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まぜもの妖談 ~狼天狗と雪女~  作者: 仲山凜太郎
26/33

【26・凍れる兆候】


(やっぱり何かあったんだ。風呂から上がったら瑞雪に聞いてみる)

(でも、瑞雪も年頃なんですから、お父さんが無理に聞こうとしても逆に話せなくなってしまうかも)

 わずかに開いたドアの隙間から、両親の会話が聞こえてくる。まぜものであることを思い出した瑞雪の耳は、今までだったら聞こえないほど小さな声でも聞き取れる。

「大丈夫、きっと大丈夫。こうして熱いお風呂に入っても平気なんだから」

 いつもより熱くしてあるお風呂に肩まで浸かりながら呟き続ける。お湯の熱さに浸っていれば、自分が雪女だと言うことが夢となって消えてしまうかのように。

「瑞雪、いつまで入っているの? もう一時間は入っているわよ」

 親の心配そうな声を合図に上がったが、茹だるどころか却って湯冷めしたような気がする。

 何をしても悪い方に取ってしまう気がすると、瑞雪は逃げるようにベッドに潜り込んだ。ふと窓を見るが、もちろんそこに高尾の顔はない。

(先輩……見捨てないで……)

 途端、驚いたようにドアが叩かれ、母親が顔を出した。その顔は真っ青になっている。

「瑞雪、あなた大丈夫なの?」

「大丈夫って、何が?」

 まさか、自分が雪女であることがバレたのかと、瑞雪の体が震えた。

「何がじゃないわよ、お風呂、あんな冷たい水に入って大丈夫なの?」

「水って……お母さんこそなに言っているの」

「水じゃない、しかも氷まで張って」

 まさかとばかりに瑞雪が恐る恐る風呂に行くと、浴室にはあるべき湯気がなく、冷蔵庫のように冷えていた。それどころか、湯船の中はお湯ではなく、冷たい水、しかも母の言葉通り、表面に薄くだが氷が張っていた。

 瑞雪は両親を押しのけると自室に逃げ込み、ベッドに潜り込んだ。

「あたしじゃない。あたしは関係ない!」

 震える声で、ひたすら自分に言い聞かせる。

 固く結んだ目から涙が流れ落ち、それは氷の玉となってシーツを転がった。


「もう一度忘れる方法じゃと?」

「爺さん言っていただろう。俺達がまぜものであることを忘れた原因を調べている奴がいるって。そいつらから何か聞いてないか?」

 美味菜温泉の事務室。高尾は葛生に詰め寄っていた。

 もちろん、母の助言から、もう一度自分がまぜものであることを忘れる方法を知るためだ。

「少なくともわしは聞いておらん」

 パソコンを操作していた雫も右に同じというように頷いた。

「一応、問い合わせのメールは出しておきますけど、期待はしないほうがいいです」

「頼む……」

 がっくりとうなだれる高尾。自分の非力さを痛感する。

「けれど高尾君、もしも忘れさせる方法が見つかって、それがあなたに出来る方法だとしても。あなたは本当にそれをするつもり?」

 そういう雫の表情は冷めていた。

「あなたは瑞雪さんを強制的に記憶喪失にするつもりなの。体質だけ人間化して記憶はそのままって都合の良い忘れ方はないと思うわよ。それに逆になったらどうするの。人喰いの体質のまま人だった頃の記憶がなくなったら、歯止めが効かなくなって人を襲いまくるわよ」

 もちろん高尾だって、これが虫の良い考えって事はわかっている。しかし、それでも彼はこれ以外に良い方法が思いつかないのだ。

「あんまり深刻に考えるな。考えすぎると、尾似島みたいになるぞ」

 言われてふと、

「それなんだけど、あいつが爺さんたちの仲間だったってのは本当なのか?」

 しつこいのを承知で聞いてみた。

 渋い顔をした葛生が話したことは、すでに鞍馬から聞いたことの繰り返しだった。ただ、最後にこう付け加えた。

「最終的に引き金を引いたのはわし……じゃろうな」

 黙って聞いていた雫が振り向いた。この話は彼女も初めて聞くものらしい。

「落ち込んでいた尾似島に、わしは言ったんじゃ。仕方がない……とな。わしは尾似島のせいではないと言いたかったんじゃが、あいつはそうはとらんかった。きっとあいつは『さゆりさんやその両親があんな最期を遂げたのも、人喰いである以上仕方がない』と取ったのじゃろう。

 言ったあと、わしを睨み付け『仕方がないだと』と絞り出すように言った時のあやつの目は今でも忘れられん。

 そして尾似島はわしらの前から姿を消した。それっきりじゃ」

「仕方がない」

 高尾も口に出してみた。それは、人喰いを助けられなかったものへの慰めの言葉ではない。助けられなかったことを正当化する、背負う罪を軽くしようとする言い訳だ。

 腹の中でその言葉を繰り返すうち、段々腹が立ってきた。

 高尾は立ち上がると

「爺さん、もしも瑞雪がそんなことになったとき、俺の前でこの台詞を言って見ろ……ぶち殺してやる」

 それだけ言うと、そのまま出て行った。

 葛生は大きく息を吐いた。この数分で一気に老け込んだように見えた。

「雫ちゃん、お茶入れてくれんか……、あ、いや、自分でやる」

 億劫そうに腰を上げると、奥にある小さな流しへと歩いて行った。

 高尾は美味菜温泉を出ると、そのままビルの出口へと歩く。

 すでに閉店時間を過ぎ、シャッターを下ろしたビルはがらんとして、高尾の足音だけが大きく響いた。エレベーターもエスカレーターもすでに止まっているので、階段をゆっくりと降りていく。

(瑞雪……)

 胸が苦しかった。彼女と出会ってから一週間と経っていないのに、彼女のことばかり考えている。もう何年も苦楽を共にしてきた人のように思える。

 出会った日に、荒っぽい口調で自分に言い返してきた瑞雪をまた見たかった。

 まぜものであることを思い出してからの彼女は、ずっと怯えているようだ。

(人喰いになってもいい、死ぬんじゃねえぞ)

 ビルを出た高尾を、冷たい風が吹き抜けていく。

 その風は、瑞雪の家の方から吹いていた。


 朝が来た。

 布団の中で瑞雪がゆっくり目を開ける。何だかんだで結局眠ってしまったらしい。

(あったかい……)

 心地よいぬくもりの中、ゆっくりと吐いた息が白い幕となって目の前に広がっていく。

 息が白い?

 瑞雪は一発で目が覚めた。布団をはねのけると、掛け布団を薄く覆っていた氷がはげ落ちる。

 部屋にはうっすらと霜が降りていた。床にも、机にも、彼女の髪にも。

 枕元の時計を見る。時間と共に表示されていた温度は「-5.0」とある。

 窓は閉まっていた。吐く息が白い。それでいながら、瑞雪は全く寒さを感じていなかった。

 逃げるように部屋のドアを開けようとするが開かない。ノブは回るが、何かドアの外に重しがあるかのように動かない。

 瑞雪は渾身の力を込めてドアを押す。隙間が生まれ、少しずつ広がっていく。隙間から凍った廊下が見えた。

「お父さん、お母さん……」

 さらに力を入れる。雪女は力を誇るまぜものではないが、それでも思い出した瑞雪の力は普通の女子高生より遙かに強い。

 何かがはがれるような音がして、ドアが一気に開いた。勢い余った瑞雪が廊下に転げ出る。

 家の中は氷の世界と化していた。床も壁もうっすらと氷が張り、冷気が屋内を満たしている。ただ寒いだけでこうはならない。雪を伴う強烈な冷気が家の中を吹き荒れたようだ。

 だが、家の中の様子よりもドアを塞いでいたものに彼女は言葉を失った。

 瑞雪の両親だった。

 両手を広げた中腰の父を母が抱きしめるような形で2人は凍り付き、廊下に転がっていた。2人の体が彼女の部屋の扉を塞ぐようにしていたのだ。それは中から吹き出る冷気を必死で防ごうとしていた姿に瑞雪には見えた。

「うそ……生きてるよね」

 自分が凍らせた空手部の4人だって生きていた。だからお父さんとお母さんも。そんな期待にすがりながら、瑞雪は手を伸ばした。

 両親の体に触れる。完全に凍結した2人の体は硬かった。その体からはぬくもりというものは感じられない。

 最初の犠牲者は身近にいる人間。羽宇の言葉が瑞雪の中で繰り返された。

 瑞雪はがっくりとうなだれた。その目から光が消えていった。

 いつまでそうしていただろうか。瑞雪はゆっくりと立ち上がると、自分の部屋に戻った。その顔は出来の悪い人形のように表情がない。

 凍り付いたタンスを開け、真新しい下着を取り出す。下着も、服も、全て新しいものを身につけると部屋を出る。

 両親は先ほど見たのと全く同じ姿で横たわっている。彼女のその前に正座すると

「……今まで育ててくれて……ありがとうございました……さようなら……」

 深々と一礼すると、瑞雪はふらふらと外に出た。

 外はまだ暗かった。東の空が微かに明るい。夜明け前は肌寒いはずだが、瑞雪にはむしろ暑く感じた。

「良い天気になりそう」

 瑞雪は歩き出す。

 早朝ジョギングする人とすれ違いざま、軽く頭を下げた。

 少し足を速めた。速まるにつれ、瑞雪の表情が溶けるように崩れていく。

 涙が出た。それは凍らずに頬を伝わる。足が速まる度に瑞雪は泣きじゃくり、いつしか彼女は全速力で走っていた。

 駅前に着くと彼女の目指すものがあった。公衆電話だ。携帯電話は家に置いてきた。

 緊急用として母が持たせてくれたテレホンカードを差し込むと、羽宇から渡されたカードを取り出し、そこに書かれた番号を押していく。

「ごめんなさい、ごめんなさい……ごめんなさい……」

 呼び出し音を聞きながら、彼女はずっと謝っていた。

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