【9・凍り付く事態】
空手部員4人を前に瑞雪は震えていた。しかし、後ろにある赤毛の女生徒を守る姿勢は崩さない。彼女は怯えるように瑞雪の制服を掴み、瑞雪より大きな体を必死に小さくしている。
校舎裏の塀際に、彼女たちは追い詰められていた。
人を求めて瑞雪は周囲を見回すが、見えるのは自分たちを楽しげに見ている4人の部員たちだけだ。大声を出そうとしても喉が震えてうまく出ない。
「お前、さっきの新聞部員か。本当によけいなことするマスゴミだな」
「よ、よけいなことをしているのはあなたたたちです」
「たがひとつ多いぞ」
「おまけです!」
かろうじて言い返してはいるものの、声が震えたままなので迫力がない。その様子に、迫る部員たちは何だか面白くなってきた。
「せっかくだから、2人とも付き合ってもらうか」
笑い合う部員たち。何があっても勝ちが決定していると確信した者の余裕である。
たまらず瑞雪は高尾を求めて視線を左右に振るものの彼の姿は見えない。
部員たちの楽しげな顔に、全身を悪寒が貫いて身震いする。
(やだ、怖い、怖い、怖いーっ)
震えながら、瑞雪は震えが自分だけではないことに気がついた。後ろにかばっている女生徒も同じように震えている。それが瑞雪を少し冷静にさせた。
(あたしが頑張らなくちゃ。この人はどうなるの!?)
男達を睨み返すが、それでも体の震えは止まらない。
(頑張れあたし、負けるな)
「どうしたそんなに震えて寒いのか」
(負けるな、負けるな、負けるな)
腹に力を入れて踏ん張る。4人から発せられる欲情のオーラに負けるなとばかりに、彼らの下卑た笑いを撥ね返そうとさらに力を入れた。
(?!)
瑞雪の中で何かが騒いだ。
(なに?)
心の奥底にある小さな小さなもの。だが、それは急激にふくれあがり、彼女の中に満ちてきた。満ちて、彼女そのものを別のものにしようとしていた。
瑞雪は目の前の男達のことを忘れ、必死にそれを押さえ込もうとしたが遅かった。
「何だ?」
空手部員たちが震えた。
「何だ。急に冷えてきたぞ」
「本当に寒いぞ!」
自分の体を抱きしめ、こすり始める。寒い。もう5月だというのに真冬の寒さだ。寒稽古の時に上半身裸で受けた雪まじりの風のようだった。寒いと言うより痛かった。冷気が無数の針となって体の表面を突き刺していく。
そして気がついた。
この冷たさは、目の前にいる瑞雪から発せられていることを。
彼女の肌は新雪よりも白くなり、黒髪が白くなり、周囲に広がりたなびいている。輝きながら舞う無数の氷の結晶を周囲に纏っていた。
目は大きく開かれたが、その中心の瞳もまた白かった。
「……思い……出した……」
空手部員たちの全身を寒気が貫いた。体が、魂が凍っていくのを感じながら彼らは気がついた。目の前にいる女の正体に。
「いい加減ぶっ倒れろ」
岩麻の蹴りが2度、3度と高尾に叩き込まれる。その度に高尾はふらつくが決して倒れない。だが、倒れないと言うだけで、高尾の動きもガードもほとんど効果がない。
(やべぇ、やっぱりこいつ強え……)
月の下では調子がいいと言っても、高尾に格闘の技術はほとんどない。全国大会優勝候補と言われる岩麻が相手では、逃げられる内は良いが、1度捕まるとあとは一方的だった。膝が崩れた彼の顔面に岩麻の拳がたたき込まれた。
一瞬意識が飛び、高尾は地べたに倒れ込んだ。吹き出した鼻血が地面を染める。
腹が痛い、顔が痛い、腕が痛い、足が痛い。とにかくみんな痛かった。
「よけいな手間かけさせやがって」
高尾の耳に入るのは岩麻の捨て台詞、目に入るのは頭上の月。
その月を背にした人の影が見えた。いや、正しくは人ではない。人は翼など生えていない。
幻覚かと思ったが、あまりにもその影はハッキリしていた。月を背にしているので顔は解らないが、彼にはその影をよく知っているように思えた。
(思い出せ)
その影はそう言ったように高尾には聞こえた。
(思い出せ)
彼は思い出した。瑞雪のことを。このままでは、最悪彼女も連中の毒牙にかかる。
途端、全身の痛みを忘れた。
「とどめ!」
ゆっくり溜めて叩きつけてくる岩麻の拳。高尾はそれをがっしと受け止め捕まえる。消して離さぬとばかりにその腕を掴んだまま彼は回るように立ち上がりそのまま岩麻をぶん回す! 足ではなく右腕を掴んでのジャイアントスイング。それもプロレスで見るより何倍もの回転速度。
吠えるようた雄叫びと共に高尾は岩麻をぶん投げる。
岩麻の体は文字通り宙を飛び、校舎の壁、2階の高さの所へぶち当たり、そのまま地面に落ちた。さすがの岩麻も受け身が取れない。地面が花壇で土なのが幸いだった。
下が軟らかな土とは言え、まともに背中から落ちて身悶える岩麻を残し、高尾は
「瑞雪!」
彼女が逃げた方へ走り出す。流れ出た鼻血を拭こうともしない。
彼を照らす月の中には、先ほどまでの翼の生えた人影はもうなかった。
校舎の脇を抜け裏に駆け込む高尾。本人も気づかないうちに鼻血は止まり、顔の痣などが綺麗に治っていた。
ひんやりとした空気を感じ、鼻に甘い水の匂いが入ってくる。母の田舎である高尾山に行ったときに嗅いだ川の匂いに似ている。
目の前にうっすらとちらちらしたものが舞っていた。
「雪?!」
今は5月だ。雪の季節はとうに過ぎている。
驚きつつも走る足は緩めない高尾の目に、見覚えのある空手部員が棒立ちになっているのが見えた。
「瑞雪、無事か?!」
棒立ちの部員に殴りかかろうとしたところ、足が滑り、思いっきりすっころんだ。
思いっきりお尻を打ち付け、痛みを堪えて顔をあげた高尾は言葉を失った。地面が凍っているのだ。スケートリンクのように氷が地面を覆っている。
空手部員達は凍り付いていた。全身に霜が降り、腰が引けているのは逃げようとしたらしい。瑞雪たちを追いかけた彼らは全員、立ったまま凍り付いていた。
瑞雪と赤毛の女生徒の姿はどこにも見えない。
「どこだ……どこにいった?」
はたと気がつき、ポケットから携帯電話を取り出し、瑞雪の番号をかける。
途端、足下で着信音が鳴った。瑞雪の携帯電話が氷の上に落ちていた。
「あの馬鹿」
辺りを探し回りながら、高尾はそのまま校舎裏を駆け抜ける。
警備員の詰め所に駆け込んだ。全身青あざと鼻血まみれの高尾の姿に警備員たちが驚いたが、高尾はそれにかまわず瑞雪を見なかったかどうかを聞く。
「女生徒なら真っ青になって校舎内に走っていったよ。後からもう1人」
聞いてすぐ高尾は校舎に飛び込むが、2人の姿はどこにも見えなかった。




