【25・勧誘】
「お前も気がついているはずだ。人喰いだって苦しんでいる。思い出すまで、自分も人間だったんだからな」
高台の公園で、高尾と尾似島は向き合っていた。敷地こそ広いが、交通の便が悪いせいで人気はほとんどなく、今も2人の周囲に人の気配はない。
「人喰いの兆候が現れたまぜものはみんな苦しみ、自分を呪う。少なくとも俺が知っている人喰いはみんなそうだ。クレーバーも山梔子も、俺が見つけたときは気が狂わんばかりに苦しんでいた。実際、人喰いであることに耐えられず狂った奴もいる、自ら命を絶った奴もいる。いや、数で言えばそういう奴の方がずっと多い」
「あんたの恋人みたいにか」
「聞いたのか」
尾似島は続く言葉を口の中で噛み砕いた。
「瑞雪もそうなるって言うのか?!」
「それはあの娘次第だ。早く開き直ることが出来ればそれほど苦しまずに済む」
「それって要するに俺達はただ見ているだけって事だろう」
「結論を急ぐな。当事者ではない以上、俺たちにその苦しみをなくすことは出来ん。あえて手段をあげるなら、俺達の手で人喰いたちを殺すことだが、そんなことをする気は毛頭ない」
「忘れさせることは出来ないのか?! 忘れて人間に戻すことは」
高尾の言葉に尾似島は意外そうに目を瞬かせ
「そこに気がついたか。だが、そんな方法があれば俺も知りたい」
「だよなぁ……」
倒れるように高尾は手近なベンチに座り込んだ。そんな彼に尾似島は
「だが、人喰いたちの苦しみを和らげ、わずかではあるが精神的に楽にしてやることは出来る。人間は傷のなめ合いなどと言って馬鹿にするが、傷を負って苦しんでいるとき、それをなめてくれるものが誰もいないというのは哀しいものだ」
「能書きは良い、お前は俺に何をしろって言うんだ」
高尾自身、返事はわかっていたがそれでも聞いた。
「人喰いを認め、受け入れて生きるのに協力するんだ。
具体的には喰う人を調達する。直接そいつを捕まえてきたり、喰う状況を整えてやったりな。喰う人間は、出来るだけ人間のクズを選ぶ。いなくなって清清したとみんな喜ぶような奴らだ。喰う方も、喰うのが悪人なら少しは罪の意識が薄れる。
……本当に、ほんの少しだがな。
しかし、これが結構難しい。人喰いは個体差もあるが、1ヶ月に1人は喰わなければ飢える。飢えれば彼らは勝手に人を襲って喰う。できればそれは避けたい。
ちょっと魔が差して悪いことをしただけの奴を食らわせるのは気が引けるが、事細かな身辺調査をしている暇はない。仲間同士で情報を集めているが、それも限界がある。結果的に、それなりに眼のついたクズどもを捕まえることになる」
「岩麻たちみたいにか。あいつらにだって、いなくなって涙を流す人がいるんだぞ」
その時の高尾の頭には、何度も頭を下げる彼の母親の姿があった。
「そんなことは百も承知だ」
「だったら、せめて暴力団の幹部とか、麻薬組織のボスとかを狙えよ。そんな町中にいるようなちんけなクズを相手にするんじゃなくてよ」
嘲笑しかけた高尾の表情が固まった。
自分に向けられた尾似島の眼が彼の表情を固まらせた。ただじっと見つめられているだけなのに身がすくんで動けない。
「勘違いするな。俺達は人喰いが生きるために動いているんだ。世のため人のために人間のクズを掃除しているんじゃない。お前が言うような大物の悪は用心深いし護衛もいる。確保するのに手間がかかりすぎる。1人にそんなに時間をかけてはいられない。
確保するのには手のかかるクズより手のかからないクズが優先される」
高尾は理解した。守ろうとしているものが違うのだ。
尾似島たちにとって人喰いたちの食料調達が最優先であり、誰を喰わせるかは余裕の範囲内での選別作業に過ぎない。だが、高尾は無意識のうちに人喰いの食料となる人間の選別を調達より優先してしまっている。
「お前があの雪女を助けたいと思い、かつ喰わせるのを人間のクズにしたいというなら、手を貸せ。人手が増えればそれだけ調達作業も楽になり、楽になれば喰わせる人間も選ぶゆとりが出来る」
「……瑞雪はまだ、人喰いの兆候が出てねえ」
「あの雪女をさゆりと同じ目にあわせるつもりか。俺達が人喰いを否定的に見るたびに、人喰いとなったものは我が身に湧き出る人喰いの衝動を必死で押さえる。人喰いになりたくない。なってもできるだけ程度の低い人喰いでいたい。その思いに苦しみ、壊れていく。
しかし、お前が結論を先送りにしたい気持ちはわかる」
尾似島は肩をすくめ、一枚のカードを取り出した。名刺の大きさだが尾似島の名前は印刷されていない。
「連絡先だ。協力する気になったらかけろ。ただし、あまり間が開くと使えなくなっているかもしれん」
カードを高尾の胸ポケットにねじ込むと、そのまま公園の出口へと歩いて行った。
その背に高尾は
「帰る前に聞かせろ。どうして俺に声を掛ける。それとも、知り合ったまぜものにはみんな声をかけているのか?」
「いや」
振り向くと尾似島は困ったように微笑み
「お前が昔の俺にそっくりだからだ」
そう言って去って行った。
高尾はポケットからカードを取り出した。
そこには電話番号が書かれてある。
「そう固くならないの。ここはあたしのおごりだから」
鴨葱駅から少し外れた国道沿いのファミレス。その隅の席に瑞雪と羽宇はケーキセットを前に座っていた。お茶で一休みの時間には遅く、夕食には早い。この時間の店内はほとんど客はいなかった。
「あたしは一応、人以外の食べ物も口には出来るのよね。栄養にならないだけで。怖いわよ。出てくるものが、食べ物そのままで出てくるが自分でもわかるのよ。ああ、もちろん噛んだりなんだりでぐちゃぐちゃになっちゃってるけど。何の吸収もされずに体の中をすっと流れていくわけ。食べ物オールゼロカロリー化。太る心配ゼロって言うのは……良いことなのかな?
まあ、味わうことが出来るだけでも、山梔子に比べてずっと恵まれているわね」
クリームやフルーツで飾られたパンケーキをフォークで切っては口に運ぶ。しかし瑞雪は羽宇と違ってケーキにもドリンクにも手を触れていない。
「それよりも本当ですか? 別の場所に行くって」
「そう睨まないの。本当よ。私のせいだから文句も言えないけどね」
ストローでドリンクをかき回す羽宇の姿は、えらく寂しいものに見えた。
「2ヶ月近く精気が吸えなくてさ、お腹空いたなって時に今回の話でしょ。制服着て放課後うろついて、空手部のクズどもが襲ってきたら吸ってやろうと思ってたら、5人がかりでしょ。5人いっぺんはまずいかなと思ったけど、お腹は空いたし、吸ったあと妖力で動かして誤魔化せば良いかな。それともあたしを犯したあとにバラバラになるのを待って1人ずつ襲おうか迷っていると、あんたたちが来たのよ。
追い詰められたときは困ったわよ。あたしを助けようとしてあんたもあいつらに犯されたら気分が悪いし、かといってあんたの見ている前であいつらの精気を吸うわけにも行かないし。
正直言って、あの時、あんたが思い出してくれて助かったわ。こうなったらあいつらの口封じするしかない。まとめて精気を吸う口実が出来たんだから」
まるで楽しんでいるかの調子に、瑞雪は不思議だった。
「ひとつ、聞いて良いですか?」
「何?」
「どうして平気なんですか? 自分が生きるためとはいえ、何人も人を死なせておいて」
「人喰いだからよ」
羽宇の表情は一転して真面目になり
「あたしだって最初から平気でいられたわけじゃない。思い出したときはそりゃ苦しんだわよ。自分の体が少しずつだけど、確実に変わってくるのがわかるの。思い出してしばらくは普通の御飯が食べられたし栄養にもなった。けれど、少しずつ人の精気、それも男の精気でしか栄養にならなくなっていくのよ。
まぜものじゃなくて純粋なサキュバスだったら良かったわ。知ってる? 純粋なサキュバスは、同じ男から何度も精気を吸うの。つまり死なない程度に加減できるのよ。
あたしだって加減しようとはしているのよ。突然でも出来るようになるんじゃないかって。あの5人の時もそうだったわ。でも駄目、吸い始めたらコントロールできない。死ぬまで吸っちゃう。
これに耐えられるようになるには、開き直るしかないのよ。あたしは人喰い、邪悪なるまぜもの、人の精気を吸って生きる人間の敵。ちょっと失礼」
空のコップを手に、ドリンクバーに向かう。戻ってくるまで、瑞雪は何も考えられなかった。
「食べないならちょうだい」
座り直した羽宇は、手つかずでいる瑞雪のモンブランを引き寄せた。
「本題に入るけど。あんた、一緒に来ない?」
口の端にマロンクリームをつけてても、その目は真剣である。
「人喰いにとっていちばん苦しいのは苛立ちや苦しみをぶつけられる相手がいない事よ。自分が人喰いだって行き場のないもやもやというか、負のオーラというか、そういうものを吐き出す場所。だからそんな場所を作るためら人喰いたちは集まって集団を作った。組織と言うほどしっかりしたものじゃ無いけれど、お互いに助け合える場ぐらいにはなっているわ。それだけでも全然違う。
そう言う仲間がいるだけでずっと楽になるわ」
「あたしにだっています。先輩とか」
「あの狼天狗に、それだけの覚悟があるかしら?」
その小馬鹿にした言い方が瑞雪の神経に障った。
「どういう意味ですか?」
「あたしにもいたわ。人喰いになって苦しむあたしを見て助けたい、守りたいって言う人がね。何人もいた」
その人たちを思い出すのか、羽宇は指を一歩一本折りたたんでいく。
「でも、そいつらの威勢が良かったのは最初だけ。あたしが実際に人の精気を吸って殺すところを見るとみんなビビって逃げ出したわ。中には俺の精気を吸えって男もいたわ。……愛の力で死なずに済むと本気で思っていたのよ」
「じゃあ、そういう人達は」
「みんな死んだわ。あたしに精気を吸われてね。
そうでない男は、みんなあたしを責めたわ。お前は本気で人喰いじゃなくなろうとしていないんだってね。だから精気を吸う制御が出来ないんだって。つまりみんなあたしの努力不足。
馬鹿みたい。あいつら、自分が力を貸せばすぐに解決すると考えていたのよ」
「先輩もそうだって言うんですか?」
「さぁ、どっちかしら。いずれあなたに人喰いの兆候が表れたときわかるわ。あなたに凍らされ、魂を吸われた人間の死体が並んだときにね。彼はどんな方法をとるかしら?
あなたを見捨てるか?
あなたのために人を調達してくれるか?
それとも、あなたを殺すか?」
「殺す?!」
瑞雪の顔におびえの色が浮かんだ。
「いたのよ。どうしてもあたしの人喰いを治せないと悟った男が、お前を殺して自分も死ぬって……本気だったわ。あたしのために人を10人近く調達してくれて、それでも駄目で。
あたしもそいつになら殺されても良いって思ったけど、駄目、やっぱりあたしも死ぬのが怖かった。気がついたら、あたしはそいつの精気を吸い殺していたわ。
とことん自分が嫌になったわ。そのあとよ、あたしが尾似島に拾われたのは。そして、同じように苦しんできたたくさんの人喰いたちと出会えてあたしは開き直れた。あたしは人喰いのまぜものだって。ずいぶん楽になったわ」
「あたしにも、そうなれって言うんですか?」
「それが一番よ。あんたはあの狼天狗を信頼しているみたいだけど、その通りかどうかはわからない。あいつがもしも人の世を守るために悪い妖怪と戦うヒーローなんて姿を夢見ていたら、あんた見捨てられるわよ。哀しい人だとの一言でお終いにされてね。
それに、今なら一番つらい思いをしなくて済むかも知れない」
一番つらい思いとは? それを聞こうとした瑞雪だが、口が強張って言葉にならない。
「人喰いの兆候が表れるって、具体的にどういうことだかわかる? 実際に人を喰う事よ。あんたは空手部たちを凍らせたけど、魂は喰わなかった。けど、いずれ凍らせると同時に魂も吸うようになるわ。そうなったとき、あんたに喰われる人間はどんな人だと思う?
我慢していた分、最初に喰うのは欲に負けたとき、衝動的に目の前の人を襲うのよ。つまり最初の犠牲者は身近にいる人間、家族や友達よ。
あたしが最初に精気を吸ったのは、弟だったわ。
それを防ぐためには、兆候が出る前に対策を取らないと駄目。つまり、家族から離れてあたし達と来るのよ」
「兆候が出ないままだったら」
「あきらめが悪いわね。ま、気持ちはわかるわ。だから今答えを出せとは言わない」
羽宇がバッグからカードケースを取り出した。
その中には、尾似島が高尾に渡したものと同じカードが入っている。




