第51話 大会当日、早朝
「……」
スッと起床する。現在の時刻は、ちょうど五時前。
俺たちはとうとう魔術剣士競技大会への会場入りを開始する。本日より二週間に渡って行われる、学生の中で最強の魔術剣士を決める戦いがやって来る。
アメリアは……自分自身と向き合えるのだろうか。
俺はアメリアに出来るだけのことはした。最善を尽くしたと言ってもいいだろう。でもそれは、やはり肉体面と魔術的な面でしかない。その心の内は、まだ知らない。
彼女は最後の修了試験を終えると、ただただ泣いた。
その慟哭の理由を俺は聞くことはなかった。彼女は前に進んでいる。それでもまだ、その心は何かに支配されているような……そんな気がした。だから、この
魔術剣士競技大会で……アメリアもまた人として成長してくれたら……なんてことを考える。
彼女に踏み込むのは、それからでも遅くはない。
自分から進まなければ、意味などないのだから。
「……よし」
制服に着替えると、俺はさらに荷物をまとめる。今日の全体の流れとしては、まずは朝六時に運営委員たちで集合して、その後は会場入りして準備を整える。
そして九時より入場開始となり、十一時より開会式、十二時より試合開始となる。
さらにはその入場時間の間に、部長たちとともに焼きとうもろこしを販売することになっている。商品名は『悪魔のとうもろこし』。
俺は師匠の家に赴いた際に、大量の発注をお願いしてそれを持って帰ってきてから、部長に全て渡した。師匠も当日は観戦に来ると言っていたので、是非ともあのとうもろこしを楽しんで欲しい。
「……いい天気だな」
俺は自室を早めに出ることにした。今日は自分で作ったあの花壇の花々に水をあげてから来ようと思っていたからだ。
そうして背中に大きなバックパックを背負いながら、歩みを進めていると……その花壇の前には見知った人がいた。
艶やかな黒髪を靡かせながら、少しだけ微笑んでじっとそこにある花を見つめているのは……レベッカ先輩だった。
「レベッカ先輩、おはようございます。いい天気ですね」
「レイさん。おはようございます。そうですね、とても澄み渡った……美しい天気です」
にこりと微笑むその姿は毅然としていて普段と変わりはない。
確かレベッカ先輩は、今日の第三試合に出場する予定だ。だからこそ、別にもう少しゆっくりしていいと思うのだが……。
「先輩は、早いですね」
「……まぁ目が覚めてしまいまして」
「なるほど」
「実はちょっと緊張してまして……今まで魔術剣士競技大会には二度参加していますが、この緊張感だけは慣れません」
「なるほど……そうなのですね」
「えぇ」
その絹のような黒髪をさっと後ろに流すようにして、彼女は微笑む。
いつもと変わりはない。ただ美しく、静謐に、そこに存在しているようにも思える。だがそんな人でも……緊張はするのだという。
そしてよく見ると微かに体が震えていた。
レベッカ先輩は三大貴族で、園芸部の部長も、生徒会長もしている。おおよそ、非の打ち所のない人だが……アメリアやアルバートを見て思った。やはり、魔術剣士競技大会に出場するということは……大きな重圧なのだろう。
それはたとえ誰であっても、同じなのかもしれない。
「あ……あはは……ごめんなさい。ちょっと緊張というか、不安で……みっともないですね……」
「先輩。それは人として当然の反応です……ですから」
俺はゆっくりと近づくと、レベッカ先輩の両手を包み込むようにして握る。
「あ……」
「大丈夫です。運営委員でずっと先輩の試合は見てきました。月並みな言葉になりますが、あなたなら再びあの頂点に立てると……俺は信じています」
「……そう、でしょうか?」
「はい。こうして期待されるのは重圧になるかもしれませんが……でも俺はたとえ勝っても負けても、その姿を灼きつけますよ。だから、頑張ってください」
「レイさんは……優しいですね」
「優しい……ですか。自分も昔は、不安な時はこうしてもらったので」
「親御さんにですか?」
「いえ。自分には師匠がいるので。その方に……ですね」
「そうなのですか」
ソッと手を離す。
もうレベッカ先輩の体は震えていなかった。
空をふと見上げると、そこにはどこまで澄んだ空が広がっていた。夏特有の、どこまでも澄んでいる……そんな空だ。
それに今日は雲ひとつもない。絶好の大会日和と言って差し支えないだろう。
「そ、その……一つだけ、ワガママ言ってもいいですか?」
レベッカ先輩は上目遣いで、じっと俺の双眸を見抜いてくる。顔も少しだけ赤くなり、恥ずかしがっているのがよくわかるが……一体、ワガママとはなんだろうか。
「いいですよ。なんでも言ってください」
そう言うと、髪の毛をくるくると指に巻きつけながら彼女はこう言った。
「う……腕を触ってもいいですか?」
「腕、ですか?」
「力を入れてもらえるとその……嬉しいです……」
「構いませんよ」
ギュッと腕に力を入れると、おずおずと手を伸ばしてきて俺の腕に優しく触れる。
「うわぁ……やっぱりすごい筋肉ですね……」
「もしかして、筋肉に興味が?」
「あ……その……レイさんはすごいって皆さんが言っていたので、実は興味があったのです……」
「そうですか。それならいくらでも触ってください」
その要望に応えるべく、俺はさらに筋肉に力を入れる。パンプアップさせ、制服がはち切れない程度にはこのバルクを肥大化させる。
「わわっ……! すごいです……!」
「ふふ……そうでしょう?」
「レイさんって、やっぱり面白いですね」
「そうでしょうか」
「えぇ。とっても元気出ちゃいました!」
レベッカ先輩は俺の腕から目を離すと、ニコッと笑いながら自分でも力こぶを作る。もちろん、彼女の筋肉量は多くはないので目立つようなものではない。でもそう振る舞うことで、俺に心配することはないと言外に示してくれているのだろうか。
「先輩、可愛いですね」
「え!? そ、そうですか……?」
「はい。とても可愛いらしいと、率直に思いました」
「あ……ありがとうございます」
その振る舞いが、俺は純粋に可愛いらしいと思った。そして先輩は再び顔を赤くするも、嬉しそうに微笑むのだった。
「では、自分はこれで……」
「はい。運営委員の仕事、頑張ってくださいね」
「はい! それと、会場の前で入場開始頃にとうもろこしを販売するので、もし良ければご賞味ください」
「あら。それは楽しみですね」
「自分も気合を入れて、売り子をしますので」
「……あぁ、なるほど。それでその荷物なのですね。それはそれで楽しみです」
互いに別れの言葉を交わして、俺は学院の正門へと向かうのだった。
◇
レベッカ先輩と会話していたとはいえ、まだ時間は五時三十五分。すでに集まっている運営委員の人もいたが、今はほとんどいない。そんな中で、俺は幾度となく見てきたツインテールを発見した。
今日は緊張しているのか、透き通るような美しい金色のツインテールがぴょんぴょんと揺れ動いている。
「クラリス、おはよう」
「あ、おはようレイ……って、何よその大荷物」
「ん? あぁ着替えとか、その他諸々だ。あとはこれから二週間はむこうに泊まり込みになるだろう? そのために準備だな」
「あ、そう……あんたっていつも色々と規格外よね……」
「まぁ備えあれば憂いなしというだろう。ちなみにこの中にはクラリスの衣装も入っている。安心してほしい」
「あぁ……そうだったわね。一応サイズは合わせてあるけど……うん……」
「向こうに到着したら、早速渡そう」
「うん……まぁ、そうね……うん……」
ツインテールがしゅんと下を向く。
俺、クラリス、エリサは売り子としてトウモロコシの販売を手伝うことになっている。その際にはエリサと色々と協議を重ねて、ある衣装を3つ製作した。もちろん俺も手伝った。クラリスも渋々……という形ではあったが、納得してくれた。その際にはスペシャルアドバイザーとしてある人物にも協力を仰いだ。
そして完成した衣装は……完璧なものになった。
これは本当に期待できるものになるだろう。魔術剣士競技大会も楽しみではあるが、俺はこちらの方も非常に楽しみにしていた。
「なんだか、楽しそうね」
「……む。分かってしまうか?」
「そりゃあ、あれだけウキウキしてたらね。今も目が輝いているし」
「このような祭り事は初めてでな……正直、心が踊っている」
「なるほどね」
「クラリスは楽しみではないのか」
「いや……べ、別に楽しみにしていないわけじゃないけど……」
どうにも煮えきらない態度だ。何かあったのだろうか。
「何かあるのか?」
「いやその……友達とこうして、何かするのって初めてで……よく分かってないというか……」
「初めてなのか? 友人は多いと言ってたが……」
「あ……そ、その……いや、もういいか……」
クラリスはふぅと息を吐くと、俺の方をじっと見てこう告げた。
「……私はね、今まで友達という友達がいなかったの」
「そうなのか?」
「上流貴族のクリーヴランド家ってだけで敬遠されて……私もこんな性格だし……ちょっと拗れちゃって……だからその……私も初めてのことなのよ!」
「……なるほど。見栄を張っていたのか……」
見栄を張っていた。確かにクラリスは色々と意地っ張りというか、あまのじゃくなところがある。しかしそれを率直に言ってくれて、俺は純粋に嬉しいと思った。俺もいつか、彼女にも自分の過去を語るべきだろうと……その素直さにしっかりと向き合うべきだろう。
そしてクラリスはキッと俺の顔を見上げながら、こう告げた。
「わ、悪いの!!?」
「いや。本当のことを話してくれて嬉しく思う。そして俺たちは一緒だな、互いに初めてと言う点でな」
「まぁ……ね。そのレイには色々と感謝してるけど……」
最後の方は完全に独り言なのか、その声はかすれるようなものだった。しかし俺は目と耳は比較的いい方なので、その声をしっかりと拾うのだった。
「そうか。それは嬉しい限りだ」
「小声で言ったのに、聞こえたの!?」
「耳はいいからな」
「うー……恥ずかしい……」
真っ赤になった顔に、ツインテールもピンと上を向いている。俺はそんな彼女に向けて改めて、こう言うのだった。
「クラリスと出会えたおかげで、今回の魔術剣士競技大会はもっと楽しめそうだ」
「ふ、ふん! べ、別に勘違いしないでよね! わ、私は別に……別に……」
「別に?」
「いやその……私も楽しみなのよ! 悪い!?」
「悪くないとも。では、一緒に楽しもうではないか!」
「う、うんっ!」
「よっしゃ、いくぞー!」
「おー!」
と言うことで、俺たちは早速、魔術剣士競技大会が行われる会場へと移動していくのだった。




