第35話 マルスの心配
「どうした、メレンケリ? 手首が痛いのか?」
その日、メレンケリが仕事を終えて身支度をしていた時のことである。グイファスが触れた左手首を、右手で触れているとマルスは心配そうな顔をしていた。
「いいえ、違いますけど……」
「本当に?」
メレンケリは、ぱっと両手を挙げて手首をくるりと回して見せた。
「はい。何ともありません」
「じゃあ―……いや。なら、いいけど」
マルスの歯切れの悪い返事に、メレンケリはつい聞いてしまった。
「何か他に聞きたいことでも?」
「ああ、いや……」
マルスはそう言ったが、メレンケリの手袋をはめた右手を一瞬だけ指をさす。
「そういえば、その右手のことなんだけど――」
「この手、ですか?」
彼は頷くと、少し間を置き、それから遠慮がちに尋ねた。
「自分のことも触れられない……のか?」
「自分のこと?」
「その右手で触れてしまうと石になるだろ。だったら、自分が触っても石になるのか……?」
メレンケリは目をぱちぱちと瞬かせ、じっとマルスを見る。何故、今そんなことを聞いたのだろうか。
その気持ちが顔に出ていたのだろう。彼は慌てて弁明した。
「あ、いや……! 変な意味じゃないんだ……! ただ心配で!」
「……心配、ですか?」
メレンケリが問うと、マルスは何故か悲しい笑みを浮かべて「心配だよ」と言う。
「ずっと心配だった。だから、今のことだって前から聞いて知っていたかったんだけど、何となく聞きにくくて……」
「では何故、今聞いたのですか?」
きょとんとした表情で問うメレンケリに、マルスは苦笑する。
「ずっと手首を握っていたから、怪我でもしたのかなと思って。もし怪我をしたら、どうやって手当てをするんだろうって思ったから……聞いてしまったんだけど」
彼女はマルスをじっと見る。
(この人は優しい。でも――)
心配をかけてはいけない、と思う。
自分のことは自分で何とかしなくてはならない。それは多くの人が自分に触れることはおろか、近づくことすら恐れるからである。右手以外のどこかを怪我しても、きっと手当てしてもらうことはできないだろう。
それは、マルスも例外ではない。本気で心配して声は掛けてくれているが、メレンケリの右手が怖くないわけではないのだ。
(心配してもらうんじゃなくて、マルスさんには「安心して任せられる」と言ってほしい。私のことばかり構わなくていいように。心配しなくていいように)
「いえ、石にはなりません」
メレンケリはマルスの質問に、憂いを払いのけるようにはっきりと答える。それに対し、彼は少しだけ驚いていた。
「そうなの?」
「はい。自分の体に触れて石になってしまうのだったら、もっと生活がしにくいと思います」
ほとんど手袋をはめて生活しているため、メレンケリも手袋を通してものを触ることが当たり前になっているが、自分のことは触れても石にはならない。ただ手袋を外して行える行為が極端に少ないため、それを知る者は少ない。
「そっか。それなら良かった……」
マルスが安堵した表情を浮かべるが、すぐにそれを引っ込める。
「だが、大丈夫なのは自分だけだろう。もし右手に包帯を巻いたら、それは石になるんじゃないか?」
「試したことはありませんが、多分そうだと思います。でも――」
「でも?」
「怪我をしないように気を付けるので問題ありません。心配して下さってありがとうございます。私は大丈夫ですから。では、今日はこれで」




