母と私その2
母は物持ちがよい。
私が初任給で贈った黒い靴は、早、くもないが現在15年の使用履歴を誇り、記録更新中である。
頼むから買い替えさせてくれという私を母は相手にしない。靴は合わないと悲劇を生むという信念の持ち主の私には、試着のため母の協力が得られなくては靴を勝手に買い替えることもできない。
帰省した時、久々にゆったりと朝寝坊をした。
怠惰な娘と対照的に朝早く起きていた母がひと通りの家事を終え「ちょっと買い物行ってくる」というので玄関で見送った。定番の黒い靴ではなく、私は母が着ているパーカーから目が離せない。
「お母さんちょっと待って、それ」
戸惑いを隠せない私の前で、無慈悲にドアは閉まった。
帰宅した母を捕まえた。
「そのパーカー、見覚えある」
「よく覚えてるわね、アンタが中学校の家庭科で作ったやつよ」
やはり。
学校の帰り道にある布屋で適当に買ったベージュの布。課題のためだけにつけられたスモックにありそうなポケット。フードにいたっては、一度反対に縫い付けて、悲しくなりながら解いた。裁縫が得意な友人に習いながらミシンを使って提出締め切りギリギリに仕上げた一品である。
15年どころではない。20....何年か、不毛なので計算は諦めた。
「流石にそれはやめときなよ、何か、こう、いい感じの買ったげるよ」
「お母さんはいいのよ、あんた自分の買いなさい、外で働いてんだから」
まさかのブーメラン。
私はファッションに疎い。非常に疎い。小学校から高校までは制服、大学生の時はジーンズがあれば何とかなるものである。資格試験の勉強のためにバイトはギリギリで、土日に短期で稼げるキャンペーンガールを主にしていた。高身長だが、サイズはSだったため、衣装も余裕で着れる。スタイルが良いのではない。単に飢えていた結果である。平日にたまに入れるバイト先の喫茶店の賄いは命綱であった。
そんな学生が洋服に割く金はなく、雑誌から出てきたような見目麗しい、同じキャンペーンガールをしていたお姉様方は、よく私に自前のコスメで丁寧なメイクを施してくれた。美人は優しいというのは都市伝説ではなく、本当であった。私はお礼にもならないが、撤去時、器材や荷物運びをコレでもかとして貢献した。男性スタッフがパイプ椅子を4席ずつ運ぶのを尻目に、腕は左右あるだろがと片手に4個ずつぶら下げ1度に8個運んでいた。長机を男性が端と端を持ち2人で仲良く運ぶのを、2つ重ねて縦にして1人で運びながら、チンタラしてんじゃねーよ、お姉様方が帰るの遅くなったら危ないだろうが!と思っていた。力には自信があったし、歴代オシャレとは無縁で、汚れても良い服しか着ていない。
今。大人は便利である。スーツがある。きちんとして見え、失礼にならず、信頼度も高い。良いこと尽くしである。急にクライアントとの打ち合わせが入った時、さもこのために普段から備えていますと言わんばかりに颯爽とスーツの上着を羽織れば仕事熱心に見える。まさかコーディネート音痴とは思われまい。
「スーツはいっぱいあるから大丈夫」
「普段着よ、あんたよくユニ●ロじゃない」
「ユニ●ロはもはや世界一人気のブランドだよ、大丈夫」
おかしい、私は母の服を何とかしたいのに、私の服をディスられている。軌道修正をしなくては。
「私は買うから、お母さんのも買おう」
「そうね、でもこのパーカー、便利なのよ。フードもあるし」
「雨に降られたとか?」
「いや、一度もないけど」
役立ってないじゃん、フード。
「色も目立たないから良いし」
ベージュのパーカーなんて溢れるくらいにある。少なくとも、ど素人がたった1度だけ触ったミシンで作った代物より企業努力尽くされた商品が。
「丈夫だしね、そういや、あんたソレ、ひざ。いい加減新しく買いなさい」
私は朝イチに受けた衝撃により、まだ着替えずパジャマである。ジェラ●ケの。可愛さではなく、暖かさとフワフワを追求して辿り着いた、シンプルな紺色を基調としたベーシックな上下。膝が破けたが、同じジェラ●ケであってもこの絶妙に柔らかな生地とは微妙に違い、買い替えていない。膝は既に3度繕っている。実家に犬がいると、色々な出来事が起きるのだ、なぜかピンポイントで私のパジャマの右膝部分にばかり。
「私のこれは、ホラ、勝ち抜きの結果だから」
苦しい言い訳をしてみたが、これを超える生地に出会えていないのは事実である。しかし、この格好では説得力がないことも事実である。
私はモゴモゴと言い訳しながら退散した。
帰省からの帰り際、祖母から小遣いを渡されかけた。バイトに喘いでいた孫など、高級取りと呼ばれる職についていようが、部下を持とうが役職がつこうが、何年経とうと祖母の中では変わらない。ベテランの年金受給者である祖母に「ちゃんと食べてるか」を心配された。結局、母による『貰うことも孝行』という謎の理屈により、1万円を握らされ私は帰宅の路についた。




