第58話 きっと誰もが、途上である
「ふぅ……運営委員って色々とやること多いわね〜」
「こればかりは仕方ないだろう。しかし俺たちは融通を図ってもらったのだから、今回ばかりは感謝しないとな」
アメリアの試合も無事に終了し、俺たちは運営委員としての仕事を行なっていた。
俺とクラリスが行うのは主に清掃作業だ。
戦うフィールドは四角形の石畳なのだが、もちろん魔術によってそれは壊れることも多々ある。それを教員が魔術で一箇所に集めるので、俺たち運営委員はそれを地下一階にある部屋にまとめておく作業を引き受けた。
それに加えて、選手の控え室の清掃なども行う。もちろんそれほどゴミが出たりはしないが、選手にとって良い環境を提供したいということで毎試合ごとにこの作業も行なっている。
これは意外と大変なもので、俺とクラリスは初めての作業ということもあり、割とあたふたしていたが……しばらくしてやっと慣れてきたところだ。
「よし……これでいいわね」
「あぁ。それにもう次の試合が始まっているらしい。次は控え室に入って清掃をした後に、試合の観戦だな」
「……ふぅ。なんだか、私たちって超忙しくない?」
「どういう意味だ?」
「いやだって、朝は売り子としての仕事でしょ? それで次はこうして運営委員の仕事……まぁ私たちは掃除がメインだけど。で、そのあとはアメリアの応援でしょ? なかなかにハードスケジュールだと思って……」
「確かに言われてみればそうだが……もしかして辛いのか? ならば俺が仕事を少し多めにやるが……」
「いや、別にそういう意味じゃなくて……っ! ただふと思っただけというか……」
現在は地下一階から上の階へと上がり、そのまま選手控え室に向かっている途中だった。
その最中に、クラリスがそんな話をしてくるので俺も応じるのだが……もしかして色々と負担をかけてしまっているのだろうか、と考えてしまう。
思えば、運営委員の仕事はまだしも、売り子とアメリア応援団は俺が無理やり誘ったようなものだ。
これらのせいで負担になっているのは、本当に申し訳ないと思ったのだが……どうやらクラリスが言いたいのは、そういうことではないようだった。
「そ、その……さ」
「もしかして、何か言いたいことが?」
「その……私がなんで、運営委員に立候補したか……話してないわよね?」
「それは……そうだったな」
クラリスが選手として参加しない理由は聞いている。
彼女は魔術剣士よりもハンターになりたい……というものだったが、なぜ運営委員に立候補したのかまでは聞いていなかった。あの時は深くは聞かなかったが、どうやら彼女は話してくれるようだった。その理由を。
「その……レイにはもう言ったけど、私って昔からこんな性格でさ。それにクリーヴランド家ってそれなりの上流貴族なのよ」
「……なるほど」
「それで、まぁ……友達という友達がなかなかできなくて。と言っても、きっと私の性格的な問題が大きいと思うんだけど……その、この学院に入っても、ちょっとクラスで浮いててさ。だから、運営委員に立候補して少しでも多くの人と関わりを持ってみたかったの」
「……」
「それでその……レイと、それにみんなにも、あなたのおかげで出会うことができたから……そのいつもは恥ずかしくて言えないけど……レイには本当はすっごく感謝しているというか……その……あ、ありがとう」
顔を少しだけ下に向けながら、彼女はそう言った。その頰には朱色が差していて、真っ赤とまではいかないも、恥ずかしがっているのは見て取れた。しかし……そういうことだったのか。
クラリスもまた、変わりたいと願って自分から行動をしたのだ。
彼女の詳しい過去までは知らないが、きっと色々な葛藤があったに違いない。だというのに見栄を張って、弱みを見せないように振る舞っている。きっといつものツンツンしているところは、彼女なりの処世術なのかもしれない。
そうすることで人との距離感を一定に保とうとする。でも、クラリスは変わりたいと、何かきっかけが欲しいと思って、運営委員に立候補して今に至る……ということか……。
なんと……なんと、健気なことだろうか……。
俺は胸にジーンと暖かいものを感じると、思わず自分の目を拭う。
「う……ぅぅうう、クラリス……君もまた、天使の一人だったか……」
「ちょ!? なんで泣いてんの……!?」
「う……ぐす……すまない。年だろうか。そのあまりの美しい心の在り方に、そしてクラリスの一歩踏み出した勇気に、つい感動してしまってな……」
「いやいや、年ってそんな……同い年じゃないっ! でもその、レイには本当に感謝してるから……そ! それだけはちゃんと言っておきたくてっ! あ、でも勘違いしないでよねっ! いやその……勘違いでもないけど……っ! あーもー、普通に恥ずかしい……」
クラリスは両手を頰に当てると、その頰は依然として真っ赤に染まっていた。
エリサもそうだが、クラリスもまた自分なりの葛藤をどうにかして克服しようと、なんとかしようと思って……進んできたのだ。
おそらく、誰だってそうなのだろう。
俺たちはきっと、誰もが途上だ。色々な悩みを抱え、葛藤しながら、前に進み続けるのだ。でも今の俺たちには友人がいる。掛け替えのない友人が。だからこそ、俺は本当にこの学院に来て良かったと、心から思うのだった。
「ほら。これハンカチとティッシュ」
「すまない」
俺はその二つを受け取って、自分の情けない顔を拭った。最近はどうにも涙腺が緩い気がするが、これほどの健気さを前にして俺は感動しないという心を持ち合わせていないので、仕方ないだろう。
「そういえばさ、ずっと思ってたんだけど」
「あぁ」
「……アメリアって大丈夫なの?」
「どちらの意味だ?」
「あぁ……ということはレイも気がついているのね」
クラリスは少しだけ真剣な顔つきで、そう尋ねてきた。
「肉体的な面、魔術的な面に関していえば、彼女は万全だ。エインズワース式ブートキャンプを乗り越えたのは伊達ではない」
「……あれは悲惨だったわね。あのアメリアがあそこまでビビって、逃げ出すんだもの……側から見ていて、マジで怖かったわ……」
「しかしそれを乗り越えた彼女なら大丈夫だと……俺はそう言いたいが、クラリスが言いたいのはそういうことではないのだろう?」
「うん。アメリアってその……時々無理してるというか、なんか別人みたいになる時、あるじゃない?」
「そうだな」
アメリアの件、俺だけではなくどうやらクラリスも感づいていたようだ。そうして彼女はツインテールを少しだけしょぼんと垂らしながら、話を続ける。
「私ね。アメリアのことは小さい頃から知ってるの。もちろん、三大貴族の人は全員よく知っている。レベッカ先輩に、アリアーヌ、それにアメリアのことも。三人はね、よく比較されていたわ。三大貴族でも誰が素晴らしいとか、ね。貴族はそういうのにうるさいから。それでね、アメリアはちょっと……他の貴族に色々と言われていて……三大貴族筆頭のローズ家の長女なのに、レベッカ先輩とか、アリアーヌよりも劣っているって。もちろん、他の貴族に比べればアメリアはすごいと思う。でも実際に、あの二人はもっとすごいから」
「なるほど……そんなことがあったのか……」
「えぇ。それで、私はアメリアのことをパーティーとかで遠くから見てたの。話しかける勇気はなかったけど、その……綺麗だし、可愛いからつい目がいって。でもね、アメリアは笑ってるようで、笑ってないの。ずっとそれは小さい頃から……変わっていないと思う」
「しかし俺は……今のアメリアは、少しだけ自分を取り戻しているようにも思えるが……」
アメリアは時折、本当に心から笑っているような時があった。それはその眩しい笑顔を見ればすぐにわかった。
でもそれにはすぐに翳りが差す。
まるで、自分はこうあってはいけないと悟っているかのように、アメリアはすぐに壁を作ろうとするのだ。
「うん。それはね、私も思う。特に、レイと一緒に訓練してる時のアメリアはちょっと自分らしいというか、心から笑っている時があるように思えるの。もちろん、私たちといる時もそうだけど。でもやっぱり……レイといると、アメリアは何かを探るように、何かを求めるような、そんな目をしている気がするの」
「……なるほど。クラリスにはそう見えていたのか」
「うん……私ね、貴族の重圧ってわかるの。この血統を証明するためにも、周りからも色々とあることないこと言われて。幸い私は、家族がそういうことを重視しない人だったし、こんな性格であまり周りの声は気にしないけど……アメリアは昔から私が想像もできない重圧の中で生きて来たのを知ってるからその……」
「心配なんだな?」
「うん……」
きっと俺やクラリスだけではない。
エヴィもエリサも、俺たちの訓練をハラハラしながら見つめていた。アメリアのことを心配していたのだ。
それにアメリア応援団を結成した時も、環境調査部のみんなも、アメリアのことを想って色々な衣装を作成した。
アメリアが進む先は、本当に過酷で辛いものなのかもしれない。だが、そんな彼女の力になりたいと願っているのが俺たちなんだ。そんな彼女の後押しになればいいと思って……俺はここまできたが……。
俺は本当に、アメリアの力になれているのだろうか。
未だに俺は迷う。本当にこれでよかったのかと。
過去のように、また過ちを犯していないかと。時折、ふとそんなことを考えてしまう。
だが……俺はそれでも前に進むと決めたのだ。かつての師匠が、そうしていたように。
「クラリス。アメリアのその心の内は彼女にしか分からない。きっとこの大会で、彼女は大きな壁にぶち当たるかもしれない。でも俺たちが支えよう。たった一人であの大観衆の中で戦う彼女を、俺たちが支えるんだ」
「う……うん! そうね! レイってやっぱり、いいやつねっ!」
「そう、だろうか……」
「うん! ちょっと変なとこもあるけど、みんなに優しいし! だから一緒に応援しましょ! 私も気合入れて頑張るわっ!」
「あぁ。そうだな」
二人で微笑み合うと、俺たちはそのまま仕事を続ける。
優しい……か。
俺はきっと彼女を自分に重ねているのだ。それは、過去の孤独な自分を見つめているようだったから。そう思っているからこそ、俺はアメリアの力になりたいと思ってここまで来た。
いつか過去の自分が欲していたものを、アメリアに与えることができるならと……そう思って行動してきた。
それが優しさだというのなら、俺も人並みの心を取り戻せているということなのだろうか。
俺もまた、師匠やあの時の皆のように、誰かの支えになることができるのだろうか。
独りよがりではなく誰かに寄り添うことが、俺にも……できるのだろうか。
そんなことを考えながら、俺はクラリスと共に進んで行く。




