【30・羽宇の奥の手】
「俺が狼男のまぜものだってのを忘れるな。匂いが違うんだよ」
「匂いだと」
「そうよ。俺は瑞雪の匂いを追ってきたんだ。瑞雪の匂いはわかる。瑞雪の作った氷の匂いもな。瑞雪の作った氷はみんな同じ匂いだ。けど、瑞雪の家に入ったとき、瑞雪の親を凍らせていた氷は違う匂いだ。最初は特に氷の匂いなんて気にしなかった。俺自身思い出したばかりでどこまで鼻を信じていいのかもわからなかったしな。けどよ、こうして瑞雪が冷気を出す度に同じ匂いをかがされちゃ、確信せずにはいられねえ。
瑞雪はまだ人喰いの兆候は出ていないんだ! お前らは別の雪女を使って瑞雪の親を凍らせ、瑞雪に人喰いの兆候が表れたと思い込ませ、絶望させたんだ。一日も早く自分たちの仲間に引き入れるためにな。それがこの結果だ。
瑞雪を連れていくのに、まさかこんなこんな汚え手まで使うとは思わなかった。見損なったぞてめえら!」
荒れ狂う高尾の言葉に、鞍馬が頷いた。
「そうか。やっと仮説が仮説でなくなりました」
皆が鞍馬を見た。
「今まで感じていた違和感の正体がわかりました。桜島さんの両親の死に方。彼女の冷気から逃げるのなら玄関の近くにいるはずなのに、彼女の部屋の前、それも扉を背にする形で妻も夫にしがみつくようにしていました。
これは中の力を外に出るのを防ごうとしていたんじゃない。外からの冷気から娘を守ろうとしたんです。娘の部屋の扉を背に、娘には手出しさせまいと壁になり、そのまま凍り付いたんです」
自分のうかつさと同時に、尾似島と羽宇に対する怒りが沸々とわいてくる。
「これは人喰いを認めるかどうかの問題ではありません。彼女を苦しめるために親殺しの罪を着せる。そんなことをする連中を許せるかどうかです」
鞍馬は静かに刀を脇に構えながら、2人を高尾とはさみ撃ちにするように回り込む。その動きが高尾の力を戻らせた。
「善だの悪だのどうでも良い。だが、瑞雪に罪を着せた雪女と、それをさせた奴だけは許せねえ。どこにいる?!」
戦う気満々の2人に対し、尾似島は動かなかった。それどころか、むしろ呆然としているように見えた。
「尾似島、答えんか。高尾の言うことが事実ならば、さすがにわしも擁護できんぞ」
結界を張り続けながら、葛生が諭すよう言った。
だが、尾似島に葛生の言葉は届いていなかった。
「……どういうことだ?」
静かながら、その言葉には怒りが含まれていた。そしてその言葉が向けられたのは
「クレーバー!」
「……参ったなぁ。バレちゃった」
周囲の視線を一斉に浴びた羽宇が、まいったと言いたげに頭を掻いた。
「そう睨まないでよ。匂いまでは気がつかなかったな。そう怒らないの。その子を早く楽にしてあげたかっただけなんだから」
「てめえの差し金か」
敵意をむき出しにする高尾を羽宇は鼻で笑い
「あんたたちにわかる? あたしら人喰いが、兆候が出てからそれを受け入れるまでどんなに苦しいか。今まで家族や友達だったのが、ただの餌にしか見えなくなるのよ。おなかが空くほどそれが激しくなって、満腹になってふと理性が戻ったら、家族や友達はお腹の中。
こんな苦しみは、なるべく早く、楽な形で終わらせたいじゃない」
鞍馬の嘴がなった。その言い分は彼にもわかる。彼らもまた、突然思い出したまぜものたちの不安を取り除くために高校に潜り込んでいるのだから。
「それがどうした。だから瑞雪が死んだのは自分たちのせいじゃねえって言うのか」
「まさか、出来の悪い人間じゃあるまいし。理屈をこねて自分の罪を軽くしたり無くしたりなんてしないわ。だけど、あたしも死ぬのは嫌だし痛いのも嫌いだから、素直に罰を受ける気はないわ。罰したいなら、力ずくで来なさい」
羽宇の爪が毒々しく尖り、翼にシャープさが増す。明らかに戦闘モードだ。
対する高尾も戦闘モードだ。全身の羽が逆立ち、翼が大きく広がる。尾似島に受けた傷がむしろ生々しい気迫を作り出している。
「言われなくてもやってやる」
「女を暴力でぶちのめすなんて男としてどうかしら」
「それがどうした。相手が女だろうとかまわねえ。周りからどう言われようと知ったことか。俺はてめえをぶちのめす。さぁ、もう1人の雪女はどこにいる?!」
「ここにいるわ」
言った途端、羽宇の肌が白くなった。赤毛の間から結晶が吹き出し、周囲の空気を冷やしていく。それは紛れない、雪女の現象。
「そうか、お前も」
「雪女よ。あたしはね、サキュバスと雪女のまぜものなの! もっとも、あたしのベースはあくまでもサキュバス。雪女はいざというときしか表に出さない隠し球というか奥の手。でもね、それでもそこの思い出したばかりの雪女よりは強力よ」
確かの羽宇から吹き付けてくる冷気は、瑞雪よりも遙かに冷たく、そして暗かった。
高尾が鼻をひくつかせ
「この匂い、間違いねえ。瑞雪の家の中に残ってた冷気と同じ匂いだ」
全身の毛に霜を浮かべながら、高尾が満足そうに頷いた。
鞍馬が前に出るのを見て、尾似島も動く。
「尾似島さん。聞いたでしょう」
鞍馬の翼が大きく広がる。
「これでもあなたはその女を守りますか。人喰いならば、何をしても許す気ですか?!」
「許せんさ。人喰いは何をしても許される免罪符ではない。しかし、俺は人喰いを守ると決めた。何があってもだ!」
尾似島が纏う稲妻が激しくスパークする。彼もまた臨戦態勢だ。
「雷、よけいなことはしないで。これはあたしが勝手にやったこと。あたし1人で始末をつけるわ」
「お前のしたことは確かによけいなことだ。しかし、だからといってお前を見捨てる気はない。これ以上目の前で人喰いに死なれるのはごめんだ。ただし、事が済んだらそれなりの罰は受けてもらう。そして、もう2度とこんな真似はしないと約束しろ」
「……ありがとう。約束するわ」
羽宇が一瞬見せたそれは、サキュバスではなく女の顔だった。
「じゃあ、そこの手強そうな烏天狗さんをお願い。狼天狗はあたしがやるわ。こういう男、大っ嫌いなの!」
言い切らずに羽宇が飛んだ。高尾めがけて、爪をかざして。
高尾が跳んだ。羽宇めがけて、金剛杖をかざして。
パワーならこちらが上だとばかりに高尾が金剛杖で羽宇を殴りつけようとした時、羽宇の胸の服がずるっと下がり、豊かなオッパイがぷるんと飛び出した。
「あ」
思わず動きを止めた高尾の横を羽宇が飛んだ。すれ違いざま、爪で高尾の顔をひっかいて。
激痛と共に、引っかかれた傷から血が噴き出した。高尾はたまらず顔を押さえ、地面を転がる。
叫びと共に立ち上がりかけた彼の目の前に、むき出しになった羽宇のお尻があった。
高尾が慌てるのに合わせて、羽宇がそのまま彼の顔面にヒップアタック。お尻を押しつけたまま地面に押し倒した。
倒れた高尾の顔面に座ったまま、高笑いと共に、羽宇は生のお尻をこすりつけるように揺らして
「やっぱり。あんたみたいなタイプはちらりよりモロ出しの方が有効なのよね。ほらほらどうしたの。女だろうと関係ないからぶちのめすんでしょ。頑張りなさい」
この様子を見て挑もうとする鞍馬の前に
「お前の相手は俺だ」
立ちはだかった尾似島が稲妻を放つ。飛び下がる鞍馬の翼から無数の避雷羽根が飛び出て、それを受けた。
尾似島が風を起こして避雷羽根を吹き飛ばそうとするのを、鞍馬の起こした風が受ける。風が激突する中、避雷羽根はぐるぐると鞍馬の周囲を回って対稲妻用の壁を作る。
尾似島が稲妻を放っても、全て避雷羽根の壁に受けられ、流され散っていく。
そのまま鞍馬が一気に間合いを詰め、刀をすくい上げるようにして斬りかかる。最初の一刀を躱した尾似島に、鞍馬は次々を攻め込み、刀を振るう。その太刀筋の鋭さと気迫に、たまらず尾似島は大きく間合いを外した。
「その太刀筋は天狗のものではない……まさか、人の技か?!」
「人の生み出す技の中には、頭を下げてでも身につけるだけのものがあります」
「烏天狗が人から学ぶのか?!」
尾似島にとって意外だった。彼の知る純血種の妖は、全て人やまぜものを格下と見ていた。
再び鞍馬が攻める。尾似島の足を狙った刀が振るうに合わせてぐんと伸びる。
尾似島はさらに大きく間合いを外す。と見せかけ一気に間合いを詰める。稲妻が使えない以上、接近して肉弾戦に持ち込んだ方が有利と見たのだ。
刀を伸ばしたままの鞍馬は、近すぎる尾似島の体をうまく迎え撃てない。と思いきや、鞍馬の足がぐんと跳ね上がった。その足は普段の烏天狗が履いている高下駄は無い。むき出しの鋭い爪が尾似島の胸板を切り裂き、そのまま爪を立ててまた蹴る。
今度こそ本当に間合いを大きく外した尾似島の胸板から鮮血が吹き出した。
「跆拳道?」
本当に跆拳道かはわからない。しかし、今の蹴りはかつて尾似島が跆拳道使いの人間と戦ったとき、見せられた技と同じに見えた。
(こいつ……やはりただの烏天狗じゃない)
刀の長さを戻し、静かに脇構えの姿勢を取っている鞍馬を前に、尾似島の手がじっとり汗ばんできた。さきほど高尾に右手をつぶされたのが痛かった。
その姿に羽宇が驚いた。風神と雷神のまぜものであり、どんな妖や退魔師も軽くいなしてきた彼がここまで緊張するのを彼女は見たことがない。
それが羽宇の隙となった。
振り回した高尾の金剛杖が羽宇の背中を打った。揺らいだ彼女をはねのけ、立ち上がる。
さらに殴りかかろうとする高尾だが、足が動かなかった。いつの間にか彼の足が凍り付かされていたのだ。
「おあいにく、これでも場数だけは踏んでるのよ」
回って後ろから高尾に近づくのは振動声吐息の用心だ。
「あんたはただじゃ殺さない。思いっきり恥ずかしい目にあわせてあげる」
羽宇に背中から抱きつかれ、胸の感触を後頭部に受けると共に甘い匂いが高尾の鼻をくすぐる。と同時に、股間がむずむずして血が集まってきた。
「あたしを抱きなさい……あの娘の前でね」
思わず高尾の視線が瑞雪の氷柱に向く。
「助けたかった女の亡骸の前で別の女を抱く。素敵じゃない。狼なんだから遠慮しないの」
羽宇の言葉が甘く高尾の脳に伝わり、思考が揺らいでいく。彼女の全身からにじみ出るサキュバスのフェロモンが高尾を包んでいく。
金剛杖で彼女を叩こうにも、フェロモンに抵抗するのに精一杯で、そこまでの余裕がない。
羽宇が胸を押しつけ、こすりながら正面に回る。足を絡ませ、高尾の顔を乳房で鋏、もみほぐしていく。
「あたしの肉体に溺れて、あの娘の下に行きなさい」
言いながら羽宇が手を高尾の股間に伸ばそうとしたとき、いきなり彼女の翼が握りつぶされるように歪み、強烈な力で彼から引き剥がされた。
「高尾君、しっかりしなさい!」
姿は見えずも声はする。その声は
「無姿の娘?!」
「爺、爺の大好きな女の裸よ!」
「いやぁ。嬉しいが結界を張り続けながらはちょっと。せいぜいこのぐらい」
葛生の口から粘膜まみれの舌が伸び、羽宇のむき出しになった胸をべろんと舐めあげた。途端彼女の全身を悪寒が走る。
動きの止まった彼女の体を明子が持ち上げ、力任せにアスファルトに叩きつける。
力任せに足を氷から引き剥がした高尾が金剛杖で羽宇に挑みかかる。
「オッパイも見慣れちまえば、ただの脂肪玉だ!」
羽宇は魅了すべくフェロモンを発散するが高尾の勢いは止まらない。
「クレーバー!」
押される羽宇の姿に尾似島の気が向く。その隙に鞍馬は彼の懐に飛び込んだ。
「くっ」
尾似島が稲妻を帯びた左手で殴りかかる。が、鞍馬は刀をすくい上げるようにしてその左腕を二の腕から切り飛ばした。
高尾の攻撃と合わせて、これで尾似島は両腕を失ったも同じ。
そのことが、鞍馬に一瞬の油断をもたらした。それを見逃す尾似島ではない。
激痛を堪えた尾似島が右腕を突き出し、残された2本の指で鞍馬ののど笛を掴んだ。そのまま思いっきり稲妻を鞍馬に流し込む。
鞍馬の悲鳴が轟いた。直接流し込むため、鞍馬の避雷羽根も役に立たない。
間髪入れず、稲妻を次々と鞍馬に直接たたき込む。さしもの鞍馬もこれはたまらない。妖力制御が途切れ、刀が消失し、避雷羽根が地面に落ちる。それでも尾似島は休み無くありったけの稲妻を鞍馬にぶち込み続ける。
「部長!」
その様子に高尾の攻撃の手が止まった。途端、強烈な羽宇の冷気が襲いかかってきた。
「女を相手にするときはよそ見をしない事ね」
狼天狗の体毛が凍り付いていき、体力が急速に失われていく。ここがチャンスとばかりに、羽宇は高尾に抱きつくと、フェロモンを放出しながら凍った地面を滑るように押していく。
その先にあるのは瑞雪の凍り付いた氷柱。
氷柱に高尾を押しつけると、
「あたしの情けよ。愛しい後輩と一緒に凍りなさい!」
そのまま冷気を全開、近くにいるだろう明子への牽制と共に高尾の全身を氷で包み込んでいく。微かに感じる抵抗も、冷気とフェロモンで押し返す。
周囲の空気は真冬となり、氷点下の風が渦を巻いた。
……
風が止んだとき、周囲は氷の世界となっていた。車は凍り付き、太陽の中、ダイヤモンドダストの光がゆっくり舞い降りていく。
羽宇が高尾から離れると、大きく息をついた。
「さすがに疲れたわ」
目の前にある瑞雪の氷柱は、前より二回りほど太くなっていた。その中、瑞雪の斜め前の位置に高尾が氷漬けになっている。最後まで抵抗しようと気迫を前に向けたままの姿は、氷に閉じ込められた姫を守る騎士にも見えた。
しかも驚くことに、高尾からはわずかに生命力が感じられた。まだ生きているのだ。しかし、自力で氷から脱出する力は残っていない。このまま氷に体力と妖力を奪われて死ぬだけだ。
「こっちも終わった」
体を震わせた尾似島が張り付いていた氷をはがし落とすと、鞍馬の首から手を放す。
鞍馬はそのまま凍った地面に崩れ落ちる。全身を雷神の稲妻で焼かれた烏天狗は、ぴくりともしなかった。
「無姿の娘もその辺で凍り付いているはずだ。裸ならこの寒さはこたえるだろう」
「雷、大丈夫?!」
尾似島の姿に羽宇は驚き駆け寄る。何しろ左腕が斬り落とされ、右腕は指が三本吹き飛ばされている。全身も傷だらけ。鞍馬の刀と足の爪でできた無数の傷から流れ出た血が彼の身体を真っ赤に染めていた。
「大丈夫だ。指や腕など一月もすれば生えるし、これが使えればもっと早い」
切り落とされた左腕を拾い上げる。切断面は綺麗だった。
「行くのか」
そう聞いたのは葛生だった。何と彼は薄氷に覆われながら、いまもって人払いの結界を張り続けている。
「平気なの? 蛙なんだから寒さで冬眠したものだと思ったわ」
「そんな良いものを見せてくれているのに、冬眠なんぞできんわい」
葛生の視線が自分の丸出しにしたままのオッパイに向いていることに気がついた羽宇がそそくさと胸を隠す。
「わしは見逃してくれるのか。ありがたい事じゃ」
「そのかわり、このまま結界を張り続けてもらう。そうすれば人は来ないし、俺達も迎えが来るまで休める」
「仲間の迎えか」
尾似島は答えなかった。ただ、唇を噛みながら氷漬けの高尾と瑞雪を見上げている。
「雷もそんなにしけた顔してないの」
そう言う羽宇の頬を、尾似島の右手が打った。
驚いてはたかれた頬に手をやる羽宇に
「約束を忘れるな」
「……わかってるわ。ごめんなさい」
羽宇が頭を垂れた。嘘のように素直な態度だった。
「確かに今回はお節介が過ぎたわ。でも、悪いことはしてない」
挑戦するように氷柱の中の瑞雪を睨み付けた羽宇の目が大きく見開き、後ずさった。
「どうした?」
羽宇の視線をなぞるように瑞雪を見た尾似島も一歩後ずさる。
氷柱の中、瑞雪は全く同じ姿勢で凍り付いている。
しかし、先ほどまで眠るように閉じられていた目が、今は憎悪を伴ってまっすぐ羽宇たちを睨み付けていた。
氷の中で瑞雪の唇が動き、言葉を作り出した。
「ゆ」
「る」
「さ」
「な」
「い」




