それ以上のことも出来ていないもどかしさの衝動ではないだろうか。


「私もふと思う時があります。祖母から戦争の話をしてもらって、それで分かった気になるものの、でもそれで本当に何か変わるのかと。たしかに戦争は良くないという知識は付きます。しかし結局の所、実体験ではないので、リアリティがなくて、気づけば容易に忘れてしまいます」


 そういいながら悠奈さんははっと声を上げた。


「だからこそ里奈は、当時と今をつなぐ物、町中にこぼれた様に忘れられた物を探して、あの頃の祖母の戦争体験が何だったのか、確認したかったのかも」


「納得するためでしょうか?」


「今となっては戦後ですから、あの時の国の体制や世界状況など、多面的な分析で戦争の理由を導けるかもしれません。そうやってある種の答えを振り出したところで、本当に納得できる形で人間の行動を理解することは出来ません。


こうして『現実』として理解するすべを探していたのではないでしょうか。私たちだってここまで来るだけで、当時を思わせる事にいくつか遭遇しました。そうした想像から体験に変換したかったのでは?」


「自発的な追体験とでもいうものでしょうか。それが孫世代の責任なのでしょうか」


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