第64話 打ち砕かれる、その刹那
「ローズ選手、一言ください!」
「決勝戦に向けての意気込みを!」
「あのオルグレン選手にどう立ち向かいますか!?」
「固有魔術についての対策は……!?」
うるさい、うるさい、うるさい、黙れ、黙れ、黙れ、と私は心の中で思っていた。
大量の取材陣の人間が、私を取り囲む。
そして矢継ぎ早に質問をしてくる。ただ私のコメントが欲しいという一心で。今の私が、何を思っているのかも知らずに。
だが私は、表面上は毅然とした態度でそれに応じる。
「そうですね。全力を尽くしたいと思います」
「勝てる自信はありますか!?」
「……アリアーヌ=オルグレン選手は強敵です。だからこそ私もまた、全力で挑む所存です」
私は仮面を貼り付けて、ただ淡々と数々の質問に答える。でもそれは、取り繕ったものでしかない。全力を尽くすなど、当たり前のことだろう。そんなことも理解できないのか、と目の前にいる記者に言いたくもなるが……この感情の行き場はそこではない。
いや、私の感情の行方など、どうでもいいのだ。
ただいい言葉を引き出したいと、そう思っている集団なのだから。
私は準決勝を終えた時は、純粋に嬉しかった。
「……私も、私もなんとかここまで来れた……できる。私はちゃんと進める……」
会場から控え室に戻るとき、そんな独り言を呟きながら自分の勝利を噛み締めていた。
とうとう決勝戦だ。
私はここまでくることができた。きっとレイとの日々がなければ、私はここまでたどり着くことはできなかっただろう。
けれど……そんな彼とも、魔術剣士競技大会が始まってからは会話をしていない。
アメリア応援団なるものを作って、みんなで私を応援してくれる中で、彼の声を聞いているだけだった。みんなとも、ろくに会話をしていない。
それは戒めだった。
きっと話をしてしまえば、私は自分の意志が揺らいでしまうと分かっていたから。そしてレイに会ってしまえば……きっと縋ってしまう。だから遠ざけた。
私は弱いから。まだ、弱いままだから。
だから進む時は一人でいい。
そうして優勝した時に、笑顔で迎えてもらおう。そう思って私はついに決勝戦までたどり着いた。やっとここまできた。
私はみんなに会えると。心から祝福してもらう未来をイメージしながら、もう一つの準決勝を見た。
「すごい……二人とも……」
二人の試合を一番近くから見る。選手控え室から通じる通路の先、そこで私はアリアーヌとアルバートの戦いに見入っていた。
押しているのは圧倒的にアリアーヌだ。だと言うのに、彼は折れない。ずっと耐えに耐え続けて、その猛攻を凌いでいる。もう負けを認めても、誰も文句は言わないだろう。だと言うのに、鬼気迫るアルバートの表情を見れば決して諦めることはないのだと分かった。
身体中は傷だらけ、それに節々が凍りついている。きっともう……まともな感覚も残っていないに違いない。だと言うのに、それでも食い下がる。諦めない。
彼もまた、レイとの戦いを経て変わった。
純粋にそれはすごいことだ。今までの自分を否定して、そこから進み続けることの過酷さを私は知っているから。
だが私は次の瞬間、自分の自信が、今まで積み上げてきた自信が、打ち砕かれるのを感じた。
それはまるで、ガラスが粉々に砕かれるような感覚。私の構成している全てが、壊れていくような気がした。
「な……何……あれ……?」
アリアーヌの四肢は赤黒く変色していた。その四肢は赤黒いコードが幾重にも重なるようにして描かれており……アルバートが振るった剣を真剣白刃取り。そしてそれを……あろうことか、握り潰したのだ。
そこから先はあまりよく覚えていない。
アリアーヌが彼の腹部に拳を振るうと、まるで人ではない何かを吹っ飛ばしたかのように、地面を転がっていく彼の姿を見て……私はイメージしてしまった。
あれはきっと、次の試合の私だ。
はっきりと理解できる。
あの魔術は、固有魔術である。きっとアリアーヌが努力に努力を重ねて、才能のあるものが努力を重ねた先にたどり着ける……その極地。それこそが、固有魔術だ。
唯一無二の魔術。
それはレイの冰剣と同じだ。あれもまた、彼にしか扱うことのできない魔術であり極地。
結局やっぱり……アリアーヌはそちら側の人間だった。
それだけの、それだけのことだと言うのに、前からずっと分かっていたのに……私は拍手喝采を浴びて、その手を振るうアリアーヌに恐怖した。
どうやって……どうやって勝てばいい?
あの固有魔術に対抗できるだけの魔術が私にあるのか?
アリアーヌの真価は、超近接距離だ。でも同じ距離感で戦っても、あの圧倒的な固有魔術を前にやられてしまう。なら、距離を取るべきなのか? いや、それは無理だ。あの固有魔術は四肢に発動していた。つまるところ、腕力だけでなく脚力も同様に強化されているに違いない。
遠距離を保つだけの魔術は私にはない。
私の魔術師としての技量は確かに高水準かもしれない。それはレイにも褒めてもらった。でも切り札がない。だからこうして相手に切り札を出されると、対処できない。
レイもそれは懸念していたが、結局は間に合うことはなかった。
「私は……どうやって、戦えばいいの……?」
呆然と私は見つめる。
やっぱり世界は非情だ。
どうして私はこんな気持ちになるのだろう。こんな気持ちを知るぐらいなら、決勝戦に辿り着きたくなどなかった。
勘違いをしていた。
籠の中から飛び立てるかもしれないと言う幻想など、見るべきじゃなかった。自分の身の丈にあったことを、想いを、抱くべきなのだ。
震える……体が震え続ける。
どう足掻いても、あのアリアーヌに勝てるイメージが湧かない。ただ圧倒され、アルバートのように地面を転がるだけになってしまうのではないかと。
でも私には彼のように粘り切ることもできない。
だってもう、この心は負けを認めているのだから。
あぁ……やっぱり私は、弱い。
どうしてこんなにも弱い私が優勝できるなどと、思ってしまったのだろう。
「……」
取材を受けた後は、足取りが重かった。今はただ、何も感じたくなかった。ただ一人でいたかった。幸いなことに、明日は休みだ。それに、決勝の前に新人戦と本戦の三位決定戦がある。
私が出場する決勝戦は、午後からだ。
まだ、まだ時間はある。
私は自分の宿舎の部屋に戻ると、まずはノートを広げてみた。アリアーヌに対してどう戦うべきか……そう考えるつもりだったのに……浮かび上がるのは、敗北の二文字だ。
いつだってそうだ。
肝心な時に何もできない。
私は思い上がっていただけだ。どうすることもできない。
ただアリアーヌに圧倒されて、試合は終わりだ。
その日は、震えるようにして、体を小さくして寝た。幸いなことに体は疲れていたので、眠ることができた。そして思った。
もう、目を覚ましたくはないと。
現実など、見つめたくはないと。
「……朝、か」
そして目が覚める。残酷にも時間は過ぎる。でも今日は、休日ではない。今日は……決勝戦の日だった。昨日はただ、無為に過ごした。アリアーヌに負ける姿を脳裏に刻みながら、ただ部屋の隅っこでじっとしていた。
そして適当に食事をとって、また眠った。
そうして何も出来ないまま……魔術剣士競技大会、最終日を迎えた。
今日この日に、全てが決まる。
でもすでにわかっている結果がある。
それは、新人戦の優勝はアリアーヌが勝ち取るということだ。
それだけは間違いない。だって今の私には、勝てるイメージもないし……戦うだけの気力もないのだから。
「……」
呆然と歩みを進める。
取材陣にバレないように移動して、私は早めに控え室にたどり着く。現在は、もうすでに三位決定戦が始まっていることだろう。観客の歓声も、実況と解説の大きな声もよく聞こえる。
でも今は、そんなものは聞きたくはなかった。
私は部屋の隅っこで、ただ自分の膝を抱えて……頭を伏せる。
みんなの期待に応えたい。応援団のみんなはきっと、決勝戦でも信じているのだろう。
私が優勝するに違いないと。
今まではそれが力になっていた。だから戦えていた。でも今は……それが何よりの枷になっている。
いやみんなだけではない。決勝戦はきっと最高の注目度になる。そんな中で、私は醜態を晒すのだ。本当は逃げたい。でも逃げる勇気もなければ、まともに戦う勇気もない。
籠の中の鳥は、立ち上がったと同時に……その翼を捥がれたのだ。
あまりにも呆気なく、その圧倒的な力を目の前にして心が折れてしまった。アリアーヌはやっぱり違う。才能もそうだし、努力の量も違う……そしてその在り方が私なんかよりも、圧倒的に優れている。超越している。
やっぱり私は血統でしかないのだ。
籠の中に大人しくいればいい。そうすれば、こんな想いはしなくても良かったのに……。でもそう考えると同時に、それは……否定したかった。だって、私とみんなとの日々は……本物だったから。
そんな矛盾を孕んだ思考に支配されてしまう。
部屋の隅で縮こまり、葛藤して、自分に負けそうになる。
それが、アメリア=ローズの本質だ。
みんなに会いたい。レイに……彼に会いたい。話したい、この心の内を。曝け出してしまいたい。もう全て投げ出してしまいたい。
でも誰もここには来ない。
そう分かっているからこそ、私は……さらに心を闇に落としていく。結局は変わることなど、できないのだ。だから私は……。
そう何度目か分からない思考を繰り返すと、控え室の扉が開いた音がした。でも時間はまだのはずだ。
だというのに、どうして扉が……?
けど……どうだっていい。どうせ誰かが掃除に来たとか、その程度だろう。すぐに出ていくに違いない。そう思っていたのに、私は頭上から……懐かしい声が聞こえた気がした。いや、懐かしいなんて表現は大げさだけど、今の私はもうずっとその声を聞いていない気がした。
「アメリア」
「……」
幻聴が聞こえる。
そんな訳ないのに。レイは運営委員の仕事もある。ずっと忙しそうにしていた。それに、売り子の仕事もあるだろう。だからこんな場所にいるわけがない。
これは弱い心が生み出した幻聴だ。
あぁ……私という存在はどこまで愚かなのだろうか……。でも、この手にそっと触れる彼の手は、確かに温かいものだった。
幻想などでは、なかった。
「アメリア……ここにいたのか……」
「どう……どう、して……ここが……?」
「……訓練の時から、アメリアの逃げる場所は熟知しているさ」
「そ、そんな……だって……だって……私は……」
そっと触れてくるその手を、乱暴に振り払う。
今はレイにだけは、見られたくなかった。
会いたいと願ったけれど、こんな情けない姿は見られたくはなかった。
そう思っていた私は気がつく。よく見ると、レイの手もまた……震えているのだ。
「アメリア……俺は……俺は怖かったんだ……」
「え……?」
何を言っているのだろう……?
聞き間違いだろうか……?
そう思って顔を上げると、そこにはいつものような自信に溢れた顔ではなく、何か迷っているようなそんな表情が目に入る。
「レイ……」
そうして私たちは、試合前の最後の言葉を交わす。
私は知る。彼の本当の想い、そして自分の本当の想いを──。




