【18・休息に向けて】
夜空を高尾は瑞雪を抱きかかえ飛ぶ。鞍馬も格好だけで何も見えないが、明子を同じように抱きかかえていた。
「部長。もっとゆっくり飛んでくださいよ。こっちは思い出したばかりでまだ飛ぶコツがつかめてないんですから」
高尾にとって、自分の翼で飛ぶのは初めてである。飛ぶこと自体は出来ても、どこまで自由に飛び回れるかは正直自信がなかった。しかも瑞雪を抱えてである。
「とにかく、一旦、爺のところに行きます。君たちに詳しい説明をしなければいけませんし」
「爺?」
「この辺りのまぜものたちのまとめ役ですよ。戸籍上は私の祖父と言うことになっています」
「やっぱり天狗なんですか?」
「違います。会えばわかりますが、その前にちょっと寄り道します」
一同は、瑞雪の家の近くにある小さな公園に降り立った。
「すみませんね。透野さんの服を取らないと」
明子はここから高尾たちの後をつけていたのだ。
人に見られるとまずいと思ったのか、鞍馬は人間の姿に戻った。学園の制服姿だ。
俺もとばかりに、高尾も瑞雪を下ろすと狼天狗から人の姿に戻る。
途端、瑞雪が真っ赤になって後ろを向いた。
「先輩、ふ、服」
「え?」
言われて高尾は自分の姿を見ると、素っ裸である。狼天狗になったとき、服を全部はじき飛ばしてしまったせいだ。
慌てて股間を手で隠し、立木の陰に隠れる。
「なんで裸なんだよ。部長は服を着ているのに」
戸惑う彼に鞍馬は制服を指さし
「この服は妖力で作ったものです」
「人の姿に戻ったとき、自動で戻るんじゃねえのか?」
「そこまで便利じゃありません。結構面倒くさいので、思い出したばかりの君では作るのは無理だと思いますよ」
「大丈夫です。見てませんから」
真っ赤になった瑞雪が叫んだ。
「本当か、本当に見てないな」
「本当です。先輩のおちんちんなんて見てません」
「見てるじゃねえか!」
答えに詰まる瑞雪の袖を明子の見えない手が引っ張った。助かったとばかりに、瑞雪はそれについていく。
「あなたも大丈夫? 向こうに着いたら、服を乾かしてもらうから」
明子の声で、今更ながら瑞雪は自分の服の様子に気がついた。雪女になって冷気を何度も発したせいで、服全体にうっすら氷が張り、今はそれが溶けて服全体がじっとりと濡れている。それでいて冷たさを感じないのは、やはり瑞雪が雪女だからだろう。
公園の隅にあるゴミ箱。その下から袋が引っ張り出されると、そのまま公衆便所の横に移動する。そこは陰になって周囲からは見えない。
「私も服ごと消えられたり、鞍馬さんみたいに服を作り出せたら良いんだけど、まだそこまでいかないの」
袋が地面に落ちると、勝手に口が開き、中から女物のショーツが飛び出した。実際は明子が取り出したのだが、彼女の姿が見えないので服だけが飛び出してきたように見える。
「あの、先輩はつまり」
「サキュバスが言ったとおり、無姿のまぜものよ。透明人間と言った方がわかりやすいかしら」
ショーツが引っ張られるように伸び、空中でもぞもぞ動くと、ピッタリした形で固定した。続いてブラジャーが同じように袋から飛び出す。ブラジャーをつけ終わると、うっすらと明子の姿が見え始めた。服を1枚身につけるごとに姿はハッキリとしていき、靴を履き、キャミソールとスカートを身につける頃には普通に見えるようになっていた。
「服を作るって、そんなに難しいんですか?」
「本体の付属品って言えるぐらいのものならそう難しくないわ。高尾君だって、思い出した直後に修験者の服や金剛杖を妖力で作り出したでしょう。でも、人間としての普段着はそうじゃない。力の使い方を覚えて、それでうまく作らなきゃならないから大変なのよ。私4年前に思い出してから、ずっと服ごと消えるか、服を作り出せるか出来るよう練習しているんだけど」
服を全て着終えた明子が両手を広げると、息を整える。すると、彼女の顔や手がすーっと消えて見えなくなった。けれど
「これが限界」
見えなくなったのは肌がむき出しになっている部分だけで、服は微かに後ろが透けて見えるものの、透明とは言いがたい。出来の悪い心霊写真みたいだ。
「私が姿を消す時は、見つかったらまずいときだから、消える時は裸になるの。最近は楽だけど、冬はきついわ」
後で瑞雪たちは知るが、明子の進歩は他のまぜものたちも驚くほどだった。通常、ここまでくるには10年近くかかるのが普通なのだ。この分ならば、あと5年もすれば、よほどの厚着でない限り服ごと消えられるようになるだろうとのことだ。
ちなみに、鞍馬のように服を妖力で作れるようになるのは最低でも20年はかかると言われている。これも後で高尾たちが知ったことだが、鞍馬は今年60才になる。物心ついたときはすでに思い出して修行を始めていた上、彼がまぜものではなく烏天狗の純血種ということも関係しているのだろう、妖力のレベルは他のまぜものよりかなり高い。服を作るにも制服の他に季節ごとに5~6種類は作れるという。しかも、こまめにファッション誌を買っては流行を知り、アレンジを加えている。
それでも鞍馬は烏天狗としてはまだまだ若輩者だという。何しろ、烏天狗の60才は、人間で言えば20才前後だ。
羽宇のアパート。
「いでででで。もうちょっと優しく塗ってくれよ」
薬を塗ってもらっていた山梔子が文句を言う。なにしろ鞍馬の羽根手裏剣を何本も受けた上に、高尾の振動声吐息をまともに食らったのだ。さすがに軽傷と笑っていられるものではない。
「重傷のくせにあまりしゃべるな」
やっと薬を塗り終わった尾似島が
「連絡は取ってある。迎えが来たら戻れ」
「冗談じゃねえ。思い出したばかりの奴にやられてリタイヤなんて格好悪すぎらぁ」
「重症患者が格好つけんじゃないわよ」
寄り添いながら、山梔子のおでこを軽くつつく。人の姿に戻っているとはいえ、やはりサキュバスだけあってそんな仕草も妙に色っぽい。
「……悪い、5人も食わせてもらったのに、何の役にも立てねえなんて」
「いいよ、次の機会に頼むわ」
こうしている分には、羽宇も恐ろしいサキュバスには見えない。彼女はもともと気っぷの良い姉御肌なのだ。
そうこうしているうちに彼らの仲間がやってきて山梔子を連れて行く。仲間はみんな人喰いのまぜものである。人喰いと言っても羽宇のように精気を吸うもの、山梔子のように肉体を食うものと様々であり、お互いに助け合って獲物を調達する。今回のように羽宇が人の精気を吸い、その後の肉体を山梔子に食べさせるなどはその一例である。
「雷はどうする? 何か食べるものでも買ってこようか。あたしの手料理でもいいわよ」
残った尾似島を前に羽宇が聞いた。尾似島は彼女たちと違い人喰いではない。人間と同じものを食い、栄養とする。彼が人喰いの仲間に入り、彼らの手助けをするのはあくまで自身の意思によるものだ。
「いや、いい」
無粋な返事に羽宇はつまらなそうにふくれて見せた。
「あんたはいつもそう。あたし達に遠慮しているの? あたしだって食べるぐらいは出来るわよ……栄養にならないだけで」
雷ににじり寄るとそっと抱きつく。その姿からはサキュバスとして精気を吸うような危険なフェロモンは感じられなかった。ただ、人のぬくもりを求める寂しい女のようだ。
尾似島は拒まなかったが、抱き返すこともしなかった。
羽宇が尾似島と出会ったのは6年前だ。ちょうど彼女が思い出して3年目。一番苦しんでいたときだった。人を喰うという行為に嫌悪しつつも、それをしなければ生きられない自分に壊れそうになっていたとき、尾似島と出会った。
尾似島は彼女のように人喰いでありながらそれを受け入れられずに苦しむまぜものたちを見つけては保護していた。彼についていき、たくさんの人喰いたちと出会った。
彼らと助け合い、生きていく内に羽宇は人喰いとしての自分を受け入れることが出来た。受け入れるというか開き直りだった。自分で人喰いを演じるような感覚だった。
2年もすると、彼女はすっかりサキュバスとして男を誘惑し、その精気を吸って生きることに慣れた。それを楽しむ余裕さえ出来た。それに合わせていろいろな力の使い方も覚えた。岩麻たちに使った精気を吸った後の男を妖力で動かし、生きていると周囲に思わせたのもそのひとつだ。この力は山梔子のように肉体を食らう人喰い仲間から重宝された。
頼りにされると、次第に今の生き方が楽しくなってきた。
しかし、たまには頼りにされるのではなく、誰かに甘えたくなるときがある。今のように。
「雷……あんた、人喰いでもないのにどうしてあたしたちの味方になってくれるの?」
「どうした? 急に」
「いいじゃない。聞かせてよ。単なる同情?」
前から訪ねてみたかった疑問だった。尾似島は人喰いたちの連絡係兼用心棒的存在だった。なにしろ風神と雷神のまぜものはそれだけで強力な上、鍛錬によってその力をより高めている。人喰いたちの邪魔をする人間や他のまぜものをぶっ飛ばし、殺すのも普通にする。
彼に保護されたというのもあるが、羽宇にとって彼は単なる仲間以上の存在だった。
尾似島は羽宇とは視線を合わせず
「むかつくからだ」
とだけ答えた。
「女がらみ?」
羽宇が睨み付けた。自分の目を見ずに答えたのが何だか腹が立った。いきなり尾似島の首にしがみつくと
「泊まってくれるんでしょ。今夜はあたし、サキュバスじゃなくて女になりたい気分なの」
しかし尾似島はそんな彼女を引きはがし
「ここを引き払う準備をしておけ」
それだけ言うと、帰り支度を始めた。
「ちょっと、どこに行くのよ」
「根回しだ。瑞雪という雪女を保護する準備も必要だ」
羽宇はむっとして
「あの雪女なら今はいいじゃない。まだ思い出したばかりだし、さっきの様子を見てもあたし達の所に来るとは思えないわ。動くのは人喰いの兆候が出てからでも」
「お前がそれを言うのか」
自分を見つめる寂しげな眼を前に、羽宇は肩を落として
「わかったわよ」
と言うしかなかった。




