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第97話 その笑顔とは、裏腹に


 レベッカ先輩の婚約発表。


 アメリアから聞いた話だが、内容はこうらしい。


 まず発表は夏休みが明けた直後から。そして相手は上流貴族の中でも三大貴族の次点の貴族である、ベルンシュタイン家の長男。


 エヴァン=ベルンシュタイン。


 アメリアも過去にも親交があるらしく、曰く魔術の技量もかなり高い上に人格者であると。


 すでに二十五歳にして、白金プラチナの魔術師。容姿もまた優れており、レベッカ先輩との婚約に際して、家柄、魔術師としての力量、容姿、人格において見劣りすることは決して無いということだ。


 俺も師匠から聞いた話で、優秀な魔術師は早婚そうこんの傾向にあると聞き及んでいる。


 これは遺伝子を、つまり魔術の才能を引き継ぐという意味では重要なことであり、少なくとも貴族は二十代のうちにはほとんどが結婚して子どもを作るのだという。


 俺は決して血統主義を嫌っているわけでは無い。


 問題なのは、何事もバランスだ。


 血統だけに偏るのも、努力だけに、環境だけに偏るのもナンセンス。すべては絶妙なバランスの上で魔術師とは成り立っていると考えている。


 まぁこれは、師匠の受け売りなのだが。


 そんな中でも、貴族の娘が早期に婚約するのは珍しく無いと聞くが……流石に十代は早すぎるというのがアメリアの見解だ。


 早くとも、二十代前半というのが今の主流らしい。


 現在は昔よりも早婚の傾向は薄れ、徐々に結婚の年齢期は下がってきているらしい。なぜアメリアがそこまで詳しいのか分からないが、きっと貴族の令嬢としては当然の知識なのだろう。



「そうか。そうだったのか……」

「私も驚いちゃった。まさかレベッカ先輩が、ね」


 まだ人もあまり来ていない教室で、俺とアメリアはそう話していた。その後、続々と同じクラスの生徒が教室内に入ってくるがやはり話題は……レベッカ先輩の婚約の話でも持ちきりだった。


「以前から噂などはなかったのか?」

「う〜ん……聞いたことはないかなぁ。私だって、そんな話はまだ出てないし」

「なるほど……」


 思索に耽る。


 あの時、夏休み終了間際。俺はレベッカ先輩と書籍の即売会へと赴いた。


 その時はこれからも先輩はその芸術活動を続けていくのだと思っていた。だが、レベッカ先輩は最後にどこか哀愁を漂わせながら、もうこれで最後だと……そう告げた。


 その時の表情は今でも鮮明に思い出せる。


 その日は今までに見たことのないくらい先輩は笑っていた。その存在感全てが、楽しさを表していた。


 自分の作ったものが人に買ってもらえることがこんなにも嬉しいなんて、先輩はそう笑顔で語っていた。


 その時とは対照的に、先輩は俺の言葉を拒絶するような形で最後に別れた。


 きっとあの時の言葉の意味はそういうことだったのだろう。


 もう婚約するからこそ、このような活動は続けていくわけにはいかないと……先輩はそう言いたかったのだろうが、やはり俺はそれでも気になっていた。


「レイ? どうしたの?」

「少し行く場所ができた」

「え? もうチャイム鳴るけど……レイっ──」


 アメリアの声を最後まで聞くことはなく、俺はそのまま教室を飛び出していった。


 まずは先輩の教室に行ってみたが、いなかった。教室の中にいるクラスメイトに聞いても、まだ来ていないと言われた。


 その後は園芸部の部室へと走った。しかし、いない。


 思い当たる場所は全て行った。だがレベッカ先輩の姿はなかった。


 もしかして、登校していないのかもしれない。


 そんな考えが頭によぎるが、俺は最後にあの場所に向かってみることにした。


 階段を登る。


 それは屋上へと続く階段だ。それを素早く駆け上がっていくと、乱暴に扉を開ける。


 瞬間、視界に入ったのは靡いている髪を抑えながら、物思いに耽っているような表情をしているレベッカ先輩。


 いつもは人の良さそうな笑顔で笑っているが、今はただただ無表情だった。


 これまで俺はレベッカ先輩のいろいろな表情を見てきた。でも今のものは、本当にどこか寂しそうに思えた。


「先輩。ここにいたんですか」

「レイさん……ですか」


 そう言葉を交わしたと同時に、チャイムが鳴った。


 すでに朝のホームルームは始まっていることだろう。俺は今まで一度たりとも遅れたことはないのだが、今日ばかりは仕方がない。


「レイさん、チャイムが鳴りましたよ?」

「レベッカ先輩こそ、戻らないのですか」

「偶にはこうしてサボりたくなる日もあるものです」

「……そうですか」


 ゆっくりと歩みを進めて、俺は彼女の隣に立つ。


「……」

「……」


 ただ無言で、この青空を流れていく真っ白な雲を見つめる。


 もう九月になった。しかしこの暑さはまだ健在。残暑とはいうが、今は夏と遜色が無いくらいには暑かった。


 風が吹く。


 それがいい塩梅となって、この火照る体を冷やしてくれる。そうして一分か、二分ほど経過したのち、レベッカ先輩が先に口を開いた。


「聞いたのですね」

「はい」


 顔を合わせることなく、互いに正面を向いたまま話を続ける。


「夏休み明けに正式発表する予定でしたから、きっともう噂になっていると思っていました」

「……そう、ですね。今はレベッカ先輩の婚約の噂で持ちきりです」

「そうですか。それで、どうしてレイさんは私のところに来たのですか?」


 レベッカ先輩がこちらに顔を向けてくるので、俺もまた彼女と向き合う。いつもとは違って真剣な表情。


 その漆黒の瞳が俺を射抜く。


 そこにはある種の覚悟のようなものが宿っているような気がした。


「先輩。夏休みの最後の日のこと、覚えていますか?」

「はい。覚えていますよ」

「あの日の言葉は、こういう意味だったのですか?」

「そうです。もうすでに私は婚約の身。あのようなことにうつつを抜かしている暇はないのです」

「あのようなこと……? しかし先輩は本当に楽しそうに」

「いいのです。私は三大貴族の長女である、レベッカ=ブラッドリィ。元より覚悟はしていました」

「些か早すぎるのではないでしょうか」

「それはその通りです。しかし別に数年の違いでしょう。問題はありません」

「……」


 まるで俺との問答の答えをあらかじめ用意していたような、機械的な答えだった。


 何の意志も感情もないような、そんな答え。



 それがレベッカ先輩の口から語られているとは、到底信じることはできないが……それは真実だった。


 改めて思う。


 結局のところ、人間は本当の意味で他者を理解などできないのだと。


 勝手に自分が相手をこういう人間だとレッテルを貼り付けて、勝手に定義している。その心のうちは本人にしか理解できない。


 それでも俺はあの日の笑顔が嘘だとは思えなかった。


 だからもう少しだけ、話を続けてみる。


「婚約しても、結婚して子どもができたとしても、趣味で続けることはできないのですか?」

「……それは許されません」

「どうしてですか?」

「それが三大貴族の長女であるからです」

「厳格な存在であるという意味ですか?」

「そうです。この魔術師の世界を引っ張っていくのが、三大貴族なのです。私のこの身に流れている血は、優秀なブラッドリィ家のもの。その血統を後世に引き継ぐのは当然のことです」

「……なるほど。差し出がましい振る舞いをしました。申し訳ありません。改めて、この度は婚約おめでとうございます、先輩」


 その場で頭を下げる。


 俺は素直に謝罪し、祝いの言葉を述べる。


 だが、まだ完全に納得したわけではなかった。


 俺がここに来たのはただ、あの趣味を続けて欲しいという意味合いだけではなかった。


 その本当の目的は、ただ心配だったのだ。


 レベッカ先輩は危ういと……そう感じていた。


 アメリアはずっと迷っていた。その進むべき先が分からなかった。だから俺は一緒に進んで行こうと彼女に言った。


 一方のレベッカ先輩に迷いなどない。惑いなどない。


 三大貴族の長女として、ただその役目を果たそうとしている立派な人だ。素直に尊敬する。


 それだけなら、俺は先輩の元へと来ていなかった。


 俺が先輩の元にやって来たのは、どうしても、どうしても脳裏に過るからだ。


 あの日の先輩の表情かおが。


 だってそれは、助けを求めているように思えたから。


 助けて、と。


 そう言葉にした気がしたから。言葉それ自体は聞こえてはいない。


 だが、その唇は確かにその文字を刻んでいた気がした──。


 記憶違いかもしれない。ほんの一瞬、わずかな瞬間の出来事だ。


 もしかしたらそれは俺が作り上げている妄想の類かもしれない。


 だがどうしてもそれが、脳裏に焼き付いて離れないのだ。


 と、そう思っていると先輩が優しい声音でいつものように話し始める。



「レイさん顔を上げてください。そんなにあなたが気に病むことではないですよ? ふふっ……レイさんはとても真面目な方なのですね」


 顔を上げるといつものレベッカ先輩がそこにいた。


 先ほどのような肌がひりつくような雰囲気は纏ってはいない。ただ、いつものようにニコニコと俺に微笑みかけてくれる。


「レイさん。婚約すると言っても、ちゃんとこの学院は卒業しますので。二学期は文化祭もあります。私たち生徒会が頑張って運営しますので、是非初めての文化祭を楽しんでくださいね」

「おぉ! それは楽しみです! 文化祭、楽しみにしています!」

「はいっ! それでは今後もよろしくお願いしますね」

「はい。こちらこそ、よろしくお願いします。先輩」


 レベッカ先輩が握手を求めてくるので、俺は優しく包み込むようにしてその手を取った。


 ニコリと笑う先輩の笑顔はとても魅力的だ。


 ただただ、美しい。


 そんな美しい笑顔とは裏腹に、レベッカ先輩の手がまるで氷のように冷たいのは……気のせいなどでは、なかった──。

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