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そして悪役令嬢以外誰もいなくなった ~破滅フラグ復活。悪夢のホワイトデー卒業式~

作者: 青帯


「みんなに魔法を掛けた犯人が誰なのか突き止める必要がある。事件を最初から整理してみよう」


 卒業式の日、私のイチ推しはスチルイラストになりそうな立ち姿で言った。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇


◇2月13日 夜◇


 悪役令嬢転生は今や常識。


 ましてや乙女ゲーム『恋は魔法以上の魔法』を50周300時間プレーしてコンプリートしていた私に、かりがあろうはずもなかった。


 このゲームのことは知り尽くしている。


 ヒロインは『シグリッド魔法学園』に入学した女子生徒でありながら、魔力が皆無で魔法を使えないという特徴を持っている。


 その特徴ゆえに魔法学園の学生生活は苦難の連続だが、攻略対象の男子生徒たちが次々と現れて助けてくれる。

 その中の一人と交流を深めて卒業式の日に告白されることを目指す、というゲームだ。


 それを妨害してヒロインを徹底的に虐げようとするキャラクターがいる。

 有力貴族の令嬢で強力な魔力を持つ女子生徒。

 私が転生した悪役令嬢フレゼリカだ。


 フレゼリカはゲームのエンディングで『ざまあ』的に破滅を迎えてしまうが、私はそれを回避すべく全力を尽くしてきた。

 15歳の4月に入学して一ヶ月後に卒業式を控えた今日までの約三年間、ヒロインを虐げるどころか常に優しく接してきた。


 今ではヒロインとはすっかり仲良しで、女子寮のルームメイト同士だ。

 ゲームのどのパターンとも全く違う展開になっている。

 破滅フラグは全て折り尽くしたに違いない。


 私はネグリジェ姿でベッドに腰を下ろした状態で、そんなことを考えていた。


 ガチャ


 バスルームのドアが開いて素朴な印象の少女が出てきた。

 少し子供っぽいパジャマ姿だ。


「あなたもさっぱりしたみたいね。アリサ」


 ヒロインのアリサ。

 名前はゲームのデフォルト名だ。


「はい。フレゼリカ様」


 アリサは庶民の娘なので私を様付けで呼ぶ。

 文明は現代レベルでも中世のような王侯貴族制度は残っているという世界観だ。


 元のフレゼリカは自分より身分の低いものを見下していたが、私はそんなことはしない。

 だからアリサとも仲良くできている。


「───よいしょっと。はぁ」


 アリサは自分のベッドに座ると、天井を見上げて息を吐いた。


「どうしたの? ため息なんてついて」


「自分が嫌になっちゃって。魔法は使えないし、その上に不器用だし」


 アリサが視線を下に向けた。

 そこには壁際に並べられた二つの机がある。

 私とアリサの机で、それぞれに柄違いの紙袋が置いてある。


 その中にも柄の違うラッピング袋を入っているが、中身がバレンタイン用に手作りしたチョコレートだというのは同じだ。

 

 少し前まで一緒にチョコレートを作っていた。


 ただし───。

 

「チョコレート、フレゼリカ様と違って上手くできなかったなあ」


 アリサのチョコの出来栄えが難ありなのは確かだ。


 私の分は特に問題なく出来た。


 溶かしたチョコレートを星型やハート型のアルミカップに流し込んで固めるだけの作業で、普通ならそうそうミスなどしない。

 ところがアリサは、チョコを溢れさせるミスを繰り返し、形が整ったものを作れないうちにカップを使い果たしてしまった。


「もうお店に買いにも行けないしなあ」


 寮の門限時間はとっくに過ぎている。


「一生懸命作っていたじゃない。ちょっとぐらい形が悪くても、きっと喜んでもらえるわ」


「うーん。どうかなあ。ステファン君、結構イジワルなところあるし」


 ステファンというのは、アリサが熱を上げている攻略対象の一人だ。


 ヒロインがくれたラブレターを男子生徒たちで回し読みして馬鹿にしたりする。

 そんなふうにひねくれてはいても、本当はヒロインのことが好きという面倒な男子だ。

 見た目がチャラいということもあって私の好みではない。


 私の推しは別のキャラクターだ。


「フレゼリカ様は、ヴィクター様にチョコをあげるんですよね?」


「そのつもりよ」


 ヴィクターも攻略対象の一人だ。

 この国の王太子で学園の元生徒会長。

 クールな知的男子で私のイチ推し。


「でもいきなりチョコレートを渡したりしたら、嫌がられるかしらね」


 転生してフレゼリカになってからは遠くから眺める程度だった。

 話したことさえない。 


「ヴィクター様は紳士だから大丈夫ですよ」


「うん。そうね」


 ヴィクターはそういうキャラクターだ。


「明日はお互い頑張りましょう」


「はい!」


「さあ。休みましょうか」


 明かりを消してそれぞれのベッドに入った。


「そういえば私がお風呂に入ってたとき、フレゼリカ様は独り言をいってませんでした? 『好きだ』とか」


「そ、そんなことを言ったかしら?」


「ちょっとだけど聞こえましたよ。ヴィクター様のことですよね?」


「も、もう」


「うふふ。でもその後に『白い結婚』なんて言葉も聞こえたような?」


「───気のせいではなくて?」


「そうかなあ。まあはっきり聞こえたわけではないので。ふわぁ。お休みなさーい」


 アリサはすぐに寝息を立て始めたようだ。


 安心した。

 ある理由で、そういうことを呟いたのは確かだ。

 

 それはともかく───。


 これまで攻略対象の男子との接触はできる限り避けてきた。


 アリサとの対立要因になって破滅フラグが立つことになりかねないからだ。


 だがアリサはヴィクターを特別好きだという訳ではなく、むしろ私を応援してくれている。


 アリサの寝顔を見つめた。


 転生前の私は孤独なOLで、自宅で倒れても誰にも助けてもらえずに命を落としてしまった。


 高校時代も寂しいもので、恋人どころか友達もいなかった。


 転生してアリサと仲良くなってからは毎日が楽しい。


 そして明日、学園生活最後のバレンタインデーにチョコを渡す。


 高校時代、好きな男子がいてバレンタインのチョコを用意したこともあったが、拒絶されることが恐くて結局渡せなかった。


 チョコレートは自分で食べた。

 ほろ苦い味がしたことを覚えている。


 でも明日は勇気を出してヴィクターに渡そう。

 そうすればホワイトデーと同じ卒業式の日に、きっと───。

 

 そんなことを考えているうちに、だんだんと眠りに落ちて行った。


◇2月14日 朝◇


 ガサガサ

 ポリポリ


 物音に気付いて目が覚めた。

 机のあたりに人影が見える。


「アリサ?」


 私は眠い目をこすりながら呟いた。


「ヒュ、ヒュレゼリカしゃま」


 アリサが妙な声を出した。


「おひゃ、おはようございます」


「おはよう。何をしていたの?」


「べ、別に。ちょっとお手洗いに行っていただけです」


「そう?」


 少し妙に思いながら目覚まし時計を見た。

 朝食に合わせて起きる普段の起床時刻より30分ほど早い。


 身支度をして制服に着替えると、二人で食堂に行に向かった。

 少し早い時間だったが朝食は出してもらえた。


 朝食を済ませて部屋に戻って来ると、それぞれチョコの紙袋を鞄に入れて早めに登校した。


「面と向かって渡すのは恥ずかしいから、私は靴箱に入れることにします」


 昇降口に着くと、アリサはステファンの靴箱に手早く紙袋を入れた。


「フレゼリカ様は?」


「放課後に直接手渡すわ。行きましょう」


 アリサとはクラスも同じだ。

 一緒に教室に向かった。

 ヴィクターやステファンなどは私たち二人とは別のクラスだ。


 教室で席に座っているとクラスメイト達が登校してきた。


「チョコ、持ってきた?」


「もちろんよ。ホワイトデーは卒業式と同じ日だし、お返しをもらうのと同時に告白なんてされたりしたら。きゃー」


 女子を中心にバレンタインデーの話題で盛り上がっている。


「好きになってもらえるように、チョコに魔法を掛けちゃおうかな。でも効果はほんのちょっぴりなのよね」


「しかも食べる前に気付かれちゃうわよ。相手も魔法学校の生徒なんだもの。魔力が高ければ魔法が掛けてあると気付かれないように隠すこともできるけど、あなたじゃ無理でしょ」


 魔法学校の生徒ならでは会話が耳に入った。


 フレゼリカは強力な魔力の持ち主だが、使える魔法は限定されている。

 相手に好感を抱かせるような魔法、それに回復魔法なども使えないようだ。


 そして私の魔法の知識はゲームで得たものに過ぎず、それほど深くはない。


 転生後も破滅フラグを回避するのに必死で、魔法の授業のときも上の空だった。


◇2月14日 昼◇


「魔法には、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚など、五感を刺激することで相手の体や精神に異変をもたらす種類のものがあります」


 先生が黒板に板書した内容を読み上げているが、これは知っている。

 チョコに魔法を掛けて食べさせて好意を抱かせるのもその一種だ。


「熟達すれば一定期間を経てから効果を発揮させることも可能です。その場合、合言葉などの解除方法を設定しておくのが一般的であり───」


 キーンコーンカーンコーン♪


 終鈴が鳴り響いて、今日最後の授業が終わった。

 今日は半日だ。

 ホームルームもすぐに終わって放課後になった。


「今日はもう帰ります。本命だと書いてある手紙が入れてあるので、ステファン君に会うとからかわれちゃうかもしれないですし」


「分かったわ」


 アリサと小声で囁き合った。


「フレゼリカ様、ファイト、です」


 アリサはそう言うと速足で教室を出て行った。

 チョコを渡せるよう励ましてはくれたが、その様子がややぎこちないと感じたのは気のせいだろうか。


 私は首を傾げつつもヴィクターの教室に向かった。


 彼の姿は見当たらなかった。

 それなら生徒会室かもしれないと思って行ってみることにした。

 生徒会長引退後も後輩から頼りにされており、生徒会の活動に参加しているらしい。


 生徒会室まで行くと、入り口の前に三人の男子生徒がいた。


 その中の一人に注目した。


 クールで落ち着いた雰囲気。

 長身で銀髪。

 眼鏡が似合う知的で美麗な顔立ち。

 誰もが惚れ惚れするような美男子。

 ヴィクターだ。


「なるほど。要望は検討するよう、生徒会の後輩たちに伝えておく」


 ヴィクターは眼鏡のブリッジを指で押さえながら言った。


「元生徒会長のヴィクター王子が言って下さるなら心強いです」


「よろしくお願いします。噂通り、頼りになる方だな」


 男子二人はヴィクターに一礼してその場を離れていった。


「君は確か、私と同じ三年生のフレゼリカ君だな」


 ヴィクターが私に視線を向けた。


「は、はい。わたくしのことをご存じとは、光栄ですわ」


「生徒会長時代、できる限りシグリッド学園の生徒のことを知るよう努めていた」


「まあ。そういったお心がけが、ヴィクター王子の人望につながっておりましたのね」


「そんなことより、君も生徒会に何か要望でも?」


「あ、いえ、その」


 私はしどろもどろになった。

 チョコレート渡したいのに体が動かない。


「おう。ヴィクター」


 不意に後ろから声がした。

 振り返ると、多数のピアスをつけたチャラけた感じの男子生徒が立っていた。

 ステファンだ。


「今はフレゼリカ君と話している途中なのだが?」


「じゃあさっさと済ませてくれよ」


 ステファンが迷惑そうに私を見た。


「あ、いえ。なんでもないです」


 私は平静を装って生徒会室から離れた。

 とんだ邪魔が入ったものだ。


 少し校舎を歩き回って時間を潰した。

 そろそろ生徒会室に戻ってみようと思ったとき、ステファンを見つけた。


 体格の良い男子生徒と話している。

 相手はジェイコブ。

 攻略対象の一人で、少々喧嘩っ早いものの真っすぐな性格の持ち主だ。


「なんだよステファン?」


「今日バレンタインだろ? ジェイコブにも友チョコやるよ。ほら」


 ステファンは小さなアルミカップをつまんで差し出した。


「男からかよ。ちょっと気持ち悪いけど、まあ食えるもんなら何でももらうぜ」


 ジェイコブは受け取ったアルミカップをくと、中身のチョコを口に放り込んだ。


「これから他の奴らにもやるけど、余ったらもっとやるから、お前も来いよ」


「ふぁかった。ふぃくぜ」


 ジェイコブはチョコを口に入れたまま言うと、ステファンに続いた。


 私は遠ざかってく二人の後姿を見ながら立ち尽くしていた。


 どうことだろう。

 ステファンはアリサが下駄箱に入れた紙袋を持っている。

 チョコもそこから取り出していた。


 私は少し距離を置きながら二人をつけてみることにした。


 二人は廊下の突き当りの空き教室に入った。


 そっと中を覘くと、男子生徒が9人いた。


 タイプは違うが全員がイケメン。

 それもそのはずで、ステファンとジェイコブ以外の7人も『恋は魔法以上の魔法』の攻略対象だ。

 ヴィクターを除いて攻略対象が勢ぞろいしている。


「みんな、友チョコ食ってくれ」


 ステファンは紙袋からラッピング袋を取り出すと、その中のチョコをジェイコブ以外の七人に次々と配って行った。


 七人はなんだかんだと言いながらもチョコを食べた。


「実はこれ、俺の靴箱に入ってたチョコなんだよ。誰がくれたか分からないから怖くて、みんなに食ってもらおうと思ってさ」


 ステファンがおどけた口調で言った。


「あれ? 今まで気が付かなかったけど、紙袋の中に手紙が入ってたぜ。どれどれ」


 ステファンが手紙を取り出した。


「あ、アリサからだ。本命のチョコだって書いてある。マジかよ。ウケるー」


「てめえ!」


 ジェイコブが笑っているステファンを殴り倒した。


「い、痛えな! 何しやがる!」


 ステファンが尻もちをついた状態で言った。

 殴られた頬を押さえている。


「お前、本当は手紙のこと分かってただろ! それなのに見せびらかしたくて、こんな真似をしやがったな!」


 ジェイコブが、床に落ちた手紙、紙袋、ラッピング袋を見ながら言った。


「だ、だからって、何も殴ることねえだろ」


 ステファンは立ち上がると、やや怯え気味に言った。


「お前がアリサの気持ちを踏みにじるような真似をするからだ! ん?」


 ジェイコブが外にいる私に気付いた。

 すると、他の全員の視線も私に集中した。


「悪いけど取り込み中だ。どっか行っててくれねえか?」


「え、ええ」


 私は逃げるようにその場を立ち去った。


 嫌なものを見てしまった。

 そう思いながら昇降口を出て女子寮に向かった。


 もうヴィクターにチョコを渡す気にはなれない。

 鞄からチョコの紙袋を取り出すと、途中にあるゴミ箱へと投げ入れた。


「フレゼリカ様。ヴィクター様に、チョコは渡せましたか?」


 寮の部屋に戻ると、アリサがおそるおそる訊ねてきた。


「いいえ。渡せなかったわ」


「そうですか。チョコはどうしました?」


「捨てちゃった」


「ちょっともったいなかったかもしれないですね」


 そう言いながらも、アリサが少し安心したように見えた。


「ステファン君、チョコ喜んでくれたかなー」


 うきうきとしているアリサを見ると心が痛んだ。


 あのチョコはほとんどが他の男子に食べられてしまった。

 それにしてもステファンには腹が立つ。


 ふと、誰もチョコの出来栄えに触れていなかったことを思い出した。

 部屋の外からでは見えなかったが、なかなか難ありだったはずだ。

 女子と違って男子はあまり気にならないのだろうか。

 

 そういえばアリサも、上手くチョコを作れなかったと悩んでいた昨日とは様子が違う。


 少しだけ違和感を覚えたが、そのことも、学校で見てしまったことも、結局アリサには言わなかった。


◇3月14日 朝◇


「おはようございます。フレゼリカ様」


「おはよう。アリサ」


 ベッドから上半身を起こして挨拶を交わした。


 あっという間に一ヶ月が経った。

 ホワイトデー、そして卒業式の日でもある。


「今日は卒業かあ。あと数日でお別れですね」


「そうね。寂しいわ」


 二人とも数日で寮を引き払うことになっている。

 別れが辛いと思うのは、それだけ私の中に占めるアリサの割合が大きくなっていたからだろう。


 私自身はヴィクターや他の男子とは何もなかったが、アリサは告白されるだろう。

 最後まで応援しようと思いながら着替えを済ませた。


「きっと今日、ジェイコブ君から告白されるわよ」


「ちょっ、フレゼリカ様ってば」


 アリサが顔を赤くした。


 バレンタインデーのことは、傷つけたくないという思いから誰もアリサに言わなかったようだ。


 だがジェイコブはアリサに気を遣うようになり、何かと構い始めた。

 アリサの気持ちも自然とジェイコブへと傾いた。


 ステファンは馬鹿なことをしたものだ。

 嬉しくて自慢したかっただけなのだろうが、そのせいでチャンスを逃した。


 しかもまだ未練があるらしく、ときどきアリサに話しかけては素っ気なくされていた。


 アリサの意中の男子は、もうジェイコブに変わっている。


「えへへ。それより朝ごはんですよ」


「はいはい」


 はにかむアリサに背中を押されながら食堂に向かった。

 卒業式は午後からというスケジュールだ。

 朝は余裕がある。


 アリサや他の何人かと一緒にゆっくりと朝食を取っていると、周りがざわめき出した。


 食堂に入って来た男子に注目が集まっている。

 ステファンだ。こちらに向かってくる。


「よお。アリサ」


「ステファン君? ここ女子寮の食堂だよ」


 アリサが少し引き気味に言った。


「渡したいものがあってさ。今日はホワイトデーだろ? バレンタインデーのとき、お前は俺に本命のチョコくれたじゃねえか。そのお返しを持ってきたんだ」


 アリサの表情がはっきりと曇った。


「ちょっとあなた。人の目があるところで、そういうことを言うものではありませんわよ」


 私の注意にステファンは鼻を鳴らした。


「ふん。引っ込んでろ。俺たち二人の問題だ。ほらよ、クッキー」


 ステファンが小ぶりの包みをアリサの前に置いた。


「いらないよ」


「そう言うなって」


「分かった。もらっておくよ。ありがとう。もう行って」


「ちっ」


 ステファンが舌打ちした。


「すぐに捨てるつもりじゃねえだろうな」


「そんなことしないよ」


「信じられるか」


「ああ、もう!」


 アリサは包みを解くと、中のクッキーを取り出して一気に頬張ほおばった。

 さらにコップの水で流し込む。


「食べたよ。これで満足だよね? 帰って」


「おい。なんでそんな態度を取るんだよ。お前は俺のことが好きだったはずだ。なんでジェイコブなんかに乗り換えたんだよ!」


 アリサが両手をテーブルに叩きつけるようして立ち上がった。


「誰を好きになったって、それは私の勝手───」


 アリサが反論の途中で、いきなり前のめりに倒れた。

 テーブルに倒れ込んだまま動かない。


「アリサ? 気分でも悪いの?」


 私はアリサの背中をさすった。

 まるで反応がない。

 体に悪寒が走った。


「アリサちゃん! 目を覚ましてよ!」


「どうしたの? ねえ! ねえ!」


 他の女子生徒たちも血相を変えて心配を始めた。


「お、おい。大丈夫かよ?」


 ステファンがおろおろとしている。


 だが───。


「あなた、このクッキーに何か妙な物でも入れましたの?」


 私は立ち上がると、テーブルの上に残った包みを指さしながらステファンを問い詰めた。


「ちっ、違う! 店で買った普通のクッキーだ!」


 ステファンは周りに呼びかけたが、全員が恐怖と疑いの視線を向けている。


「お、おい。変な冗談はやめろよ、おい!」


 ステファンもアリサの肩を揺さぶったが、やはり動かない。


「ち、ちくしょう! 俺は何もしてねえぞ!」


 ステファンが食堂から駆け出して行った。


 その途端、逆に食堂は騒然となった。

 パニック状態だ。


 私もそうなりそうだったが、アリサのために冷静になろうと自分に言い聞かせた。


 アリサの顔を少し傾けた。

 苦しそうに目を閉じている。


「ねえ、起きて」


 呼びかけてもやはり反応はない。

 口の近くに手を置いてみると、呼吸はしているようだった。


 さらにアリサの手首を握った。

 手首はしっかりと脈打っている。

 それでもアリサは、目を閉じたまま全く反応を示さなかった。


◇3月14日 昼◇


 午後になると卒業生は体育館に集合した。

 並べられたパイプ椅子に座っている。

 だがアリサの椅子は空席になっていた。


 あれからすぐに先生が駆け付けてきた。

 そしてアリサは病院に搬送された。

 いまだに意識は戻っていないらしい。


「フレゼリカ」


 私の近くにジェイコブがやって来た。


「ジェイコブ君」


「お前はアリサのルームメイトだったよな? 教えてくれ。昨夜とか今朝とか、アリサは体調が悪そうだったりしたか?」


「いいえ。そんな様子はありませんでしたわ」


「ならやっぱり、ステファンの奴が何か盛ったってことか」


 ステファンの席も無人になっている。

 生徒指導室に待機させられているらしい。

 先生からの問い掛けには、何も知らないと言い張っているそうだ。


「くそ。アリサがもしこのまま目覚めなかったりしたら、絶対に許さねえぞ」


 ジェイコブはそう言うと、私の少し前の席へと戻って行った。


 それから間もなく卒業式が始まった。

 校長の挨拶や来賓の挨拶などが続く。

 私はアリサのことが気になって上の空だった。


「卒業生代表、答辞」


 壇上でヴィクターが答辞を読んでいたときは少し注目していたが、それも終わった。


「ジェイコブ君。居眠りしないで。重いってば」


 少し前の方の声が耳に入った。

 ジェイコブの大きな体が隣の生徒にもたれるように傾いている。

 嫌な予感がした。


「ちょっと失礼」


 私は席を立つと、姿勢を低くした状態でジェイコブに近づいた。


「ジェイコブ君。どうなさいましたの?」


 揺さぶっても目を閉じたままピクリとも動かない。

 これは───。


 私は壁際に座っている先生に事情を伝えた。

 男の先生二人がジェイコブを挟んで支えながら連れ出していく。


 まさかアリサに続いてジェイコブまで。

 そう思いながら自分の席に戻った。


「シグリッド魔法学園校歌斉唱。卒業生起立」


 私を含む生徒全員がパイプ椅子から立ち上った。

 壇上のピアノの演奏に合わせて学園の校歌をみんなが歌い始める。


 私はとても歌う気になれず、ただぼんやりと立っていた。


 ドサッ


 何か物音がした。


 ドサッ


 まただ。

 それにどよめきが巻き起こっている。


 ガシャン


 今度はパイプ椅子の金属音が聞こえた。

 近い。

 男子生徒がパイプ椅子と一緒に倒れている姿が目に入った。


 あたりを見回した。

 後ろを向いた途端、見覚えのある男子生徒が崩れるように倒れた。

 そのまま全く動かなくない。

 近くの生徒に呼び掛けられてもピクリともしない。


「嫌っ! 何がどうなっているの!?」


 女子生徒が悲鳴を上げた。

 もうピアノの伴奏も校歌の斉唱も止まっている。


 体育館全体を見回した。

 何人もの生徒が倒れて気絶したまま動かなくなってしまっているらしい。

 呼び掛けられている者もいるが、反応はない。


 まるで悪夢のようだ。

 そう思うと恐怖で身がすくんだ。


 だが───。


 少し前を男子生徒が通ると、そちらに意識が向いた。

 ヴィクターだ。

 倒れている生徒に歩み寄って冷静に観察している。

 それを三、四人繰り返すと、ざわめく体育館から出て行った。


 私は気になって後を追った。


「ヴィクター君」


 体育館から渡り廊下に出たところで声を掛けた。


「フレゼリカ君か」


 ヴィクターは一瞬足を止めて振り返ったが、すぐに歩き出した。


 小走りで隣に並ぶ。


「どこに行こうとしているの?」


「生徒指導室だ」


 はっとした。


「ステファン君のところに行くのね?」


「そうだ」


 校舎に入った。


「アリサみたいに、他のみんなもステファン君のせいで気絶してしまったということ?」


「その可能性も無くはないが、むしろ───」


 生徒指導室の前に到着した。


 中を覗くと、ステファンと先生がテーブルを挟んで向かい合っていた。


「アリサはまだ目を覚まさないらしい。クッキーに何を入れたのか答えてくれないか? それが分からないと助けようがないんだ」


「だから何も入れてねえって何度も言ってんだろ」


 先生の問い掛けにステファンが舌打ちをした。


「だが包みに魔力の痕跡はなかった。君の魔力では隠すことは不可能なはずだから、毒を入れたとしか考えられない」


「魔法も掛けてねえし、何も入れてね───」


 しゃべっている途中で、ステファンがテーブルにうつ伏せに倒れた。


「おい。ステファン。目を開けろ! おい!」


 先生がステファンを必死で揺さぶっている。

 だがまるで反応は無かった。

 アリサやジェイコブたちと同じだ。


「思った通り、あいつも被害者だったようだ」


 ヴィクターの言葉を聞いて愕然とした。


「少し話を聞かせてくれないか?」


 ヴィクターに促されて空き教室へと移動した。

 一ヶ月前にステファンがみんなを集めていた場所だ。


「事件解決に協力して欲しい。フレゼリカ君」


 ヴィクターが私を見つめてきた。

 イチ推しと二人きりだ。

 こんなときなのに少しドキリとしてしまった。


「わ、わたくしでよければ喜んで協力させて頂きますわ。でも、どういうことなのか見当もつかなくて」


「先生は毒の可能性の方を疑っていたが、この事件には明らかに人を昏睡状態にする種類の魔法が使われている」


「人を昏睡状態にする種類の魔法───」


「そして何の魔法が使われたのかを突き止めることさえできれば、それに応じた目覚めや回復の魔法を使って治療も可能になるだろう」


「アリサたちを助けられるということですの?」


「うむ。ただし魔法の正体を知っているのは犯人だけだ」


「犯人だけ───」


「その通りだ」


 そう言うとヴィクターは、眼鏡のブリッジを人差し指で押さえた。

 まるでスチルイラストになりそうな美麗な立ち姿だと思った。


「みんなに魔法を掛けた犯人が誰なのか突き止める必要がある。事件を最初から整理してみよう」


「は、はい」


 私は見とれていたことを悟られないよう、大きくうなずいた。


「よろしく頼む。まず今朝の食事の時間、アリサ君が女子寮の食堂で突然気絶してしまったと聞いている」


「その通りですわ。ステファン君が持ってきたクッキーを食べた直後に倒れたのをこの目で見ました。呼び掛けても全然反応がなくて」


「うむ。だが、クッキーを食べた直後に気絶したのは偶然だったようだ。食べさせたステファンも、生徒指導室で突然気絶してしまった。クッキーに細工をしたとも、みんなを気絶させた犯人とも思えない」


「今となってみると、確かに」


「少し前後してしまったな。その前に体育館でのことだ。まずジェイコブが気を失ったままになってしまった。君が近づいて様子を確認しているのを見たが」


「ええ。ジェイコブ君は座った状態で気絶していたから、そこまで大きな騒ぎにはならなかったけど」


「だが校歌斉唱中に男子生徒たちが次々に倒れ始めると、体育館はパニック状態になった」


 ヴィクターが少し気になることを言った。


「倒れたのは、ジェイコブ君以外も全員が男子生徒でしたの?」


「確認したので間違いない。倒れたのは七人で、名前は───」


 読み上げられる名前を聞いて、あることに気付いた。


「それって」


 全員がゲーム攻略対象の男子生徒だ。

 そのうちの一人は、体育館で倒れる瞬間を目撃した。


「気付いたか? 7人全員が一ヶ月前のバレンタインデーの放課後、ここに集まっていた者たちだ。ジェイコブとステファンもその場にいたメンバーだ」


「あっ」


 メタ的ではない別の共通点を聞かされて、思わず声を上げた。


「ジェイコブに聞いたが、君も外から覗いていたそうだな」


「はい。その少し前に廊下で、ステファン君が友チョコだと言ってジェイコブ君にチョコレートを食べさていたのが気になったので。ここで他の皆様にも友チョコだと言って配ったチョコレートを食べさせていましたわ。でも───」


「だが本当は、アリサ君が本命としてステファンに贈ったチョコレートだった。そしてあいつはそのときに気付いたというような、見え透いた嘘を付いた」


 私はうなずいた。

 あのときは胸が悪くなるものを見たと思ったものだ。


「愚かな奴だ。ジェイコブが怒って殴り倒したのも無理はない」


「私はそこまでしか見ていませんでしたが、ヴィクター様はその後のことも知っていらっしゃいますの?」


「聞いた話によるとジェイコブは『あと一個チョコが残っているから、せめてそれだけでも食べろ』と、無理やりステファンの口に押し込んだそうだ」


「そんなことが」


「さて。彼らがチョコを食べた順番を整理してみたい」


「順番?」


 まずジェイコブ。

 次に他の七人。

 最後にステファン。


 ヴィクターが淡々と言った。


「一ヶ月前にチョコを食べた順番と、今日気絶した順番は一致している」


 確かにそうかもしれない。


「でも、それが何か? 仮に毒などを入れてあったとしても、一か月後も経った今日になって急に、しかも順番に効果が表れるなんてありえないと思いますが。それに犯人は毒ではなく魔法を使ったという話になったはずでは? あっ!」


「そう。チョコには毒が入れてあったのではない。食べることで味覚を刺激して昏睡状態に陥らせる魔法が掛けられていたのだと私は考えている。魔法なら発動までに正確な時間差を設定することも可能だからな」


「なるほど」


 確かにそういう魔法が使われていたと考えれば事件に説明がつく。


「バレンタインの2月14日は授業が半日だった。だから正午をある程度過ぎた時間に全員がチョコレートを口にしたはずだ。そして今は3月14日の13時をある程度過ぎた時刻」


 ヴィクターが腕時計に目をやった。


「チョコを食べて1ヶ月と1時間が経過すると、昏睡状態に陥る魔法が発動する仕掛けなのだと考えられる」


 だとすれば───。

 

「犯人はやっぱり、みんなにチョコを食べさせたステファン君? ジェイコブ君に無理やりチョコを食べさせられてしまったから、自分も気絶して」


「違う。時間差を置いて発動する魔法を使う場合、解除方法を設定しておくのがセオリーだ。仮にステファンが犯人だった場合、解除せずに一ヶ月放置したままにして、自身も昏睡状態に陥るとは考えにくい」


「確かに」


「ステファンが入手した時点で、既にチョコには魔法が掛けられていたと考えるべきだろう」


 はっとした。


「だとすると犯人は、チョコを作ってステファン君の靴箱に入れたアリサということになってしまうのでは」


「だがアリサ君は魔法を使えないだろう?」


 私は胸を撫で下ろしたが、ヴィクターは腕時計をみつめて表情を曇らせた。


「時間がないな」


「どうかされましたの?」


「実はあのチョコをバレンタインに食べたのは私も同じだ。ステファンが生徒会室に持ってきたものを食べた」


「ええっ」


 私が立ち去った後で、ステファンはヴィクターにもチョコを渡していたのか。


「私がチョコレートを食べたのは生徒会の活動を始める13時の少し前だった。14時の少し前には、私も昏睡状態に陥ってしまうということになる。もう、それほど時間はない」


 ヴィクターは私を見つめてきた。

 クールながらも、どこかうれいを含んだ眼差しだと感じた。


「本当のことを言ってくれ。犯人は君なんだろう?」


 私は唖然とした。


「私を含めた全員が違和感を覚えることなくチョコを口にしているが、魔法を掛けてあるのを気付かれないようにするにはかなりに強力な魔力が必要になる。この魔法学園内でもそれほどの魔力の持ち主は限られてくるが、君はそのうちの一人だ」


「それだけの理由で疑われるなんて、心外ですわ!」


「それだけではない。アリサ君が倒れたのは今朝の朝食の時間だ。つまり魔法を掛けられたのは、バレンタインデーの朝食の1時間前だったということになる。そんな早朝にアリサ君に何かを仕掛けることができるのは、ルームメイトの君くらいのものだ」


 ヴィクターが信じられないことを言っている。


「例えば、彼女のチョコレートに掛けたのと同じ魔法を別のチョコに掛けて、朝起きた時に友チョコだと言って食べさせたとか」


「そんなことはしていませんわ!」


 私は首を横に振った。


「こうなったら言いますけれど、確かにわたくしはチョコに魔法を掛けましたわ。時間差で効果を発揮する形で」


「やはり───」


「違います! 魔法を掛けたのは自分の作ったチョコにです。それも、ちょっと恋の後押しになるような魔法を掛けただけで───」


「そのチョコレートを誰に渡したのか、教えてもらっていいかな?」


「渡さずに、捨てました」


「なぜ?」


「ステファン君のした嫌なことを見てしまって、渡す気になれなくなってしまったからです。でも───」


 ほお火照ほてるのを感じた。


「───本当は、ヴィクター様に渡すつもりでした」


 ヴィクターの表情が少しだけ動いた。


「もしかして、バレンタインの日に君が生徒会室に来たのは、そのためだったのか?」


「───はい。ステファン君が来なければ、渡せていたかもしれません」


 私は精一杯の笑顔を作った。

 けれど、涙がほおを伝ってしまうのを感じた。


「もしかして君は、私のことを?」


 私は小さくうなずいた。


 するとヴィクターは、私の涙を指先でそっとぬぐってくれた。

 

「あっ」


「君の言うことを信じよう」


 ヴィクターはクールな口ぶりのまま言った。


「ありがとう、ございます」


「だが今は浮いたことを話している場合ではない。何か手掛かりはないだろうか? どんな些細なことでもいい。バレンタインの頃に気になったことがあったら、教えて欲しい」


「分かりましたわ。ええと───」


 今はアリサたちを助けるために犯人を突き止めるのが先決なのは確かだ。

 私は必死になって一ヶ月前のことを思い出した。


「私とアリサは二人で一緒にバレンタインのチョコレートを作りました。彼女は不器用で、私の作った物にくらべて完成したチョコの形は良くありませんでしたけれど、ステファン君に渡すために一生懸命作っていたのを覚えていますわ」


 ヴィクターがピクリとした。


「あの、何か?」


「いや、いい。続けてくれ」


「彼女はステファン君に形の良くないチョコレートを渡すことを少しためらっていたので、励ましたりしました。他には───」

 

 さらにあの頃の記憶を辿る。


「そういえばバレンタイン当日、アリサはいつもより早く目覚めたようでしたわ。私たち二人のチョコを置いた机の近くにいたような。それに何かしゃべり方が変だった気がしますわ」


「なるほどな」


 ヴィクターは眼鏡のブリッジを指で押さえた。


「真相が判明した。この事件の犯人は、三人いたということだ」


 思いも掛けなかったことを言われた。


「三人もの犯人による、共犯!?」


「いや。全員が意図せずに行動した結果、この事態を招いた」


 ヴィクターが遠くを見るような眼をした。


「最終的な実行犯とも言うべき人物は、直接みんなにチョコを配ったステファンだ」


 あのチョコが原因ならそうなのだろう。


「そしてその一歩手前、中継ぎの役割を果たしたのはアリサ君だ」


「中継ぎ?」


 どういうことなのだろう。


「実は、生徒会室でステファンから差し出されたチョコレートは、しっかりと形が整ったものだった」


「いいえ。お世辞にも、アリサの作ったチョコレートの形が良かったとは」


「その通りだ。私やみんなが食べたチョコレートは、アリサ君が作ったものではないからな」


「アリサが作ったものではない、ですって!?」


「彼女は自分の作ったチョコレートの形が悪いことに悩んでいた。だから別のものに差し替えたのだろう。そのときに試食をしていたせいで、しゃべり方がおかしかったに違いない」


 差し替えに、試食───。


「まさか、バレンタインの早朝に?」


「そうだ。その日の彼女は、君に対して後ろめたいような様子だったのではないかな?」


「なんとなく、そんな覚えがありますわ」


「だろうな。なぜなら、自分が作ったチョコレートと、フレゼリカ君の作ったチョコレートを入れ替えたことに後ろめたさがあったからだ。意中のステファンに、形の良いものを渡すためにな」


「アリサが、わたくしの作ったチョコと自分の作ったチョコを入れ替えた!?」


「そうだ。つまり君が捨てたと言っていたチョコは、実はアリサ君のチョコだったということだ」


 私が女子寮に戻る前に捨てた紙袋の中身は、アリサの形の良くないチョコだったのか。

 そしてチョコを捨てたことを伝えるとアリサが安心してうきうきした様子になったのは、入れ替えたことがばれる心配がなくなったからだったのか。


「一方の君のチョコは、中継ぎのアリサ君の手でステファンの靴箱に入れられ、最終実行犯の奴が配ってみんなに食べさせた。その結果アリサ君のみならず、ジェイコブ、他の七人、ステファンまでもが今日になって倒れるという大惨事に発展してしまったのだ」


 私は言葉を失った。


「だが一番の元凶はチョコに魔法を掛けた君だ。つまり、君がみんなを昏睡状態にした犯人だ」


 ヴィクターの言葉が私を貫いた。


「わ、私は」


「本来ならそのチョコは、フレゼリカ君自身で私に手渡すつもりだったそうだな。ちょっと恋の後押しになるような魔法を掛けただけだと言っていたが、本当はどんな魔法を掛けた? さあ。白状してくれ」


 ヴィクターが眼鏡のブリッジを指で押さえながら私を見つめてきた。

 

「───私は自分のチョコに、『ナイトメア』の魔法を掛けただけですわ」


 その視線に抗えずに、私は呟いていた。


 ヴィクターが目を見開いた。

 それほど大それた魔法ではないはずなのに───。


「ナイトメア、だと!?」


「えっと、掛けられてから寝ると、悪夢を見てしまうというだけの魔法ですわよね?」


「違う! 相手を昏睡状態に陥らせた上に悪夢を見せる最悪の魔法だ」


「ええっ!」


 私は驚きの声を上げた。


「もしかして知らなかったのか?」


「はい。実は魔法にはそれほど詳しくなくて」


「くっ! ナイトメア発動が1ヶ月後きっかりではなくその1時間後だったのは、魔法の知識不足ゆえに発生した誤差か! 魔力が強いのに知識が不十分というのは、一番厄介だぞ」


 ヴィクターが額に手を当てた。


「とにかく、魔法の正体がナイトメアだと分かった以上、みんなを目覚めさせることも可能だろう」


「そ、そうですわね」


「まずは私に掛かっている発動前のナイトメアを解除してくれ。おそらく解除方法が設定してあるはずだ。例えば合言葉のような」


「確かに、合言葉で解除可能ですわ」


「なら話は早い。さあ。もう時間がないんだ。頼む」


「それでは───」


 私はコホンと咳払せきばらいをした。


「これから合言葉を伝えるので、その通りにおしゃって下さいませ。ヴィクター様」


「何? 君ではなく、私が合言葉を言う必要があるのか?」


「はい。解除方法をそのように設定致しましたので」


 バレンタイン前日のことだ。

 ナイトメアと一緒に解除方法をチョコに設定するために呟いているのを、入浴中のアリサに少し聞かれてしまったりした。


「分かった。何と言えばいい?」


「『好きだ』とおしゃって下さいませ」


「───君という奴は、つくづく……」


 ヴィクターが眉間みけんしわを寄せる。


「さあ、時間がありませんわよ」


「くっ。『好きだ』」


 キュン。胸がときめいた。


「これでいいんだな?」


 私は両方の手の平を上に向けて、肩をすくめた。


「それだけではありませんわ」


「何だと?」


「次は『私と結婚してほしい』と、プロポーズの合言葉をお願い致しますわ」


 ヴィクターが拳を握りしめる。


「───後で覚えていろ。『私と結婚してほしい』」


 胸の奥がトクンと鳴り響く。


「……はい。わたくしでよければ、喜んで───」


「ナイトメア解除のために嫌々言っているに決まっているだろう! 解けたか?」


 私は人差し指を立てて左右に動かした。


「ちっちっち。もう一声」


「むうう。後は何だ?」


「えっと。『結婚と言っても私たちはまだまだ若い。しばらくは清い関係でいよう。本当は君が欲しくてたまらないけれど、ホワイトデーだけに白い結婚で───』」


「そんなこと言えるか! うっ!」


 ヴィクターが突然、膝をついて前のめりに倒れた。


「ああっ! ヴィクター様! しっかりなさって!」


 だがいくら揺さぶっても、他のみんなと同じように全く反応がなかった。

 時間が来てナイトメアが発動してしまったようだ。


「こんなつもりじゃ、なかったのに」


 私はヴィクターにバレンタインのチョコレートを渡したかっただけ。

 そしてそのお返しとして、ホワイトデーの卒業式の今日、合言葉を言って欲しかっただけ。


 そうしてくれれば、ナイトメアは発動しなかった。


「言うだけならタダじゃないの。ケチ。悪夢にうなされるがいいわ」


 私は横たわっているヴィクターを残して部屋から出た。


「あっ、おい。ヴィクター王子が倒れているぞ」


 ある程度部屋から遠ざかったとき、生徒たちがヴィクターを見つけたようだった。


 やがて───。


 ジェイコブ。

 ステファン。

 他の攻略対象の七人。

 そしてヴィクター。

 全員がアリサと同じ病院へと搬送されていった。


 私は一人ぽつんとたたずんでそれを見送った。


 卒業式の日なのに、『恋は魔法以上の魔法』の主要キャラクターの中でシグリッド魔法学園に残っているのは私だけ。


 悪役令嬢フレゼリカの私以外、誰もいなくなってしまった。


「やっぱり青春は、ほろ苦いものなのね」


 孤独だった高校時代の卒業式を思い出してしまった私は、目元の涙を指先で払いながら呟いた。


 ちなみに───。


 その日の夜には全員が目を覚ました。

 食べたチョコが一粒ずつで、ナイトメアの効果はそれほど持続しなかったらしい。


 そして私がナイトメアについて黙秘したことはヴィクターによって周知された。


 その結果、ヒロインと攻略対象全員の敵意を一身に浴びることなったフレゼリカの破滅フラグは、見事に復活した。


 ===BAD END===


最後まで読んで頂いてありがとうございました。

少しでも楽しんで頂けましたら幸いです。

推理物としてズルイと感じるかもしれませんが、何卒穏便に。


感想、評価、ブクマ、リアクションなど頂けますと励みになりますので、どうぞよろしくお願い致します。

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そもそもこれ、ヒロインがチョコをすり替えなければ起きなかった事件なんだよなあ…… 主人公はすり替えられた事に気付いて無かったので黙秘もヘッタクレも無い上、すり替えられた事が分かってからはちゃんと何の魔…
 とても面白かったです。この事件はチョコレートに仕掛けた彼女だけが悪い訳ではないと思うのですよね。見栄を張った子も悪いですし、チョコレートをばらまいた子だって、王太子の口に毒見もしていない物を放り込ん…
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