訳ありシスターの逃亡
「今度はこの手を取ってくれるかな?」
蹲り震える私の元へやってきたロキは、剣を鞘に戻すとそう言って右手を差し出した。
「……えっ?」
「あ、ごめんねっ! その、怖がらせるつもりはなかったんだよ!? ただ僕はシスターの隠し事がなくなれば、デートの誘いを受けてくれるかなって思っただけで、それにシスターの秘密は別に隠すようなことでもないし――」
私の反応を見たロキは、焦った様子で捲し立てる。
恐怖と混乱で未だパニック中の私は彼の言葉を理解出来ない。
だが耳を通り抜けていくだけの声色は、まるで言い訳をしているように感じた。
「勇者様、どうしたんですか!?」
「どうかお願いします! 早くその女を倒してくださいっ!」
その様子を遠巻きで見ていた村人たちが、口々に叫びながら私を指さす。
人ならざる私の異形が怖いのか、彼らの声には縋るような響きがあった。
だがロキは、剣に手をかける素振りもなく私に話し続ける。
私の処罰を求める彼らの声など、まるで耳に入っていないようだ。
「もしかしてどこかが痛む!? どうしよう、シスターに怪我をさせるつもりなんてなかったのに、本当にごめんね! 良かったらこの傷薬を――」
ついには腰袋から高級そうな薬瓶を取り出し、こちらに押し付けようとするロキの行動に困惑した私は、恐る恐る顔を上げた。
「な、なんで私を殺さないのですか? わた、私は人間じゃなくて、その、あ、貴方の討伐対象で……」
しかし見上げた先にあったのは、予想外に近いロキの顔だった。
酷く取り乱した表情で私を見ていた彼は、視線が交差した途端にその顔色を一変させる。口元を緩ませ、大きく破顔した。
そんな彼の瞳を至近距離から直視してしまった私は、驚きからピキリと体が固まる。
「あぁ、シスターの赤い瞳は夜だとこんな風に見えるんだね。いつもの君も綺麗だけど、月明かりの中で見る君もすごく素敵だ」
「ひゃぁっ!? な、何を言っているんですか!? 私から離れてくださいっ!」
背中に電流が走った。
一瞬で意識と体の自由を取り戻した私は、バッと立ち上がり即座にロキから距離をとる。
「え、シスター? どうして逃げるの?」
私は無意識に両腕を組み、ロキから自分の体を庇う。
精一杯の牽制を込めて、上ずった声で叫んだ。
「ちっ、近づかないでください! それになぜ私を殺さないのかと聞いているんですっ!」
「…………怖い思いをさせてしまって、ごめんね」
短い沈黙の後、そう言ったロキは腰に携えた剣へ手を伸ばす。
ロキが放った斬撃の威力を思い出し、ひっと息を呑んだ。
「さっきは成り行きで剣を抜いてしまったけど、誓って君を傷つけるつもりなんてなかったんだ」
そう言葉を続けたロキは鞘ごと剣を外すと、ガチャリと地面に置いた。
両手を上げ「ほら、何もしないよ」とアピールをしながら、再び私との距離を詰めはじめる。
その様子は彼が私に害を与える気がないことを物語っていた。
だが、それだけだ。
何故攻撃をしてこないのか。それなのに何故近づいてこようとするのか。
理解できない私の混乱は深まるばかりだった。
「わ、私にとって一番危険なのは、紛れもなく貴方ですっ!」
私はそう言い捨てると同時に、先の暴風により陣形の崩れた村人たちの脇をすり抜ける。
全力でその場から逃げた。
私の正体を知ったにも関わらず、口説き文句を言い続けるロキの行動や無警戒さが何を意図しているのかは分からない。
だが、もし私みたいな小物は簡単に殺せるからと油断しているのだとしたら、今は最初で最後、そして最大の逃走チャンスだ。
はぁっ、はぁっ、はぁっ……
全力疾走を続ける。息が切れて胸が苦しい。
無理な呼吸で喉が痛み、緊張と焦りで心臓の音がドクドクと耳に響いていた。
バレた、正体がバレてしまった。もうここにはいられない、殺される。どこかへ逃げなきゃ、どこかってどこ? 何処でもいい、とにかく此処ではないどこか遠くへ逃げないとっ!
ぐるぐると堂々巡りする思考は、今すぐにここを離れるべきだと警告する。
でも自分の心には逆らえなかった。
リスク度外視で私が向かってる場所は教会の裏手。先代のお墓だ。
荒い呼吸を繰り返しながら、無数の十字架の脇を駆け抜ける。
もうここへ来ることは出来ないだろう。
それどころか逃げる途中でロキに追いつかれてしまったら、その時点で私の人生は終わりだ。
でもだからこそ、最後に一度だけ。私の最大の祈りを、どうしてもお父様へ捧げたかった。
目指している一際大きな十字架が視界に入る。
しかし同時に、私の瞳は予想外のものも捉えてしまった。
そんなっ!? まさか先回りされるなんて!?
衝撃に目を見開く。
私を待ち構えていたのは、教会の前に置き去りにしたはずのロキだった。
十字架に寄り掛かっていた彼は、私に気が付くと重心をずらし背筋を伸ばす。
「やっぱり。シスターならここに来ると思った」
そう言うと、スッと十字架を撫でた。
……今度こそ終わりだ。
足の力がガクリと抜ける。
諦めの感情が体を埋め尽くし、そのまま膝から崩れ落ちた。
しかし悔しさも込み上げた私は、顔を上げ彼を睨む。
「何故、私がここへ来ると分かったのですか?」
喉から振り絞った声は、その虚勢を表すように震えていた。
「何故って、シスターはどんなに忙しくても彼への弔いを欠かさないよね。そんな君が向かう場所は、ここしかないと思ったんだ」
当たり前のように私の日課を把握しているロキだが、その腰に剣はなかった。
武器を取るよりも、私の追跡を優先したようだ。
彼は丸腰のまま私の生涯最後の望みを阻んでいる。
本当に何がしたいのか分からない。
そして分かったところで、竦んだ私の足はもう動かなかった。
どうせこれで最後だ。
そう思った私の口は、ヤケクソとばかりにこれまでの鬱憤を吐き出す。
「そうですね。私にとって先代へ捧げる追悼は、過去を慈しみ心を整えるためのとても大切な時間でした。ですが最近は仕事に忙殺され、ほんの僅かな時間しか確保するのが困難なほどの状況にまで追い込まれていました。それもこれも、どこかの誰かが私の業務量を無闇に増やすせいです!」
「あ、うん。えぇっと、それは僕のせいだよね?」
私の見せた急な勢いに、ロキたじろいだ様子で答えるも、そこに反省の色はなかった。
「他に誰がいるというのですか。それに口だけの謝罪などいりません!」
「僕の行いが、君の負担になっていたことは謝るよ。ただ死にたいと思う衝動は、簡単に抑えられるものじゃないから許して欲しいんだ。あとは、その、なんていうか……シスターが他の男のために時間を費やしていると思うと、つい邪魔したくなると言うか……」
ロキは私の時間を削るために死んでいた?
質の悪い冗談に絶句していると、村人たちの足音がバタバタと近づいてきた。私たちの不毛な会話は、唐突に終わりを迎える。
「勇者様! どうしてその女を倒さないのですか!?」
「そうです! あれは危険な魔物です! 早く倒してくださいっ!」
時間差で追いついた彼らは、ロキの背後に隠れるようにして陣取ると、声を張り上げ口々に抗議の叫びを上げたのだった。




