第92話 ローズ家へようこそ
俺は現在、王国の中央区にいる。
右手には招待状を持ちながら目的地に向かう。
「さて、と」
立ち止まって改めて招待状に目を通す。
二日前、俺のところにアメリアの実家から招待状が届いた。それはローズ家からの正式なもののようで、俺としては驚きだった。
アメリアの母上が手配してくれたのだろうが、これほどまでに手厚く歓迎されているとは考えてもみなかった。
冰剣としての価値をそれほどまでに高く評価している……ということだろうか。
師匠に魔術師の世界について話はある程度聞いているが、それはあくまで表面的な部分。特に三大貴族の詳細は師匠たちでさえ、持ち合わせていない。
だからこそ俺は、この身一つでその渦中に飛び込んでいく必要がある。
本来ならば、そんなことをする必要はないのかもしれない。自らそんな世界に飛び込むなどという危険な真似は。
だが俺は既に三大貴族の人たちと交流を持っている。
皆それぞれ、素晴らしい人格を持ち合わせた人たちだ。そんな彼女たちと今後も付き合っていくためには、俺もまた冰剣として生きる覚悟を決めるべきなのだろう。
「……そろそろか」
ボソリと呟く。
今日もいつも通り、制服でアメリアの実家へと向かっていた。スーツなどは実は持ち合わせているのだが、学生ということで協会に赴いた時と同じ装いだ。もちろん、最低限の身嗜みは整えてある。
俺が向かうのは、あの三大貴族筆頭であるローズ家なのだから。
朝ということもあり、まだ日差しはそこまで強くない。わずかに汗ばんでいるほどだ。
俺はポケットに入れているハンカチで軽く汗を拭うと、視線の先に大きな屋敷があることを認識する。
貴族街。
俺が今いるのはそこだ。
王国の居住区は主に東と西。
しかし貴族たちが住んでいる場所は中央区寄りの南区である。南区は奥に行けば、主に農地などしかないが、その手前は全て貴族の土地となっている。その広大な土地を余すことなく使い、豪華な装いの屋敷を作り出している。
そんなローズ家は最も目立つ場所にあり、南区に入った瞬間に捉えることができた。ちなみに左右の隣は、ブラッドリィ家とオルグレン家。
三大貴族の屋敷は横一列に並ぶようにして存在している。
そして、俺はそのまま歩みを進めるが……そこにちょうど友人であるアリアーヌが立っているのが見えた。
「アリアーヌ、久しぶりだな」
「レイ、ですの? 来るとは聞いていましたけど、早いんですのね」
「あぁ。遅れては失礼だからな。早めに来た次第だ」
アリアーヌは流石に夏休みであっても、装いがしっかりとしている。白いワンピースを着ているが、ポイントである刺繍はそれが上質なものであると主張しているようだった。
それに艶やかな白金の髪も、いつものように綺麗に縦に巻かれている。
「アリアーヌ、よく似合っているな。今日も美しい」
「え……? そ、そうですの?」
「あぁ。私服は初めて見るが、よく気を使っているのが窺える」
「あ、ありがとうございます」
髪をくるくると指に巻きつけて、少しだけ頬を朱色に染めるアリアーヌ。
二人でローズ家の門の前に立つと、すぐにメイドの方がやって来て敷地内に入れてくれる。
門の先には噴水があり、その先に屋敷がある。豪華な屋敷とは聞いていたが、実際に目にするとアメリアは本当に貴族のお嬢様なのだと改めて思う。
そして、俺とアリアーヌはそのメイドの方の後ろについていくようにして歩みを進める。
「レイ。一つだけ忠告しておきますわ」
「なんだ?」
「エレノーラ様にはお気をつけくださいまし」
「アメリアの母上か。どうしてだ?」
「きっと会えばわかりますわ。それにしても……」
じっと半眼で俺を見上げてくるアリアーヌ。
「あなた、やっぱり只者ではありませんわよね? 流石に一般人が三大貴族の家に招待されるなど、前代未聞ですわ」
「……そうだな」
「認めますの?」
「俺が一般人出身であることに変わりはない。だがそうだな。魔術師としては、異例というか特別な存在であることは間違い無いだろう」
「ふ〜ん。ま、今はそういうことにしてあげますわ」
「すまない。折を見て、アリアーヌにもいつか話そう」
俺が冰剣であるということは、別にアリアーヌには話してもいいと考えている。
だが問題なのは、その背後の三大貴族の関係性だ。
学生の身でありながら、七大魔術師の一人である俺という存在が貴族にどのような影響を与えるのかは未知数。
だがきっとそれは師匠曰く、貴族たちにとっては晴天の霹靂。さらには、俺は一般人出身。普通は許容できるものでは無いという。
妬み、嫉み。そして、また別の感情によって俺に何が起こるか分からない。ということで今は様子を伺うべきだと、師匠に忠告されている。
「レイ! それにアリアーヌも、いらっしゃいっ!」
玄関から中に入ると、そこに広がっていたのは広大な空間。屋敷の大きさから予想はしていたが、やはり内装もしっかりとしている。赤を基調とした壁に、それに絨毯も同様である。
そんな中、玄関で出迎えてくれたアメリアはいつもと装いが違った。
髪は部分的に三つ編みしてそれを他の髪に馴染ませるようにして流しており、また服装はフリルのついた真っ白なブラウスに、真っ赤なスカートを身に付けていた。
しかしそのスカートは妙に丈が短いというか、これが今の流行なのだろうか。
アメリアのそのしなやかで綺麗な脚がほぼ全て露わになっている。
「アメリア、あなた……ちょっと気合入りすぎじゃありません? いくらレイが──」
「わ、わああああああああーっ!」
アリアーヌがその言葉を全て言う前に、アメリアが慌てて口を塞ぎにかかる。そして二人は隅のほうで何かを話すと、俺の方へと戻ってくる。
「どうかしたのか、二人とも」
「なんでも無いよっ!」
「……釈然としませんが、まぁなんでもありませんわ」
「そうか。それにしても、アメリアの私服を見るのは久しぶりだがよく似合っている。綺麗な脚がよく見えて魅力的だと思う」
「ほ、本当にっ!?」
「あぁ。嘘など言うはずがない」
「そっか〜。えへへ……」
そう言って笑みを顔に広げるアメリアは、本当に変わったと思う。今のアメリアは心から笑っている。俺はそれを、感じ取ることができた。
その一方でアリアーヌはため息をつくと、こう言った。
「はぁ……レイのそれは天然ですのね」
「なんのことだ?」
「いえ。それもまた美徳。しかしいつか、大変なことにならないように祈りますわ」
「よく分からないが、忠告感謝する」
三人でそう談笑していると、メイドの人が声をかけてくる。
「レイ=ホワイト様」
「はい。なんでしょうか」
「奥様がお待ちになっております。先に、面会して欲しいとのことです」
「わかりました」
アメリアの方を見ると、どこか気まずそうにしていたが……ここで断るわけにもいくまい。俺は素直に了承しておいた。
「では、アメリアとアリアーヌ。また後で会おう」
「うん。気をつけてね、レイ」
「まぁ頑張ってくださいまし」
そして俺はそのまま屋敷の奥へと案内されると、大きな扉の前にやってきた。そこでメイドの方が「こちらになります」と告げる。
俺は貴族の家、その中でも三大貴族筆頭のローズ家の魔術師に会うと言うことでノックを四回ほどゆっくりとする。
すると中から、とても綺麗な声音で「どうぞ」と聞こえてきた。
「失礼します」
その場で恭しく一礼をすると、アメリアの母上が優雅に微笑みながら俺に対して挨拶をしてくれる。
「レイ=ホワイトさん。お待ちしておりました」
「本日はお招き頂き、ありがとうございます」
「いえいえ。それでは、お座りください」
「は。失礼します」
応接室ということで、内装はシンプルなものだった。魔術協会で会長と話した時と同じように、長机に向かい合うようにしてソファーが二つ。
そしてソファーに腰を下ろすと、数人のメイドの方たちがテーブルに茶菓子と紅茶を置いて室内から去っていく。
その手際は鮮やかなもので、あっという間にこの場が整う。流石はローズ家のメイドといったところか。
「さて、まずは改めてご挨拶を。エレノーラ=ローズ。現当主の妻です。よろしくお願いします」
「レイ=ホワイトと申します。こちらこそ、よろしくお願いいたします」
「ふふ。私のことは、ノーラとお呼びください。親しい者はそうしますので」
「では、ノーラさん……とお呼びしても?」
「えぇ。かまいません。私もレイさんとお呼びいたしますね」
「はい」
そういうとノーラさんは紅茶に角砂糖を一つほど入れると、かき混ぜてからそれを口にした。
優雅な所作でカップを元の場所に戻すと、彼女はにこりと微笑みながら会話を始める。
「アメリアがあなたのことをとても褒めていたんですよ?」
「恐縮です」
「少しばかり、昔話になりますが……あの子は不憫な子でした」
「……」
「三大貴族の長女ともなれば、その期待は計り知れないものになります。普通の魔術師に比べれば、破格の才能を持ち、努力も重ねてきました。そんなアメリアは自慢の娘です」
「……」
「しかし、オルグレン家のアリアーヌさん。それにブラッドリィ家のレベッカさん。あの二人はずっとアメリアの先を行っていました。そして他者と比較していく内に、アメリアは自分を見失いつつありました」
「そうでしたか……」
「えぇ。でも親が介入すべきなのか。主人にも相談したのですが、アメリアならきっと乗り越える、の一言で済ますのですよ? もう、私はずっと心配しているのに」
少しだけ戯けるようにして、声の調子を変えるノーラさん。そんな彼女はどこか楽しそうに話を続ける。
「私も結局、母親であるというのに……あの子に何もしてあげることができませんでした。見守っていた、といえば聞こえがいいですけれど……結局、あの子から逃げていたのだと思うのです。でも、アメリアは変わりました。他でもない、あなたのおかげで」
「……いえ、アメリアは自分で変わったのだと思います。自分はきっかけに過ぎません」
「謙虚なのですね。しかし、アメリアがあれほどまでの固有魔術を手に入れたのは、あなたの教えがあったからでしょう?」
「……」
どうやら調べはついているようで、きっとあのレンジャー訓練のことを言及しているのだろう。隠し事の類はできないようだ。
彼女の鋭い眼光が獲物を狩るような動物のように、俺を射抜く。
「自分は彼女の力になりたくて、そうしたまでです」
「えぇ。友人思いの素晴らしい方ですね。でもだからこそ、私は不思議に思ったのです。アメリアを指導できる人間はこの世界でも限られています。あの子は、破格の才能を持っているのは間違いなかった。そこで調べてみると出てきたのが……冰剣の魔術師でした」
その言葉に熱が帯び始める。そしてノーラさんはまるで自分の世界に入り込んでいくようにして、さらに言葉を紡ぐ。
「リディア=エインズワースが極東戦役で負傷したことは聞いていました。しかし、表向きは治療に専念しつつもまだ冰剣を続けると……そうなっていました。おそらく、他の貴族たちも未だに七大魔術師最強の冰剣は彼女だと思っているでしょう。しかし深く調べてみると、まぁこれは私独自の方法なのですけど、どうやら冰剣は受け継がれていた。ある一人の少年に」
俺は間髪入れず、それに答える。
「それが自分です。間違いありません」
「その年齢で七大魔術師、しかもかの冰剣に至るとは……レイさんの過去までは調べていませんが、きっと壮絶なものなのでしょう。七大魔術師は伊達や酔狂で辿り着ける場所ではありませんから。そこは魔術師の果ての果て、常人では決して至ることはできない。誰よりもその地位を目指した私はよく分かります。だからこそ、あなたの存在は規格外過ぎる。本当になんと言っていいのやら……」
「恐縮です」
そして、こほんと軽く咳払いをするとノーラさんはさらに真剣な顔つきになる。
「そこで、そんなレイさんに提案なのです」
「なんでしょうか」
俺は冷静にそう告げた。
本題はきっとこれだろう。
彼女は一体、何を言ってくるのだろうか。
「アメリアのことを導いて欲しいのです」
「……それは魔術師として、という意味合いでしょうか」
「えぇ。あの子の固有魔術は強力過ぎます。身内贔屓になるかもしれませんが、あの虚構にも匹敵する魔術師になる可能性もあります」
「それは自分も同意見です。因果に干渉する魔術はあまりにも強力で、そして危険です」
「そう。使い方を間違えれば、それこそ……魔術領域暴走を引き起こして、廃人になってしまうほどに。あなたなら、よくお分かりでしょう?」
「はい」
どうやら、魔術領域暴走のことまで知っているようだ。やはり彼女は侮ることができない。
「お願いできますか?」
「元よりそのつもりです」
「そうでしたか。いえ、分かっていたのですが。念のため……というか、まぁ親心ですね。こうしてレイさんに任せてしまうのは申し訳なく思いますけど。その代わりと言っては何ですけれど、これから困ったことがあれば私に仰ってください。流石にローズ家としては難しいですけれど、私個人としてお力になれるのなら協力いたしますので」
「ありがとうございます」
その場で頭を下げる。それと同時に緊張感が弛緩していくのが分かった。
どうやら、ノーラさんの本題は今のもので終わりだったみたいだ。
本当に娘思いの方なのだろう。俺は純粋にそんな感想を抱いた。色々と懸念していたが、杞憂なようで本当によかった。
「あぁ。それとこれはちょっとした話なのですが」
「何でしょうか」
「アメリアのこと、どう思っていますか?」
「良き友人だと思っております。自分も彼女から学ぶことが多く、これからも互いに高めあってゆけたらと」
「今日、あの子は割と気合の入った装いをしていますけど……それについては?」
「自宅でも客人が来るということで、しっかりと気の使える素晴らしい女性だと思います」
ノーラさんはどこかがっかりしたような表情をすると、ため息をわざとらしくついた。
「はぁ……そうですか。なるほど、なるほど。どうやら、嘘は言っていない様子。あの子も大変ですね」
「? どういう意味でしょうか?」
「いえ。特に意味はありません。私の独り言ですので」
釈然としないが、どうやら話はここで終わりみたいだった。
「では本日は我が屋敷で寛いでいってください。あとはアメリアと、メイドに任せますので」
「は。それでは失礼します」
ソファーからスッと立ち上がると、俺は改めてその場で一礼をした。
そうして俺はノーラさんとの会話を無事に終えるのだった。
しかし最後に、まとわりつくような視線を背中に送られているような気がしたのはきっと気のせいだろう。
「さて、アメリアとどうやって……させるかが、問題ですけど……」
ノーラさんの声が遠ざかっていく。
俺はその声を特に気にすることもなく、屋敷の中を進んでいくのだった。




