八角龍 起動編
プロローグ
1.
「ハークション!」
またくしゃみが出た。つい此間まで天気予報では上空1500メートルでのマイナス6度寒気団が近畿中部に南下してくるので注意して下さいと喚起されていた。だが、この1週間で、最高気温が20度に迫る暖かさになってきたのだ。お蔭で花粉の飛沫量が激増した。花粉症の症状が悪化してきたのだ。1982年生まれの彼は、今年で30台半ばになる。男の名前は、鳴海 雄介と呼ばれている。男は、トラック運転席に備え付けられているナビシステムのメニューを操作し、先ほどからFMラジオの周波数を合わせている。お気に入りのアーティストのチャート情報を知りたいのだ。だが現在は音楽番組の枠間なのか、ニュースと天気予報の放送だ。その内容から、今日は黄砂と花粉の影響で外出は控えた方が良いと言う注意報が出ている。もっと早くこの情報を得るべきだった。花粉症を抑制する薬を飲むべきだったのだ。後悔の念で一杯だ。毎年、1月から3月にかけて黄砂と花粉に翻弄させらている。特に今年の黄砂はC国での映像が深夜のテレビニュースでも話題になっていた。視界が3メートルほどになる大量の砂が舞っていると言う事だ。予測モデルを適用すれば、簡単に今の状況を予想できたはずだった。
本日のスケジュール表で確認した午前の仕事は、兵庫県西宮市内にある関西流通センターから、神戸市内のJR六甲道駅横にあるコンビニエンスストアに納入する荷を運送する事だった。幹線道路の込み具合を見越して少し早めに出発したおかげで、三十分前に到着したのだ。時間調整の為に、駅から少し北東の道路脇で待機している。目の前には大きな看板に、H信用金庫と書かれていた。
ふと気が付くとラジオ番組の音声を邪魔するように、遠くからパトカーのサイレンが鳴っており、その隙間を縫うようにエンジンの爆音が聞こえてくる。今時珍しい改造車であろう。そのまま通り過ぎると推測しながら、助手席側にある窓をぼんやりと眺めていた。自分に興味の無い事には無関心を装うのが、今までの生き方だ。
彼は幼稚園に通う頃に、脳脊髄膜炎と言う病気に罹った事がある。母親が吃驚して近所のかかりつけ医を訪ね、その医師の情熱的な治療のお陰で入院せずに自宅療養ですんだ。ただ、雄介自身はその頃の記憶は一切ない。病になる前に、公園で見知らぬおじさんに声をかけられた事しか覚えていない。それ以降、大人が怖く対人恐怖症に悩まされた。お陰で、果敢な青春時代にも友達は少なく、彼女等は作った事も無かった。何時も一人で、本を読んだりゲームをしていただけだった。その為に、無関心を装う生き方になってしまったのである。だが、今年は年度初めから違っていた。生まれてから今まで恋愛経験ゼロの彼に、初めて彼女と言うものが出来たのだ。人生で最高の時を現在迎えている。その彼女と、先ほどまでSNSで会話していたのだ。その余韻がまだ残っている。先月にもらったバレタインデーのチョコレートのお返しで、彼女の好きな本を送った。お礼の為にわざわざアメリカから時差を考えて連絡してくれたのだ。「誕生日は8月なのでまだ先ね!」と言って、まずは挨拶代わりにバレンタインデーのチョコレートと微笑みながら言ってくれた。女性から贈り物を貰った事が無い彼にとっては大事件だった。それ以来、彼女に逆上せ上がっているのだ。彼女はアメリカのケンブリッジに在住している。つまり遠距離恋愛である。SNSで偶然知り合い、最近では毎日のようにリモートで会っている。実際に対面で会った事は無いのだが、ユキナさんと言う40歳くらいの年上の彼女である。年相応の容姿だが、清楚で知性に溢れ美しい。優しくて何より自分を大切に見守ってくれる。まだ結婚までは考えていないが、彼女の笑顔と心のぬくもりが今も感じられる。その愛らしい姿を車窓に投影しながら先程までの会話を思い出していた。たまに映像がギクシャクした状態になる場合がある。もしかするとアバターかもしれない。だが彼にとってはパソコンの向こう側がアバターであれ、虚像であっても構わない。自分もそれなりに容姿を誤魔化せている。それよりも、彼女の優しさと知性の高さが大好きなのだ。彼女の大阪弁が愛おしく、微笑ましい。大阪生まれの大阪育ち。アメリカの大学に入学した為、そのままアメリカで住み続けている。そろそろアメリカにも飽きたらしく、近々、日本に帰国しようと思っているらしい。詳しい事はこれから少しずつ知り合っていこうと思っている。それよりも念願の彼女が出来た事で、人生で最高の幸せを今噛みしめている。彼女の事を考えるだけで、心が温かくなってくる。だから、花粉症の予防もせず仕事に出ると言う暴挙的な行動を取ってしまったのだ。
「ゆきなさん。ゆきなさん。ゆきなさん。」
何度も彼女の名前を呼んだ。誰が聞く訳でもないので、恥ずかしさもなく言えるのだ。頬が赤くなるのを感じながら、ふと気が付くと、ラジオも音楽番組に移っていた。この幸せを壊さないように願った。生きている事に感謝した。その最高の時間を過ごしている時に、不愉快な雑音が耳を劈いた。幸せな時間を遮られたのだ。何処かの若者が、我がもの顔で爆音を鳴らしながら車を走らせているのだ。元凶となる不快なエンジン音が、徐々に近づいてきた。
「この時代に、未だに改造車を走らせている奴がいるのだ!」
折角の彼女との幸せな時間を不快な爆音で邪魔された事で、雄介は嫌悪感を覚えた。苛立たしい気分を振り払おうとラジオのボリュームを上げた。大好きな歌姫が奏でる大好きな曲がスピーカーから聞こえてくる。大音量で聞けば嫌悪感も少しは和らぐだろうと考えたが、全く効果は無かった。懸念な気持ちは払拭できず、ますますノイジーなエンジン音が近づいて来る。普段は余り感情を外に表す事が無いのだが、今回のように幸せな時間を妨げる輩には怒りが込み上がってくる。身体の奥底に潜んでいる獣が頭を持ち上げるようだ。
「何処のどいつだ?」と独り言を言いながら、爆音の源を特定するために運転席の窓側を見ようと首を横に捻じった。その瞬間、大きな破裂音の後、数秒間の静寂と共に全てが無になった。いきなりの出来事であり、受け入れる前に意識が遠のいたのだ。だが、怒りだけが残像のように残った。
2.
「ハークション!」
またくしゃみが出た。今日は朝から目も痒く、くしゃみが連発して出る。数年前までは、「花粉症で悩んでいる奴の気がしれない!」と豪語していたのに、今では花粉症で悩んでいる。
これほどまでに辛い症状だとは思わなかった。先輩でいつもアレルギーの薬を持参し、鼻に噴射していたのを横目で見ていた。何とも悲惨な光景で、あのような人間にはなりたくないなと心の隅で感じていた。
それが今では、自分が酷い状態である。くしゃみをする度に周りの目が気になる。以前自分が感じていたように見られていると思うと、辛さが一段と沁みる。
春の訪れを感じながら、自分の身体は真逆な方向に向かっている環境に凋落の感を抱いている。彼の名は、「勅使河原 優」と言う。今年で36歳になる。誕生日が未だなので、正確には35歳である。8月生まれのしし座である。神戸にある大手鉄鋼会社の総務で働いている。仕事の関係で、JR三宮より大阪方面へ快速電車で一駅の「六甲道」に長く住んでいる。
あと少しで自宅に着く。自宅に帰れば、すぐにスプリングコートやシャツ、パンツを脱ぎ、花粉と言うアレルゲンから解放される。また自宅は24時間、空気清浄機をフル稼働しているので空気も澄んでいる。くしゃみなど全く出ない。美味しい空気を1秒でも早く吸いたいと、少し焦燥しながら歩くスピードを調整していた。
この辺りの道路は、電線を地下に通す事により景観を良くする構想を実現化している。三月に花が咲く桜科の植樹が両側の歩道を彩る。神戸ならではの美しい街並みを横目に、優は歩幅を少しずつ広げていった。人には急いでいる様を見られたくないので、闊歩しているように見せかけた。彼は、いつも人の目を気にするのである。駅の北東にある、H信用金庫が建っている次の角を右折すると、自宅のマンションが見えてくる。後もう少しだ。
その時、高層ビルの合間にある路地から、薄気味悪い老婆が自分を手招いている様が見えた。陰で姿が良く見えないが、背骨が曲がっており、マントのようなものを羽織っている。何だろうと、少し胡散臭さに駆られながらも、その老婆に近寄って行った。まさに、映画などで見た事のある魔女のような老婆だった。鼻まで鷲鼻で前に垂れさがっている。良く見ると髪を結っている布に、角の生えた龍の柄が刺しゅうされている。何者だ、この人は。出来るだけ関わらない方が身のためだと思い、その場から辞去しようとした。するといきなり名前を呼ばれた。枯れた声だった。
「そこの殿方!名前はマサルか?そうか、お前がマサルか。地球だ、地球だ。」
「何か?私は、優ですが、地球とは、どういう意味ですか?」
「ホッ!ホッ!ホッー!こんなところにおったのか!楽しいのぉー!そなたがこの国を、この惑星を守るのか!素晴らしいのぉー!」
「何を言っているのですか?お婆さん。私は、そのようなヒーローにはなれない人種なのです。心に悩みを持っていますし、そのお陰で、この細い身体。手や足を見て下さい。弱い人間です。そのように人を煽てても、お金は払いませんよ。」
「ホッ!ホッ!ホッー!金など要らんわ!だが、その前に少し、痛い目に遭うぞ。それは運命だから仕方がない。痛い目に遭わなければ、仲間とも会えないのでなぁ~!」
「何を恐ろしい事を言うのですか。私は痛い事が大嫌いなのです。そのような不吉な事を言わないで下さい。鳥肌が立って来たじゃないですか!本当にもう!失敬なのだから!」
言葉を発しながら、優は踵を返して立ち去った。少しだが、怒りが込み上げてきた。その怒りを助長するかのように、遠くでパトカーのサイレン音と改造車特有のエンジン音が聞こえてきた。春の兆しに相応しくない音だなあと思った。そして後方では、まだ、魔女のような老婆の枯れた笑い声が聞こえていた。
「あー!今日は運の悪い日だ!花粉症で鼻はムズムズするし、目は痒いし!その上、魔女のような老婆にまで失礼な事を言われるし、五月蝿い車のエンジン音が近づいて来るし。アア、腹が立つ。早く帰って、Aプライムで昨日のテレビドラマの続きを見よう!本当にムカつく!」
優は、映画鑑賞が唯一の楽しみの男である。その為に、最近奮発して4Kの60インチ有機ELテレビを購入したばかりだ。それだけでは物足りないので、B社のサウンドバーを購入しようと、今日、下見に行って来たばかりなのである。この夏のボーナスで購入しようと計画を立てたところであった。良いものが見つかったので、先程までは最高の気分だったのに、老婆に会ってから最悪の状態だ。
早く、この場から去らなければ!目や耳には未だ老婆の残像とエコー音が残っている。焦燥感で一杯だ。次第に闊歩する余裕も無くなり始め、小走りに近い状態になってきた。頭のモヤモヤに悩まされながら、H信用金庫の入り口付近を何気なく覗き込むと、モニターに自分の姿が写っていた。何処にカメラがあるのだろうかと、後ろを振り向き探していた。この何気ない行動に振り回されたまま、角を曲がった。この時初めて、改造車の爆音が、直ぐ近くにまで近づいてきた事に気付いた。音の源を特定する為に、横着をしてモニター画面で探そうと、注視した。すると、車が衝突事故を起こす瞬間が写っていた。
「あっ!」と思った瞬間には、大きな破裂音と共に、目の前が真っ暗になった。何事が起きたのか状況も分からない。長い数秒が過ぎた。全身に悪寒が走った。自分に何かが起こったのだ。あの老婆の顔が浮かんだ。何かを言っていた。何と言っていたのかは、思い出せなかった。全てが走馬灯のように頭の中を駆け巡った。
ようやく老婆の言葉が思い出された。「痛い目に会うぞ」と。不思議と怒りは無かった。幸せな気持ちだった。
「ドンッ!」と言う衝撃を感じると同時に意識が無くなった。
3.
警察官が事故を目撃していた人から事情聴取をしている。その話しによれば、次のようである。
「パトカーに追跡されていた一台のスポーツタイプの改造車が西側から赤信号で交差点に進入し、南側へ走っていたダンプカーに突っ込んだみたいですよ。場所は、兵庫県神戸市にあるJR六甲道駅北側にある交差点です。交通量の多い山手幹線からは一つ南側の道路ですが、抜け道として地元住人たちは良く利用している道路なのです。交差点の南東角には地域から親しまれているH信用金庫の支店があります。改造車はダンプとの衝突後、跳ね上がった状態で信用金庫北側に停車していた宅配業者のトラック運転席に突き刺さりました。一直線に剣で突き刺すように飛んだのです。車の重さで宅配業者のトラックが前方に傾き、その状態のまま回転運動をおこして、信用金庫の入り口を破壊しながら止まりました。運の悪い事に、トラックと信用金庫内にあるATMの間に、通行人と思われる一人の男の人が挟まれた状態でした。動きませんでした。」
追尾していたパトカーは直ぐに交差点北東に止まり、中から警察官がニ人走りながら飛び出してきた。一人は無線で本部に連絡し、救急車とレスキュー車、そして応援のパトカーを要請し、事情聴取に取り組んでいるのである。もう一人の警官は交差点の閉鎖をする為に非常線を張り、車の誘導を始めた。辺りが騒然としているのを傍らに、パトカーの後部座席からもう一人降りてきた警官がいる。ゆっくりと歩いている。青白く薄っぺらな顔をしているが、眼光の鋭い警官だった。被害者となった宅配業者のトラックの運転手、暴走車と最初に接触したダンプの運転手と同乗者、暴走車の運転手、そして巻き込まれた被害者などの生死の確認と状況を把握しようと一人一人見回っていた。だがどう見ても、警官らしからぬ態度だった。その男は、宅配業者の運転手だけに、時間をかけて念入りに状況見聞していた。
結果、どうやら宅配業者のトラックの運転手は即死らしい。車の破片が口を貫通し大きな穴が開いていたと周囲に漏らしていた。脳や心臓は大丈夫だったのだが呼吸が出来ず窒息死したらしい。暴走車の運転手と巻き込まれた歩道を歩いていた被害者は、二人とも意識はないが生きている。最初に接触したダンプの運転手と同乗者は軽い脳しんとうで会話もできる状態だ。
都会の田舎に当たる閑静な街は、この事故で騒然となった。H信用金庫内に居た客や従業員の負傷者は出なかったようだ。この大事故で死傷者が五人だった事実は、奇跡とも言えるかもしれないと、その後、関西ローカルニュース速報で伝えていた。
死亡した男以外の四人は、駅南にある救急病院へ搬送された。死亡した男は、検死の為と言われ、何処からか現れた特別な車両に移された。青白い警察官が同乗し、その場を去っていった。
4.
昨日、街を歩いていると、妙な老婆に出会った。普段なら決して気にも留めないのに、その老婆には吸いこまれるように近づいて行った。
是枝 時雄は、長い髪をかき上げ、無いはずの右目に痒みを感じた。20代後半、医師として軍に所属していた頃、敵の砲弾が目をかすめ、眼球の半分と眼下の筋肉組織をもぎ取られた。現在は傷も癒えているが、眼下は火傷の痕のようなケロイド状の皮膚が残り、目は塞がれている。人を不愉快にすると言われて、眼帯を付けている。網膜は残っているので、人工のレンズと水晶体を作り、網膜に投影すれば見えると言われている。ただ、現代の技術では頭では支えきれないほどの大きさになると言われ、半分諦めている。あれから約10年が経った。現在、38歳である。
外科医としては一流の腕を持ち、軍医を止めた頃に知り合った仲間たちと新しい組織を作った。作ったと言うより、任されたと言った方が正確である。是枝としては、どうでも良かった。自分の研究が出来、その為の資金と実験材料が手に入るのであれば何処でも良かった。
その研究に関連して、昨日より、日本医療技術学会に参加していた。毎年、春と秋に行われる学術学会である。是枝には興味の無い学術学会であるが、ボスに言われ今後の組織とのコネクションの為に利用しようとしたのだ。兵庫県神戸市内にあるポートアイランド内のホテルに来ているのである。土・日を利用して参加したのだ。昨日はホテルに早く着いたので、製薬会社のMRさんの紹介で、三宮南部にある中華街へ食事に行った。横浜にある中華街と同じようだったが、出店風な作りでファーストフード的な点心を食し、祭りを拝見した。近くのバーで飲み直そうと言われ、東門街へ移動しようとしていた。その途中での出来事である。先ほどまで一緒に歩いていた連中の姿が見えないなと思うと同時に、路地裏から気味悪い老婆が現れて、囁いてきたのだ。
「お前の目は、元通りに見えるようになる。その為にはある男を助けなければならない。お前の手は魔法の手じゃな。その魔法の手で、救うべき男を救え。さすればお前の目も元通りになる。しかし、間違った男を救えば両目を失う事になるぞ。気をつけるが良い。」
胡散臭い感じがしたのだが、自然と反応してしまった。いつもなら無視して素通りするはずなのに。つい口が滑ったのだ。
「ちょっと待って下さいよ、お婆さん。その男の特徴とかは教えてもらえないのですか?何処の誰かも分からない男を助けることは出来ません。誰かだけでも教えて下さいよ。」
自分で話しながら、自分で驚愕した。俺は何を言っているのだ。
「ホッ!ホッ!ホッ!時期が来れば分かる!己の心に従え!お前の目が節穴でなければ、直ぐにでも出会えるわ!」
「そんな、適当な事を言わないで下さい。私は医師です。助ける人と、助けない人を区別する事は出来ません。」
医師である事まで明かしてしまった。赤の他人に自分の素姓を躊躇いもなく話したのは始めてだ。
「何を今さら、綺麗事を言っておるのじゃ。お前の事はお見通しよ。どれだけの罪をその肩に背負っておるのか。わしには良く見えるわ!その償いも含めて、その大切な男を救え!お前の心が教えてくれる。頼むぞ!」
「ちょっと、待って下さいよ!」
と、手を伸ばすと、製薬会社のMRの肩だった。夢だったのか。
「あれ?どうしたのだ?俺?」
「是枝さん、大丈夫ですか?急に居なくなったので探し回ったのですよ。このような人気の少ないところで何をやっていたのですか?迷子になりますから、我々から離れないで下さいね。是枝さん、男前だから女の子が放っておかないのは分かりますが、一人で楽しまないで下さいよ。今日は我々と一緒に行動して下さいね。では、スナックバーの予約が取れましたので次の店に行きましょう!」
まるで、キツネに摘ままれたようだった。あの老婆は夢だったのだろうか?分からない。しかし確かに、聞いた。まだ脳裏に残っている、皺枯れた声と話の内容も。俺の目と、ある男の話しだった。余りにも奇妙な体験であった為に誰にも言えず、その後の宴会は全くもって楽しむ事は出来なかった。
一夜明けた朝。昨日のような出来事があり、ベッドに入っても殆ど眠る事が出来なかった。ボスから研究用の学会に参加できる資金を提供され、脳神経外科学会の権威である京都帝都大学と神戸帝都大学の両教授とのコネクションのお膳立ても整えてもらった。そのような大チャンスの日に、現状の精神状態では上手くいかない。何とか立て直しをしなければと焦燥感で一杯だった。
焦った気持ちとは裏腹に、時間だけが過ぎていった。やがて約束の時間となり、昨日の製薬会社のMR数人とその社長、そして両教授との会談が始まった。場所は昨日と同様の神戸のホテルだ。高級な調達品を品良く設定し、豪華さをアピールしている。是枝の座っている一人用のソファも百万円以上もするであろう代物である。何処かで聞いた事があるブランド名であった。ただそのような調達品には目もくれず本題に入った。是枝は組織の簡単な説明と、日本政府との関係などを話した。その後、プロジェクターを使用し、映像でより具体的な説明をしようと話しだした。その時だった。まるで時間を見計らったかのように、是枝の話しを中断させたのだ。両教授の携帯が同時に鳴った。「失礼」と言って二人は徐に席を立ち、部屋の外へと出て行った。
是枝は話しの腰を折られたようで、少し気分が悪くなった。昨日の老婆の件から、どうもキツネが自分に憑いたような気持ちになる。嫌な妄想を振い払うようにかぶりを振った。そして傍に置いてあったコップに水を入れ、一口飲んだ。同席している製薬会社のMR達と社長はどう取り繕えば良いのか分からず右往左往している。そのような状況を数分間過ごした後、MRの一人が席を立ち教授を呼び戻しに行こうとした。男がドアを開けると、両教授が打ち合わせをしたかのように、渋い顔をしながら部屋に戻ってきたのだ。
「すまない、是枝君。今、緊急のオペの要請が入って来たのだ。どうやら車の大事故に巻き込まれた若者が、脳に損傷を受けたらしい。民間の救急病院から神戸中央病院に緊急搬送されたのだが、かなり高度な手術が必要だと言う事で、神戸帝都大学付属病院に転送されるらしい。我々もそこに行って、直ぐにオペの準備をしなければならない。どうだね、是枝君も一流の外科医だと聞いている。我々に手を貸してくれないかね。ちょうど君の事を知る良い機会になるかもしれない。その後で、先ほどの話しをより詳しく相談しようじゃないかね。」
話しは唐突にあらぬ方向に流れだしてきたが、是枝の腕前を披露する良いチャンスでもある。そこから両大学との関係が良くなるのであれば、チャンスかもしれない。
そう直感した是枝は、二つ返事で承諾した。製薬会社の面々は取り残された状態で、またもや右往左往するだけだった。その様は滑稽であったが、今は時間が無い。ホテルロビーの機転の効く手配で直ぐにタクシーが呼ばれ、三人は三宮から西に進路を取り、神戸帝都大学医学部付属病院へと急いだ。
観光シーズンのこの時期、神戸は人で溢れている。その人の中を一台のタクシーは、神戸大倉山西部にある楠地区へと急いだ。昔なら関西の代表格である京都帝都大学と、地方の神戸帝都大学の医学部が協力しながらオペをする事などありえなかったのだが、数年前にiPs細胞でノーベル賞を授かったY教授のお陰で、現在は非常に良い状態になっている。それ以来、様々な研究チームが立ち上がり、官民一体となって日本の医療科学を支えるようになったのである。
神戸帝都大学医学部付属病院の手術室に、脳神経外科学会の権威が二人と外科医の風雲児が集まったのだ。その三人に看護師が伝えた。
「患者様は35歳男性。氏名は「てしがわら まさる」様です。脳挫傷。CTにより、右大脳側頭部から頭頂にかけて広範囲の硬膜下血腫が見られます。また、左後頭部に車の残骸と思われる金属片が突き刺さっています。延髄付近にまで達していますので、かなりの高度なオペになると思われます。」
そう言って、横にあるモニターに映し出されたCT画像と、頭のⅩ線写真が分割されて画面に映し出された。清潔操作の出来る衣服に着替えた是枝は、足でマウスを操作しCT画像をAxial(水平)方向に数回上下した。また、Coronal(冠状面・前額面)方向での断面画像も表示した。延髄付近の画像は頭骸骨と金属片のアーティファクトにより精密な画像を得る事が出来ない。MRIも金属には不適切である故、使用できない。つまり、情報量の少ないCT画像と、二方向から撮影されたⅩ線写真だけが頼りである。是枝は、頭の中でこの情報を元に三次元解析したのだ。
「教授、この方の金属片の撤去は私がやります。いえ、やらせて下さい。私の腕前をお見せします。」
「しかし、君の目は片目しかないのだぞ。それで上手くいくのかね。」
「はい、その為に少し大がかりな装置を私の頭に付けます。普段は隠しているのですが、このような重要な場合には、装着しています。私の第二の目です。」
そう言いながら、是枝は持参してきた大きな滅菌された袋の中からヘルメットのような物を看護師に取り出させ、それを頭に被った。ちょうど、右目のところにレンズのような物が付いており、その情報を電気信号に変換し網膜に伝えると言う事だ。現代の医学では考えられない仕組みである。だが、このような事で驚いている暇は無い。今は、二手に分かれ、早急にオペを開始しなければならないのである。血腫と金属片の除去である。
まずは血腫の除去手術から行われた。外部からの頭部による強い圧力の為に、血腫の除去だけでは済まされない。反対方向の脳へのダメージも考えなければならないのである。それを鑑みながら手術は順調に行われた。両教授の腕前も本物で、精密機械のような動きと手捌きで手術が行われた。頭骸骨には、必要最小限の大きさの穴しか開けず、その小さな穴に遠隔操作出来るロボットアームを数本入れる。顕微鏡単位での動きが出来るので、手術もミリ単位だ。二時間ほどで、血腫の除去とドレナージ設置は終わった。一本のドレナージを残して縫合された。
次は、是枝の番である。反対側の後頭部である。少しでも残骸を動かすと延髄に傷を付ける。すると即死する可能性もある。骨が無ければ超音波装置を使って、画像を見ながら手術できるのだが、骨が邪魔でこの方法は使用できない。つまり、是枝の感だけが頼りである。是枝は、過去には人に言えないような状況下での人体実験の経験がある。その経験によって、目を瞑っていても殆どの手術が出来るのである。ただ、この経験を公表するわけにはいかないので、機械の目を付けるパフォーマンスを考え出したのだ。ボスのアドバイスである。余り神技を一般人に見せると、気味悪がられる。その為のアイテムが必要だとアドバイスされた。つまり、ヘルメットに取り付けられた機械の目は、単なるダミーなのだ。是枝は片目でも充分手術が出来る。それどころか、目を瞑っていても手の感触だけでオペが出来るのだ。
周りには、ダミーの目によって、神技のように寸分の狂いも無く残骸が取り除かれる様を見せつける事になる。オペが始まると、周りの空気が変わった。1度くらい温度が低下したようだ。「空気が張っている」と言う形容詞が適切かどうか分からないが、ピンと張りつめた空気が澱みも無く流れないのだ。1ミリの動きもないまま、空気が静止状態であると言って良い。まさに張りつめた空気である。清潔状態で助手をする看護師にも、その空気は伝わっている。言葉を発しないまま、是枝の指示に従いロボットのように正確な機械出しを行っている。三十分も経たない間に、除去手術は終了した。オペが終わったと同時に拍手が湧いた。
「まるで、機械のような手ですね。」
そう言って、看護師の主任は握手を求めてきた。二人とも清潔用の防御服だったのでウィンクで了解を得た。是枝にとってのウィンクは、目を瞑る事だが。
両教授も声をかけてきた。
「素晴らしいじゃないか。君のような手術は初めて見たよ。本当に機械のような手さばきだ。どうだい、京都帝都大学に来ないかね。私の研究室に是非とも招きたいのだが。」
「有難うございます。お気持ちは有難いのですが、私が居なくなると世の中の為に命を張っている仲間たちを助ける事が出来なくなります。ただ先生たちが望むのであれば、いつでも駆けつけますので、それでご了承願えないでしょうか?」
「そうか、そうか。それは仕方がない。君のような貴重な存在は、確かに独占すべきでは無い。世の中の為に、尽くして下さい。」
是枝は、自分の言っている言葉に酔っている。世の中で一番、非人道的な行いを経験して来た人間の言う言葉ではない。ボスだけが知っている自分の過去。へその辺りがむず痒くなるのを覚えながら、オペ室を辞去した。とりあえずは、成功だ。関西の代表となる大学との橋渡しが出来た。今後は、様々な面で協力を願う事が出来るだろう。直ぐにでも、持ち帰って報告をしたいと思っていた。その時に、頭の中をある考えが過った。
術中に見た脳波計である。術中は、手術の事で頭が一杯であった為に、少し不思議に思ったくらいで気にはしなかったのだが、今思えば、あの脳波は可笑しな脳波だった。
普通、脳波は、覚醒時にはα波、β波とγ波があり、規則的にその波が現れる。術中は麻酔をしている為に、δ波とθ波が観測される。深い眠りの中に居るはずだ。δ波が主流になり、規則正しい脳波が繰り返されるはずなのに、一定期間だけ変わった脳波が現れたのだ。それも是枝が研究している脳神経の強化による高水準状態の波形に近いのだ。また、術中に微かな違和感も覚えた。落ち着いて考え直してみると、彼の脳には何か得体の知れないものが存在している可能性がある。
是枝は、直ぐにボスに携帯で連絡し、患者の再検査をする環境を整えてもらった。理由は何でも良い。とりあえず、再検査の為に、組織に連れて帰りたいのである。
高度な検査装置があると言ったのだろうか、とりあえず教授たちは訝しむ気持ちを抑えながらも、患者の移動を許可してくれた。患者には未だ生命維持装置が付いている。オペ後のドレーンや点滴なども身体中に繋げられている。移動はヘリコプターを利用するが、静止した状態での移動は出来ない。困難だが、是枝が本部に着くまで全てを管理しなければならないのだ。だが是枝には、この男の事を放っておく事が出来なかった。
「もしかして、こいつが俺の運命の男なのか。あの婆さんが言っていた男なのか。」
訝しく思っていた婆さんの顔が脳裏に蘇えった。だがこの男を助ける事が自分の運命でもあるような気もする。自分の直感がそう言っているのである。
「俺は是枝だ。そしてサターンでもある。サターンとして仕事をするべきである。」
是枝は直感に従った。
神戸帝都大学医学部付属病院の天上に備え付けられているヘリポートから自衛隊のヘリコプターを利用して、患者「てしがわら まさる」と主治医「是枝 時雄」は、本部にある横浜へと旅立ったのである。ヘリ内で情報収集をする為、今回の事故に関するニュース速報を聞いた。2018年3月24日(土)午前9時34分、兵庫県神戸市灘区森後町にて、JR六甲道駅北東にある交差点で3台が絡む事故が起きた。重症者1名。軽傷者3名。計4名が救急搬送された。重症者の方の安否は現在分からないとの事だった。この事件が、全ての運命が変わる瞬間である。
「チーム八角龍」誕生
1.
神奈川県横浜市。新横浜から横浜線に乗り継ぎ一駅目で下車すると、「菊名」と言う名の駅がある。この菊名駅のすぐ傍に、横浜北線から東名高速に結ぶ為の高速道路を開発する計画が数年前に出現した。日本を代表するIT企業、「株式会社 LeeA Corporation:㈱リーエー・コーポレーション:LAC」のCEO「豊田 茂」の耳にもその計画は伝えられた。豊田には七年ほど前、家族でフランスへ海外旅行に出かけた際、テロに巻き込まれ妻と娘を同時に亡くした苦い思い出がある。息子は現在もこん睡状態である。その頃から、ある計画を実行に移す準備を進めていた。
最初は復讐の為に、形振り構わずテロ組織の壊滅の為に軍隊を組織しようと考えていたが、彼を支えてくれた仲間達の熱い愛情で思いを変えた。そして、法的に且つ平和的にテロなどの社会生活や平和を乱す組織の取り締まりを行う仕組みを作る事にした。
ちょうどその頃、日本国にもC国やNK国等の圧力に対する防衛の準備を進める必要性が高まり、官民両者の利益が一致した為、秘密裏にテロ対策チームの組織作りが急ピッチで進められるようになった。予算も取られ、表には出ない国家事業となった。その組織本部を、当時、開発が進められていた横浜北線の馬場出入口付近に隣接する事が決められた。CEOの豊田の強い要請もあったのだが、この辺りは高台になっており、丘の斜面を利用して交通や情報収集、荷物や人の搬入などが秘密裏に行われるメリットが高い事などで決定された。2017年4月に本部が完成した。本部は地下に作られている。地上は宅地になっており一般的な住宅が立ち並んでいる。地下5階建ての本部は、地下通路によって2020年に開通の目処が経ちだした横浜北線に繋がっており、車の出入りは高速を利用して行われる。また、人はJR菊名駅に隣接しているT急ストアの社員用出入口に直結している通路を使用する。
組織のメンバーは基本的に本部内に設置されている居住区で生活の殆どを過ごす。一般的なマンションと同じような3LDKの間取りで一人に一家屋ずつ与えられている。給与も公務員と同じ扱いとなり、待遇は良い。ただ有事の際には私的な時間は無くなり、チームが一丸となって取り組む事となる。現在の日本では今のところ有事は一度も起こっていない。敢えて挙げるのなら、1995年3月に起こったオウム真理教による「地下鉄サリン事件」が、日本国にとって忘れる事の出来ないテロ事件と言えるであろう。だが何時テロが起きるかは分からない。その為にも、この組織の重要性と危機管理を怠る事は出来ない。
その組織の名前が、「チーム八角龍」である。組織の紋章には、龍の頭に八本の角が描かれている。そこから、このような名前になったと言われている。組織の紋章は、弥生時代から受け継がれている絵柄で、神様が日本に降臨された際、時の天皇に遣わされた絵柄であると言われている。絵柄はフラクタル構造になっており、現在も解析が続けられていると言う。フラクタル構造とは、ある図形の一部分と全体が自己相似(再帰)になっているものを言う。例えば、雪の結晶などがそうである。
ボスは、この組織の発案者であり創始者である「豊田 茂」がなった。彼の人脈の広さや知力、財力により組織は成り立つのである。国をも動かす事が出来る人間である。ただ、家族に起こった悲劇が彼を悲しませているが原動力の源にもなっている。チーム内での呼び名は、「サン」である。そして、彼を復讐の鬼から人間に戻す事に成功した仲間達が三人いる。その一人が、現在、神戸の医療技術学会に出席している、是枝 時雄である。また、彼らがアフリカ旅行の途中に起こったある事件が切っ掛けでチームにスカウトした三人もいる。現在は合計六人の所帯となっている。
2.
ここでメンバー紹介をしておこう。
一人目のコードネームは「ジュピター」と言う。本名は桑原 大観。チーム内での役割は、戦闘員であり実行メンバーである。格闘家、身長210cm、体重114Kg、空手・古武道・柔道の師範を持ち、アメリカ海兵隊での実践経験がある。名誉勲章を受章し傭兵経験もある。年齢は不詳。巨体にも関わらず、百メートルを9秒ジャストで走る事が出来る。握力は120Kgあり、武器にも精通している。
二人目のコードネームは「ユーラナス」と言う。中国名は、李 鐘寛。日本名は金井 鐘寛。チーム内での役割は、ジュピターと同じく戦闘員であり実行メンバーである。格闘家、身長178cm、体重86Kg、中国香港生まれの日本人、男性である。拳法の達人であり、C国・NK国での傭兵経験がある。ただ、彼は身体の構造が少し違う。多肢症(腕が三本)である。普通の右腕があり、左腕は上腕部分までは普通だが前腕部分が、肘関節の3センチ遠位で収縮し、その先に手関節と三本の指がある。第三の腕は左腕の腋下(えきか:わきのした)前方から伸びている。普段は上着の中に隠しているが、筋肉質で右と同じく握力は100Kgを超える。この第三の腕により、命が助かったエピソードは多い。
三人目のコードネームは「サターン」である。本名は是枝 時雄。チーム内での役割は、医療班である。身長180cm、体重72Kg。38歳。面長で眼光強。色白で長髪。男前。医師の資格を持っているが、博士号や卒業大学名などは不明。南アフリカ軍での経験あり。顔面右側に大きな火傷の痕があり、右目に眼帯を付けている。軍医経験時代に負傷したらしい。謎の研究施設で人体実験を行ってきた経緯がある。詳細は不明。外科的処置は一級の技術の持ち主だ。ただ、誰でも実験対象にしてしまう傾向がある。彼の数少ない瑕瑾である。また、必要不可欠な事以外話さない寡黙な男でもある。
ボスである豊田が復讐に身を投じている時期、アフリカで出会った三人である。たまたま、護衛として雇われた「ジュピター」と「ユーラナス」がボスの復讐心を諭し、正義感を思い出させた。豊田は二人に自分の思いを伝え、対テロ組織を日本でも創設しようと思う強い意志を告げた。意気投合した三人は、アフリカを旅行中に「サターン」に出会う。戦闘中に「ジュピター」が負傷した際に軍の医師から紹介されたのが「サターン」であった。治療は完璧だったのだが、治療後法外な医療費を請求された。交渉の末、彼の夢を実現できるのならと言う事でチームの一員になる。その夢とは、人間の脳をコピーする事であった。戦時中に人体実験をしていた際に偶然、ある患者の脳伝達情報の一部を解読できたらしいのだ。説明を聞いても理解できないので、日本に帰国し、準備が整い次第連絡するとの事で一度分かれた。
この旅の最後に強盗に合い、間一髪のところで救出される事件が勃発した。三人を救出してくれたのが現在のネプチューンだった(後ほど紹介する)。だが、この救出劇は全て茶番劇であったのだ。事件も偶然に起きたのでは無く、計画的だったのである。最初から罠に嵌めるつもりで仕組まれたものだったのだ。アフリカを旅するバカな日本人から金を巻き上げる作戦だったのだ。まんまと騙された豊田は全財産を奪われそうになり、その上に三人の命も危機的状況に陥った。そこで犯人の身元を特定するためにネットで腕の良いハッカーを高額で雇う事にした。そこに応募してきたのがマーキュリーだった。四人目のメンバーである。本名は、雪村 澪。SNSでのやり取りで、最初は男だと思っていたのだが、偶然にネット上で見つけた映像に彼女を特定する事ができる証拠を掴んだ。間抜けにも、やり取りで良く出てくる大好きなアニメキャラクターの服装をしていたのだ。特殊なアニメキャラクターは、人を特定できる題材になった。のらりくらりと真実を隠されたのだが、ようやくハッカーの正体を突き止めた。メンバーは彼女を探しあぶり出した。信頼する事が出来ずに仕事の信憑性も定かではなかったが、いざハッキング段階になると、彼女の能力はチームのメンバーが思う以上に素晴らしいものだった。見事、詐欺に仕込まれた嘘を見抜き、財産は担保された。この腕を買い、彼女をチームのメンバーに勧誘した。彼女は友達と一緒にメンバーになるのなら合意するとの返答だった。友達の能力や、彼女らの身元も査定しなければならない。テロ組織などに加担していれば大問題になる。
日本に帰国後、二人の面談をする事で合意した。また三人を騙した、将来「ネプチューン」となる詐欺師は、「ジュピター」と「ユーラナス」にコテンパンにやられたが、自分の全てを差し出すので命だけは助けて欲しいと交渉した。何とも情けない結末になったのだが、彼の交渉の技術や武器調達、詐欺の腕前は一級である。また、世界中の軍需に長けており、マフィアとの繋がりも有ると言う。要注意人物だが、チームの裏の仕事には必要である。そこで、第7頸椎の横に発信器を仕込む事を条件にチームの一員にする。仕事の時は、逃走や裏切り行為の保険として、爆弾と点火装置のついたベストを身に付ける条件でOKを出した。
このネプチューンが五人目のメンバーである。本名は、深野 ガブリエーレ(ふかの がぶりえーれ)。身長176cm、体重72Kg。男性。イタリアと日本とのハーフである。常にブランドのスーツを着こなし、時計と靴に命をかけている。イタリア人の血をひく為、女性に関してかなり興味を持っている。常に自分の身のこなしを気にする自信過剰なナルシスト。誰かと話しをしていないと落ち着かず、チーム全員から鬱陶しく思われている。信用も出来ない。リスクの一つを負う事になる。
詐欺師のネプチューンを連れて4人で帰国後、「サターン」に連絡を取り、チームの医療班のトップとして役職を付ける。
また、一級のハッカーである「マーキュリー」にも連絡を取った。面談の際に付いてきたのが小太りでオタクの象徴のような子供っぽい男性だった。
アフリカで探し出した「マーキュリー」は、常にPCタブレットの中での対応だったので、チーム全員が彼女の全貌を見たのはこの日が初めてだった。一同は唖然としたほどだった。身長168cm、体重は秘密だそうだが、プロポーションは抜群である。年齢は自称22歳との事。後に、28歳と分かり年齢詐称疑惑が起こる。ミニスカートからは美しくて長い脚が目を引く。また、大きく胸の開いた服を好んでコーディネイトすると言う。開放的で明るく純粋で無垢なように見せかけている。そうする事で第一印象を良く見せかけると言う。コンピューターの事なら制作からプログラミング、ハッキングまで何でも出来る。確率論にも長けており、瞬時に推定確率を割り出す事が出来ると言う。
ただし、チームに入ってから分かる事になるのだが、彼女は脳に障害を持っており、あるキーワードで別人格に変貌する。多重人格者なのである。今のところ三人の人格が存在している。「マーキュリー」を非難するキーワードで、根クラで自殺願望を持っている二人目の人格が現れる。自称「みおリン」である。また性的なキーワードで出てくる三人目の人格は、殺人鬼である。過去に数人を殺害している事も後に分かる。ただし死体は発見されていない。好みの男性とは性交渉もあるが、行為の後は必ず行方不明になっている。闇サイトでは「マンティス(カマキリの事。生殖行為の後メスはオスを食べてしまうので)」とも呼ばれており、都市伝説化している。だが誰も正体は知らない。好みでない人間はその場で殺害。同じく死体は出てこない。三人目の人格によれば、死体を始末するまでが快感だと言う。快感を味わうと元に戻る。
そして、「マーキュリー」の横で菓子を頬張っている男性が居る。コードネームは、「マーズ」となる。六人目の本名は、南野 芳明。身長168cm、体重102Kg。太り気味で、呑気な性格。「マーキュリー」によれば、彼は臨床心理士でもあり、心理学の世界では一流の存在らしい。精神分析でも定評。噂では、他人の精神の世界に入り込む能力があると言う。「マーキュリー」は一度、精神の世界に入った「マーズ」を見た事があるらしい。オカルトのようだったと言う。
父親は、代々、高野山真言宗総本山K峯寺の住職でもあり、本人は五人兄弟の末っ子、三男らしい。LGBTQである。身体は男性だが、心は乙女。性転換手術は行っていない。自分の容姿に劣等感を持っている。ジェンダーの為に理解できない父親に叱責され、高校卒業後に家出する。その後、子供の頃より可愛がれていたお婆(「マーズ」によれば、陰陽師を受け継ぐ和製魔女だそうだ)の元に身を寄せ、裏の世界を知る。「陰陽師」にも精通しており、呪詛や調伏にも詳しい。現代の魔女に匹敵する程の能力を有すると自負している。その後、イギリスへ渡り大学に通い、心理学の博士号を取得。大学時代にマーキュリーと出会い、彼女に勧められてここに来たと言う。
ただし食べる事に卑しく、それが原因での失敗が多数あると言う。表向きは総本山もそれが原因で外に出したと言っている。ハッカーの「マーキュリー」と仲が良く、姉妹のような間柄である。「マーキュリー」の人格制御も行っていると、本人は言う。
このようにして、豊田の志に六人の有志が集まって来た(実際は五人である。一人は命乞いの末、強制的にメンバーになった)。アフリカと言う広大な土地を舞台に豊田が一歩足を前に出した事によって、その波が波及していったのだ。その波は、この後、アメリカ大陸を渡り、そしてまた日本に帰ってくる。
ただ、組織が生まれるのを見計らったように、悪の波も迫って来る事が後で分かる。組織が生まれたから悪が生まれたのか。悪が生まれたから組織が結成されたのかは永遠の謎解きとなる。
3.
豊田は、不思議な気持ちを拭い去ることが出来なかった。アフリカから帰国した日に、ある老婆に言われたのだ。
「お前の後ろに角を持った獣が八匹いる。その獣をお前の志の為に使用するのなら天はお前を許すであろう。だが欲の為に使用するのなら、その獣に食い殺されるであろう。気をつけよ。間もなくその獣達がお前の目の前に現れる。心して待て。そして、その者たちを導くが良い。」
こう言い残した後、姿を消した。まるで幽霊でも見たかのような情景だった。だが、現実に豊田の元に六人の有志が集まって来た。もし老婆の言う事が事実であるのなら、後二人の人間を探し出さなければならない。疑心暗鬼になりながらも、焦燥感は隠せなかった。
そこで、チームを組織の事務所に集めた。自分の財力の全てをつぎ込んでも、この組織を完成させようと考えた。その為には、どのような工夫と知恵を利用すれば良いのか。その事をチーム全員に伝えた。そこで発案されたのが、人脈を使ってでも世界一の天才をスカウトすると言う事である。唯の天才ではダメだ。好奇心旺盛で行動力があり、何よりも正義感が強い人間でなければならない。欲深く求めると存在しないかもしれないが、とりあえずは行動である。世界一の天才を見つける為には、世界一の大学へ足を運ぶ必要がある。短絡的な考え方だが、今は時間も良案も何もない。行動しながら考えるしか方法は無いのだ。早々に文部科学省に働きかけ、アメリカ合衆国ケンブリッジにあるマサチューセッツ工科大学の学長にアポイントメントを取ってもらった。
文部科学省からの連絡と同時に行動に移った。その日のうちに成田から国際便に乗り、アメリカ合衆国のケンブリッジに飛んだ。時差による睡眠不足も振り払い、到着後大学に直行し、学長に会った。そして、通訳を介して自分達の要望を伝えた。自分達の要望に適合する人物を紹介して欲しいと懇願した。余りにも強引な対応だったので気分を悪くしたのか、学長は余り気乗りしない様子だった。要望が多すぎたのかもしれない。時間が欲しいと言われ、その日は帰された。経験的に今回の面談では失敗した感じが強く、諦めムードで近くのホテルに帰り一眠りした。睡眠を取った事により、冷静な思考と元気を取り戻した。通訳と今回の反省会を開くと共に、腹ごしらえもしなければならない。ホテルの9階にある日本食レストランで夕食を摂り雑談していると、我々のテーブルに高校生のような少女が近づき対峙して座った。一同はあんぐりと口を開いた状態で、彼女の容姿を上から下まで見た。やはり高校生である。その高校生が遠慮なく日本語で話しかけてきたのだ。
「英語と大阪弁とどっちがエエ?」
面喰った顔で唖然としていると、彼女は続けて関西弁で話しかけてきた。
「関西弁でかんにんしてや(お許し下さい)。おじさん。あたい(私)に用があるのん?なんや、学長がこのホテルのこの席に行けってゆうた(言った)から、来たんやけど(きたのだが)。何なん?」
と捲くしたてられた。初めは何の話をしているのか理解するのに時間がかかったが、どうやら大学の学長が紹介した人間らしいのだ。しかし、卒業生を紹介して欲しいと伝えたはずである。目の前の彼女は、どう見ても女子高生だ。失意を感じさせないように、口角をあげぎこちない笑顔を見せた。
「君は、誰?学長とはマサチューセッツ工科大学の学長さん?」
「せや(そうです)!その、おじさんや!あたい(私)は、大学をもう何年も前に出たんや(卒業した)けど、たまにあそこで油売ってんのや(たむろしている)!何や、ええ(良い)話しでもしてくれるんとちゃうのん(して下さると聞いた)?」
「確かに、あなたが私の意図している能力の持ち主なら、多額の報酬で雇いたいと考えています。その能力はお持ちですか?」
「そうか!能力を見せなあかんねんな(見せなければいけないのですね)!ほな、見したるわ(では、見せてあげます)!」
そう言って、彼女は後ろに背負っているデイバックの中から両手に乗るくらいの黒い箱をテーブルの上に置いたのだ。
「これ、何やと思う(これは何だと思いますか)?」
「いや、私には見当もつかないですよ。中身は何ですか?」
と言って、箱の中を開けて覗こうとすると、
「あかん!あかんって!(ダメです!ダメです!)開けたら死ぬで!(開ければ死にますよ!)」
彼女の叱咤する言葉で、手が震えた。椅子をガタンと倒し、いつの間にか中腰で立っていた。
「わぁ~!吃驚したじゃないですか!何ですか!これは!」
「それはなぁ~!発電機や!中にあんたの知らん鉱物があんねん!その鉱物にある事をしたら、電気が出来るねん。(それはですね、発電機です。あなたの知らない鉱物が入っています。その鉱物にある事をすれば、電気が出来ます)」
「エッ!少し待って下さい。私の記憶では、そのような発電機はまだ発明されていないはず。嘘はダメですよ。」
鼻の頭を掻くような動作をしながら、相手の仕草を伺った。もしかすると、彼女も羊頭狗肉な物で我々を騙そうとしているのかもしれない。少女だと思って甘い気持ちになってはいけない。前回、アフリカで痛い目に遭ったので、高校生相手でも慎重になる。
「やっぱり、おっさんになると頭、かたなんねんなぁー。よぉー見てみ!ほなら、この横にLEDを置くわ!見ときや、明るーなるから(やはり。おじさんになれば、頭が固くなるのですね。良く見て下さい。横にLEDを置きます。明るくなりますよ)」
そうすると、傍らに置いたLEDが本当に光り出した。まさに世紀の大発明である。
「このような発明を君がしたと言うのかね。特許は取ったのかね。」
「あほか!こんなんで特許取っとたら、あたい、忙しゅうてたまらんわ。そんな暇ちゃうねん。(こんな事で特許などを申請していれば、私は忙しくてたまりません。それほど暇ではありません)」
彼女は、理論を説明してくれたが、豊田や通訳の二人には全く理解できなかった。理解出来たのは、中心になっている鉱物が天然には僅かしかない鉱物である事。この発電機が世に知り渡れば、世界中がその鉱物を探し出す。その鉱物はマントルの境目に存在する物なので無謀な採掘をすれば、世界規模の大地震に見舞われる可能性がある事だった。彼女には世界を俯瞰的に考える能力があるようだ。どうやら世界一の大学の学長が推薦するだけあって、組織に相応しい人間を寄こしてくれたようだ。少し話しただけであったが直感で決断を下した。その数分後には、彼女と契約を交わしたのである。学長には電話で取り次ぎ、彼女の詳細を確認したのだが、本人に聞けとの一点張りだった。学長の紹介である事だけは真実のようだ。
契約書にサインをした彼女は満足そうに微笑み、履歴書の入ったケースをテーブルの上に置いた。その履歴書をみて、また驚愕したのだった。何と彼女は42歳なのだ。どう見ても女子高生である。また、変わった人間が一員になる。リスクになるか、ベネフィットになるか。答えは直ぐに出るであろう。だが、それも楽しみの一つである。豊田は、右の口角をあげながら微笑んだ。今度は本当の笑みである。彼女の顔には未来への希望が輝いて見えた。
「では、何時、組織のメンバーに紹介できるのかな?」
「何を言うてんのん(何を言っているのですか)?あんたと一緒に帰るんやんか(あなた達と一緒に帰国しますよ)!」
「そっ!そうなのですか。では、早速、航空機のチケットを用意しなければなりませんネ。」
「せや、早よしてや(早くして下さい)!実は、あたいの彼、ゆうちゃんが音信不通になってんねん。せやから帰国したら、ちょっとでエエから、彼探すのん手伝うてくれへんかな?せやから、急いでんねん。(実は私の彼氏が音信不通になったので、帰国すればすぐに彼氏の捜索を手伝って欲しいのです。だから急いでいるのです)」
「分かりました。では、早速帰国の手続きをしましょう。今からでも良いのですか?それとも荷物を取りに帰られますか?」
「何言うてんねん!あたいの荷物は、このバック一個や!身は軽いのや!(私の荷物は、このバック一個だけです。身支度は少ないのです)」
このやり取りの後、直ぐにホテルをチェックアウトし空港へ向かった。通訳は秘書の仕事も兼任している。空港へ向かうタクシーの中で三人分のチケットを購入していた。
七人目の有志が、いとも簡単に見つかった。コードネームは「ヴィーナス」である。帰国後の面談の結果、彼女の全容も分かった。履歴書を拝見すると、驚愕する事ばかりだった。
氏名は、「原 優貴菜」と言う。このチームでは本名はご法度なのだが、彼氏を捜索するために本名を明かしたいと言うのである。身長148cm、体重44Kg、年齢は42歳だが見かけは女子高校生。外見の発育が非常に遅い特異体質である。普通の人間の三倍ほど遅いようだ。年々発育のスピードが遅延している感があると彼女は言う。後に科学的に証明されるが寿命を司るDNAに変異がある。その変異自体も一定では無いようだ。大阪市旭区出身のため、話す言葉は英語か大阪弁である。標準語を使用するのなら英語で話すらしい。アメリカ合衆国ケンブリッジのマサチューセッツ工科大学を首席で卒業。大学の2年時で四つの博士号を取得。機械工学と生理化学には長けている。孫子の兵法を愛読している。
チーム内では、戦略家であり、新しい武器などを考案する研究チームのリーダーとなる。
4.
神奈川県横浜市内の保土ヶ谷ジャンクション南に陸上自衛隊横浜駐屯地がある。患者「てしがわら まさる」と主治医「是枝 時雄」は、自衛隊の協力で神戸からヘリコプターでこの駐屯地に移送された。駐屯地には予め連絡が入っていた「八角龍」印の救急車が待機していた。是枝は、自分の直属の部下でもある看護師レアに目配せし、急ぎ足で救急車に同乗した。保土ヶ谷インターから高速道路に入り、生麦ジャンクションに向かう。2020年には開通するであろう横浜北線の工事用通路に入り、仮トンネルを通って本部に着くのだ。開通時にはこのトンネルは秘密の入り口となり、どのような偽装工作がなされるか楽しみである。
救急車はそのまま、高速から直結になっている本部の地下1階に入った。厳重なセキュリティを施されており、認識車両のみ通行可能となっている。もし万が一、誤って認識できない車両が進入でもすれば、自動的にセキュリティシステムが働き、進入車両は身動きできないような仕組みになっている。
入口には、本部の医療班スタッフが準備していたストレッチャーに患者を移し替え、直ぐに緊急用ICUへと移動させられた。その後、準備が整い次第、CT、MRIと検査が行われ画像診断を行った。サターンによれば画像診断上、何の問題も無いようだ。では、神戸帝都大学でのオペ中に感じた違和感と脳波の異常パターンは何だったのだろう。
そこで、F株式会社が現在開発中の高密度MRIを使用する申請をボスに伝えた。これは、まだ研究段階である。磁場強度が7テスラもあり、スーパーコンピューターの富岳に匹敵する姉妹品を用意する必要があった。関西の神戸にはスーパーコンピューターの富岳があるが、関東の秘密施設(八角龍の施設)にも、同レベルのスパコンが用意されたのだ。当然、世間には公表されていない。問題はMRIの磁場強度が高いので、磁場酔いをする事が猿の実験で証明されている。
現在の患者は意識が無く、特殊な能力を持っている可能性が高い。運が悪ければ副作用が出るが、良ければ八角龍の八人目かもしれないのだ。
そこで、世間的には事故によって死亡した事にした。どの道、八角龍には柵のある人間はリスクが発生する。出来るだけ過去の無い人物像が好ましい。その為にも、死亡による過去の履歴消去はうってつけの案である。
ボスとサターンの判断で、研究用の高密度MRIを試す決定がなされた。
皆が見守る中で、患者「てしがわら まさる」の高密度MRI画像が構成されだしてきた。この最新MRIは、水素原子の磁場による反応電磁波を収集するだけでなく、数種類の原子の反応電磁波を収集し画像構成する事が出来るのだ。それを画像上、色分けをする事も可能であり、トリミングなどの効果を施す事も出来る。時間軸での推移パターンの解析も可能だ。それらを総合的に組み合わせる事によって、有機物質には必須である窒素原子の周波数に色付けを行い、時間軸による推移パターンを映像化した。結論として、脳橋から延髄の後部にクモの巣状の有機物が張り付いている事が分かった。基本的に、本来の人間には存在しない物体である。この物体がどのような仕組みで、どのような影響をこの患者に与えているのかは現在の医療技術では理解出来ない。ただ、この患者は何らかの方法で、後天的に手術或いは同様の方法で謎の有機物を脳幹に仕組まれたのだ。
報告書はサターンに任された。政府に提出する書類と、サターンのバックアップ用の書類。当然、政府用には異常なしと報告する。バックアップ用には、高密度MRIの画像と共に、窒素原子に充てた磁場強度とパラメーター(T1とT2の数値)を記した。その他の同期メディアのデータなども出来るだけ分かり易く再現可能に出来るようファイリングした。また、視覚的にも情報収集できる為の動画データもディジタル化し、SDカードに保存しファイリングしている。
後は、患者が目覚めるのを待つだけだ。その他の検査は全て良好である。オペも完璧なほど上手くいった。身体の回復状態も良い。後は時間だけである。
患者「てしがわら まさる」に与えられた病室は明るくて清潔な部屋だった。地下にある本部なので、太陽の光は当たらないのだが、まるで窓から太陽の光が射すかのようなインテリアが施されている。カーテンも付いており、都内にある一般の病院と全く変わらない。ただ、窓の外は人工的に作られたダミーの風景だが。
そして、戸棚の中に保存されたファイルには、「勅使河原 優 : 死亡 : 2018年3月24日(土)16時47分」と記された。
5.
ユーラナスが大きな身体を揺らしながら病室に入って来た。つい一週間ほど前にこの組織の医療チームらの手で入院してきた男の部屋だ。何かの異変を見過ごさないようにする為にモニターでの監視と、人が横に付いての監視と二重で行っている。その男の監視の交代時間だからだ。先程までは、マーキュリーが行っていた。
「普通通り、何も変化なしよ。これで、私は解放される。コーヒーでも飲む?」
「ああ、頼む!もう少しするとサターンも来る。定期の診察だとさ!」
「そう、じゃ、三人分のコーヒーを持って来るわね。」
「頼む!」
ユーラナスの返事を聞かずに、マーキュリーは病室を後にした。この病室で眠っている男は、「勅使河原 優」である。皆が期待している男だ。どれほどの能力があるのかも未知数だが、サターンは相当力を入れている。結果はまだ出ていない。ユーラナスには余り意味が分からないが、とりあえず交代でこの男の様子を伺っている。多分、何事も起こらないであろうが、命令だから仕方が無い。今日は暇つぶしにゲーム機を持参してきた。最近流行っている戦場のシミュレーションゲームだ。ユーラナスは暇があればこのゲームをしている。実践での感を鈍らせない為にもこのゲームは役に立つ。かなり上手に作り込まれており、実践さながらの内容である。現に作者は現実の情報を元に作り上げたと言っている。たまにユーラナスでさえ、ゲームオーバーになる場合がある。
「よう!お昼寝さん!今日も色男で寝ているな!早く目を覚ませよ!俺は良いのだが、皆がお前の事を知りたがっているからな。目を覚まして、お前の能力を説明してくれよな。」
ユーラナスは答えない事を前提に話している。目の前の男はどのような声でどのような話し方をするのだろうかと、疑問を抱えながら話している。
「さてっと、今日も時間稼ぎにゲームでもしようか。悪く思うなよ。これも俺の日課だからな。」
そう言いながら、病室の隅にあったテレビをモニター代わりに接続し、ゲーム機の電源を入れ、準備を整えた。スターティングの音楽が流れ、キャラクターや武器の携帯などを選択する。そして、前日まで行っていたポイントからの攻撃に移るアイコンを選択しスタートボタンをクリックした。始まるや否や、直ぐにゲームに夢中になった。
「くそっ!こんなところにも敵がいやがった!こいつは大変だ!気を付けてこの通路を通らなければ!」
独り言を言いながらゲームをしているユーラナスの子供のような姿が目に入った。マーキュリーが、微笑みながらコーヒーを持参し部屋に入って来た。
「お待ちどうさま!」
と言った直後に、持っていたコーヒーカップを床に落としてしまった。彼女は目を大きく見開いたまま、固まったのだ。大量の黒い液体が病室にまき散らされ、辺りには芳醇なコーヒーの香りが立ち込めた。
「おい!マーキュリー!何をやっているのだ!折角のコーヒーが!」
「違うわよ!ユーラナス!彼を見て!彼の首回りが光っている!そして、彼が何かを話しているわ!」
ユーラナスはマーキュリーが指さす方向を見た。そこには眠っているはずの男が目を瞑ったまま話している様を目にしたのだ。
「何を言っているのだ?」
と、誰に問いかけた訳でもない疑問が口に出た。その時、新たな訪問者が病室に入って来た。
「一人だけの回診でーす。」
間の抜けた声の主は、サターンだった。ただ、彼は病室内での状況が普通ではない事に直ぐに気付いた。
「どうしたのだ?そこら中にコーヒーがまき散らされているが。」
「違うのよ!彼をみて!何か話している。」
マーキュリーは、ベッドで横たわっている男を指さし、大きな目をさらに大きく開けながら話した。
「静かに!彼の話を聞いてみる。」
サターンは、耳を「勅使河原 優」の口元に近づけた。そして、彼の話を聞いたのだ。
「み・ぎ・う・え・に・て・き。こ・う・げ・き。ひ・だ・り・し・た・に・て・き。こ・う・げ・き。」
「こいつ、何を言っているのだ?敵を攻撃しろと言っているぞ!」
「攻撃?えっ!もしかして!」
ユーラナスは、彼の言っている内容を直ぐに理解した。自分が先程までやっていたゲーム画面を見たのだ。
「右上に敵。左下に敵。」
彼の言った通りに、そこには敵が隠れていた。照準を合わせ、ボタンを押した。銃器から銃弾が発射され、敵が二人倒れた。
「こ・れ・は・2008・ね・ん・の・あ・ふ・が・ん・の・せ・ん・と・う。・・・」
最後の方は聞こえなかった。サターンは「大変だ!」と言いながら、病室から走り出した。自分の部屋に一目散に帰ったのだ。
「直ぐに検査の用意をしてくれ!多糖類なら何でも良いから、それにテクネを標識したRI(ラジオ・アイソトープ:放射性同位体)でシンチをする。或いは、ポジトロン核種「18-FDG」を50cc静注して、PET/CTを行う!どちらでも準備でき次第行う。急いでくれ!」
サターンは部屋から医療班の主任に緊急連絡を入れた。「勅使河原 優」の脳の血流検査するのだ。特に糖の流れが脳のどの部分に集中しているのかを検査しようとしている。今まで謎であった、彼の脳の機能が明らかになるかもしれないのだ。
サターンの命令で、医療班は直ぐにPET(Positron Emission Tomography:陽電子放出断層撮影)/CT検査の準備が進められた。病室から検査室に彼を移動させ、大きなドーム状の筒の中に彼を入れた。静脈にサーフローを留置し、「18-FDG」と言うポジトロン核種を組み込んだ放射性医薬品がブドウ糖と同様の動きをするものを注入した。一般的には一回の検査で終わるが、今回は時間的な推移も知りたいので、時間軸に沿った定期トリガーに同調するPET/CTの検査を始めた。血管内に入った糖分は血管を流れやがて脳内に到達する。脳内では、活性化している分野に多量の酸素と糖分を補給しなければならない。それを「18-FDG」と言う放射性医薬品に置き換え、機械で追跡し画像化するのだ。CTと合わせる事により、脳の何処の分野が活性化しているのかを画像的に特定できるようになっている。現代医学での最先端検査である。これで得られたデータを時間的に追って行く。そしてCT画像と結合させ、時間軸による活性化部位を動画表現出来るようにしたのだ。分析後、サターンは驚愕の事実をサンに報告する事となった。
「サン、見て下さい。まず初めに前頭葉の一点がホット(糖分が集中)になります。その後、彼の脳の後頭部に張りついている有機物。ここがホットになっています。つまり血流が増しているのです。その次に、また前頭葉部分がホットになります。つまり、前頭葉で得た何かを、後頭葉でまた何かが行われ、その結果また前頭葉を刺激したのです。私が考えるに、彼の後頭葉に張りついている何かはコンピューターのような役目をしているのではないかと考えています。もう少し時間をかけて、詳細を調べないと分かりませんが。」
その後、サターンは難しい説明を延々と述べた。そして最後に言ったのだ。
「つまり、彼は我々のリーダーになるべくして生まれてきた男なのです。」
サンは、喜色を満面に浮かべていた。とうとうチーム八角龍のリーダーが見つかったのだ。後日、サターンに我々が理解出来るレベルにまで落としてから説明をするように要望した。
6.
周りがぼんやりとしている。眩しい程の光が目を刺激している。だが脳がそれに反応していない。いや、反応していないと考えているのだから脳は反応しているのだ。何だか、訳の分からない思考が止めども無く押し寄せては退いていく。
その時、女神のようなふっくらとした女性が問いかけてきた。
「あなたは生きているのよ。」
聴覚も働きだしてきた。周りの雑音に混じって、先ほどのふっくらした女性が叫んでいる。
「みんな~!彼が目覚めたわよ!早く!早く~!彼の目、キュートよ!」
ようやく、目も耳も思考も正常になって来た。そして愕然としたのだ。女神のような女性は女性では無い。ふっくらとしているどころではない。かなりぽっちゃりしている。つまり太り過ぎの、それも男だ。太ったオタクのような若造だ!どうして、このような若造が女神に見えたのか。自分の目を疑った。
すると、横で椅子に座り足を組んでいたミニスカートの女性が話しかけてきた。
「本当だ!目を覚ましたヨ!サンを呼んできて!マーズ!」
「アイアイサー!マーキュリー殿!」
そう言って、ドスン!ドスン!と鈍い音を引きずるように、部屋を出て行った。
「あなたの事が心配で、殆ど一睡もしていなかったのよ、彼、マーズって呼ぶの!」
声を発しようとしたが、喉に何かが引っ掛かっている様で、声が出なかった。擦れた吐息だけが口から洩れた。
「まだ、話さなくて良いわよ!あなたは、大怪我をしたのだから。」
そう言えば、何があったのか全く記憶が無かった。自分が誰なのか、何処に住んでいたのかも分からない。そして名前も思い出せない。急に不安が押し寄せてきた。どうすれば良いのか、誰かに助けを乞おうと部屋中を見渡していると、いきなり部屋の空気が変わった。澱みが無くなったのだ。そして澄んだ美しい空気が鼻をついた。何が起こったのだろうかと、脈が速く打つのを感じながら扉の方に目を向けた。そこには、後光を纏ったかのような初老の男性が立っていた。一気に安堵感が自分を包んだのが自覚できた。
「私は豊田と言います。この組織のボスです。これからは、『サン』と呼んで下さい。太陽の『サン』です。」
「ハイ、私は...」
「君の名前は思い出す事が出来ないでしょう。記憶喪失になったのですよ。ですから、これからは、『アース』と呼びましょう。そしてここが君の家にもなります。あなたの家族は、ここのチームの全員です。夕食の時に、全員を紹介します。」
「私は、『アース』ですか。」
「そうですよ。そしてあなたは我が社の社員です。このチームのメンバーになります。」
「このチームのメンバー。何をするメンバーでしょうか?会社は何という会社なのでしょうか?」
「ご質問が多いですね。イヤイヤ、結構!それだけ、正常に戻ってきている証拠です。会社の名前は、「八角龍」です。仕事の内容は、少々複雑ですので、これから徐々にお教えします。それよりも、早く回復して下さい。皆にあなたを紹介しなければなりませんし、今後の活動の説明もしなければなりません。大きな問題が起こりそうな情報が寄せられましたからね。出来るだけ早く、リハビリを行って下さい。」
「ハイ、分かりました。リハビリを。」
ただ、オウムのように言葉を返す事しか出来ない。
「そうです。あなたの主治医は、『サターン』と言います。同じく、ここのメンバーです。少し馴染みにくいかもしれませんが、慣れて下さい。リハビリの詳細は、医療班のスタッフがあなたのお世話をします。明日から、早速、リハビリ開始ですよ。ですから今日は、ゆっくりとして食事でも楽しんで下さい。そしてゆっくりと眠って下さい。」
「ハイ、分かりました。ゆっくりと眠ります。」
「イヤイヤ、今起きたばかりですから、夕食の後、お風呂に入って眠れば良い。安眠のコツはお風呂でゆっくりする事ですよ。」
「ゆっくりとお風呂に入ります。」
何故か、この初老の男性の前では頭が働かない。まるで催眠術に掛けられたようである。
この会話の後、アースはまた眠りに就いた。この日は夕食に参加する事も無く、明朝まで起きる事はなかった。アースは同じ夢を何度も繰り返して見た。頭の隅で、『ユー ワー アース』と話しかけられているのだ。眠っている間中、この話しかけが繰り返された。十数時間眠ったのだが、熟睡した気持ちにはなれなかった。
ヴィーナスの苦悩
1.
数週間が過ぎ、アースは心身ともに回復していった。テレビでは湿度が高く、雨の日が続いている事を毎日のように報道している。6月は梅雨と言う季節のようだ。しかし、この部屋の中では、湿度や室温など不快な環境は全くない。常に一定の適温と湿度である。記憶は一向に戻らない。ただ、昨日紹介された「ヴィーナス」の話し言葉には聞き覚えがある。彼女は大阪出身だと言う事なので、自分も同じ故郷なのだろうと考えた。少しニュアンスが違うような気がするが、違和感は無い。コミュニケーションが取れるようになれば、色々と教えてもらおうと考えた。日常の生活には全く支障は無い。ここの生活にも慣れ、快適にさえ思うようになってきた。怪我をする前がどのような人間で、どのような生活をしていたのかは記憶が無いのだが、多分、今の生活の方が快適ではないかと感じるほどだ。
そして、今日からこのチームで働く為の訓練が始まるらしい。自分には何の能力も持ち合わせていないような感じがするのだが、サターンやサンには期待されている。その期待が重々しい。また、ここに来てから毎日のように様々な検査を受けている。高密度MRI検査は最近では慣れてきたが、最初のうちは気分が悪くなった。車酔いのような気分になるのである。だが、検査を重ねる毎に身体の中でエネルギーが高まって行く実感がある。高揚感が高まると言うか、感覚が鋭くなっていくような気がする。サターンにその感覚を伝えると、興味がありそうな口ぶりでタブレットPCに何やら打ち込んでいた。答えは未だに教えてもらえていない。
「では、今日から本格的な訓練に入りましょう。座学は今までやってもらっていましたので、今日からは実践に入ります。」
片目の男が言った。髪が長く端正な顔をしている。ただ、右の目に付けられている眼帯は装飾では無いらしい。眼帯の下に隠れている傷や爛れた皮膚が物語っている。彼の名はサターンである。
「エッ?座学と言っても、訳の分からない本を読んだだけですよ。メンタル面の本が多かったが、何か実践で役に立つようなものは無かった気がします。これで良いのでしょうか?」
「まぁ、心配しなさんな。君には内なる能力が隠されている。それは実践でしか証明できないのだよ。だから、ここからが本番です。あなたの隠れた能力を皆に示して下さい。」
「そうは、言っても...」
自分に何の能力があるのだろうか?言われれば言われるほど不安になる。自分にそのような大役が出来る筈がない。記憶は無いのだが、自分自身が人の上に立った実感は皆無だ。多分、世間からは余り期待されていない環境で生活をしていたような気がする。それが、ここに来てからヒーロー扱いである。自分にはヒーローの素質は持ち合わせていない。それをいくら説明しても聞き入れてもらえない。だから、この実践の訓練で、自分の無能さを表示するしかないのだ。何とも情けない話だが、それが自分にとって一番正しい行いだと思っている。このような立派な組織の一員にはなれないと思う。世の中には、自分に替わる人は沢山存在している筈だから。
瑣末な事をあれこれと考えながらも、訓練は始まった。今日は外に出ての訓練だそうだ。アースをエスコートするように言われた男が部屋に入って来た。見た感じでは山のような存在であった。ジュピターと呼ばれている。その大男に言われるがまま、車の後部座席に乗せられた。この施設に来て初めての外出である。1時間半ほど車に揺らされ、どんどん奥深い谷間に入って行った。大きな松の木を避けカーブを曲がると一面に広大な空間が広がった。その中央に古ぼけた5階建てのビルが建っていた。ワゴン車が三台、装甲車が一台と戦闘状態のような環境である。ワゴン車の横には簡易テントが張られ、そこで作戦会議が行われているようだ。本部で良く見る顔ぶれだ。全員揃っているらしい。
その内の一台のワゴン車の横に停車した。強引に降ろされた。
「アース、君には今まで身体の回復に専念してもらっていたが、サターン君のお墨付きをもらったので、昨日付けで全快となったのだ。今日は、全快祝いとしてちょっとした事件を解決してもらいたい。ここに居るのはチーム八角龍のメンバーである。君の命令に全員が従う。君は彼らと一緒にあのビルに入り、拉致されている少女を救助して来てもらいたい。犯人は今日の朝、少女を拉致しそのまま立て籠っているのだ。我々にとっては大した事件では無いのだが、君の能力を拝見させてもらう為に、君に任せようと思う。どうです、やってみて下さい。」
身体は大きいのに、声のトーンが少し高い。アンバランスな感じがしたが、今はそのような事で悩んでいる暇は無い。責任重大な事を言われているのだ。
「ちょっと、待って下さい!私にはこのような事件を解決する術も知識も有りません。無理ですよ。」
「何も、君が解決する必要は無い。このチームには非常に優れたメンバーが揃っている。実践は私や彼らに任せれば良い。君はその総指揮を執れば良いのです。」
「そんな!自分には無理ですって!人に命令などした事も無いし、誰も自分の言う事など聞いてくれませんよ。」
「まぁ、そう言わずに。とりあえずあのテントで作戦会議をしているので、あなたも参加して下さい!」
「参加だけなら出来ますよ。分かりました。では、皆さんの貴重なご意見を勉強の為にも聞かせてもらいましょう!」
「そうだ、その意気です。頼もしいなぁ。期待していますよ、頑張って下さいね。」
そう言うなり、ジュピターは踵を返しテントの中に入って行った。アースもジュピターの後ろに続き、テントの中に入った。
狭い空間にボスのサンを筆頭に八人が座っている。自分を含めて九人だ。
「では、皆さんに紹介しよう!」
と、サンが口を開いた。
「新しい友が増えたので、改めて全員の紹介をしましょう。まず、私の右隣に座っている「ジュピター」と「ユーラナス」の二人から紹介します。彼らは私の古き良き友と言って良い方々です。戦闘専門で頼りになる二人です。二人とも外国での軍事経験や傭兵の経験があるので、実践では先頭に立って実行部隊となってもらいます。我々は彼らの陰に隠れていれば安全です。そして、その横に座っていますのが「サターン」君です。彼も古き良き友ですが、彼は医師です。軍事訓練も受けていますが、我がチームでは医療班のトップとして仕事をしてもらっています。有事の際は、戦闘隊員にもなってもらいます。彼の外科手術は一流ですよ。あなた、アース君を死の淵から助けたのも彼のお陰です。少し内気で話すのが苦手らしいですがね。さて、その横に居る仲の良い二人は、「マーキュリー」と「マーズ」と言います。「マーキュリー」はコンピューターでは一流の腕前です。ハッキングやプログラムなどあらゆる情報関連の管理をしてくれています。確率計算も得意で、コンピューターと同等並みの早さで確率計算が出来ます。その隣に座っている友が、「マーズ」と言います。彼、いや彼女は心理学の博士号を持っているドクターです。また、陰陽師の教育も受けている貴重な存在です。彼女は身体と心が不一致の性同一障害を持っています。本人は余り気にしていないようですが、女性として接して欲しいと言っています。少し卑しん坊ですが、多めに見てやってください。そしてその次。少し掘りの深い顔をしている彼が、「ネプチューン」と言います。軍需関連や裏の世界に精通しています。イタリア系の日本人です。」
六人の紹介を一気にされた。名前はともかく、すごい人物が揃っている。これだけで、一つの国家を動かせるのではないかと思うくらいの能力者ばかりだ。続けてサンは新しい仲間の紹介に入った。
「そして、最近このチームの一員になったのが、「ヴィーナス」と「アース」です。「ヴィーナス」は、私がアメリカのマサチューセッツ工科大学からスカウトしてきた天才です。見た感じでは高校生のようですが、実質年齢は内緒ですが、アラフォーです。ヴィーナス君、言っても良いですね。」
すると、少しうつ向き気味だった少女のような顔をした女性が、ボスのサンを見た後、右の口角を上げて口を開いた。
「しゃーないなぁ。あたいの歳は42歳や。見かけとちゃうけど、皆よろしゅーな!」
幼い顔からは想像も付かないような言葉が発せられた。話し方は正にアラフォーである。
ただ、彼女は今朝、探していた彼氏の訃報を聞いたのであった。日本に帰国する条件の一つとして組織の力で彼氏の行方を捜す事だった。彼女にとって初めての彼氏だったのである。今までは知的レベルが一般の男性とは合わず恋愛など諦めていた。だが、SNSで出会った彼は知的レベルも高く、男性としての魅力もあった。何と言っても優しいのである。彼女は幼少の頃から人の愛情を余り受けずに育ってきた。その為に、人を近寄せないオーラが出ていたようだ。そのような彼女を温かく包み込んでくれる人だった。初めて心を開く事が出来る男性だったのだ。その彼が、事故で無くなっていた事が今朝、知らされた。そして、その事故で助かったのがアースだと言う事も知らされた。アースに関係ない事は分かっているが、彼の命と引き換えにアースが助かったような気持ちになる。振り切れない気持ちがヴィーナスの心を曇らせるのだ。だが、気性で自分を強く見せてしまう。勝気な言動で自分を隠す癖がある。そのような彼女を可愛く思うサンは、心を痛ませながら話を続けた。
「ウォッ!フォン!まぁとにかく彼女の頭脳は八角龍には無くてはならない存在です。彼女の戦略や考案は「素晴らしい」の一言につきます。今後も、皆さんを驚かすでしょう!期待しています。さて、最後にご紹介する方が、アース君です。彼は自分の才能に未だ気付いていません。皆さんも入院中には顔を何度か見たかもしれませんが、話すのは初めてだと思います。彼はこのチームのリーダーになってもらいます。」
「ウォー!」
と、ざわめきともうめき声とも言えない声が聞こえた。それもその筈だ。色白で、いかにもひ弱そうな彼が、このチームのリーダーと言う事は初耳だ。そのような能力が彼にあるとは到底思えないと言うのが皆の意見だった。
「見た目だけで人を疑ってはいけません。医療班のトップ、「サターン」君が太鼓判を押したリーダーですよ。これから彼の能力を見ようではありませんか。」
サンは満面の笑みを浮かべながら話し、最後に何度も首肯した。そして椅子に座った。
「ちょっと待って下さい。自分は皆さんのリーダーになる素質などはありません。サンやサターンさんにそのように言われただけです。皆さんのような素晴らしい能力があるとは思えません。本人が言うのですから、間違いありません。」
アースは率直に自分の気持ちを話した。その話を、横で聞きながらサンは笑顔で頷いていた。
「とりあえず、アース君の声は聞こえましたね。では、時間がありませんので早速本題に入りましょう。今回の拉致・立て篭もり事件を解決する為の作戦会議を始めます。」
アースが少し興奮気味に、皆の顔を見まわしているのを余所に、話しは本題に入った。取り残されたような気分であったが、アースはとりあえず肩の荷が下りたような軽い気分になった。
「では、現状把握をする為に、所轄の警察署からの報告書をご覧ください。」
皆に配られたA4用紙に縦に時間軸を取った報告書を見た。どうやら、実行犯は三人で、三人とも若者のようだ。拉致された少女は中学生で、横浜市内在住の大手製薬会社社長の娘らしい。身代金の要求額は6千万円だ。そして、現在服役中の同志の開放を要求している。身代金の要求額が少ない事や、21世紀の日本国内でテロ組織でも無いのに、同志の開放を要求する事に少し違和感を覚えたが、人質の生命を脅かしている現状では解放は仕方のない事であろう。この事件が収まり人質の生命の危機を脱した後、改めて逮捕すれば良い事である。
「質問して良いですか?」
初めに口を開いたのは、ユーラナスだった。
「報告書には今日の朝早く、山菜採りに山に入った老夫婦が複数の人の気配がこの辺りであった事が書かれています。犯人が三人だと断定するのは早急ではないでしょうか。」
サンは、ユーラナスらしい質問である事に満足感を得た。久々の軍事作戦である。否が応でも熱が入るのであろう。
「確かに、その意見は正鵠かもしれませんね。もう少し、情報を得る必要があるでしょう。マーキュリーさん、ドローンを飛ばしてもらって、建物の反対側の情報を探ってもらえませんか?」
「オーケー!やってみる!」
マーキュリーが可愛く口を尖らせながら同意の意思を示した時、皆の目線がある一点に釘付けになった。サンがその眼差しの先を見ると、アースだった。先ほどまで不安げな顔で目線を反らし、俯き気味で座っていた彼が全く別人のような眼差しで腕を組んでいるのである。その首元辺りが光り輝いていた。
そのアースが口を開いた。
「私の経験と照らし合わせて勘案してみますと、この事件と似た経験が過去にあります。その時も、少数の若者の犯行だと考えられ、警察が踏み込むと中は軍隊並みの装備をした兵士に囲まれ全滅した記憶があります。先ほどの報告書に複数の人間が居たと言う文章がありましたが、軽く見ない方が良いと思います。ところで、マーズさん。あなたは心理学の博士号を持っておられる訳ですから、犯人の見立てはどのように感じておられますか?早急にプロファイリングをしてもらえませんか?」
急にマーズに問いを投げかけられたため、何事が起ったのか理解する事に時間がかかった。しかし、自分事だと理解した時、マーズの目はキラキラと光り出した。憧れの白馬の騎士から声をかけられたのだから仕方がないのだが、マーズの緊張は頂点に達した。
「あ、ハイ。私に指名して戴いて有難うございます。私のプロファイリングでは、今回の実行犯である三人は、多分、誰かにお金で雇われた輩であろうと思われます。行動や仕草等を分析しますと、信念が一かけらも感じられません。彼らが要求している内容にはある程度の使命がないとこのような行動を取る事が出来ないはずですが、彼らにはそのような使命感は感じられません。従いまして、アースさんが過去の経験から推測された論理は頷けます。多分、彼らは囮か時間稼ぎの為の茶番劇だと考えた方が理にかなっていると思われます。」
このようなやり取りを聞いているチームのメンバーの目は全員が点になっていた。唯一、アースの本当の姿を見抜いていたサターンだけが、納得のいく頷きをしていた。そしてサンに問いかけるように、唇だけで合図を送った。
「どうです、すごいでしょう!」と。
アースの能力が開花した瞬間だったのだ。
チーム全員の驚愕のざわめきを余所に、マーキュリーがドローンの映像解析の結果を報告した。
「見て下さい!おっしゃる通りです。建物の裏側に、バンタイプの車が三台止まっています。一台の荷台部分が開いていましたので中を覗きましたが、銃器で一杯でした。また、何かを探しているのか、ファーバースコープやモニター、超音波診断装置などの機器類が見受けられます。アースの予測通り、この事件には裏があります。」
腕組をしながら考え込んでいたアースが、口火を切った。
「やはり、予測したとおりでした。もう一つ、気になる事があります。そもそも、この事件が舞い込んできた経緯を教えて下さい。単純な誘拐事件なのに、どうして我々のような政府関係の組織に情報が伝わって来たのか。そして、いくら私のデビューの為の事件だからと言っても、国が関わる情報では無かったはずです。つまり、この事件の裏には、何か政府が関わっているキナくさい臭いがするのは私だけでしょうか。」
「確かに、そうだ。そう言えば、この事件を持ってきたのは、防衛省の大臣からだった。つまり防衛省が絡んでいるわけだ。警察や検察庁からでは無かった。言われてみればキナくさい臭いがプンプンするぞ。」
と、今まで黙っていたジュピターが口を尖らせながら甲高い声で話しだした。
「サン!マーキュリーに防衛省のハッキングを行っても良い許可を下さい。絶対に何か、隠していますよ。」
「ふむ、確かにその可能性は大きいですね。マーキュリーさん!ログを残さないように防衛省のネットに入り、必要な情報を見つける事は可能ですか?」
サンの問いかけに、マーキュリーは不服そうに唇を歪めて答えた。
「誰に言っているのですか。私ですよ。防衛省のネットなんて簡単に入れますよ。入った痕跡も一切残さないようにするのなんて朝飯前よ!」
「よし、では、情報収集して下さい。その間に、我々は次の手を考えておきます。」
こうして、簡単だったはずの拉致・誘拐事件は思わぬ方向へと動き出したのである。
アースの記憶にある事件の全容をヒントに、今回の事件の解決策を練り上げていった。しかし、政府が絡んでいると、思わぬところから横やりが入るので、最終的にはマーキュリーの報告を待たなければならない。首尾は着々と進んでいった。
マーキュリーは何かを掴んだようだ。パソコンの前でニヤニヤとしている。それを察したマーズが楽しそうに話しかけた。
「ねえ、ねえ、マーキュリー。何を楽しんでいるの?私にも教えてよ。一人で楽しんでいるなんて、ずるいわよ。後でお芋をあげるから、ねえ、教えて。」
マーズが焼きイモを食べながら、マーキュリーに囁きかけていた。マーキュリーはどこからイモを持って来たのかと聞きたい疑問を飲み込んで、サンに語った。
「サン!大当たりです!どうやらこの強盗団の連中は、徳川の財宝狙いのようですよ。あの建物は、六十年ほど前に国が買い取り、そのままの状態で管理されていたようです。何故、防衛省に渡ったのかは定かではありませんが、地下には江戸時代に隠されたと言われている徳川家の財宝の金貨を貯蔵していたみたいです。金庫は当時の最先端の技術で作られたもので、開ける事が出来る人間は居ません。ですから今でもそのままの状態で保管されていたのです。ですが、五年ほど前に捕まったある男が、その金庫を開ける事が出来ると言ってこの世を去ったそうです。どこから情報が漏えいしたのかは分かりませんが、亡くなった男は金庫の開け方を残したそうです。何らかの方法で、その男の開け方を知った輩が、今回の真犯人ではないでしょうか?」
「やはり、裏があったか。では、奴らは今、あの建物の地下で必死になって金庫を開けようとしているのだ。その金庫は電磁式か?それとも、従来型の独立タイプか?」
アースはどこでその知識を得たのかと言う疑問を皆に抱かせながら、質問を続けた。
「もし電磁式なら、対テロ法で行われている電源のシャットダウンは奴らに幸運をもたらすプレゼントだ。セキュリティを皆無にしてあげる訳だからね。」
「そうよね。アースさん、冴えてるぅ。でも、これって映画のワンシーンみたいね。そう思わない。私って映画のオタクなの!」
焼きイモを口一杯に頬張りながら、マーズが会話に割り込んできた。
確かに、マーズが言うように、映画そのままである。映画の中では、テロだと決めつけたFBIを余所に主人公が一人で立ち向かう。その結果、テロではなく、金目当ての大がかりな強盗だったのだ。今回もその可能性が非常に高い。アースは、マーズを見ながら満面の笑みを送った。
「マーズさん。あなたの例え話は分かりやすいですね。映画を見た方なら、直ぐに理解できますよ。」
アースに褒められたマーズは、顔を真っ赤にしながら、マーキュリーの腕にしがみ付いた。
「ねっ!ねっ!アースが私に優しくしてくれた!どうしよう!もう、死んでも良い!」
「ちょっと~!マーズ、私にデレデレしないでよ。本当にこの子ったら、アースに一途なのだから。」
「だって、彼って、すごくキュートなんだもの!彼の目も素敵だし、お尻なんて、チョーステキよ!あ~、股間がムズムズしちゃう。」
マーズの舞い上がりを余所に、アースは話しを続けた。
「では、私が囮になって、人質を取っている犯人との交渉役を引き受けます。その間に、ジュピターさんとユーラナスさん、そしてヴィーナスさんとで強盗犯を成敗して来て下さい。なんだったら、SWATチームを数名連れて行きますか?」
少し意地悪そうな笑みを湛えながら、アースはジュピターとユーラナスに問いかけた。
「フンッ!我々にそのような気使いは無用だ。俺一人でも充分だが、ユーラナスがどうしてもって懇願するので連れて行く。本来なら一人で行くのだが、チームワークも大事にしなければならないからな。」
ジュピターは、絶対に弱みを見せない。その熱気がムンムンと伝わってくる。彼なりのジョークなのだろう。アースは何も言わず、鷹揚に頷いた。
「では、ヴィーナスさんは二人の後ろでイレギュラー時に備えて待機して下さい。もし、イレギュラーな事態になりましたら、ヴィーナスさん流に対策を取って下さい。ヴィーナスさんには緊急時用の権限を与えますので、心配なさらないで下さい。」
「あたいはこんなん好っきやから、心配せんでもエエ。今まで研究室ばっかりやったから、めっちゃ嬉しいねん!せやけど、好きなようにしてもエエと言うのは、気持ちエエもんやな。あんた、エエ男やな。」(私はこのような事は好きだから心配しなくても良い。今まで研究室内だったのでとてもうれしく感じている。好きなように取り計らっても良いと言う事は気持ちの良いものです。あなたは素晴らしい男の方ですね。)
ヴィーナス流に、照れくささを隠しながら、謝辞を述べたかったのであろう。
作戦も一通り吟味されたのを見計らったように、サンが締めくくった。
「では、皆さん!行動に移して下さい。くれぐれも怪我など無いように注意して下さい。特に地下に踏み込むチームの方々は予測不可能です。充分、注意を怠らないようにお願いします。命の危険が高まった時は、直ぐに作戦は中止して下さい。作戦は、また練り直せば良いのです。では、幸運を祈ります。」
そう言いながら、サターンに目配せし、耳元で囁いた。
「大当たりですね。アースがこれ程の能力を秘めていたとは、驚きです。どこで、このような展開を予測したのですか?」
「アースの脳を研究した中で、気が付いた事があるのです。それは、脳の記憶領域です。ある時は殆ど反応が無いと思えば、ある時は溢れんばかりの活動をしているのです。結論から申し上げますと、アースの脳の後ろに付いている不思議な有機物は、どうやら我々の知っているコンピューターに酷似した機能を有しているみたいです。そこで経験などの記憶を圧縮し、記憶領域に保存する。そして必要な時には解凍し、自分の記憶として使用するのです。圧縮されたデータはどれほどあるのかは予想が付きません。また、どのようにして彼の脳にアーカイブされたのかも分からないのです。ですが、彼の脳には、全世界の軍で共有されるほどの豊富な経験と知識が備わっています。リーダーとして、これほど的確な人間は居ないと思います。後は、彼自身が本来備わっている人間性だけです。その人間性がリーダーに相応しいものなら、彼はトップレベルの軍曹に匹敵します。」
サターンは自分が見出した奢りと優越感がある。これ程の人間を、自分が見出したのだ。まさに、この八角龍に相応しいリーダーを見つけたのだ。自分自身も、アースの為なら身を投げ出しても惜しくはないと思いだしている。他のメンバーも、先ほどのやり取りで同じような感触を抱いたと感じる。リーダーに相応しい人格と人望を兼ね備えている。
「私が居る限り、このチームのメンバーは誰一人、死なせません。私の全能力をこのチームに注ぎたい気持ちです。」
サターンは自分の気持ちが変わりだしているのに、嫌な気持にはならなかった。どちらかと言うと清々しい気持ちになっている。今までの人生で、これほど人の為に自分の能力を使いたいと感じた事は無かった。それほどまでに、サターンはこのチームに惚れ始めているのである。冷酷で人を寄せ付けず、いつも一人で生きてきた。誰も信じず、誰の助けも必要としなかった。信じるのはお金と自分の欲望(人体実験)だけだった。その氷のように冷たい心と信念が、愛と言う温かさで解け始めているのが感じられる。生まれて初めての幸福感を感じた時だった。
2.
犯人との交渉はアースに任せて、ヴィーナスは屈強の男二人と地下に降りて行った。何処の地下でもあるような、うす暗く湿気がありカビ臭い靄のようなものがどんよりと空気を濁らせていた。屈強な二人はドンドンと音を立てて階下に下りてゆく。銃を構え、立ちはだかる物は全て撃つようである。流石にこのような状況は受け入れる事は出来ない。例え犯罪者であろうとも命は大切である。犯罪は裁判で償うべきである。
「ちょっと、あんたら!全部殺す気か?殺さんと気が済めへんのかいな!とりあえず、銃は終いなはれ。」
そう言って、男たちの前に出、銃口を下に向けた。
「何をするのだ。もし敵が現れたらどうする気だ!ここはもう戦場だ。我々に口を出すな!」
と、ユーラナスが口をとがらせながら低い声で言った。屈強な男が子供のような素振りで口を尖らせたのだ。アンバランスな感じで滑稽だったが、この場で笑うのは流石のヴィーナスでも抵抗があった。そこで、同じように口を尖らせながら話した。
「だから~!あたいが作った偵察用ロボットで部屋の中を見るんよ。中に人質が居れへんかったらラッキーやん!麻酔薬を部屋中に送り込んで眠ったらお縄よ!どう、この平和的でいけてる計画は?」
「ふんっ!そんなに簡単に事が運ぶなら、俺たちは必要ないじゃないか。好きなようにやりな!ただし、その計画が上手く行かなければ、後はおれ流のやり方でやらせてもらうからな」
ユーラナスは、一先ず見守る気でいた。ヴィーナスの意見にも一理あるからだ。ジュピターは何も言わず、首肯した。そして、ユーラナスの耳元で囁いた。
「このお嬢さん!大したタマだな!俺は好きだぜ!」と。
三人は地下の部屋に着いた。階段の踊り場付近に、この部屋に通じる換気シャフトが見える。ヴィーナスはリュックの中から蛇の形をしたロボットを取りだした。蛇のようにクネクネしているが、節足動物のような足も付いている。
「このロボットの腹の部分にはなぁ、産毛のようなものが付いてんねん。それで、90度の壁でも登る事が出来るんや。なぁー、凄いやろ。あたいは天才やと思うへんか?」
「まあな、あんたは偉い!口さえ、開かなければ美人なのだがな。大阪弁は、我々には少しキツイな。」
ヴィーナスから受け取った蛇ロボットに小型カメラを装着し、ユーラナスはモニターとの照合を始めていた。ロボットの目線でモニターに映し出される映像を確認しているのだ。
「よし、これで準備完了。では、ミッションを開始しますか。ヴィーナス、操作してくれ。」
「よっしゃ~!あたいの腕前を、よ~見ときや。」
ユーラナスから離れた蛇ロボットは、換気シャフトの中を滑るように進んでいった。ユーラナスの手の中にあるモニターに、埃だらけの換気シャフト内が映し出されている。間もなく、うっすらと明りが洩れている換気孔に着いた。頭の部分だけを換気孔の隙間に突っ込むと、部屋の中央に大きな金庫を囲んで数人の男たちが右往左往しているのが見えた。
「ビンゴや!アースの言うてた通りや!あいつら、金庫をほじくり返しとんで!」
「本当だ。頭をぐるりと回して周りの状況も把握したい。全て記録されているのだな!」
「当たり前や!あたいを誰やと思てんねん。ヴィーナスやで!」
「漫才師か!まぁ、それよりも、人質等は居ない。奴ら、金庫を開けるのに必死のようだ。ヴィーナスの計画通り、麻酔薬を気化させたもので眠らせよう。」
そう言いながら、ジュピターが背負っているリュックの中から、三人分の対テロ用のマスクを三つ取りだした。
「俺たちも、このマスクを装着しよう。ミイラ取りがミイラになっても誰も笑ってくれないからな。」
「ハハハ、言えてる。今回、我々の出番はなさそうだな。首尾よく行けば、平和的解決だ。お嬢さんの言った通り、誰も血を流さずに済む。すごいロボットを作るものだ。」
二人は同じような仕草で、肩を落とした。
「何を言ってるんや!まだまだ、あるで!今度は、赤外線で中の人間の人数の特定や!身体の大きさも一緒に分かるから、大体の体重が計算できるやろ!ほなら、薬の量も自動的に計算できる訳や!これが科学や!最適な量で最高の効果を出すんや!」
ヴィーナスは、話しながら空でそろばんを弾いていた。彼女は子供の頃、そろばん塾に行ったのだろうか。その癖で、暗算をそろばんで行っている。すごい才能を持っている半面、アナログな一面もあるのだ。
「よっしゃ!計算完了や!ほなら、あんたらにこの紙に書いてある通りに、薬を調合して!後は、換気孔から入れるなり、扉の下から入れるなり、好きにしたらエエ。あたいはここまでで任務完了や。上に上がるワ。ほな、さいなら!」
「おいおい、終わりか!俺たちは子供か!」
「何、言うてんねん。これからは、あんたらの仕事や。あたいは強盗やテロは好きとちゃうねん。理論と計算が好きやねん。独りよがりの考え方には付いて行かれへんねん!せやから、後は頼むワ!なっ!おっちゃん達!」
「おっちゃん?」
屈強な男たちは唖然として顔を見合わせた。ヴィーナスにとっては、二人は子供のような存在らしい。愛嬌を込めて、親しみの意味で述べたのだ。だが、二人にはそのようには聞こえなかったらしい。
「我々を、『おっちゃん』と呼んだな!兵士と言え!一般人のような軟な俺たちではない!正真正銘の兵士なのだぞ!」
怒り心頭で地団太を踏む二人だが、まるで何事も無かったかのようにヴィーナスは階段を上がって行った。地上のテントに着いた時には、任務完了の連絡が届いていた。総勢が立ちあがって拍手をしていた。どうやら徳川の財宝も守られ、人質も無事に保護されたようだ。誰が人質を救出したのか疑問には思ったが、無事事件が終了したので余り気にはしなかった。ヴィーナスは照れるように愛想笑いをしながら、一台のバンに乗り込んだ。
「あ~、アホらし!これくらいで皆、喜んでる!悪い気はせえへんけど、エエ気持ちもちょっとやな。」
独り言を言って納得しているヴィーナスの横に、気配も無く近づいたマーズが、ポケットの中から、芋のお菓子を取りだし、ヴィーナスに渡した。
「お疲れ様。凄いわねぇ!ヴィーナスの頭の中はどのようになっているのかしら。一度、覗いてみたいわ。とりあえず、頭を使ったから、糖分を補充して頂戴。私の大好きなお菓子よ。とってもスッキリするんだから!魔法の食べ物よ。」
マーズの常識には付いていけないが、確かにお腹が空いた感はある。「そうね」と言いながら、手を伸ばし口に運んだ。しょっぱさが口の中に広がり、サクサクとした触感が脳を刺激した。「割といけるな」と感じながら、マーズを見た。
「あんた、こんなんばっかり食べてるから、その体型になるんやで。ちょっと痩せた方がエエんとちゃうん?」
「何を言っているのよ。今の私が絶好調なのよ。この体型だから、私の言葉で人を操る事が出来るのよ。人って、見た目に左右されるのよ。この体型だから、皆、警戒しないのよ。だから心理的に操作し易いの!ウフフ!」
「へ~、わざと太ってんのん?そんなんには、見えへんけどな。食べるのんが好きなだけやろ?」
「違うわよ。わざとよ、わざと。レディーに失礼な事を言うと嫌われるわよ。」
「誰がレディーや。おっさんや無いか!」
「ちょっとー!それを言ってはダメよ!私、傷つくじゃない。こう見えても心は弱いのよ。ガラスの心を持ったマーズちゃんなのだから。後で、マーキュリーに言ってやる。彼女は怖いのよ!あっ、そうだ良い事教えてあげる。ユーラナス達、強盗犯だけでなく人質の犯人も逮捕したそうよ。可哀そうに、若者達の顔。赤黒く腫れあがっていたみたい。一人は腕が折られたみたいだわ。少しは手加減してあげなくっちゃ!本当に彼らって野蛮ね!」
どうやら、ユーラナス達は無事に事件が片付いたので力が持て余していたらしい。人質犯を捕まえる時に、少し無茶をしたようだ。
このようなやり取りをしている最中、無線を受信するスピーカーから大きな声でヴィーナスを呼ぶ声が聞こえてきた。
「ヴィーナス、応答せよ!ヴィーナス、居ないのか!」
ユーラナスだ。また、子供のように口を尖らせて話しているのだろうか。
「何や、どないしたんや。ちょっと、あんた、どいて!」
無線の前を陣取っているマーズを細い手で押しのけた。よろけたマーズは、大切な芋のお菓子を床に零してしまい、慌てて拾い出した。
「こちらヴィーナスや!どないしたんや!何や、あんたらしでかしたんか!」
「失礼な!我々は失敗などしない。そうじゃない!ここにとんでもない資料があったのだ!直ぐに来てくれ!奴らは全員逮捕した。ここには我々しか居ないから、安心して良い!」
最後まで聞かずにヴィーナスは車の外に飛び出していた。先ほど上がって来た階段を一気に下りて行った。目的の部屋に着いた。すると部屋の中はライトで明るく照らされており、中央で山のように立っている金庫がより大きく感じられた。その金庫の陰に座り込んでいるユーラナスに駆け寄った。
「どうしたんや、何があったんや。」
ユーラナスは書類に目を落としたまま、健常な右手でヴィーナスを引き寄せた。
「この書類を見ろ!殆どがC国語とロシア語で書かれているが、英語のところに、『C国軍の空母を砲撃する。』と書かれている。そして数枚後ろのページには、C国籍の原子力潜水艦の見取り図と乗組員のリストが書かれている。何かキナ臭い事が起こりそうだぞ!」
「本当ね!あたい、C国語は弱いけど、ロシア語はちょっといけるんよ。どうも、ロシア軍の原子力潜水艦を買うてC国軍用に改良した潜水艦みたいやな。ほんで、この潜水艦、核弾頭も搭載してるみたいやで。」
「大変だぞ!すぐにでも、サンに見せよう。専門家に分析してもらおう。日付が最近のもので、Xデーが記されている。何かとんでもない事件が裏で計画されているようだ。大収穫だぞ!」
ユーラナスの目が輝いている。彼らは根っからの兵士なのであろう。軍が絡んだり戦争の翳りを感じ取ると、妙に神経が高ぶるようだ。
「ところで、ユーラナスさん。あたいが休憩している間に、何かしはったみたいやね。マーズが言う(ゆう)とったんやけど、人質を取っていた実行犯達、しばきまくった(暴行を加えた)みたいやね。」
「ああ、強盗犯は全員眠っていたので、暴れる事が出来なかった。一種のストレス発散行為だ。悪い奴らをやっつける。これが我々の本来の姿だ。可愛らしい女子を人質にして怖がらせた。その罪は重い。そこで、我々が天罰を与えたのである。奴らが俺に銃を向けなければもっと温和に出来たのだが、敵対行為を向けた奴には容赦しない。銃を払いのける時に少し身体に触れたし、銃を取り上げようと腕を捻じると鈍い音がした。多分折れたのだろうな。柔な奴らだ。制圧するために最低限身を守る行為を行っただけだ。命に別条は無い。本来なら死刑が相応しい。」
ふんっ!と言って、鼻息を荒くした。ユーラナス達を実際に見た人質実行犯達は、さぞかし怖かったであろう。この巨体が襲ってくるのである。それも鬼の形相で。経験の少ない若者達ならひとたまりもないであろう。可哀そうに、犯人に同情する。
「とりあえず、この事件は解決だ。我々もスカッとしたし、一件落着だ。サンにこの情報を伝え、早く本部に戻って解析しよう。大変だぞ。国家間の争いになるかも知れないぞ。」
アースのリハビリを兼ねた実験的な案件が、とんでもない事件の前座になった。偶然とはいえ、国をも巻き込むような情報が入手されたのだ。
3.
取得された書類は、直ぐに本部に送られ解読された。日本語、C国語、ロシア語、英語の四ヶ国で記されていた契約書のようなものである。つまり、四カ国が関わっている事件でもある。ヴィーナスが話したように、ロシア軍が保有していた原子力潜水艦をC国軍仕様に改良し、それをアメリカの企業経由で日本国内にて購入した事になっている。購入者はC国国籍二人、日本国籍二人とアメリカ国籍一人の五人の連名である。日本国籍の連盟には、すでに故人となっている嘗て連合赤軍の中心人物であった氏名が記されている。だが、間違いなく自署でのサインである。
想像の範囲だが、多分、他のサインも全て偽りの名ばかりであろう。この書類だけでは、誰が首謀者かは特定する事が出来ない。原子力潜水艦の売買をするほどの財力の持ち主が必要である。その為に、何らかの組織が関わっている可能性がある。つまり組織を割り出し潜入捜査をする必要がある。
サンは、マーキュリーとマーズ、ヴィーナスを呼び出して、意見交換をした。
「マーキュリー、どうです。最近、ネットでC国やロシアの潜水艦に関して話題になった事はありませんか?」
まずは、サンが口火を切った。
「朝から、その件に関してネットサーフィンしているのですが、潜水艦ではヒットしません。ですが、1960年代にヒットした、ビートルズの「Yellow Submarine」で可笑しなコミュニティが引っ掛かったのです。NuclearやAtomicなどの言葉や空母などの言葉が飛び交っています。コミュニティサイトのツィッターでは、「日本がC国を攻撃する日が近い」などとも書かれています。また、奴らから奪った書類の中に、「日本の臭い小笠原で、潜水艦の給湯が出来るか?」とも書かれています。「給油」では無く、「給湯」です。どういう意味でしょうか?単なる変換の間違いでしょうか?そして、「臭い小笠原」って何でしょうか?」
「やはり、見逃す事が出来ない状況ですね。日本近郊で何かが起こっています。とりあえず、『小笠原諸島近郊での給湯』が気になります。日時やその他の情報はありませんか?」
サンは、焦燥感を隠さなかった。一部の情報は政府高官にも伝えているらしい。だが政府としては、情報元や事件の信憑性が未だに不明の為、踏み込んだ事が出来ないと言う事だ。早急に、この情報の真偽を特定しなければならない。ネットの噂に頼るしかないと言う、何とも頼り無い方法だが突き進むしかない。マーキュリーの腕の見せ所である。
また、サンはユーラナス経由で、ネプチューンにも連絡を取った。ネプチューンは余り信頼できないのだが、このような裏の情報が必要な時に役立つ。ただ、信憑性は低いので、金で釣るしかない。今回も、「徳川の埋蔵金」を餌に、情報を集めさせるつもりだ。C国や日本、アメリカの三カ国で怪しい取引や金の動きが無いかを調べさせようと考えたのだ。
この日、ネプチューンの首に埋め込まれている発信器の電波を追った。イタリアの南部に位置するビーチから発信されている。サンは携帯電話でネプチューンを呼び出した。現在はイタリアで休暇を楽しんでいるようだ。
「やぁー、久々ですね、サン。私は元気ですよ。お陰さまで、楽しく自由に暮らさせてもらっています。っで、どうしました。僕に連絡をして来るって事は、何か面白い事が起こりそうなのですか?金の臭いがするのですが。」
「本当に君は金が好きだね。そうだよ、大きな金が動く。その為の裏情報が欲しい。役に立てば、『徳川の埋蔵金』の話しに加わっても良いぞ。」
「おっとっと。何とも面白そうな話じゃないですか。っで、僕はどのような情報を集めれば良いのかな?」
ネプチューン特有のうすら笑いをした、下心見え見えのドヤ顔をしながら話しているのであろう。この男の頭の中は、金と女とギャンブルの事しかない。好きになれない男だが、裏の世界には滅法詳しい。彼の情報は侮れない。
「C国の原子力潜水艦が日本近郊を通るらしい。小笠原諸島付近だ。日時は分からない。だが近々だと思う。もしかすれば、その潜水艦がC国の空母に発砲し、戦争を誘発する行為を取るかもしれない。アメリカや日本が企てたように見せかけて。最悪の場合、米中戦争が起こるかもしれない。」
「ほう!かなりヤバい事になっているのですね。急ぎでするのなら、少し弾んで貰わないと。僕も裏の世界の奴らに金をばら撒かないといけないのでね。それなりの初期投資を戴きたいですね。」
「分かった。では、本日の夕方でも、明日の朝でも良い。八角龍の本部に来てほしい。その時に今まで集めた情報と、軍資金を渡そう。」
「分かりました。では、今から飛行機を予約して直ぐに飛びますね。流石に今日、明日は無理ですよ。明後日の朝、10時に伺います。弾んで下さいよ。情報を集めるには金が居るのでねえ。」
サンは電話を切った。どうも好きになれない人間である。常に自分の要求が一番。そしてその要求が全て金である。今からユーラナスやジュピターと相談するが、ネプチューンは裏切る可能性が高い。彼に仕事を依頼するのなら、裏切りの為の対策も考えておかなければならない。古典的な方法では、ベストに爆弾をセットし、それを纏わせる方法がある。遠隔操作が出来るようにしていると、裏切り行為を抑止する効果がある。ただ、それだけでは天才的な詐欺師を騙せない。何か妙案があるか、皆と相談しなければならない。本当に厄介なお荷物的な存在だが、裏の社会の情報を得るには彼の力が必要である。
皆を集めて、ネプチューンの参加を話した。そしてリスクも伝えた。すると、部屋の隅でユラユラと起きているのか寝ているのか分からない状態だったアースの首の部分がまたもや光り出した。
「アースのスイッチが入ったのかな?アース君、何か妙案があるのかね。」
「私の経験の中に、裏切り行為に対する対策を行った記憶があります。何例かあるのですが、その中でも功を奏した物をリストアップしてヴィーナスに渡します。色々な小細工が必要なので、ヴィーナスの協力が必要です。よろしいですか?」
「エエ、君の意見なら完璧だ!では、ヴィーナスさん、アースを手伝って戴けますか?」
部屋の隅で、原子力に関する法律の本を熟読していたヴィーナスが、名前を呼ばれたので目線をサンに向けた。
「エッ!何か言いはった?あたいがどうかしたん?」
「まあ、後でアースさんと打ち合わせをしていただけますか?」
「よう分からんけど、まあ、エエわ。アースと話し会うたらエエんやな?」
「お願いします。必要な人材や機材がありましたら、担当のムーンにお伝え下さい。」
「誰?『ムーン』って?初めて聞く名前やな。」
サンの横に座っていた小柄な女性を指さした。髪は黒髪で長く、前髪を短く横一文字に揃えた流行りの髪型をしている。タイトなスーツを上手く着こなしている。秘書のような役割であろうか?だが、眼光は鋭い。八角龍のメンバーにも引けを取らない顔立ちをしている。この女性も、侮れない能力を秘めているのであろう。
サンは、ムーンに一言、二言耳打ちをした後、彼女を辞去させた。そして、ヴィーナスに彼女の後に続くように促した。
「ヴィーナスさん、ムーンの後に付いて行って下さい。アースさんもお願いします。別室で、アースさんのお話を聞きながら、必要な機材などを揃えて下さい。また、人材などの補充も行って下さい。万全の態勢を整えて下さい。」
こうして、目の前にあるネプチューンの対策についての問題は解決に向かった。だが、大きな問題、C国所有の原子力潜水艦についての対策が残っている。これは余りにも情報が少ない為に、ネプチューンから得る情報の後で対策会議を開く事で同意した。
「では、とりあえず本日はここまでとします。皆さん、自分の部署にお戻り下さい。情報が入手してから、また招集をかけます。」
一同は、不完全燃焼のような趣で解散した。皆はネプチューンの事について語っていた。胡散臭い輩だが、情報は確かだ。ただ、金によっては情報が歪められる可能性もある。本当に取り扱いに注意しなければならない人物である。世界のシンジゲートやマフィアの情報は彼しか入らない為、正に「両刃の剣」なのである。使い方を間違えれば命をも落とす恐れがある。この彼が八角龍の八人目のメンバーなのである。大きなリスクを背負った、最も強いチームである。
4.
少し歩くと汗ばむ季節になってきた。ヨーロッパの南国から湿度の高い日本にやって来た男は、不快なのに明るくしている。根っからのラテン系なのだろうか。その明るい男が怒号を発している。ここは、八角龍の本部の応接室である。朝からネプチューンが大声で喚いていた。
「ちょっと待てよ~!話が違うじゃねえか!俺は金さえもらえれば良いだけなんだ!それが何だ!これは!情報は渡すと言っているだろう!この俺しか入手できない貴重な情報をだぞ。崇めてもらっても良いはずなのに、何だ、この扱いは!」
ユーラナスとジュピターに羽交い絞めにされ、下着一枚にされていたのはネプチューンだった。そのまま、5メートル四方で高さが3メートルのゲージの中に入れられた。ゲージの中には一枚のマリン用スーツに似た物が置かれていた。
「それを着ろ。」
ユーラナスの低い声が響き渡った。
「何だよ、これは。俺は海になんか入らないぞ。俺は水が嫌いなのだ!泳げないしな!」
「ほぉ。面白い事を聞いた。お前、泳げないのか。では、今度、悪さをしたら海の中に放り込んでやる。」
「だから、言ってるだろう!俺はあんたらの仲間だぞ。その仲間を、このような扱いをして良いのか?俺には貴重な情報があるのだぞ。」
「どうも分かっていないようだな。お前は、信用できないのだ。その為の対策が、そのスーツだ。文句を言っていないで早く着ろ!早くしないと、お嬢様方がお前と話せないじゃないか。お前のその貧弱な裸では、みすぼらしいからな。」
ユーラナスは自慢の腕を見せながら言った。
「ふんっ!お前の左腕はみすぼらしいじゃないか。左腕なら負けないぞ。」
ユーラナスの左腕は、上腕部分は普通だが前腕部分が肘関節の3センチ外側で収縮後、三本の指が付いている状態である。ネプチューンは言ってはいけない事を言ってしまった。ユーラナスの目の横に血管が浮き彫りになり、いかつい顔が鬼のように変貌し始めた。ゲージに手をかけ解錠し中に入って行った。
「おい、おい。俺は何もお前に喧嘩を売ろうとした訳じゃないのだ!失言だ!失言!手の事は謝るよ。」
ネプチューンはユーラナスの顔に恐怖を感じていた。やはり実践で鍛え抜かれた人間の迫力は間近で見ると違う。横に立たれただけで死を感じる。こいつの右腕に掴まれたら命は無いなとネプチューンは恐れた。
「どうやら、俺の真の姿を見たいようだな。ただ、それを見て生きている奴はいない。お前も俺の秘密と共にあの世へ行きな!」
ユーラナスが不気味な微笑みを浮かべながら、上半身を脱ぎだした。ゲージの外で見せものでも見るように観覧していたジュピターが慌ててユーラナスの手を取り叱咤した。
「止めろ!こいつを殺してはいけない。必要なのだ。そして、ユーラナスの秘密は教えてはいけない。よって、これ以上は何もするな。後は俺が言い聞かす。」
「ヒー!」
悲鳴を上げながら、ネプチューンは怯えていた。ジュピターの巨漢に対して声のトーンが高い違和感など感じる間も無かった。ジュピターに対して、懇願するように言った。
「なあ、頼む!こいつを何とかしてくれ!殺されるヨ!俺みたいな優男はこんな状況には弱いのだ!手が変だとか、顔が怖いとか言ったのは、緊張して失言しただけなのだ。許してくれヨ!」
ジュピターは、この場においても失言を繰り返すネプチューンに愛想をつかしていたが、殺すわけにはいかなかった。何としてでも、ユーラナスの機嫌を元に戻さなければならない。
「ユーラナス!許してやれ!こんなバカに、まともに向き合うな!無視しろ!お前の秘密兵器をこんな奴に見せるな!」
ジュピターは、顔に似合わず声が高い。どこか女性的な声がアンバランスであるが、この場には相応しくなかった。だがジュピターの声に、少しずつだがユーラナスは冷静さを取り戻し始めた。
「分かったよ。ジュピターにそこまで言われたら、俺も機嫌を直すよ。このバカに付き合わされてしまった。どうも、俺は感情が高ぶると見境が無くなってしまう。お前、ジュピターに感謝しろよ。本当なら、とうの昔に首の骨を折っていた!」
「ヒー!許して下さい!もう、失礼な事は今後一切言いません。ユーラナスさま!」
ユーラナスは、踵を返してゲージの外へ出た。ホッとしたのか、ネプチューンはそのまま腰が砕けたようにその場に座り込んだ。
「よく、小便を漏らさなかったな!褒めてやるよ!ユーラナスの怒りを買って、無事でいたのは、お前が初めてだ!」
何時も無口なジュピターは、久々に饒舌になっていた。そのジュピターに、ネプチューンは最後の鉄槌を突いてしまった。
「良かったヨ!無事で、生きている!もう、殺されるかと思った。でも、ジュピターさん、あんたに助けられたのは嬉しいけど、身体に似合わず声が高いな!まるで女みたいだ!」
ネプチューンが言い終わる前に、ジュピターの手によってゲージは変形していた。ジュピターの上半身は血管が浮き上がり、筋肉と言う筋肉がピクピクと生き物のように動いていた。
「お前!本当に死にたいようだな!俺が葬ってやる!」
今度はユーラナスがジュピターの身体を羽交い絞めにしていた。
「止めろ!ジュピター!こいつには関わらないようにしよう!俺ら、本当にこいつを殺してしまう。サンにどやされるぞ!」
変形したゲージの狭い空間で、ネプチューンは鼠のように小さくなっていた。ネプチューンは思った。こいつらの前では無口で居ようと。いくら命があっても足りないくらいだ。そして、二人の恐ろしさも身にしみた。絶対に敵に回したくない人間だ。いや、人間と言うよりも猛獣である。声の高いジュピターも興奮すると低くなる。芸人の「りんごちゃん」を思い出し、一人で苦笑した。苦笑と同時に、下半身が温かくなったのが感じ取れた。流石に二人の恐怖には耐えきれず、ネプチューンはお漏らしをしてしまったのだ。恐怖から解放され、ホッとした時に括約筋が緩んだのだろう。恥ずかしいと言う感情は無くなっていた。生きている今の状況に感謝していた。生まれて初めて抱いた恐怖だった。
「俺、これからこのチームでやっていけるのだろうか?俺の誤魔化しが奴らに通じるのだろうか。」
今まで自信を持っていた騙しのテクニックに、初めて不安を感じたのだった。そして二人だけでもこれほどなのに、まだ別に五人も居る。中には頭の中に入り込んで来る奴も居ると言う噂だ。カマキリのように、事が終わった後、食い殺す女も居るらしい。魔女のように見た目は若い少女だが、実は婆さんである女も居るらしい。化け物の集まりのチームだ。このようなチームで、今後、自分の立ち位置で、上手くやっていけるのだろうか?先程の恐怖が戻りかけ、不安と混じり合った感情で将来の自分に絶望した。
「厄介な連中に絡まれたものだ。早く南アフリカに帰りたいよう!上手い酒と美人に囲まれた日常に戻りたい!」
ネプチューンはブツブツと言いながら、汚れた下着を脱ぎ、傍らに置かれているマリンスーツを着た。ところどころゴツゴツとした感触があるが、どうでも良かった。ここの連中と関わる事で気が滅入る。言われるが儘、行動したほうが得策だと考えたのだ。ゲージが壊れているが、逃げる気持ちも萎え伏せた。どうにでも成れと、投げやりな気持ちになってしまっていた。
「そうだ!最初から大人しく、それを着ていれば問題なかったのだ。全部、お前が悪いのだからな。俺達まで、もう少しで正気を無くすところだった。では、その格好でボスのサンのところへ行こう!アースを紹介する。」
「えっ!未だ居るのかよ。イヤイヤ、分かりました。もう、何も言いません。仰せの通り、静かにしておきます。好きなようにしろってんだ!」
ネプチューンの両脇に、ユーラナスとジュピターが居る。大人が子供を抱きかかえている様に二人に連れられている。長い廊下を通り過ぎると、頑丈な扉があった。横にある暗証番号入力ポートに、ユーラナスのカードキーを差し込んだ。すると、勘定な扉は、如何にも重そうな音を発しながら手前に開き始めた。薄暗い室内に、無数の光り輝くモニター類がびっしりと張り巡らされていた。中心に大きなモニターがあり、その前に二人の男と一人のJK(女子高生)がいる。ネプチューンはJKにウィンクをし、愛想笑いをした。
「どうも!俺はネプチューン!よろしくな!後でお茶でも飲まない?」
ネプチューンに声をかけられたヴィーナスは笑いを堪えるのに必死だった。
「良う言うわ!二人に抱きかかえられて、ガキみたいに惨めな恰好をしてはんのに、あたいにナンパしとるわ。アホちゃうか?」
「えっ!?その大阪弁!もしかして年増の女子高生か!」
ヴィーナスは、自分の耳を疑った。
「ちょっと、あんた。何、言うてんねん。ユーラナス!そいつ、シメてエエで!」
「ハハハ、先ほど、シメてきたばかりだよ。まだ大きな口を叩く元気があるのだな。シメかたが足らなかったようだな!」
ネプチューンは、またもや失言した。自分でも呆れ果てた。これで俺の人生は終わったなと感じていた。
「まあ、挨拶はホドホドにして。ネプチューンさん、私の横に居るのが、このチームのリーダーの『アース』さんだ。君のリーダーでもある。彼の命令は絶対だと考えて下さい。」
初老の紳士は、彼の横で佇んでいる、慧眼の持ち主を紹介した。ネプチューンの目には、普通の男に見えた。オーラも無い。だが、目だけが鋭い。『慧眼』と言う言葉が嵌っている。どこか遠くを見据えている。そしてその遠くは未来だ。彼には未来が見えているようである。
「かなり、派手に暴れたようですね。先ほど、ユーラナスから聞きましたよ。あなたのその口が、自分の命を縮める足枷のようですね。これからは気を付けて下さいね。それから、この後に紹介する美女と男の子についてですが、美女は絶対にナンパしないで下さい。彼女は三重人格の持ち主で、性的な言葉で殺人鬼が出てくるのです。その人格に捕まりますと、例えあなたでも命は無いと思って下さい。噂で聞いていると思いますが、その噂は真実です。あなたのその性格では、命がいくらあっても足りません。あえて、彼女だけには声をかけないで下さい。そして、そのお友達の男の子は、太っちょの可愛らしい男子です。ですが、ジェンダーで悩んでいます。彼の気が滅入るような言動を取りますと、寝ている間に何をされるか分かりませんよ。彼は陰陽師の極意を全て伝授されていますので、呪や呪文はお手のものです。また精神の中にも入り込む事が出来ますので、あなたを精神障害で自殺に追い込む事も簡単にやってのけます。くれぐれも、二人には口を慎んで下さいネ。あなたの事を考えて言っているので。決して、実験などしないで下さい。もし、彼らの能力を起こしてしまえば、我々でも抑え込む事は出来ません。永遠に死体も出てきませんので、この世で彷徨い続ける事になりますよ。分かりましたか?」
「ああ、噂は聞いている。だが、俺みたいな人間が、ここに必要か?俺は普通の生活がしたいんだ。能力も余りないしな、だから帰らせてくれよ。あんたらとは仲良くなれないよ。」
「ハハハ、それは無理ですね。もう、我々の秘密を知ってしまったからには、自由にする事は出来ません。我々の配下に入った訳ですから、チームのルールを守って下さい。」
サンは、横に佇んでいるアースに目配せをしながら、ネプチューンにルールを説明した。最後まで、アースが口を開く事は無かった。
「では、後、三人のチームのメンバーを紹介しましょう。隣の部屋に移って下さい。」
サンに続いて一行は隣の部屋に移り、三人の紹介をした。
言われた通り、ハッカーでもある「マーキュリー」は一級の美人であった。スタイルも良く、長い髪を纏った笑顔の素敵な女性だった。ミニスカートからスラリと伸びている足は、モデルのようであった。このような美人と仕事が出来るのなら、今までの事は帳消しにしても良い気分になったほどだ。だが、彼女は、『マンティス』と言われている。所謂、『カマキリ』女だ。事が終わると全てを食べつくす。死体が上がらないから、闇の世界ではこう言われている。大きく開いた胸の谷間には目をそそられる。イタリア人の血が疼くのだが、自分の命には替えられない。この感情を今後も制御しながら仕事をしなければならないのはストレスがかかる。目の保養と、命を賭ける付き合い。ネプチューンは本能に勝てず、チームのルールを承諾した。太っちょの男子は無視した。こう言う奴とは、関わりたくなかった。自分の頭の中を探られるようで気持ちが悪かった。第一印象は、芸能界でMC等の仕事をしている「マツコ」を思い出した。そっくりだ。話し方や素振りが同じである。目が少し違うが、化粧を変えればそっくりになるだろう。体型なども同じである。服装が違うので街中では目立たないが、同じ服を着せれば、誰も疑わないだろう。こいつは要注意だと感じた。最後のサターンという男は、医者らしい。今回は他の用事で忙しいので、会えないと言う事だ。怪我をすれば診てもらえると言われた。自分にとってはどうでも良かった。早く、この連中から解放して欲しかった。
「分かった。では、俺は金を受けっとってから、情報収集に行く。皆とは少しの間、おさらばだ。良かったな。俺は一匹狼主義なので、一人で情報を収集してくる。ある程度、情報が集まれば、また連絡するよ。じゃな!」
そう言って、踵を返して扉の外へ出ようとした。その時、背後から初めて聞いた声に止められた。アースだった。
「くれぐれも、注意して下さいね。今、あなたが纏っているスーツですが、その中には液体状の爆弾が仕掛けられています。少々、手荒に扱っても爆発はしませんが、我々を裏切るような行為をし、損害をだす事態になれば起爆します。原理は私には分かりませんが、ヴィーナスさんの作品です。当然、そのスーツは脱げません。着替えたければ出来るだけ早く情報を集めてきて下さい。そうすれば、脱がせて上げます。」
「何?じゃあ、このスーツが脱げなければシャワーはどうすれば良いのだ?お洒落な俺が、動物の臭いをしながらじゃ、情報など収集できないぞ。」
「心配しなくて結構です。シャワーは普通にしていただいて結構です。トイレも出来るように右の腰部分に付いているセンサーを押さえて下さい。優れものですよ。ヴィーナスさんの傑作です。では、楽しんできて下さい。」
「排便や小便はどうすれば良いのだろうか?女の子と良い関係になった時は、どうすれば良いのだろうか?」
心配事が頭の中を駆け巡った。だが答えは聞けず終いだった。やはり、この連中の仲間になるのではなかった。半強制的に仲間にされたのだが、このまま一生、纏わりついて来るのだろうか?ネプチューンの帰る足取りは重かった。辛くて悲しくてたまらなかった。自分はいったい、どうなってしまったのだろうか?イタリア人の血を受け継いでいるので根は明るいはずだが、今日は色々な出来事が多すぎたせいか、非常にネガティブな思考になっている。うつ病になりかけているような気持ちだった。
普通なら、軍資金を受け取れば、まず、何に金を使おうかと嬉しくなるはずだが、今日はそのような気分にもなれなかった。とりあえず、早く部屋に戻って就寝しようと思った。後は、明日になってから考えようと。
重い足取りで本部を出、言われた通路を10分ほど歩くと、「社員用」と言う扉があった。その扉を開けると、目にスーパーの調理場が飛び込んできた。本当にスーパーの裏口に通じるのだと感心した。魚の臭いを気にしながら出口を潜り、外に出るとJRの駅前に出た。
「ここに、繋がっているのか?良く考えたものだ。」
と、ガッツポーズで感嘆した。自分で何をしているのだろうかと忸怩したが、先ほどまでの鬱陶しい気分が無くなっていた。いつものようにポジティブな気分で、周りの女性に目が行く。つい女性に声をかけたくなっていた。
「しまった。奴らの術に嵌っていたのだ。俺の精神を操作してやがったな。本当に侮れない奴らだ。この俺を、こんなにコケにしやがって!覚えていろよ!今に仕返しをしてやる。だが、このスーツを脱ぐまでは、情報収集が先だ。」
そう言って、ポケットのスマートフォンを出し、電話をかけた。まずは、情報屋の友達に連絡し、手はずを整えなければならない。そして、酒だ!美味いワインを飲めば、少しは気も晴れるだろう。可愛い子ちゃんを侍らせながら、今日はパーティだ!金はあるし、まずは楽しもう!
ネプチューンはいつもの自分に戻り、その夜は更けていった。彼の能力は本物で、その日のうちに大きな情報を入手する事が出来た。
だが、八角龍の本部に連絡が入ったのは、1週間後だった。彼は、情報を収集した後、1週間遊んだのだ。
5.
広い会議室の中で、サンとアースが対峙して座っていた。ネプチューンから得た情報に関しての信憑性を考えているのだ。
「サン、多分この情報は信じて良いと思います。ネプチューンが偽情報を我々に流しても得にならないからです。彼の目的は金だけです。金が手に入らなければ、情報操作を行っても自分にとって不利になるだけですから。サターンは彼の身体を心底欲しがっています。良い実験台になるといつも言っていますから。その事は彼の耳にも届いている筈です。今、我々に逆らう事は得にならないと考えている筈です。何なら、マーズに心の中を探らせましょうか?」
最近、アースは独特な落ち着きを醸し出してきた。以前のような、否定的で事なかれ主義的な発言は無くなっていた。前向きで、常に周りの情報に気を配っている。物事を論理的に考え、チームの能力を信じている。チームの中での、自分の立ち位置を把握している感じだ。そのような彼を見て、傍らで微笑んでいるサンは、満足している。
「そうだな。君に任せるよ。私には君ほどの経験が無いからね。私は、このチームを問題なく運用できるように、段取りを組むことが仕事なのだよ。作戦の立案、行動などは君たちの仕事だ。」
「有難うございます。では、ヴィーナスに相談して、ネプチューンから得た情報を分析してもらいます。情報収集にマーキュリーをお借りしますね。彼女の能力は欠かせません。」
「マーキュリーが必要なら、マーズもくっ付いてくるぞ。彼、いや彼女は君の大ファンだからね。邪魔にならなければ良いが。」
「マーズのプロファイリング能力も必要です。作戦を練るには、この三人は必要不可欠です。ネプチューンが心を入れ替えて、我々に協力的になってくれれば鬼に金棒なのですが。」
「ハハハ!世の中、それほど上手くはいかないものだよ。まあ、焦らずしっかりと頼むよ。」
「分かりました。」
アースは、サンの眼差しを受け止めながら、彼に背中を見せ室外に出た。向かう先は、ヴィーナスの研究室だ。部内コールで、マーキュリーとマーズも呼び寄せた。
早速、情報の分析に取り掛からなければならない。徳川家の埋蔵金の部屋で得た情報が間違っていなければ、最高レベルでの事案が動き出している。一刻も早く、手を打たなければ後の祭りになる。アースの直感は、このように示唆していた。
研究室は、本部の地下5階にある。ワンフロアの殆どを研究室に割り当てられている。エレベーターを降りると、そこには鉄の扉が待ち構えていた。扉には監視用のカメラと認証を行うカメラ、そしてモニターが設置されているだけである。モニターに軽く手を翳すと、画面が明るくなった。モニターを覗くと、アースの顔が映っている。カメラで撮られている映像が反映されているのである。数秒も経たない間に、顔認証を行うソフトが起動しだした。目や眉毛、鼻、口と顔を特定するに必要な部分の比較が行われている。その後、エレベーターの中で撮られた映像が流れ、三人の身体の認証が行われた。会話からピックアップした声の認証、立ち方の認証、歩き方の認証と個人を特定する認証が次々と行われている。その後、三人の認証が認められたのか、画面にヴィーナスの顔が映し出された。高校生らしい無垢な顔が映っている。
「なんや、あんたらか!何しに、来たん?まあ、入って頂戴。扉を開けるわ。」
「ええ、そうして下さい。急いで、ヴィーナスさんに相談したい事があるのです。」
アースは、ヴィーナスの無垢な顔が好きだ。ただ、話し方が顔と一致していないので戸惑うのだ。年齢も自分よりも七歳ほど年上だ。どのように扱ってよいのか、いつも悩む。
「ネプチューンから得た情報と、徳川家の財宝事件で入手した情報の全てです。先にデータを送っていたと思いますが、どう思いますか?」
「ああ、読ましてもろたわ。せやけど、胡散臭い話やなあ。これ、ほんまの話なん?正味の話なん?」
「嘘をついても意味がありません。ネプチューンさんも、偽情報を我々に伝えれば、後が怖い事は身をもってわかっている筈です。」
「せやなあ。ジュピターとユーラナスが、ボコボコにしよったんやなあ。ほんま、面白いわ。あたいも、ネプチューンをボコボコにしたとこ、見たかったわ。」
「まあ、その話は後に回して、事件の物語は見えてきましたか?」
「分かった。説明するわ。何者かが、ロシアの原潜を、エッーと、原子力潜水艦を買いよってん。ほんで、それを改造してC国の原潜に仕立てよったんや。実は、その原潜が7月1日に、小笠原諸島にある硫黄列島付近で食料の積み込みをするみたいや。『給湯』と書かれてたんは、食料の積み込みの事やったんや。その後、南海トラフを経て尖閣諸島に行くみたいや。」
「えっ!尖閣諸島ですか?」
「せや、今、日本とC国でややこしいなってる所や!」
「そこで、何をするのですか?」
「分からんか?一発でも、銃を撃ってみ!戦争の勃発や!」
「そんな事をすれば、世界が大変な事になるじゃないですか。アメリカも出てくれば、世界大戦に発展するかもしれない。」
「せや、多分、それが目的とちゃうか。アメリカの大統領のT氏は、C国をえらい嫌とうるから、日本との協定を盾に一気に攻め込むかも知れんわ。7月4日は米国の独立記念日や。その日に照準を合わせるんとちゃうか?」
余りにも突飛な話だったので、唾を飲み込む暇もなかった。喉がカラカラに乾いている事に、今気付いた。そのまま、ヴィーナスの分析結果に耳を傾けていたのだ。
「ほんで、最と厄介なんが、C国側や!お忍びで空母のお披露目をするみたいや。初めてC国産の空母を作ったみたいやから、性能評価とテストを兼ねて、東シナ海から尖閣諸島付近を通って黄海、そして大連市に行くみたいや。来年2019年の12月くらいに就役させる予定や。つい此間、今年(2018年)の4月に艦隊を組んで宮古海峡を通過して、東シナ海に向けて進みよったばかりや。編成は旧空母、052D型駆逐艦一隻、052C型駆逐艦三隻、054A型ミサイルフリゲート艦二隻の計七隻やった。家の防衛省によったら、20日に太平洋上で空母から戦闘機とみられる航空機が離着陸したことを追跡した護衛艦(「さわぎり」、「あきづき」)のレーダーによって確認してるみたいやわ。23日には、48隻もの艦艇が参加した海軍創設69周年の観艦式に参加しとんねん。その後、7月のお忍びの航行や。まだ、就役もしてへん空母に向かってミサイルでも撃ってみ!そら戦争になるわな!」
「大変だ!すぐにサンに話さないと!防衛省にも説明しないといけない!」
「ちょっと待ってや!アースはん!それより先に裏を取らなあかん!マーキュリーにハッキングしてもろうて、あたいの話の裏付けが必要や!ほんで、マーズ!あんたは、C国の国家主席のプロファイリングをやって!あたい達が知っているって事は、多分C国側も知っとるはずや!もし知らんかったら、この事件の事を言うたらなあかん。その為にも、国家主席がどんな人間か知っとらな話も出来ひんからな。あんたら、これから忙しなるで!」
ヴィーナスの話に聞き惚れていた三人は、最後の言葉、「忙しなるで!」で、我に返った。
マーキュリーは、マーズを連れて、直ぐに自室に戻り、地下5階に設置されているコンピュータールームのサーバーに接続した。サーバーを経由して、自分のラップトップでハッキングの準備をしたのだ。コンピュータールームの日本最速能力を使用してハッシュ関数による暗号化を利用した。マーズはその情報を基にプロファイリングする準備を整えた。
アースはヴィーナスから資料を手渡され、今一度、目を通した。信じられない話だった。戦後、憲法9条により戦争を放棄し、平和主義を掲げてきた日本が戦渦に巻き込まれる。その引き金を誰かが引く計画を立てている。このような話は映画だけの世界だと思っていた。だが、現実が目の前に迫っているのだ。
「後、一ヵ月前後だ。早く裏を取って対策を立てなければならない。」
いつも冷静なアースが焦燥感で包み込まれていた。首の後ろ辺りが熱くなっているのが感じられる。サターンによると自分の後頭部には未知のコンピューターが仕掛けられているらしい。自分では制御できないのだが、多分、そのコンピューターがフル回転しているのであろう。事実、意識が薄らいできている。脳が別の物に乗っ取られている感じだ。自分は蚊帳の外で見守っている気がする。体温が上がってきた。倦怠感がひどく、身体が熱い。気分も悪くなってきた。以前に体験した熱中症に近い症状だ。
アースは急いでエレベーターに乗り、地下1階に急いだ。インターコムを使ってサターンに連絡を取る。
「何だ!今、実験中だ!」
インターコムの向こう側で苛立っている様が伺える。
「サターンさん、私です。アースです。熱中症のような症状になっています。身体が熱く倦怠感がひどいのです。意識も薄れています。」
「アースか!お前、何かオーバーロードするような事をしたのか?」
「ええ、少し。」
「分かった。今、エレベーターの中だな。すぐに迎えに行く。そのまま横になって安静にしていろ。動くなよ!」
サターンが看護師の「レア」と共にストレッチャーを押しながら、エレベーターに迎えに来た。エレベーターが開くと同時に、熱風が頬を横切った。
「こりゃ大変だ!副作用か!」
そう言いながら、アースをストレッチャーに乗せ、直ぐに医療班の診察室に連れて行った。
「500ccのツッカーでルートを取れ!そして、首と腋窩(えきか:腋の下)にアイシングして!」
サターンは直ぐに熱中症の対策を取った。点滴により水分を補給すると共に、首と腋の下に氷を入れて冷やしたのだ。首横と腋の下には太い動脈が走っている。そこを冷やせば効率的に体温を下げる事が出来るのだ。
「バイタルは?」
「131と90です。脈拍は72です。正常に戻りつつあります。体温も37度丁度です。」
「良かった。もう、これで大丈夫だ!」
「先生、彼の首の後ろ、光っていませんでした?」
「ああ、そのようだな。君も見たのか?」
「ハイ。」
「君も、ここに採用されたときに守秘義務契約をしたと思うのだが。ここで見た事や聞いた事は、絶対に門外不出だぞ。今後も、魑魅魍魎的な光景を見る事になると思うが、君の心の中に全て納めておいてくれたまえ。そうすると、いつまでもここで楽しく暮らすことが出来る。分かったね。」
「ハイ、先生。」
その後、看護師「レア」は無言のまま、診察室を後にした。彼女も、仕事は出来るのだが少し変わった人間である。サターンが赤十字で軍医として働いている頃に知り合った看護師である。組織の中では「レア」と呼ばれている。自分と共通している点が多く、この組織の一員になった時に無理を言って連れてきたのだ。信頼できる人物である。何より実験が大好きなところが気に入っている。彼女も、自分の好きな事が出来、その上に報酬も良いと言って楽しんでいる。多分、情報を漏らすような行為はしないであろう。
「どうだ、アース。気分は良くなったか?」
「ああ、有難うございます。気分も良くなってきました。」
「何か、脳を酷使する事でもやったのか?」
「そのようですね。私の過去の記憶データを洗いざり検索する必要があったので。多分、かなりの負荷がかかったのでしょうね。」
「おいおい、いつの間にそのような事が出来るようになったのだ!」
「いえ。前にサターンさんが私の頭の中には膨大な情報が圧縮されて格納されていると教えてくれましたよね。それで、自分の頭の中は倉庫みたいなものなのだとイメージングしたのです。すると検索したいイメージを作ると、心の扉が開き、自分が過去に引き込まれたようになり体験した記憶が戻るのです。最近では慣れてきて、簡単に出来るようになってきました。ただ、副作用ですかね、その後、身体に倦怠感が残って、無性に喉が渇くのです。」
「ほう!俺の知らない間に、アースも進化しているのだな。大したものだ、お前は。」
そう言って、冷蔵庫の中からペットボトルを一本取り出し、アースに投げた。
「何ですか、これは?「OS1」って、書いてありますが?」
「そうだ、「オー・エス・ワン」だ!飲む点滴と言われている。これからそれをリュックにでも水筒にでも入れて持ち歩け!常に携帯しろ!先ほどのような能力を使う前に飲むのだ!どうやらお前は、その能力を使用するには相当な体力を消耗するらしい。特に脳の代謝が異常に高くなり血流量が半端なく消費されるようだ。その為に熱中症の症状が出る。その対策だ。経口補水療法(ORT)と言って水分吸収には塩分と糖分が一緒に必要であるという理論がある。」
流石に、サターンは本格的な医師だ。エビデンスと言って、常に物事を論理的に考え確率論で思考する。自分は経験値で物事を判断するが、サターンに言わせると、経験値も理論と確率論らしい。人間の脳が、精密な計算の上で経験的に最適な値を出し、その結果が経験値として記憶するのだと言う。多分、ヴィーナスも同じように言うだろう。ただ彼女は、関西弁で何かの例え話として示唆するので少々分かり辛いのだが。
「ところで、サンが何処にいるのかご存知じゃないですか?ヴィーナスが大変な分析結果を出したのです。」
「ハハン、それで脳を酷使したのだな。分かった。インターコムでサンに連絡を取る。お前は先に会議室で待っていてくれ。」
サターンは直ぐに行動に出た。ネプチューンを除く、チーム全員に召集を掛けたのだ。
アースは踵を返し、部屋を後にした。そのまま会議室に直行した。
エレベーターの動きが無性に遅く感じる。焦燥感に駆られると時間軸が伸びたような感覚になる。エレベーターを出た後は、急ぎ足で廊下を闊歩した。会議室の扉を開けると、すでにサンが座っていた。行動が早い。
「やあ、アース君。何だか慌ただしいですね。重大な事案が分かったらしいですね。」
「ハイ、詳細はヴィーナス、マーキュリー、マーズが来てから報告します。彼女らが最終確認として裏を取ってくれていますから。その他のメンバーには、サターンが連絡してくれています。」
「了解した。私は直ぐにでも防衛省に連絡が取れるように手配済みだ。何ならネットで繋げて、彼らにもこの会議に参加してもらえる事は可能です。どうすれば良いですか?」
「そうですね。一刻も早く対処しなければなりませんので、政府の方にも参加していただく方が良案かも知れませんね。」
「分かりました。では、そうしましょう。全員が集まり次第、作戦会議を始めるとしよう。」
「一つだけ良いですか?全員と言っても、ネプチューンには連絡していません。彼には後で報告と言う事で良いでしょう?」
「そうですね。事後報告で良いですよ。報告しなければイジケますからね。「俺はメンバーじゃないのか!」とか言ってね。彼の扱いは難しいですよ。」
アースが話しかけようと思ったところに、会議室のドアが大きくあけられた。そこには巨大な肉の塊が立っていた。ジュピターである。
「よう!お二人さん、元気ですか?」
何時ものように顔に似合わず声が高い。歩く度に、肉の擦れる音が聞こえてきそうだ。靴の軋む音も紛れ込んでいる。その後に続いて、ユーラナスも入ってきた。
「アースさんよ。何か大事な事件が起きたのかい?サターンが急ぐなんて事、滅多にないからな。」
ユーラナスの太い右腕で、頭を掻きながら入ってきた。右腕とは対照的に左腕は肘関節より少し先で細くなっている。その先には、子供のような手があり三本の指が付いている。だが、チームのメンバーたちは全員がユーラナスの秘密を知っている。第三の腕が、細い左腕の下に隠されているのだ。その手には常に銃を携帯し、銃口は前を向いているのだ。
二人と共に、サターンも無言で入室していた。一番端に用意している椅子に腰かけ、何処から入手したのか資料のコピーを読んでいる。サターンはいつも通り、ジュピターから一番離れた場所に座るのだ。
サンがウィンクをし、アースに議事の進行を促した。未だ全員が集まっていないのだが、概略でも先に話しておこうと考え、議長席に立ち皆に注目するよう呼びかけた。
「皆さん、ヴィーナスたちが未だ来ていませんが、先に始めます。防衛省の代表の方にも、今回はオンラインで参加していただいています。まずは、先日の拉致事件で入手した書類の報告を行います。」
そう言って、アースはロシアの原子力潜水艦を誰かが入手した事。それを改造し、C国の潜水艦に見せかけ小笠原諸島に近づいている事。硫黄列島の何処かで、食料の積み込みが行われる事などを説明した。積み込みの日付は7月1日である事も伝えた。
「積み込みが終わると、その後、南海トラフを通って尖閣諸島を目標とするようです。この件につきましては、現在、ヴィーナスたちに裏取りを取ってもらっています。もうすぐ、こちらに来ると思います。また、同時期にC国は東シナ海から尖閣諸島付近で、新しく建造されたC国産の空母の試験的航行を行います。時期的に考えても、このような偶然が起こる確率は大変低いと考えられます。従って、この潜水艦は意図的にこの時期を狙って尖閣諸島に近づくものと考えられます。」
アースの話を不思議そうな趣で聞いていた政府の高官が、質問してきた。
「その潜水艦はC国の潜水艦ですか?それなら、問題ないのでは?日本が騒ぎ立てなければ良いだけではないですか。いつものように、C国の大使館に遺憾の意を伝えるだけで良いのでは?」
流石に政府の高官だ。事なかれ主義で通すつもりなのだ。自分の任期中での問題ごとは出来るだけ避けたい。避ける事が出来なければ延期したい事が見え見えである。
「エエ、C国の潜水艦に見えるようにしていますが、実はテロ組織の所有物です。組織名などは現在不明ですが、ロシアの現役将校から裏取引で購入されています。改良も、C国、日本、ロシア、アメリカなど多国籍のエンジニアが関わっています。どう考えても、まともな方法ではありません。我々が一番危惧しているのは、その潜水艦でC国の軍艦に発砲するのではないかと言う疑惑です。」
「どうして、C国同士で打ち合いをするのかね。反乱なのかね?」
「違います!率直に言いますと、C国に戦争をさせる為の引き金を引こうとしているのです。発砲するのは尖閣諸島側からです。つまり日本が発砲したように見せかけるのです。もし失敗しても、C国の自作自演と見せかけて、世界を不穏な空気に包もうとしているのです。」
高官が少しずつ理解できて来たのか、顔が真っ赤に膨らんできた。目を剥き冷汗が額に滲むようになってきた。
「ど、ど、どう言う事なのか?そのような事が出来るのですか。」
「そうです。我々では考えもつかない事案です。少し前から、アメリカがC国に対して圧力をかけています。緊張状態が続いていますし、我が国の立場も不安定な状況です。この状況で、C国の軍艦に、しかも試験就航中の空母に対して発砲でもすれば、C国側は直ぐに応戦するでしょう。今の日本では立ち向かう術はありません。NK国に対しての軍備は少しずつ整えていますが、大国であるC国に対しては何の対抗策もとっていません。最悪、日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(新日米安保条約)を盾に、沖縄からF―15戦闘機が飛び出せば、第三次世界大戦になりかねない。最悪の場合、核戦争に発展する可能性もあります。これだけは回避したい。」
「そんな悠長な事を言っている場合ではありませんよ。世紀の大事件ではないですか。私の一存では難しい事案です。すぐに総理に相談して対策を取ります。」
「少し待ってください。今、我々でそうならないように対策を立てています。総理には報告をして頂きたいのですが、対策は少し待ってください。この潜水艦を止めて見せます。私に考えがありますので、準備だけしておいてください。」
「でも、もし失敗したら。今の日本では戦争など無理ですよ。」
「分かっています。ですから少し時間を下さい。常に情報は流します。我々では止められなかった場合、つまりXデイを過ぎた場合はお願いします。それまでは自衛隊も国も、まして安保条約の施行などは行わないでください。未だ時間はあります。」
このやり取りを初めて聞いたジュピター達も、焦燥感で一杯であった。まさかこのような展開になるとは、誰も予想していなかったのだ。前代未聞の事件だ。つい此間、拉致事件を解決し、思わぬ収穫を得る事が出来たばかりだ。皆が喜び、満足な結果で終わったところである。それが今、瑣末な拉致事件の起因で、とんでもない事件へと飛躍している。
流石に能力を持つ集団、八角龍のメンバーでも不安が過り出した。自分たちの想像できない世界を垣間見たからだ。もしかすると世界が崩壊するかもしれないと。
不穏な空気が会議室を占拠していた。そこに、扉の向こうから、燥ぎ声を上げながら笑っている間の抜けた波が押し寄せてきた。
「だから言ったでしょう!私が話すって!もう、アース様は私の王子様なの。」
扉を空けながら、マーズが顔を赤らめて入ってきた。
「あっ、アース様。私たち三人で名案を考えたのよ。本当にヴィーナスって天才よ。彼女と一緒に居れば、無敵よ!」
話の途中から、会議室内の雰囲気が緊迫した状態である事に気が付きだした。尻すぼみの状態で話し終えるとヴィーナスが話し出した。
「敵はどっかの金持ちに雇われている組織みたいですわ。まあ、今はどうでもエエんやけどな。とりあえずは、奴らは7月1日の小笠原諸島の硫黄列島で食料を積み込むって言う事や。そこで、その食料の積み込みに紛れて、我々のメンバーが乗り込むしかあらへんと言う結論に達したのですわ。その機会を逃せば、奴らは海の底やからな。入られへんわな。そこでや、食料のカートを調べたところ、幅60cm、横1m20cm、縦1m50cmの細いカートなんよ。せやからユーラナスやジュピター達は、ブーッや!あんたらのその大きさでは入らへん!」
ヴィーナスは話しながら小さな手で、幅60cmを表した。この言葉に、ユーラナスとジュピターの顔から笑顔が消えた。自分たちの出番がやってきたと満面の笑みを浮かべていたのだ。
「俺らの自慢の筋肉が、今回は邪魔になるのか。」
「せやから、今回の任務にはあたいとマーキュリーが適任や。と言うより、他の人では無理やな。問題は、あたいら二人でどう戦うかや。」
「マーキュリーは大丈夫でしょう。ナイフを持たせば右に出るものはいない。」
ユーラナスは、空でナイフの手さばきを見せた。それを見ながらヴィーナスは続けた。
「アホぬかせ!それはマーキュリーが別人格になった時の話や。普段の彼女は、何も出来へん、か弱い女性や。ヤバなった時に、相手が性的な言葉を発したらエエけどな。どないすんねん。」
今まで黙っていたアースが口を開いた。
「方法はそれしかないのですか。」と、不安げな顔で質問した。その後、答えを待たず決心したように眉間に皺を寄せて言った。
「そうですね。では、これから格闘技の練習を二人にして貰いましょうか。せめて自分を守るための護身術くらい身に着けておいた方が良さそうですね。」
「まあ、そうしてもらうと有難いわ。あとそれともう一つ、問題があんねん。」
一同は、不満な態度を露わにした。
「まだ何かあるのですか。」
「せやねん。この原潜な、ハッキング出来ひんねん。ネットから隔離されてんねんわ。と言うより、昔のアナログに近い状態やねん。せやから、何か画策をするんやったら、原潜の中でしなあかんねんヨ。そんなん出来るんは、あたいしか居れへんわな。」
全員がお手上げの状態を示すように、肩を窄め、両の手のひらを上に向けた。
「要は原潜が航行出来ひんようにしたらエエんや。簡単や!原発を止めるか、スクリューを壊すか、就航装置を壊すかや。何でもエエから壊せばエエんや!」
「それならマーキュリーの三人目の人格が適任だな。」
ユーラナスが言い終わる前に、マーズが止めに入った。
「ちょっと待ってよ。何でもかんでも、マーキュリーって言わないで!マーキュリーを人間扱いしてよね。彼女は好きで人格が変わるのではないのよ。病気なの。その彼女を責めるなんて、許せないワ。」
「マーズ、有難う。でも、皆の言っている事は正しいワ。私の人格が変われば全て解決するのよ。元に戻らなくなったって、マーズが居るから大丈夫よね。」
マーキュリーの言葉に、マーズは悲しげな顔で彼女の手を取って抱きしめた。
「分かったわ。大丈夫よ、私が居るから。」
二人は、芝居がかった仕草で抱き合った。
「まるで美女と野獣だな。」
誰かが小声で言った。その言葉を掻き消すように、ヴィーナスが言った。
「よっしゃ!ほんなら話は終わりや!とりあえず、あたいら二人で何とかする事に決定や!後は潜入方法とか、通信手段を考える事や。そんでや、もしも、うまい事いけへん場合に備える準備や。これは自衛隊に任せよ。」
最後に締めにかかったのだ。アースが首肯し、サンがそれに続いた。
早々に、ヴィーナスとマーキュリーの護身術の訓練が始まった。マーキュリーは途中で弱音を上げたが、ヴィーナスは格闘技に目覚めたようだ。技術は向上し、護身術のみならず、空手やカンフーの拳法まで訓練しだした。
「何や、面白なってきたな。あたいも強なったし。好っきやわ!こんなん!」
ヴィーナスの能力は、何事にも徹底的にのめり込む事のようだ。多分、勉強もこのような状態だったのだろう。だから世界一の大学で博士号を四つも取得できたのであろう。天才は天才でも、努力を惜しまない天才なのだ。その上に、彼女の身体の時間は止まっている。つまり時間は無限にあるのだ。彼女の将来はどのようになるのであろうか。
マーズのS主席のプロファイリングも出来上がってきた。アースとサン、それにヴィーナス、マーキュリーが耳を傾けていた。
アースがマーズの目を凝視しながら口を開いた。
「マーズさん、説明をお願いします。」
「ハイ、分かりました。私のプロファイルの結果を報告します。」
流石に緊張しているのか、好きな菓子にも手を出さず、ファイルをしっかりと握っている。太くプヨプヨした手から汗が滲みだしていた。
「1953年6月4日に陝西省で誕生しました。1965年に中学校であるP市八一学校に入学しましたが、1966年の文化大革命の発生により学校が解散されました。この事によりS氏の学校教育が中断されました。S氏の父が迫害された文化大革命において、S氏も反動学生として批判されました。紅衛兵によって十数回も批判闘争大会に引き出され、四度も監獄に放り込まれたらしいです。」
ここまで、一気に捲し立てた。思ったよりS氏は苦労し、今の顔からは想像もつかない反社会的な学生だったようである。そのまま、マーズは続けた。
「1969年から七年間陝西省E市延川県に下放される中、1974年にC国共産党に入党しました。下放された同地で生産大隊の党支部書記を務めています。その後、国家重点大学のS華大学化学工程部に入学し、有機合成化学を学びました。1979年に同大学を卒業した後、国務院弁公庁及び中央軍事委員会弁公庁において、副総理及び中央軍事委員会常務委員の秘書をかけ持ちで務めました。1985年にアメリカ合衆国を視察で訪問して、当時のアイオワ州知事で後に駐中国大使と親交を結んでホームステイをしています。1998年から2002年にかけて、S華大学の人文社会科学院大学院課程に在籍し、法学博士の学位を得ました。」
これを聞いていたアースが口を挟んだ。
「S氏は、英才教育を受けた共産党員ではないのですね。苦労し、自分の力で今の地位を確立してきたのですね。アメリカとの親交もあり、柔軟な考え方の人間なのですね。」
「そうです。その後も、第17期党中央委員会第一回全体会議(第17期1中全会)において、一気に中央政治局常務委員にまで昇格するという「二階級特進」を果たし、中央書記処常務書記、中央党校校長に任命された経緯もあります。」
「そのような立派な方が、どうして現在のような強硬派に成ったのでしょうか?」
マーズは少し躊躇いがちに、マーキュリーの顔を見た。マーキュリーはマーズの心を先読みし、手を挙げて話し出した。
「ここからは、私が話します。先日、内緒でS氏に関する情報を得る為に、C国の国家主席室にハッキングをかけました。そしてS氏のパソコンを特定し、そこからS氏夫人のパソコンも手中に収めました。彼らのコンピューターもかなり検閲されているようで、夫人とのやり取りには暗号らしき文章がかなり使用されています。結構時間がかかりましたが、その暗号文章を解読する事に成功しました。その解読文章から分かった事を、今から報告します。」
全員の喉で、唾を飲み込む音が反響した。皆が緊張し、喉がカラカラになっているのだろう。
「S氏は基本的には穏健派のようです。愛妻家であり家族を重んじています。S氏と夫人とのやり取りは、手紙のようなアナログな方法で行っているようです。ただ夫人には、その手紙を読めば直ぐに処分するよう言われているのですが、女性心として捨てる事が出来なかったのですね。手紙をスキャニングして保存していたのです。スキャンデータをキー付き圧縮データとして全て保管していたのです。私はその圧縮データを見つけ、解凍する事に成功しました。そして分析の結果、驚きの情報が得られたのです。」
地下にある会議室には、一切の外部音源が入ってこない。だから静かなのである。その静かな会議室に、アースとサンが揺さぶる椅子の音だけがこだましている。緊張のあまり、知らずに貧乏ゆすりを始めているのだ。
「実は、C国共産党内での軍部の力が強まっているようです。その力は絶大で、国家予算の軍需費に費やされる額が年々増してきています。それを阻止する事が出来ずに、S氏は夫人に何度も愚痴っています。弱腰を見せるとすぐさま、弱点を突いてくるようです。S氏は軍部に乗っ取られてしまうと、C国の将来が崩壊するとまで言っています。ですから嫌われても自分の権力を維持し続けなければならないと考えています。自分の権力が強い間は、軍部も好き勝手な行を取る事は出来ないようで、それで今の均等が保たれているのです。「党領導一切」の他、一帯一路、C国の夢、人類運命共同体、四つの全面、四つの意識や「強国」「強軍」といったフレーズなどを党規約に盛り込まれたのは、このような経緯があったからだそうです。軍事政策では富国強兵の策として軍需産業を強化してアメリカ合衆国に次ぐ世界二位の規模となり、第一列島線の重視や真珠の首飾り戦略を引き継いで南シナ海での人工島建設などC国の海洋進出を強硬に推し進め、C国が「世界最大の海軍」を保有していると思わせる事が、軍部を押さえつける上で必要な対策だったようです。」
考え込んでいたサンが、初めて口を挟んだ。
「つまり、S氏の驚異的な発言や行動は、自国の軍部を統制するための演技なのか?」
「そうです。ですからマーズが先ほど言ったプロファイリングからも分かるように、S氏と直接話し合えば、今回の事件を未然に防ぐために協力してくれるのではないでしょうか?最悪でも、戦争への一歩を踏み込むのを止める事が出来るのではないでしょうか。」
アースとサンは何度も首を縦に振った。サンよりも早く、アースが口を開いた。
「そうですね。これは良い情報です。マーズさん、マーキュリーさん。良くここまで分析をしてくれました。この分析が無ければ、最悪の場合、世界大戦が始まるのではないかと危惧していたのです。まあ、まだ喜ぶのは早いですが、とりあえず、道が開けたようです。では、早速S氏とのコンタクトを取る事が出来るような手筈を進めていきましょう。」
と、サンに促すように言った。それに応えるように、サンが話した。
「では、まずは公式な手順で行きます。外務省を通して、外交的な手筈で進めます。上手くいかなければ、徐々に魔法の方法を使うようにしましょう。最悪の場合は、マーキュリーさんにお願いします。」
「エエ、いいわよ。S氏の夫人のコンピューターは穴だらけなの。多分、C国共産党もそれほど危険分子と考えていないみたいね。そこが狙い目よ。ただ、最初のアクセスには驚くだろうな。その時に、焦って変な行動を取らなければ良いのだけども。」
マーキュリーは、困った時の癖で口を尖らせながら、両手の人差し指をツンツンと頬に当てながら話していた。いつものパターンに愛らしさを感じながら、マーズはマーキュリーに言った。
「大丈夫よ。その時には私が、心理学的にどのように話せば警戒しないか助言してあげるワ。女心も分かるから。」
「有難う、マーズ。やっぱり、あなたは私の連れね!愛してる!ヘヘヘ。」
最後まで無言だったヴィーナスが話した言葉で、この会議は終わった。
「何や、あたいの出る幕、あらへんな!しょうもなぁ。まっ!皆、頑張ってや!」
ヴィーナスが席を立つと同時に、全員が椅子を引いた。マーズとマーキュリーはお互いに手を繋ぎながら、部屋を後にした。
「では、サン!政府への対応はお願いします。我々は、潜水艦の乗っ取り計画を進めていきます。」
内心ホッとしていたのも束の間であった。アースの言葉でサンは現実に戻された。
「そうだな。まだ、何も始まっていないですからね。これから政府に具申しなければならない訳です。どのような口吻となるのか分かりませんが、気を引き締めて行きましょう。ここからが正念場ですからね。」
「ハイ、もうひと踏ん張り、頑張りましょう!」
アースの手には、マーズから手渡されたC国国家主席S氏のプロファイリングが重みを増していた。思った以上に重みのあるファイルだった。報道だけで、人を誤解してはいけないと反省したのだった。




